【1.人口問題関係=>3.南京城の周辺は無人地帯ではなかった&城外の人口の資料】への反論前の研究ノート その21

2020年06月29日 14時55分10秒 | 1937年 南京攻略...

【1.人口問題関係=>3.南京城の周辺は無人地帯ではなかった&城外の人口の資料】
この南京事件FQAサイトのこの記事の【主張】について反論する前に、情報収集として城外に【大量の非戦闘員が居た】のかという記録が無いかを調べてみる。

前に、小野賢二著『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち:第十三師団山田支隊兵士の陣中日記』(*1)からの分析に引きつづいての【第38連隊】の【戦闘詳報】、そして【第33連隊】の【戦闘詳報】(*2)から調べてみる。

第33連隊は、第38連隊と共に第16師団の佐々木支隊【第30旅団】で、主に師団の右翼面の左側を進軍していた。ただ、【国立公文書館 アジア歴史史料センター】で公開されている(他に存在するか不明)【戦闘詳報】は、

【南京附近戦闘詳報(12月10日〜14日)】
【其一紫金山の戦闘】
【其二下関揚子江岸戦闘】
【支那事変に於ける歩兵第33連隊隷下部隊戦闘概況表】
のみである。

12月3、4日〜9日間の【戦闘詳報】からの情報はほぼ得られなかった。
因みに、【引用】は、ほぼ無く、原文は【国立公文書館 アジア歴史史料センター】で、第33連隊で検索するか、又はZF殿が纏められておられたので氏のウェブサイトのこの頁の【C】から始まる12桁の数値で表される【レファレンスコード検索】で探して読まれることをお薦めする。

最初に確認しておくが、南京事件FQAサイトのこの記事の【主張】は、主に【城外】に大量の【非戦闘員】が居て、それが戦場における日本軍の不軍紀且つ国際法の陸戦に関する条約の【陸戦法規】に違反する不当行為による殺害で、しかも大量殺害を犯したという主張である。

その根拠としては主に【崇善堂】の【埋葬記録】などである。それ以外にも周辺での【避難】せずに、又は家族の都合などで、村落の大部分の一般住民が取り残されていたものを、【戦闘】及び【徴発の際】などでの日本軍の不当行為で【殺害】したという【主張】である。
この【主張】に則り、範囲としては、【《A》笠原十九司氏の南京事件の範囲開始】である12月3、4日以降の範囲に限定する。でなければ前にも後ろにも収拾がつかず論的に判断できないからである。
それと、【歴史】を調べる上で、【第一次史料】はとても重要であり、当時を【知る】という意味では、【最重要】な【史料】ではあるのは言う間でもない。
後述するが、【蓋然性が高い】かと言えば、【精査】が必要であり、今回の第33連隊の【戦闘詳報】に於いても同じである。
【戦闘詳報】は、リアルタイムで記述されるものでは無く、戦況によって変化する中で、担当者の置かれた状況次第で、後日に書かれることになり、記憶や連絡メモなどを参考に記載される。記憶は忘失・誤記憶があり、連絡メモなどは紛失なども状況に依ってはあり得るので、【想像】による【記載】になることがある。それはいわゆる【蓋然性の低い】と言うことに外ならない。

調べた【戦闘詳報】は以下の通りで、

南京附近戦闘詳報(12月10日〜14日) 【C11111198100】
其一紫金山の戦闘 【C11111197900】
其二下関揚子江岸戦闘【C11111198000】
支那事変に於ける歩兵第33連隊隷下部隊戦闘概況表【C11111198600】
全部で4冊である。

ポイントは、併せて【気象状況・戦闘前の状況・敵の情報・戦闘後の状況・その他の参考にすべき情報】の項目に注意を払って調べてみた。
【住民】の項目は一切無い。当然ながら【紫金山】は、南京城の直ぐ東に接して、東西に連なる低山(第一峰約440m)であり、山頂からは南京城無いが一望できる軍事上重要拠点であり、防衛陣地が重層的に構築されている。
ただ、誰が陣地設計をしたのか北面斜面は崖面の急峻斜面で登攀攻撃は適わなず、南面斜面は霊谷寺、萬福寺、中山陵、明孝陵などの施設が重層的に防衛されているが、東にのびる稜線に関しては、急ごしらえの防衛設備であった為に、その点を日本軍に見抜かれて防禦できなかったと考えられる。その他の重火器類(山砲や速射砲)が殆どなかったのも敗因と見られる。

結論から言うと、この場所は、防衛の要塞で、【一般住民】が居たと言う事は確認されていない。

12月10日から東面の青馬・黄馬から第三大隊を先頭に、やや北面から第二大隊が急峻な面を登攀し、最初の高地の敵陣を攻略し、速射砲中隊と連隊砲中隊がそれぞれ支援の砲撃・射撃を敵陣に攻撃した後、第三大隊が占拠エリアを拡大する方法で、12日の夜に第一峰を占拠している。その間3日間に於いての食糧と水の配給が滞ったようで、部隊の一部を割いて、下山の上炊飯して、水と共に戦場を登るという困難な作戦を行っている。その他にも、負傷兵を後送する為にかなりの兵力を取られて、寡兵でもって占拠できたのは、速射砲と連隊砲が後半に南麓へ配置転換し、攻撃に回ったことで成り得たという感じである。
12日の夜の第一峰の占拠し後、直ぐさま最後の拠点である天文台へ進出するが、第一峰が陥落した後ラッパの音と共に敵兵は潰走し、北部の下関方面へ逃走している。本来なら最後の激戦の拠点となる筈の堅固陣地である天文台は使われることがなかった。
その後、第三大隊、第二大隊とも下山し、太平門を占拠し、一部の部隊を守備に残し、直ぐさま揚子江へ北進している。
ここで、この【戦闘詳報】の肝ともいわれる冊子末の【鹵獲表】がある。

《33連隊 戦闘詳報 鹵獲表》

ここに、【捕虜】の項目に、将校14名、准士官・下士官兵3,082名とあり、欄外に【一、捕虜は処断す】の文言が見られる。これを受けて偕行社の『南京戦史』の編纂者のお一人であった畝本正己氏が、首を垂れてしまったという逸話が残っている。
そして、その欄外には【三、敵遺棄死体(概数)表】があり、13日における死体数を5,500とし、さらにその欄外に【備考、12月13日の分は処決せし敗残兵を含む】と記述されている。
この数値的なことは、ZF殿が詳しく、氏のサイトの記事《補記9》“太平門虐殺”の真相に精細な分析が為されている。

33連隊の戦闘詳報では、2,000名を下らずと書いているが、別の【其二下関揚子江岸戦闘】では、揚子江に浮かぶ敵兵数を1,000名を下らないとしているので、適当このうえない。

慌て者の方は、欄外に【一、捕虜は処断す】の文言で、【捕虜】を全て殺害したという方が居られるが、13日の部隊の行動を見ると速やかに【江辺車站(駅のこと)/煤炭港に接続している】に速射砲中隊(TA)を配置し、江上に浮かぶ逃走兵への掃蕩を行っている。確かに煤炭港での掃蕩作戦は、速射砲部隊(TA)のみで、将校・准士官・下士官あわせても97名のみである。其他の部隊がどのような行動をしていたかという詳細は記載されていないが、【捕虜】を取るという本来なら【勲章行為】が記載されていないので、実際に存在したのかも不明である。
この【戦闘詳報】にも名前が出てくる16師団の木佐木 久(きさき ひさし)少佐・後方参謀の偕行社の『南京戦史 史料集Ⅰ』に収載された日記にも14日から16日にはの記述はないが、10日〜13日の記述には【捕虜】の話は出てこない。後方参謀で16師団の司令部にあった下麒麟門・五顆松に中島今朝吾中将司令官と同行していて、【前線】とは異なり安定した情報が入って行くるはずが入っていない事になる。
当時の混乱した情報環境であったことも判るし、実際に部隊が掃討作戦等で敗走兵との戦闘で混乱していたことも判る。

 


《煤炭港の戦闘経過図》

 


【分析・考察】


第33連隊の戦闘詳報は、北に38連隊、南を第9連隊・第20連隊が並行し、【紫金山】という【要塞・要害】を攻略した記録であり、【一般住民】がいることはありえない。しかも多数の【一般人】は考えられない。
戦闘詳報は、【戦闘】と【戦果】の記録で、史料として重要な記述が欠落しているので、実際に3,000名近い捕虜が何時何処で鹵獲され、その後どうなったのかが書かれていない為、不明な事が多い。
良く引き合いに出される16師団長の中島今朝吾中将の日記における(偕行社『南京戦史 資料集Ⅰ』 P.326 9行目)の12日の【◎捕虜掃蕩】の【一、後に到りて知る所に…】の文面の中には、3,000名近い捕虜の話は出てこない。佐々木支隊(ほぼ38連隊の)1万5千名、太平門での1,300名、仙鶴門(司令部のあった下麒麟門より北1.6kmに位置する)で7千名とあるのみである。佐々木支隊の件は、前回の記事にも書いたが、10日と14日の重複している記述があり判然としていない。捕虜の取扱に苦慮していることは確かの様だが、12日には攻撃を受けているなど【戦闘】が収束しているわけでもないので、【捕虜】がそれほど鹵獲出来ていたかと云うことは、判然としない。路面には【地雷】などがあり、一体どこに【集結・管理】させたのか。33連隊は、紫金山攻略に追われそれどころではなく、16師団の司令部も当然ながら当事者たり得なかったのは自明のことである。又北部の38連隊も主力部隊が紫金山の丁度北側【岔路口】にいて紅山などの敵陣地の攻略で手一杯の時期である。
つまり、当時の情報が錯綜し、正確な情報に基づいた記述とは考えにくい。当時の状況に於いて相当に混乱していたことしか判らない。
数字だけが先走りして、正確性のない状況であったことが窺われる。
ましてや、これ等の【捕虜】を【武装解除後】に【殺害】したことなどは判らないし、このエリアに【一般住民】がいた事など全くいって判らない。有る無しの【可能性】ならばあるが、【蓋然性】としての【一般住民】などその高低は、全くと言って低く【ほぼ想像】の域を超えない。

 


《38連隊の12・13日の行動》

 

 

【参考文献・参照】


(*1)小野賢二著『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち:第十三師団山田支隊兵士の陣中日記』 全416頁 大月書店
    1996年3月14日 【Amazon】

(*2)33連隊の別史料
    南京附近戦闘詳報(12月10日〜14日) 【C11111198100】
    其一紫金山の戦闘 【C11111197900】
    其二下関揚子江岸戦闘【C11111198000】
    支那事変に於ける歩兵第33連隊隷下部隊戦闘概況表【C11111198600】
(*3)偕行社『南京戦史 史料集Ⅰ』 P.413 【Link】

 


【参考サイト・Twitter】


ZF殿サイト及びTwitter
・《補記9》“太平門虐殺”の真相  【Link】


【拉致】被害者である横田めぐみさんの父上の横田滋氏がお亡くなりになったという訃報を聞く。

2020年06月05日 19時03分19秒 | 日記

北朝鮮人民共和国による【非道行為】の【拉致】被害者である横田めぐみさんの父上の横田滋氏がお亡くなりになったという訃報を聞く。

生きている間に、めぐみさんに会うことが出来なかったのはさぞかし無念だろうと、胸が痛む。

残念でならない。市井の日本人としては何も出来ずに本当に辛い思いである。

許せない。

全くこんな酷い【犯罪】を行った【北朝鮮人民共和国】は、本当に許せない。

日本国内にも、北朝鮮人民共和国の手下がのうのうと暮らしており、それも多数居ると思うと本当に悔しくて悔しくて腹立たしい思いで一杯である。

横田茂氏の冥福を祈るばかりである。

南無妙法蓮華經。南無妙法蓮華經。南無妙法蓮華經。


南京事件の【幕府山のケース】と国際法と【戦争犯罪】

2020年06月04日 22時06分10秒 | 1937年 南京攻略...

 

この【幕府山・魚雷営】に於ける小野賢二氏が収集したという【日記類】について、その内容の判断についてだが、以前当方の記事にも書いていたが、【嘆願書】が【捕虜側】から渡されていたにも関わらず、【計画的】に【殺害】を【実行】したというのが【事実】であるならば、【戦闘法規】に【抵触する】と認識出来るが、そもそも【戦闘法規】とは何かを、この小野賢二氏は理解しているとは言いがたい。

【南京事件】として【虐殺】という【既に評価が入った用語】を使用する【虐殺肯定派】の人々の【特徴】でもあるし、板倉由明氏(故人)、偕行社に【陸戦法規違反】を説明した【原剛氏】も、【陸戦法規】が何か判っていないと考える。

【陸戦法規】とは、wikiに書かれているのを利用させてもらうと、1899年にオランダ・ハーグで開かれた第1回万国平和会議において採択された「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約(英: Convention respecting the Laws and Customs of War on Land, 仏: Convention concernant les lois et coutumes de la guerre sur terre)」並びに同附属書「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」のこと。1907年第2回万国平和会議で改定され今日に至る。ハーグ陸戦協定、ハーグ陸戦法規などとも言われるもののことである。

【陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約】とは【条約】であり、合意法・相互法(パクタ・スント・セルヴァンダ、pacta sunt servanda)である。そして1929年にジュネーヴで締結された【俘虜の待遇に関する条約】は、日本は批准していない。

条約は【相互・合意】を元に形成される【協定】であって、国内法に於ける立法府が成立させた【法】である【強制法】とは別である。【批准】していなければ、協定に【拘束】されることもない。そう言った点では、【捕虜】に関しての扱いは、【法的】にはフリーである。そして【係争側】が【遵守】しなければ、【守る】ということに【拘束】される訳ではない。
小野賢二氏の史料の中の上海戦にも【蒋介石軍】の【便衣隊】による【攻撃】が記載され居るので、日本側だけが【遵守】しなければならないと言うことでは無い。

戦争における【戦闘行為】による【攻撃による殺害】は、【罪】には問われない。何故なら【国際法】には【刑法】が【存在】せず、【自己防衛】【自力救済】が当時の【戦闘行為】というものへの【国際社会のコンセンサス】だったからである。

そもそも【戦犯】にしても、【東京裁判】が【戦犯=戦争犯罪】と出来るか否かは、日本がその【判決】を受け入れたことで、【戦犯】と成り得るという【国際法】の学者の見解もあるかも知れない。

しかし、本来、当時も今も【文明国家】の【基礎】は存在している。例えば、国際社会で明確に【戦争犯罪】が規定されたのは、1998年のローマ規定と国際刑事裁判所の設立からであり、その【対象となる範囲】は、【発足・規定以降】である。

それより以前の【ベトナム戦争・アフガニスタン戦争・中共内戦・朝鮮戦争・中東戦争】などは、【該当】していない。国際刑事裁判所は、ジェノサイドも問題にしているが、中国共産党の【天安門事件】や【ウイグル自治区での強制教育】など、問題になりそうなことには【首】を突っ込む様子もない。

それはさておき、東京裁判が行われた時点で【戦争犯罪】という国際法に於けるローマ規定のような【刑法】があったのかといえば、全く見当たらない。

【文明国家の基礎】と前述したが、その一つが【罪刑法定主義】である。【罪刑法定主義】とは、【罪科】なくして【何人も裁くことは出来ない】というものである。

第二次世界大戦の戦勝国側は、この時、【文明国家の基礎】を【無視】して、【罪科】が無い【罪】で日本軍・日本の政治家を【処刑】している。

実は、意外なことに東京裁判の裁判長であるオーストラリア代表のウェッブ判事が、【法の遡及】を問題にしている。ただ他の英・米・ソ・中・仏などの代表が、多数派工作を行いウェッブ判事の【意見】を封じたようである。(出典:冨士信夫『「南京大虐殺」はこうして作られた』)

南京事件の研究家であった板倉由明氏にしても、軍事の助言を与えていた国際法の専門家とは言い難い原剛氏にしても、当然小野賢二氏にしても【理解出来ているとは言い難い】のである。

仮に【現代の人間の主観】、【感覚】として【非道行為】と【思う】ことがあったとしても、それを【当時の実行した将校・兵士】に【法がそもそも無く】【命令系統に組み込まれていない】ならば、【責任問題】とすることは誰に出来るのであろうか。

因みに、2万を殺害して揚子江に流したと【小野賢二氏】が主張しているとは考えにくい、1万4千から2万といっているだけで、数値は明確に出来ていない。

そして、2万の数量を文字で書くと簡単であるが、人間が2万も集まっている様が理解出来れば、当時の部隊の参加メンバーと小銃・重機関銃・軽機関銃の性能で【全て殺害】は不可能ではないかと考えられる。

(知り合いに作って頂いた想像図である。これで半分の1万人である。)

小野賢二氏を含めて、【虐殺】という【既に評価が加わった】【学術用語】としては【不適切】の【用語】を使う方達は、【殺害】=【非道】と考えているが、【戦争】による【戦闘での殺害】は既に【非道】であり、【戦闘】という【戦闘行為】の中では、【正当・合法行為】である以上は、平時に於ける例えばボーガンで人を殺傷するなどする行為とは区別すべきである。単なる【感傷】すぎる過剰反応である。

幕府山に於ける【小野賢二氏】の収集した日記類をつらつら眺めてみても火災の記述があったり無かったり、処理に言ったりいかなかったり、【のんびり】と【南京城内観光】にまでいっている始末で、【証拠隠滅】の為の【後始末に負われる】という悲壮感がない。
それと、山田旅団長の日記による【始末せよ】とのことがよく【命令】があったとされるが、どの部隊も【出した形跡が無く】、【長勇中佐】が【ヤッチマエ】といったという【角良晴】という松石根司令官付の人物が90歳にして偕行社の【南京戦史】の編輯者との手紙や・電話でのやり取りのもので、この人物は【挹江門】を【木枠だけ】と断言した人物で、その【記憶】にはかなり問題があったのであるが、この中での下関での別の捕虜殺害と死体の揚子江遺棄を証言したことを持って、偕行社の編集人の一人が謝罪をしたという愚かな顛末をしたことがある。現在の偕行社の立場は、その様な謝罪は認めてないし、南京事件とは【戦時宣伝】という【虚偽】であるとしている。良くこれも【虐殺という用語を使う人々】に使われる。
山田旅団長の日記の記載をもう一度良く確認すると、

引用《
十二月十五日 晴
捕虜ノ仕末其他ニテ本間騎兵少尉ヲ南京ニ派遣シ連絡ス
皆殺セトノコトナリ
各隊食糧ナク困却ス

当時の【捕虜】の取り扱いを行う部署は参謀部の第三課で、担当は榊原主計少佐である。一応、情報収集担当の第二課の長勇中佐が兼任していたことは判っている。しかし、長勇中佐が【命令】を出したという【史料】はない。
【日記】は、【誰かに見せる為に書くもの】ではなく、【自分に説明がつけばいい】ので【詳しい状況説明】が書かれるわけではない。投降軍臨時代表 釜核という人物からの嘆願書がどの段階で、天野少尉から山田旅団長へ渡ったのか不明だが、その中で食べていない状態でのことを訴えているの。

それを踏まえて本間騎兵少尉が南京へ支持を伺いに言った所、榊原主計少佐か長勇中佐から【待機】を命じられたことを報告された山田旅団長のいらだちと腹立たしさから【日本兵すら食糧に困っているのにも拘わらず】つまり【皆殺せとのことか】にも読める。人の日記なので【本人以外】に判る筈もなく、時間が経てば【記憶も薄れていて】どう言うつもりで書いたか忘れているかも知れない。

【命令】があったかどうかは、【実際】の処、これでは判らない。
16日には【火災】があり、宿舎の半分が燃えたという大事の後、一定の【責任があると見た捕虜】を【魚雷営】で【殺害】した事は確かであろう。ただし【戦闘期間と戦場エリア】に於ける【合法行為】と考えてもよさそうだが【詳細】が今ひとつ不明である。ただ、時間が余り掛かっていないので、少数であったと考えられる。午後3時半出発、午後10時帰営である(7時間)。
この時の黒須【偽名】の人物の日記の記述が、清水潔という日テレの元プロデューサーの番組や書籍で取りあげられて、【非道】のイメージを醸し出すことに成功したようだが、実際【老人】や【子供】というのは、この人物が年齢を確認したわけではないので見た目の【印象】に過ぎないし、【老人】であっても【兵士】ならば問題もなく、【子供】の兵士は、NYTのダーディンの記事にも見られる。つまり【兵士】として認識される者である以上は、【殺害】は已む得ないと言う事にもなり得る。

 

もう少し、引用や参考文献・史料などをそろえて書かなければならない第65連隊の幕府山・魚雷営のケースなのだが、史料が今ひとつハッキリしないので、なかなか整理がつかない。状況としての幕府山のケースは、ZF殿のサイトなどを見て頂く方が判りやすとは思う。

ただ、何度も繰り返すが、戦時に於ける【殺害】は【合法】であり、国際法として【刑法】は存在せず、通常戦闘行為による【殺害】も【非道】であることには変わりがない。


中国人は、民族性として裏切ると言うことを念頭に置かなければならないのは、歴史的に実証されていることである。

2020年06月04日 19時18分59秒 | 1937年 南京攻略...

本当にインテリジェンスは重要で、もう恐らく日本国内での中国人スパイは国会議員の秘書や秘書の身内などに存在していると考えられる。

日本は本当にインテリジェンスは鈍いとしか言いようがない。
中国人は、民族性として裏切ると言うことを念頭に置かなければならないのは、歴史的に実証されていることである。
是非とも、皆さんには今回の柏原竜一氏のYoutubeを見て頂いて、どうしたらよいのかを考えてもらいたいと思います。

 

伝わらない◯◯インテリジェンスの☓ろしさ 柏原竜一 秋吉聡子【チャンネルくらら】

https://youtu.be/lQDeLPqumCA

 

中国共産党と付き合うということは、こう言うことも考えねばならないことなのですな。

【韓錬成】と言う人物などは、まるで1937年の南京攻略戦の際、南京城の防衛に当たった【唐生智】のようである。

唐生智も【共産党員】ではないかといわれているが、詳細は調べてないのでよく判らないが、【韓錬成】の行動とまるで同じである。

共産党員云々というより、中国人・支那人という民族性ではないかと考える。

是非とも、コロナ後の観光客云々もあるだろうが、観光客は別としても、中国人は【お断り】が【絶対】とした方が良いのではないかと考える。

一般の方で良い方もおられるのは重々承知だが、今後の中国共産党の出方を考えれば、止む得無い部分もあり得る。

経済一辺倒・人権一辺倒では、【国家】や【日本人の生命・財産】を守ることが出来ないのではないかと考える。

 


富山大学 人文学部の主張する「本稿の目的はあくまでトンデモ『研究』に騙されないための知識を示す」への異論

2020年06月03日 21時38分08秒 | 日記

Twitterからの引用

シャキ風@shakyyyn
そんなことを書いた論文があるんですね。僕は、主張の裏にどんな政治的意図や願望があったとしても、学術において重要視されるのは、「事実関係」と「理屈」だと思います。逆にそれらが優先されない「学術の厳しい世界」など、まあ一漫画家からなめられ続けてもしょうがないでしょうね。
https://twitter.com/sagawa20180501/status/1267901567140630528[このツイートはありません。]

これに対して

左川@sagawa20180501(返信:午前11:07 · 2020年6月3日·Twitter for Android)
「事実関係」と「理論」が重視されるのが学術界であり、それを蔑ろにして勝手な理屈を発信してきたのが、小林氏です。南京にせよ慰安婦にせよ、学者がとっくに論破した理屈をさも新視点であるかのように掲げ、自身に都合の悪い史料は無視する『戦争論』に代表する出鱈目さは、学術界から相手にされなくて当然です。歴史学者は、小林氏のような学術的水準を満たさぬ主張に反論しても「実績」にはなりません。学術界が小林氏をなめているのではなく、小林氏が学術をなめているのです。
学者がこれまで積み上げてきた努力を軽視し、自分勝手な理屈を垂れ流す小林氏に歴史を語る資格はない。

 

先ず、この左川という人物が、何処かのアカデミーで教鞭を執っておられて歴史学会に参画されておられるのか判らない以上は、学術界を何故[代弁]できるのか理由が分かりませんな。別の処で【富山大学】の【朴斎】という【ペンネーム】の【大野圭介】という人物が書いているネットリテラシーから学生を守ると題した【富山大学 人文学部】の公式ページ中にある【トンデモ「研究」の見分け方】という記事をあげているので、この人物のご関係者か本人なのかもしれない。しかし、ネットでは何者か判らないので、この人物の【主張】を単に読んだだけなのだろうとしか言えない。

【富山大学 人文学部】の【朴斎】という【ペンネーム】の【大野圭介】などのこういったアカデミックの方々は、自身が何か【学問的で、高尚で、正しいこと】を行っている人間だと思い込んでいるようだが、単なるアカデミーという【教育営利団体】に雇われている【教員】であり、【単なるイチ職業】に過ぎないという側面を忘れている。
この人物の主張にこんな事を書いている。

引用《

他人の説を批判する場合には、感情は一切排して、根拠を挙げて誤りを指摘するのが、論文の「作法」です。批判は相手をへこませるのが目的なのではなく、相手の誤りを指摘して自分の見解を示し、より正しい方向へと結論を導くためにするものです。そのようにして初めて学問は発展していくのです。


これは大いに賛成・賛同すべきもので、【南京事件】でアカデミックの方々が言葉としての【虐殺】は、既に【感情的要素】が入っているものであり、【感情は一切排する】のが、論文の作法であろうし、それをアカデミックの方々が言及するのは、【学問的】ではないということになる。

少し気になったので、この人物が挙げた【富山大学】の【公式ページ】内部の記述に反論してみたい。
【問 「研究ごっこ」の見分け方のポイントを教えてください。】という設問を立てて
答として次のように論じている。

引用《古代を扱った主な「研究ごっこ」のテーマや「研究ごっこ」のパラドックスの項を見ていただければおおよそわかると思いますが、特に次のような点に当てはまっていれば、用心してかかった方が安全です。

①著者が雑誌に発表した論文がない
雑誌に発表した論文がなく、自費出版の著書しかなかったり、ウェブサイト上の文章だけしかなかったりするような場合は、眉に唾をつけた方が賢明です。「ちゃんと専門家の目に触れて批評を受けた経験がない」ことを意味するからです。

②著者がその分野について専門的に学んだ経験がない
これは著書なら奥付を見ればわかりますし、ウェブサイトでもきっちり学んだことのある人ならその経歴を載せているはずです。たとえ著者が大学教授の肩書きを持っていても、専門と全く無関係な領域で発表した「研究」なら疑ってかかった方が安全です。例えばドイツ哲学や都市工学の研究者が書いた日本史の本や、政治学の専門家が書いた中国史の本といった場合です。

③やたらセンセーショナルな文句が多い
「定説を完全にくつがえす!」「これまでの研究はウソだ!」といった、某スポーツ新聞の見出しのような派手なうたい文句を掲げているものは、羊頭狗肉であることがほとんどです。突っ込みどころを蚤取り眼で探すつもりで臨んだ方がいいでしょう。

④論調が攻撃的である
プロの学者をやたらと罵ったり、従来の定説を支持する人をバカ呼ばわりするような、攻撃的な雰囲気が感じられたら、コケおどしだと思った方がいいでしょう。アマチュア研究家でも本当に立派な業績を上げている人は、プロの学者を罵倒したりはしないものです。

⑤引用文献がない
まっとうな研究なら先人の研究をきっちり引用した上で、それを踏まえて自分の論を展開します。ですから脚注や巻末の参考文献一覧には多くの参考文献が書かれています。ところが「研究ごっこ」の著者は自分の「研究」だけが絶対だと思っていますから、他人の研究をあまり参考にしません。引用文献がほとんどないか、あっても啓蒙書や入門書ばかりだったり、著名な専門書や論文が入っていないようなものは「研究ごっこ」と思った方が安全です。

⑥なお上に示したのはあくまで「用心して読んだ方がよい」という目安であって、これに当てはまっているから即「研究ごっこ」であるとか、これに当てはまっていないから必ず安全であるとは言えません。最終的な判断は、あくまで中身を見てからすべきです(もっともプロなら最初の数ページを見ただけで判断がつくことも多いのですが)。》

 

当方の【反論的な雑考】としては

①について、出版社と研究者の立ち位置だが、研究者の大学での立場レベルや著名度によっては、その力関係は研究者>出版社になるし、教科書で生計を立てているような中小企業の出版社は、研究者>出版社である。つまり、何か《出版社》が査定する権限はないし、せいぜい文字校や文脈的な段落設定ぐらいであろう。つまり【専門性】に於ける「ちゃんとした」ということが存在しないのである。出版社が【専門性】を【学術】として有することはあり得ない。ただ【イデオロギー】として【マルクス史観】系の【出版社】が存在し、そう言った所はある種の【方向性】は確保していることは間違いない。大手では【岩波書店】などその典型だろう。小企業なら【青木書店】などがある。また、学内レベルの上位の人物が自分の論攷に反する文献を出版する場合、出版社に圧力を掛けて出版を妨げることもあるのである。つまり、この人物の主張する【ちゃんと専門家の目に触れて批評を受けた経験がない】というのは、【虚偽】または【社会経験がない世間知らず】になると言う事になる。
いったい【専門家】って誰を指すのであろうか。近年、東京大学の学者の論文に不正が見つかったことなどが報じられいる(産経新聞2017年8月15日記事)。【専門家】と言って【信用】がおけるかどうかは判らない状況なのである。【実証性】という【内容】が伴わないことには【信用】など出来ないのである。

②専門外の人物が書いた専門書というのは、【学際的】とも呼べるし【別分野】からの【評価基準】を持ちこんで、【史料・資料】の分析を行うものであり、内容に於ける【史料・資料】の【出典】が明記されており、その論攷が極端に非論理的な論攷をしていなければ、【専門と全く無関係な領域で発表した「研究」なら疑ってかかった方が安全です。】とは全く言い切れない。むしろ、【専門家】と称するアカデミックの学者が書いた【専門書】が、必要な【史料】を無視して論攷をしたり、【蓋然性の低い史料】をエビデンスにしたり、論攷中に【矛盾】が発生しているにも拘わらず、強引に【結論】に結びつけているものがあるので【専門家】と称する人物が書いた【専門書】が疑われる自体になっている。また、歴史分野ではこの人物の専門外である【近代史】に関しては、【状況】を認知する為に必要な他の【専門分野】が存在するので、例えば、国際法・国内法(軍法・刑法)・法制史(国際・国内・軍制)・軍事工学・軍事史・メディア史・戦時宣伝史・インテリジェンス史・外交史・個別の人物史など、近代史に関しては知らなければならないことが【古代史】よりも無数にある。自身の専門分野と違う他分野の学者を批評することはアカデミックの他の上位レベルの研究者の怒りを買うことも考えられるし学内での出世にも影響があるはずである。
このような単純思考では【言えない】のが学内の社会構造と考えるが、無垢な学生諸氏にくだらない事を云って自分の知的レベルを下げるのはどうかと考える。

③【これまでの研究はウソだ!】は、松尾一郎氏のサイト【南京大虐殺はウソだ!】をターゲットにしたものでもあるのではないかと考えるが、邪推かも知れない。【突っ込みどころを蚤取り眼で探すつもりで臨んだ方がいいでしょう。】と書いておられるが、この【朴斎】こと【大野圭介】なる人物は、【他分野】の【アカデミックの学者】の書いた【論攷】を【突っ込みどころを蚤取り眼で探すつもりで臨んだこと】があるのであろうか。近代史における【南京事件】のアカデミックの学者の論攷に関して、アカデミックの方々は【突っ込みどころがありすぎる】にも関わらず、それに何も言わず【忖度】しているどう言うつもりなのかと驚いているのである。まして【自浄作用】もないまま、このようなページを何時までも掲載している国立大学の富山大学は、学内の体質といい、知的レベルに対して【疑問】が湧いてくる。

④【論調が攻撃的である】といっておられるが、当然ながら【定説】でもないことを【学術的に確立した】とか【学問的には確定している】とか主張しているアカデミックの学者(プロの学者? なぜプロになったのか意味不明。)や民間研究者、それを支持する人達(ジャーナリスト・医者・政治家・政治活動家・一般人など)は、当然ながら【確立・確定】もしてないことを【確立・確定】しているなどと言えば、例えばプロ野球選手が【三振は4球まで大丈夫】とか訳の判らないことを言えば、そしてそれを支持するような人物が居たら、馬鹿にされるのが当たり前である。【アマチュア研究家でも本当に立派な業績を上げている人は、プロの学者を罵倒したりはしないものです。】という文言の【立派な】は研究者の言葉としては、本当に不適格で、【評価基準】は何なのかが不明である。出版数なのか、研究論文数なのか、その考えを支持した人々の数量なのか意味不明である。プロ学者が優位に立つ分野も確かにあるが、プロ学者も【確立された評価基準】と【再認実証できる成果】がなければ、何の意味もなく【想像レベル】のゴミ考察である。【哲学】【思想】などその【時代】の雰囲気に流されることもあるので、【基準】は明確でもなく【再認実証できる】かどうかもハッキリしない。こんな論攷は【自分の立場】を守りたいという【自己防衛】の【稚拙】な論攷にほかならない。この人物が専門とする【社会科学】で、プロ野球選手のように目に見える形で【ホームランを打てる】、物理研究者の【物現象の論的発見を行える】とは言えない。そういう分野の専門家なのである。

⑤に関しては、論攷のための【出典明記】は必要であり、2020年現在に於いては、2001年(平成13年)11月30日以降では、国立公文書館アジア歴史史料センターがネット上で公設され、パソコンとインターネットがあれば、公開されている【史料】は【閲覧】出来る用になり、以前は様々な研究や論攷をみてもそれが本当かどうか【プロ学者】の【主張】でしか判らなかったことが、【自分自身】で【調べる】事が出来るようになり、近代史に於いては、プロ学者でもない一般人のレベルが上がった。そして【文献】も市販書籍だけではなくアカデミックの研究者の【論文】も閲覧出来る様になり、様々な研究分野を学際的に学ぶ環境もできている。主体的に個人の研究者が、自分の居る様々な事情が妨げとなっていた環境から【史料】を閲覧し、【考察・分析】出来ることが可能になったのである。
この論攷が、2007年以降改編もされずに放置されているほうが問題で、環境・状況は年数と共に変わるものである、何時までも旧来の【状況】での【論攷】を放置するのはどうかと考える。
ネット上に於ける意見の異なる相手への【議論】の相手の単に言葉を封じる【ツール】にされないためにも、プロ学者としても大学としても【改編】すべきではなかろうかと考える。

⑥は、単なる逃げ口上であろう。中途半端な論攷なら【印象操作】レベルの低劣なものであり、実際【論攷】を眺めてみたが、古代史専門には当てはまるかも知れないが、近代史の専門には当てはまらない論攷であることは自明で、【もっともプロなら最初の数ページを見ただけで判断がつくことも多い】と書いておられるが、プロでもない当方でもこの【論攷】の【研究ごっこ】を認知することが出来たのは確かである。古代史だけが論攷の全てではないし、他の専門分野に関してこの人物がイチイチ論文を精査し、精通しているわけではない。
アマチュア研究者ではなく、プロ学者が【研究ごっこ】をしているケースもあるわけであり、アマチュアを批判するならば、プロはもっと批判されるべきであり、本末転倒も甚だしい。【最終的な判断は、あくまで中身を見てからすべきです】と述べているが、他の専門分野の【中身】を見て、この人物が【正確に理解】出来るとは全く思えない。単にプロ学者だから同じアカデミックのどこどこ先生・先生の弟子だからとか、雇用者だからという理由からしか、【研究内容】を理解で居ないのではないかと考える。それは所謂【研究ごっこ】を見破れるのかどうか全く疑問である。

つらつら【反論的な雑文】を書いたが、結局【研究ごっこ】をしているのは、むしろこの【朴斎】という【ペンネーム】の【大野圭介】というプロ学者ではないかと邪推してしまう。
この方の他の論文で、ネズミ講やメールの詐欺などに注意を喚起するものがあるが、この人物の言を【信用】する時点で、【詐欺】にかかりやすい人間であると言う事が判るある種のリトマス紙なのかもしれない。

それにしても酷いのは、【本稿の方針】として書かれた内容で、引用してみるので読んでいただければ、その内容の【酷さ】が判るのではないかと考える。

引用《
本稿では特定のサイトを名指ししての批判はあえて行いません。それというのもトンデモ「研究」を発表している人の多くは、自分の説をかたくなに墨守したがるもので、彼らは自説の根幹を否定されてしまうと、あらゆる手段を使って反撃に出ます。どんなに論理が破綻していてもひたすら声高に言い募り、挙句には口汚い罵倒や人格攻撃も辞さず、自分の誤りは決して認めようとしません。その上彼らは「頭の固い学者に不当な攻撃を受けた」と、自分を被害者に仕立てて人々の同情を買おうとしますから、相手を説得するどころか、かえって相手の狂信を深めるだけで、全く骨折り損のくたびれもうけになるのです。現にトンデモ「研究」サイトの掲示板や、2ちゃんねるなどで、そうした不毛なバトルが繰り返されています。隔靴掻痒の感はありますが、無用のケンカを避けるためにはやむを得ませんので、ご理解いただきたいと思います。
本稿の目的はあくまでトンデモ『研究』に騙されないための知識を示すことであって、トンデモ『研究家』を黙らせることや、トンデモ「研究家」の人格をおとしめることが目的なのではありません。我が国では学問の自由も言論の自由も保障されていますから、どんな内容の「研究」であろうと、それをやめさせる権限は誰にもありません。自らトンデモ「研究」を発表してしまった人が本稿を読んで改心してくれることも、期待するだけ無駄でしょう。それよりはトンデモ「研究」に引っかかりかけている人に「皆さん騙されないようにしましょうね」と注意を促すことの方が、トンデモ「研究家」本人と不毛なケンカをするよりも、ずっと意義のあることです。一人でも多くの人が本稿で知識をつけて、こうしたトンデモ「研究」に引っかからないようになっていただくことを切に願うものです。

【ことであって、トンデモ『研究家』を黙らせることや、トンデモ「研究家」の人格をおとしめることが目的なのではありません。】と書いているが、古代史なら少し書いて居られるが、【歴史学】は、古代史だけではないので網羅しているわけではない。【トンデモ古代史研究家】とするならば、未だ理解も出来るが、【トンデモ研究家】で括ってしまえば、あらゆる民間研究家が【トンデモ】に括られてしまう。全く酷い低レベルの記述と考える。前述したが【トンデモ研究家】というのは、別にアマチュアに限ったことではなく【専門家】と称する【プロ学者】にも居るので、【プロ学者を含めて】と記述すべきであると考える。
【「皆さん騙されないようにしましょうね」と注意を促す】などと書いているが、このような記述は、名誉毀損であろうよ。誰も彼もがアカデミック以外の【アマチュア研究者】は【トンデモ研究家】になってしまう。【騙す】などという用語は酷い【誹謗・中傷用語】と考える。誰がどのように【誰】を【騙す】のか明確にしたらどうであろうか。学術界の社会的役割としても重要な事と考えるので【是非】ともやってもらいたいものである。このような【誹謗中傷】よりも【史料】と【論考】で各論理を立証すれば良いだけのことである。
【騙す】というような【誹謗中傷用語】を使うのは、逆に言えば、ここまでアカデミックの学者がその存在意義を疑われているのかと焦っているようにも思える。確かにこのような【専門の古代史以外】の別分野(恐らく【教育学】【論理学】ではないかと考える)である稚拙な論攷を行い、それを大学の公式HPに掲載し続けているのは、アカデミックも学者もその存在意義を疑ってしまう。
【批判対象】や【その研究】を明らかにせず、【一般論】のような形で、【名誉毀損】を逃れるような【論攷】を行って多くの【別の専門分野】の【アマチュア研究者】の名誉を貶める論攷は【国立大学の富山大学】の【姿勢】としてどうかとは考える。

前置きが長引いてしまったが、左川氏@sagawa20180501の話に戻すことにする。
小林氏の【著作内容】について論評は読んでないのでなんとも言えないが、松尾一郎氏の研究成果も取り入れられているということは、松尾一郎氏の文献から知ることが出来る。松尾一郎氏はTwitterやブログでは過去の確執から【南京事件の大虐殺否定派】の言及が多いので、そこは置いておいても研究成果である【サイト[南京大虐殺はウソだ!]】の【内容】は【実証的】であり、他の2著作の文献があるがこれもまた【内容】が論理的且つ実証的な【第一次史料】からの【論攷】と【戦時宣伝】または【戦時プロパガンダ】からみた【分析と結論】は極真っ当で、正鵠を得たものである。数ヶ所当方とは意見が異なる事もあるがそれは仕方がないことである。
【学術界】と言っても、【専門分野】によってさまざまに別れていて、他の分野に言及すれば【越権行為】みたいなるのは自明で、【偉い教授陣同志】の学内抗争に発展しかねない。そんな事は通常行わないだろうということは想像に難くないし、仮に【批判主張】が為されれば当然【反駁】もあり、学内政治闘争で負けた方は、学会から排除されるからである。
そんなアカデミックの現状を踏まえずに、【学者がこれまで積み上げてきた努力を軽視し、自分勝手な理屈を垂れ流す小林氏に歴史を語る資格はない。】という主張をしている。【朴斎(大野圭介)】という人物も書いているが、【表現の自由】もあり、【評論家】として【誰かの論考】を用いて【論考】する事に【資格】の云々があるわけではない。アマチュア研究家が、自分の論考を発表することも【他の人物の論考】に対して【批判】【批評】も当然ながら【自由】である。朴斎氏がやっているようにプロ学者による別分野の【低レベルな論考】も堂々と【発表】する事は許されるのである。当然【誹謗・中傷】は以ての外であるが、この朴斎氏というプロ学者は【騙す】などという表現を使って、【アマチュア研究家】を誹謗中傷している。ターゲットを明確にしていないので【誹謗・中傷】には当たらないと言う事かも知れないが、古代史に限定してない【アマチュア研究家】全般への【誹謗中傷】ととらえられてもおかしくはない。(現にこのHPの記事を利用して、議論を封じようとする人物も居るのであるから。)国立大学の富山大学の公式HPに掲載できるのである。【プロ学者】であっても、大学側も【自分勝手な理屈を垂れ流す】ことは可能なのである。

余談であるが【近代史】というのは、【評価する基準】が不明確な所があり、【人道】なのか【安全保障】【イデオロギー】【法律】【政策】なのかで、それらの選択した複合の【評価する基準】によって、【物事】の【状況】が何であるかが変わってしまうのが現実である。【史観】というのだが、その【史観】をどう【判断】するかという【評価基準】すら明確にされているわけではない。一般的には【人命第一】の観点から【人道】という【価値判断基準】が選択されることがあるが、この【基準】ですら【明確】な定義があるわけではない。それは【戦闘】になれば【人命第一】などではあり得ないからであり、またイチイチ【戦闘】に於ける【ジャッジ】を下すスポーツ競技のような【審判】など存在しないからである。
【中立国】が【ドローン】などを飛行させて【戦闘行為】を【観察】するというのもそんな暇があれば【制止】する為の【行動】を求めるべきであり、そもそも【戦争】が禁止となったWW2以降では、【現実】として起こる【戦争】は【自衛権】を元にした【防衛的対抗】であって【戦争】とは言えないらしいからである。実際は戦争であり戦闘行為である。
【学術】はこの【基準】を作ることでもあるのだが、【歴史】に関して、特に【近代史】に関しては、【基準】は様々であり、【史観】を変えれば【評価】は180度も変わったりもする。
アカデミックに【在籍】する事が、即ち【基準】とする方も居るようだが、これも【権威史観】であり、【研究内容や成果】よりも【アカデミック】に【在籍】していることによる【権威】が優先されることがあり、またアカデミック自体の【社会的評価】という【明確でもない基準】によって【評価】されることがある。
【事態・状況】を【理解する上】での尺度・基準としての【史観】が、アカデミックと一般社会とずれると言うことはあり得る。【現実】に生きている一般社会の一般人と【アカデミック】の中での【史観】とは、共通価値が得られないことがあるからである。
過去に於ける事例とその後の事態とよく似たことが現代で起これば、いくら【人道】【差別】【民主主義】を叫んだ所で、【現実の事態】から逃れられないからである。
現代の事例が、過去に於ける事態への【史観】が【変化する】という事態になる。幕末・大正〜昭和などもその典型例ではないだろうか。【アカデミック】内では【マルクス史観】という【共産主義・社会主義】への容認史観が存在していて、戦後の戦前回帰を恐れる敗戦後の人々に【支持・容認】されて発展してきた。
しかし、現代の日本の周辺国の状況を考えれば、それで何かが変わるわけではないと言う事が認識されだしたのは当然のことである。
【学術界】も【変化】する時期が来ているので、【従来の史観】に囚われて【アカデミーの殻】に閉じこもらず、【世界を見て】【史観】という【判断基準】を変更すべき時期が来ていると考える。