1937年の南京南京攻略戦前後での【二〇万人しかいない人間を、三〇万人殺すことはできない】のは正しい

2019年04月10日 20時17分36秒 | 1937年 南京攻略...

中華人民共和国の【南京】の主張に異義を呈しておられる方がよく使われる【反論】としてのフレーズ

 二〇万人しかいない人間を、三〇万人殺すことはできない 


そこで、【史料】に見られる1937年南京陥落前から1938年初めの人口数値を如何に羅列してみた。
(【陥落後・戦後】における【史料】からの記述はまだまだあるが、簡単に抜き出し。)



【陥落前】

A)NYT/ダーディン 1937年11月22日 200,000人
B)馬超俊市長(国民党) 1937年11月23日 500,000→200,000人
C)ジョンラーベ/王固盤警察庁長官 1937年11月28日 200,000万人

 

【陥落後】

D)①第16師団 1937年12月22日〜1938年1月5日 150,000人
   ②南京特務機関 1938年1月6日〜2月25日 100,000人
   ③①②の合計 250,000
E)南京自治委員会/南京特務機関 1938年2月末 200,000人
F)国際安全委員会 1937年12月17日 200,000〜250,000人
G)ジョンラーベ 1937年12月17日〜1938年2月10日 200,000〜250,000人
H)スマイス報告 221,150人
I)スマイス報告 準公式の中国人の推測 300,000人
J)ティンパーリー 200,000人
K)NYT/ハムレット・アベンド 200,000人


【戦後】

L)東京裁判 500,000人以上
M)ダーディン記者 300,000人

 


 

1937年12月10日から始まった本格的な南京攻城戦後、13日に陥落し、以降城内掃討と占領によって、【兵卒・一般人(非交戦者)】併せての【死者数】が、【不当行為殺害数】として、中華人民共和国は【南京大】としての【30万人】の【被害者数】を【主張】している。
その反論としての【ネット】などで【主張】の対象との上記【フレーズ】になる。【陥落前】の【史料】からの数値を見ると、3点しか無いのが実情で、その3点が【統計】という【実質データ】ではなく、ほぼ【推測数値】という点で不明確な点で一致している。
そして、直近の12月7日以降、蒋介石政権が南京を脱出し、南京城壁外周囲16kmの建物類を焼き払った堅壁清野作戦(*1)以降の南京の城内での人口数値の【人口調査資料】は【存在しない】のも事実である。

【30万人】という【数値】は、中華人民共和国に所在する【侵華日軍南京大遭難同胞紀念館】の壁面に刻まれた【主張】のことであるが、


その【主張】のエリアは23箇所の【侵华日军南京大屠杀遗址纪念碑(*2)】(https://zh.wikipedia.org/?curid=3591632)によって埋葬可能としての距離範囲であると考えられるので、極東国際軍事裁判(以下東京裁判(*3))で提出された証拠である崇善堂・紅卍字会・その他埋葬地(*4)エリア周辺で、一部例外はあるが、大凡そのエリアと考えられる。(以前は、公式HPに地図によるエリアの提示があったのだが現在は何故か無くなっている。)







中華人民共和国における南京関係の記念碑とその内容と数値


また、東京裁判でのエリアに関しても、判決文に見られるように12月13日以降であり、エリアとしては城内及びその周辺エリア南は雨花台、東は紫金山周辺、北は下関・浦口・揚子江・幕府山周辺、西は上新河周辺であり、中華人民共和国の主張とほぼ変わりがない。【30万人】という【主張】などは、【一人の個人が数えられたと考えにくい数値】や【期間外の数値】なども含まれている。
つまり、そもそも【明確な史料】に基づく【実地数値】ですらない【想像された数値】であって、【推測】ですら無い。


赤線より南京へのエリアが該当するエリア

戦後の支那兵卒と一般住民(非交戦者)への不法大量殺害を主張している笠原十九司氏(都留大学名誉教授)(*5)の認識に於も12月4日前後からの南京攻略戦での日本軍兵卒の【戦時国際法】【国際人道法】に反した不法、残虐行為の総体とされていることから、だいたい、上図のようなエリアと判断できるため、中華人民共和国、東京裁判と遜色がない。

最初に戻るが【二〇万人しかいない人間を、三〇万人殺すことはできない。】の【反論】の出所は、たどれば、田中正明氏の『「南京事件」の総括』(*6)にある次のような内容からである。

一リットルの瓶詰めの酒を、どう呑もうと、どうこぼそうと、一リットルの酒は一リットルである。
二〇万人しかいない人間を、三〇万人殺すことはできない。こんなことは、三歳の子供でもわかりきったことである。

田中氏の【反論】の対象は、当然ながら、中華人民共和国や東京裁判の前述の主張やこの書籍の中に記述してある洞富雄氏の『南京事件』(P.179)や『証言・南京大虐殺』(P.178)にみらえる【想像した数値】であり、それ以外ではないし、この【フレーズ】を使われる方の殆どが、その意味するところを納得している筈である。

しかしながら、中には【南京事件FAQ(*7)】という土下座強要派(南京虐殺肯定派・戦争責任追及派)のサイトのように、
「南京」の範囲などとして、

①南京安全区……南京城内の一区画
②南京城内……城壁に囲まれた範囲
③南京市……2に城外に隣接する市街地および近隣の農村部(郷区)を加えた地域
④南京特別市(南京行政区)……3を含む江寧県など六県から成る広大な行政区

否定論者が「20万人」としているのは3の南京市の人口(正確には1の人口を20万として周辺地域は無人としている)であるが、果たしてそれは妥当な推測なのだろうか。

などと、【そのエリア・期間】を誤魔化そうとする人々が居るのが事実である。田中氏が対象とするのは、中華人民共和国や東京裁判などの【エリア・期間】内の【主張】に対する【反論】であって、④を追加するなど、目を背けたい一心からの【見当違い】そもそも【議論違い】の頓珍漢な【主張】なのである。
④のエリアは、スマイスの報告書からではあると判断するが、そもそも中華人民共和国、東京裁判における【期間・エリア】はスマイス報告書の【南京特別市という農業エリア調査】(*8)に依って無いのである。

スマイス報告のエリア

最初に提示した、陥落前の【史料】が既に【推測】で、【実際】の【実測人口数値】が無い以上、事後のものと【比較】して【数値】を【計測出来無い】のは確かではある。
しかし、南京特務機関 南京班第二回報告(2月中状況)にあるように、12月22日附近から始まった日本軍による良民証(安居証)の発行の際の住民登録が始まる前、陥落の13日〜22日の間で、少なくとも大規模な【一般人】を含めた【非道行為での殺害】という【史料】は、【何処にも存在しない】。日本軍への【抗議文】を16日以降せっせと【安全地帯における日本兵の不法行為の事例】を提出してきた国際安全委員会の抗議文【国際安全地帯の記録】の中に於も、【大規模・大量の10万人以上】を殺害したという【抗議】も無ければ、【報告】も一切存在しない。
又、有名な土下座強要派の人物のサイト(*9)での【南京事件 初歩の初歩】で言うような、引用すると【例えば数万人なり数十万人なりを一箇所に集めて、まとめて機関銃なり銃剣なりで殺した、という事件ではありません。基本的には、数多くの中小規模の「事件」の集積です。】という【中小規模の集積】すら【実際には明確では無い】のは言うまでもない。明確な【史料】が存在しない為、【合算合計】すら出来ないのが現状である。
つまりは、明確な陥落直前の【統計資料】は【無い】のは【事実】だが、【蓋然性】の【高い】【史料】から【判断】しても、【中華人民共和国】や【東京裁判】での【大量・大規模の兵卒・一般市民への不法殺害】を示す【史料】は見つかって居無いので、【田中氏の主張が間違っている】とは【言えない】と言う事である。

 

 


【結  論】


  そういう反論するという意味に於いて、【二〇万人しかいない人間を、三〇万人殺すことはできない。】 という【フレーズ】は、正しい【主張】を【表現できている】と考える。

ある主張を【否定】するならば、相手の【主張】の【定義・前提】を良く【調べる】と言うことに尽きる。
中華人民共和国の【30万】という【数値】を【象徴的】な【数値】として、挙げているだけで【史学】としての【実数値】として必ずしも【示した訳では無い】などという人物(代表的な学者は秦郁彦氏や笠原十九司氏等で)が居るが、然しながら、現在(2019年4月)、侵華日軍南京大遭難同胞紀念館の公式HPにおいて、関東大震災における被災者の後遺体群の【写真】を、【南京攻略戦後】の【日本軍に不法に殺害された証拠】として掲載している。この中華人民共和国への非道性への怒りや何等抗議もしない日本国への怒りはさることながら、
中華人民共和国の意図は、絵画「南京大虐殺図」丸木位里・丸木俊夫妻(1975年作)、絵画「南京大虐殺」李自健(1992年作)、関東大震災被害御遺体の写真画像(1923年撮影)、中国軍機による上海盲爆被害(1937年8月14日撮影)など(*10)の、



丸木夫妻「南京大虐殺の図」


「南京大虐殺」李自健


侵華日軍南京大遭難同胞紀念館の公式HPより


侵華日軍南京大遭難同胞紀念館の公式HPとのアメリカの収蔵画像



1937年8月14日に於ける第2次上海事変開始直後での支那軍の盲爆撃の被害者

【フィクション】や【違う画像】を使ってまで、【大規模イメージ】を【拡散】している、つまり【実数値】としての【30万人】こそが【中華人民共和国】の【主張】ということの【証左】であって、【象徴的】な【数値】として在る訳では無い。

 


【数値の参考文献】


【陥落前】
A)ニュー・ヨークタイムズ 11月22日 ダーディン記事
【Warship Guns Removed】 The capital, which had a population of more than 1,000,000 last July is now estimated to have only 200,000.

B)笠原十九司『南京事件』
P.215【3 南京事件の全貌>犠牲者数について】中
P.220/5行目〜8行目
南京市政府(馬超俊市長)が国民党政府軍事委員会後方勤務部に送付した書簡(37年11月23日)「調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約五〇余万である。将来は、およそ二〇万人と予想される難民のための食糧送付が必要である。」(中国抗日戦争史学会編『南京大虐殺』)

C)ジョン・ラーベ『南京の真実』
P.69/7行目末〜8行目
…警察庁王固盤は、南京には中国人がまだ二十万人住んでいるとくりかえした。(P.68/13行目 18時のイギリス文化会館での会議)

【陥落後】
D)井上久士著『十五年戦争極秘資料集 第十三集 華中宣撫工作資料』(不二出版 1989)
KK-nanking氏の【南京事件資料集】サイトより:http://kk-nanking.main.jp/index.html
P.153 「南京特務機関 南京班第二回報告(二月中状況)」
3.治安 (1)敗殘兵及抗日分子の摘出
治安確立の先決問題は城内外に於ける敗殘兵及抗日分子の捜査摘出にして
昨年12年22日以降、本年1月5日に至るの間に於て中島兵團の施行せる査問に協力し約4千名の敗殘兵竝抗日分子を摘出し、1月6日より2月25日に至る間、更に特務機關に於て天谷警備支隊の協力を得て城内外に渉る査問を續行し約5百を摘出せり。
此の結果良民として(老婆及12歳以下の小兒を除く)
安居之證を交付せる者左の如し(概數)
中島兵團…15万人
特務機関…10万人
計…………25万人
難民の城門の通行に關しては嚴重に之を制限しありしも
情勢の推移に鑑み漸次之を緩和し2月25日以降無制限通行を許可したり。

E)南京特務機関出版『南京市政概況』 昭和17年
コマ番22 P.14
民国27年(1937年)2月末 現在の第四区地区にして通称難民区と称し外国権益区域を主体とする雑居地域(自治委員会及び特務機関推定)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1267359/22



F)冨澤繁信著『「南京安全地帯の記録」完訳と研究』
P.154【第九号 日本大使館への手紙】中 一九三七年十二月十七日
P.161/3行目末〜4行目
…本市駐屯の日本兵の間に規律が即刻もどらないかぎり、二十万の中国市民の多くに襲い来る餓死をどうやって防ぐのか、見当はつけにくい。

G)希望の党/衆議院議員:中山なりあき(公式サイト:http://nakayamanariaki.com/contents/
ラーベの南京人口表:http://nakayamanariaki.com/contents/wp-content/uploads/2014/11/13_0410_01.pdf



冨澤繁信著『「南京安全地帯の記録」完訳と研究』
P.154【第九号 日本大使館への手紙】中 一九三七年十二月十七日
P.161/3行目末〜4行目
…本市駐屯の日本兵の間に規律が即刻もどらないかぎり、二十万の中国市民の多くに襲い来る餓死をどうやって防ぐのか、見当はつけにくい。

冨澤繁信著『「南京安全地帯の記録」完訳と研究』
P.245 第41号 福田氏への手紙/1938年1月14日、ジョン・H・D・ラーベ委員長
P.247/12行目〜13行目
…我々は貴軍が、10歳以下の子供、及びいくつかの地区では老人の女性を含めないで、16万人を登録したと理解しております。すると、当市の人口は多分25万人から30万人ということになります。…

H)スマイス報告書『War Damage in the Nanking Area』
P.2 INTRODUCTION
http://nakayamanariaki.com/contents/wp-content/uploads/2014/11/13_0410_01.pdf
For the City Survey the family investigation extended from March 9th to April 2nd with supplementary work Spril 19th to 23rd
市街調査での家族調査は3月9日から4月2日まで亘り、追加の作業が4月19日から23日まで、
Table 1/Families studied and estimated population/By section of city
221,150 are represented in the survey. 1938年3月調査。
(松尾一郎氏【南京大虐殺はウソだ!】サイトより http://www.history.gr.jp/nanking/

I)Table 1/Families studied and estimated population/By section of city
Semi-official Chinese conjectures ran closer to 300,000. 1938年3月調査。
(松尾一郎氏【南京大虐殺はウソだ!】サイトより http://www.history.gr.jp/nanking/




J)ハロルド・J・ティンパーリ『外国人の見た日本軍の暴行』
P.16【第一章 南京の生き地獄】中
P.23/5行目末〜6行目
…私達は私達の持っている食糧を二十万の難民に供給すれば、僅か三週間で使い果たし、…

K)『南京事件資料集1 アメリカ関係資料編』
P.403 ハレット・アベンド 《ニューヨーク・タイムズ》特電。12月12日、日曜日、南京発。
南京の安全区委員会は金曜日に日中双方に向け、委員会が30万の市民に避難所を設け、かつ安全区内からの中国側軍事物資の完全撤去を行うために三日間の停戦をするように求める、哀れなほど空しい提案を行った。
(「戦争責任ドットコム」サイトより)

【戦後】
L)東京裁判判決:極東国際軍事裁判所判決文(極東国際軍事裁判所 編/毎日新聞社/昭和24) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1276125/166
P.260/4行目
【南京暴虐事件】中
一九三七年始めに…百万の住民の半数以上

M)古森義久(ジャーナリスト)(文藝春秋89.10から)「南京事件を世界に知らせた男/自分の目で大量虐殺を見た米人記者の回顧談/元ニューヨーク・タイムズ記者、ティルマン・ダーティン氏 元ニューヨーク・タイムズ記者ティルマン・ダーティン」 http://www.history.gr.jp/nanking/dathin.html
P.4 David Askew氏『The Nanjing Incident:An Examination of the Civilian Population』(Monash University)
(松尾一郎氏【南京大虐殺はウソだ!】サイトより http://www.history.gr.jp/nanking/


【参考文献・史料】


(*1)The New York Times/NANKING, Wednesday, Dec. 8./BY F.TILLMAN DURDIN
More Fires Are Set
....The city was ringed by a dense pall of smoke, for the Chinese also continued to burn buildings and obstractions yesterday in towns in a ten-mile radius.....
Wiki堅壁清野:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%85%E5%A3%81%E6%B8%85%E9%87%8E

(*2)侵華日軍南京大遭難同胞紀念館:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%B5%E8%8F%AF%E6%97%A5%E8%BB%8D%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E5%B1%A0%E6%AE%BA%E9%81%AD%E9%9B%A3%E5%90%8C%E8%83%9E%E7%B4%80%E5%BF%B5%E9%A4%A8

    侵华日军南京大屠杀遗址纪念碑:https://zh.wikipedia.org/?curid=3591632
    侵华日军南京集体屠杀场地图:http://neverforget.sina.com.cn/crime/map.html

(*3)国立国会図書館デジタルアーカイブ 東京裁判判決:極東国際軍事裁判所判決文(極東国際軍事裁判所 編/毎日新聞社/昭和24) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1276125/166


(*4)国立公文書館アジア歴史史料センター A級極東国際軍事裁判記録(和文)(No.15)P.275:https://www.digital.archives.go.jp/das/image/F0000000000000340083


(*5)笠原十久司著『南京事件論争史 日本人は史実をどう認識してきたか』平凡社新書403

P.214/9行目〜12行目
中支那方面軍が南京戦区に突入した三七年一二月四日前後から始まる。大本営が中支那方面軍の戦闘序列を解いた三八年二月一四日が南京攻略戦の終了にあたるが、南京における残虐事件はその後も続いたので、南京事件の終焉は、日本軍の残虐行為が皆無ではないまでも(近郊農村ではあいかわらずづついたいた)、ずっと少なくなった三月二八日の中華民国維新政府の成立時と考えることができる。

(*6)田中正明氏『「南京事件」の総括』P.24


(*7)南京事件FAQ

https://seesaawiki.jp/w/nankingfaq/d/%b4%d9%cd%ee%bb%fe%a4%ce%c6%ee%b5%fe%a4%ce%bf%cd%b8%fd%a4%cf20%cb%fc%a4%c7%a4%cf%a4%ca%a4%ab%a4%c3%a4%bf

(*8)松尾一郎氏【南京大虐殺はウソだ!】(南京否定18の根拠>スマイス博士の戦争被害レポート)http://www.history.gr.jp/nanking/


(*9)ゆうのページ氏【南京事件-日中戦争 小さな資料集】サイト(南京事件 初歩の初歩) http://yu77799.g1.xrea.com/nankin/shoho.html


(*10)ぎよみどん-hinata@hinatanococo氏のTwitterのTL https://twitter.com/hinatanococo/status/1115163166336409601

丸木美術館:http://www.aya.or.jp/~marukimsn/top/kyosei.htm
丸木美術館『南京大虐殺の図(1975年)』:http://www.aya.or.jp/~marukimsn/kyosei/nanking.htm
【絵画説明に次のようにある。】
わたしたちはアメリカで南京大虐殺のことを聞こうとは夢にも思いませんでした。
捕虜5万、非戦闘員35万人。
1937年、日本侵略軍に虐殺された人びとは、南京だけで、広島長崎の犠牲者に匹敵する大量虐殺であります。
略奪、放火、強姦、最後にはすべて殺害して捨てたのです。
ありとあらゆる惨劇がくりひろげられたのであります。

臻印藝術 李自健『南京大』(複製媒材/キャンパス/複製尺寸 / L-94.4X130cm,M-71.2X98cm,S-43.6x60cm) http://www.giclee.com.tw/jp/product/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E5%B1%A0%E6%AE%BA-1703.html

秦郁彦『南京事件 「虐殺」の構造』P.244/9行目 あとがき
笠原十九司『南京事件論争史』P.277/3行目 終章 真の学問的論争を願って>日中学術論争の可能性


1937年の南京攻略戦前後と【歴史修正主義】

2019年04月03日 11時23分58秒 | 1937年 南京攻略...

『南京虐殺』否定は、歴史修正(政治的プロパガンダ=集団的記憶の改ざん)

日本側では「南京大虐殺を否定する歴史修正主義」が横行しているが、歴史事実は変えられない。


こういう【認識】のコメントをする方が【SNS】で散見できるが、こういう方々の使う【歴史修正】という【用語】の【定義】を【政治的プロパガンダ=集団的記憶の改竄】とされており、【1937年の南京攻略戦前後】や【従軍慰安婦問題】について、現在、各問題について【その歴史考証】について投げかけられると、【歴史修正主義】としてレッテルを貼られ【対話・議論】にすら成らない。お返しに【土下座強要派(南京虐殺肯定派・戦争責任追及派)】などとレッテルを貼り返している。
そもそも、【南京暴虐事件】として【極東国際軍事裁判(1946年)】で取りあげられ、【事件そのものの有無の係争】も【弁護側】の【時間・人員・費用】の問題から争うことが出来ず、さらに確たる【証拠】(*1)も無しに【杜撰】な分析で、松井石根大将は【かれは自分の軍隊を統制し、南京の不幸な市民を保護する義務をもっていたとともに、その権限をもっていた。この義務の履行を怠った】などと【事実無根】の【犯罪】認定され、【訴因55】で【有罪判決】を受け【処刑】された。
この【極東国際軍事裁判】での【判決】が、その後の国際社会で【慣習的】に裁かれたり、その【訴因】が適応されて【処刑】されてものもすら居ない状況である。
【歴史修正】というのは、この【極東国際軍事裁判】での【南京暴虐事件】こそ、【政治的プロパガンダ=集団的記憶の改竄】による【歴史修正】で有るはずである。
ならば、この【定義】に当てはまるのは、【東京裁判判決】を【奉じて】、【虚偽】の【南京暴虐事件】が【有った】と【主張する人々】の方である。

【覚めた頭】などとは、とても言い難く、【近視眼的】に【直近】の出来事のみを【見て判断してはいけない】という【証左】で、【虚偽の歴史事実】を変えたくないという【愚かすぎる】【主張】である。
1937年の南京攻略戦前後について、初学の方や少し囓った方は、このようなことのないように【冷静】かつ【客観的】に【史料・文献】から【判断】して頂きたいものである。

崇善堂における埋葬数の多い城外での埋葬記録をもとに視覚的にエリア図と期間の表を作成してみた。
これを見て頂ければ、当時にはパワーシャベルなど当然無いし、工具・作業員を運搬する為のバス・トラックなど無い(トラックは大部分が日本軍が徴発している)なかで、工具類・人員数量・衛生処理人員数と衛生器具・食事・給与等どれぐらいか見当も付かない。その様な状況下で日本軍や国際安全委員会の欧米人、南京自治委員会、南京特務機関に【知られること無く】その期間内における大規模な活動が出来る筈が無いということがお判りになるはずである。
それでも実感が出来ないというのなら、ホームセンターなどに行って、20kg程の砂・石などの重さのものを持って運んでみたらどうであろうか。建設業で馴れた人間でない限り非常に重く感じるはずであり、又山野を巡って鹿などの動物の遺体を探して、その腐敗臭たるやどれ程のものか知った方が良い。その臭気は当然、長時間その場に滞在できうるものでは無いと理解出来ると考える。




城外エリアの埋葬数と1日の埋葬数平均


城外エリアの埋葬期間


水西門から浦口上河


中華門から花神廟


通済門から方山


中山門から馬群


極東国際軍事裁判所判決文の内・埋葬記録を証拠としたとの記述

 

(*1)冨士信夫『「南京大虐殺」はこうして作られた』展転社より
①欧米人の証言:ロバート・O・ウィルソン、マイナー・S・ジョン・G・マギー

  宣誓供述書によるもの:ルイス・S・C・スマイス、ジョージ・A・フィッチ、J・H・マッカラム
②中国人の証言:尚徳義、伍長徳、陳福寶、梁廷芳
  宣誓供述書によるもの:陳瑞芳女史、孫永成、李滌生、ラ・ソンセイ夫人、呉経才、朱帝翁・張継祥、ワン・キャイセン夫人、
  フー・ツー・シン、王陳氏、呉着清、殷王則、王潘氏、呉張氏夫人、陳賈夫人

③書証文書:徐淑希『南京安全地区文書』、1946年1月21日付の南京地方裁判所附検察官報告、
  崇善堂埋葬体および紅卍協会によって埋葬された者の表、南京地方裁判所附検察官作成「南京地方院検察處」、
  在南京米・独大使館からそれぞれ本国宛の南京の状況に関する外交電報等、松井石根被告訊問調書、武藤彰被告訊問調書、
  昭和12年13日の松井司令官声明

④東京裁判判決:極東国際軍事裁判所判決文(極東国際軍事裁判所 編/毎日新聞社/昭和24) LINK


1937年の南京攻略戦後についての文献とサイト紹介。

2019年04月02日 21時43分46秒 | 1937年 南京攻略...

新年度となり、大学などに進み新たな学業が始まった方や進級し新学期が始まった方も多いことかと思う。
学業やクラブなどで、忙しく慌ただしいと考えると思うが、もし何かの折に【南京事件】【南京大虐殺】などに付いて、知りたくなった際には、多数ある書籍の中でどれを選んでよいか判らない方も多いと考える。
当方は、1937年の南京攻略戦で日本軍が、蒋介石国民党・共産党連合軍に勝利し南京を陥落させた前後について、【虐殺】というような【抽象的な表現を持つ用語】の使用自体を【不適切】と考えている。そう言った意味で次の書籍をお薦め致します。

①松尾一郎氏 『プロパガンダ戦「南京事件」―秘録写真で見る「南京大虐殺」の真実』
②松村俊夫氏 『「南京虐殺」への大疑問』
③冨士信夫氏 『「南京大虐殺」はこうして作られた』

併せて、ネットで閲覧することの出来る論文

④松村俊夫氏 『アメリカ人の「南京虐殺の目撃証人」は一人もいなかった』 リンク先
⑤冨澤繁信氏 『原典による南京事件の解明』 リンク先

それと、南京攻略戦前後を扱ったサイト

松尾一郎氏サイト【南京大虐殺はウソだ!】 リンク先
ZF氏サイト 【南京大虐殺の真相】 リンク先
KUIDAORE氏のサイト 【REAL PHOTOS, FILMS TAKEN NANKING IN 1937-1938】 リンク先
水と平和はタダじゃない氏サイト 【記憶の迷路を辿る】 リンク先

他にも紹介したいものはあるが、
初心者には、この辺で先ずは概要を知って頂きたい。

誤って次の書籍は読むことはお薦めしません。

①秦郁彦氏 『南京事件 「虐殺」の構造』
②笠原十久司氏 『南京事件』

理由としては、物事を客観的に見るように装ってミスリードや自身の提唱する史料批判法で史料を検討すらしていないもので、日本人に贖罪意識を植えつけさせることを目的として書かれた書籍だからです。
どうしても読まれたい場合は、満洲事変、支那事変などの文献等を読まれて後にとお薦め致します。

 

2023年4月10日 変更 削除:EA_Warhistory氏のサイト 【写真集】リンク先が閉鎖になりました。