ジョン・マギー牧師(John Gillespie Magee)の目撃してないという妻への手紙

2018年12月13日 12時00分00秒 | 1937年 南京攻略...

ジョン・マギー牧師(John Gillespie Magee)は、極東国際軍事裁判(1946年5月3日〜1948年11月12日)では南京事件の証人として、日本軍による殺人、強姦、略奪事件について、被害者からの直接聴取、自ら行った被害調査などを基礎に証言を行い、通称マギーフィルムという南京陥落後の城内の様子や病院患者を映した映像を残した人物で、自ら1件の日本軍の不当行為を【目撃】したと証言した。その事を自分の妻へ手紙に書いて送っている。その記録が他の南京に在留していた米国人の手紙・日記などと共に『Eyewitnesses to Massacre: American Missionaries Bear Witness to Japanese Atrocities in Nanjing』(注1)に収載されている。


---------【原文】---------

Letters to Wife , December 12, 1937 - February 5, 1938
Sunday --- Dec.19
The horror of the last week is beyond anything I have ever experienced. I never dreamed that the Japanese soldiers were such savages. It has been a week of murder and rape, worse, I imagine, than has happened for a very long time unless the massacre of the Armenians by the Turks was comparable. They not only killed every prisoner they could find but also a vast number of ordinary citizens of all ages. Many of them were shot down like the hunting of rabbits in the streets. There are dead bodies all over the city from the south city to Hsiakwan. Just day before yesterday we saw a poor wretch killed very near the house where we are living. So many of the Chinese are timid and when challenged foolishly start to run. This is what happened to that man. The actual killing we did not see as it took place just around the corner of a bamboo fence from where we could see. Cola went there later and said the man had been shot twice in the head. These two Jap. soldiers were no more concerned than if they had been killing a rat and never stopped smoking cigarettes and talking and laughing.


---------【和訳】---------

12月19日 日曜日 (1937年/昭和12年/民国26年 13日の陥落から6日目)
先週の恐怖はこれまで経験したことのないものだったよ。日本兵がそれほどに残忍だとは夢にも思わなかった。殺害とレイプは1週間も続き、私が思うに、長い期間になれば、トルコのアルメニア人虐殺に劣らないものだっただろう。彼らは見つけだして捕虜になった者全てだけではなく、あらゆる年齢の膨大な数の一般市民も殺したんだ。そのうちの多数が道々でまるでウサギを狩るかのように撃たれたよ。
南市から下関まで、街中が死体だらけだったよ。ちょうど一昨日、我々が住んでいる家(マップ1)のかなり近くで惨めに殺された人を見たんだ。中国人の本当に多くが臆病で誰何されると愚かにも走り出すのだよ。これもその(惨めな)男にも起こったことでね。我々が見ることの出来る場所からは竹のフェンスの角を廻った所で起ったので、実際の殺害は視てはいない。後でコーラがそこに行き言うには、その男は頭を二発撃ち抜かれていたって。その二人の日本兵はネズミを殺すよりまだ気にかけもせず、煙草を吸い続け喋り笑っていたらしいよ。(訳:@hinatanococo殿/当方少し加筆)


【備考】
このテキストは二つに分かれていて、前半は【虚偽の戦時宣伝の情報】、後半は個人的な【目撃情報】に別れている。
前半の【先週の〜】から【南市から下関まで、街中が死体だらけだったよ。】迄が【目撃】したかのように書かれているが、「南京安全区檔案」(1939年徐淑希編/Prepared under the Auspices of the Council of International Affairs, Chunking“DOCUMENT OF THE NANKING SAFETY ZONE”)に掲載された13日〜19日迄の日本への抗議文、陳情書には、【彼らは見つけだして捕虜になった者全てだけではなく、あらゆる年齢の膨大な数の一般市民も殺したんだ。そのうちの多数が道々でまるでウサギを狩るかのように撃たれたよ。】は存在しない事柄で、ベイツメモ(イエール大学の米国宣教師達の手紙・日記を集成した『Eyewitnesses to Massacre: American Missionaries Bear Witness to Japanese Atrocities in Nanjing』に収載。)に沿った内容以外のことは書かれていない。【南市から下関まで、街中が死体だらけだったよ。】については、当然ながら南市がどのエリアか不明な上、下関へ続く挹江門までは支那兵・支那人の遺体に関しては、逃走する際に、挹江門を守備する宋希廉の第33師の部隊と逃れてきた城南を守備していた第88師の孫元良らの部隊との衝突に起こった同士討ちが原因で、日本軍が挹江門(マップ2)から城内へ突入した際には、惨憺たる状態が伝えられて、南京研究の専門家の松尾一郎氏の発掘の【戦線後方記録映画『南京』】(7:35頃)にも映っている。松村俊夫氏の論文『アメリカ人の「南京虐殺の目撃証人」は一人もいなかった』に、アイリス・チャンの『レイプ・オブ・南京』からの引用として論じて居られる。【挹江門から下関碼頭群や煤炭碼頭付近】では、日本軍が13日の第16師団歩兵第33連隊が到着するまで、堅壁清野作戦の付け火によって灰燼と化し、第33師を押し切って逃れてきた城内からの脱出兵同士が残り僅かとなった逃走船を巡っての争い、その上、33連隊などの日本軍による敗残兵掃討で討ち取られた支那兵の死体が存在したことは言うに及ばない。
上記を考慮した上でも、マギー自体が何処で、何を目撃したかは不明で、ベイツ・フィッチや他の支那人から伝聞を真に受けたか、手紙が検閲を受けることを想定した上で記述を残したかは不明であるが、どちらにしてもベイツやフィッチ、マギーが始めた伝聞情報を元にした【虚偽】の【戦時宣伝】の内容と変わらない。

【ちょうど一昨日〜】からの東京裁判でのマギーの証言で使われた個人的な【目撃情報】については、この手紙に於ては【マギー自身だけで無く】が【当時現場にいた他の二人】も【実際の殺害シーンの目撃者】ではないことが書かれている。
仮に、マギーの証言通りであったとしても、【城内で捜索の上、鹵獲した逃走敗残兵の処刑】や、【支那人が臆病で、日本兵に呼びとめて問いただされた際、逃げ出した場合】、城内及び城外周辺での掃討作戦完了されていない状態という占領未完了の時期での日本兵の行為が不法・不当かは、国際法学者の見解を待つべきだろう。ただし、個人的な手紙の内容として【目撃してい無い】ということは、極東国際軍事裁判での証言と食い違い、やはり重要な記述とは考える。

補足として、先に述べた南京安全区檔案においては【第六号】のスマイス記名の【特務機関長との会見の覚書】という1937年12月15日正午の交通銀行(マップ3)での会見で、日本軍の特務機関からの返事の中で《八、我々は労務者を得たいと切望している。明日から城内の清掃を始める。国際委員会はご支援願いたい。対価は支払う。明日は百ないし二百の労務者が欲しい。(注2)》とあり、当方の私見には過ぎないが、戦後復興の為の労務者を必要としていることを理解している日本軍がわざわざ鹵獲した敗残兵の全てを【処刑】するという無駄な行為は到底考えにくい。

 

(マップ1)マギーとコラとフォースターが共同生活を送っていた住居のある大方巷
(緑色で示したエリアが大方巷、薄朱色のエリアが南京安全地帯)
(京都大學 人文科學研究所 附屬 漢字情報研究センター蔵/最新實測新南京市詳圖/武昌亞新地學社)


(マップ2)下関の碼頭群及び煤炭碼頭と挹江門エリア
(薄茶色ラインが南京城壁、緑色円で示したエリアが挹江門)
(京都大學 人文科學研究所 附屬 漢字情報研究センター蔵/最新實測新南京市詳圖/武昌亞新地學社)


(マップ3)日本軍特務機関が国際安全委員会のメンバーと会見した交通銀行
(緑色で示したエリアが交通銀行、薄朱色のエリアが南京安全地帯)
(京都大學 人文科學研究所 附屬 漢字情報研究センター蔵/最新實測新南京市詳圖/武昌亞新地學社)

 

【参考文献】

*1)『Eyewitnesses to Massacre: American Missionaries Bear Witness to Japanese Atrocities in Nanjing』参照。現在も楽天やアマゾンなどで購入可能。
*2)冨澤繁信著『「南京安全地帯の記録」完訳と研究』(P.146)を参照。現在も楽天やアマゾンなどで購入可能。