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主夫の徒然なるままに

毎日の夕食作りに奮闘する主夫の独り言

捨てられる教師

2024年04月18日 | 日本の教育

2冊の本を読んでみた。

「非正規教員の研究ー『使い捨てられる教師たち』の知られざる実態」 佐藤 明彦著

「捨てられる教師  AIに駆逐される教師、生き残る教師」石川一郎著



 
 教師を志望する若者が減っている。公立校の教員採用試験の倍率も年度によっては10倍を超す時代もあったが、現在、平均として3.2倍、小学校では、2倍程度となり、減少が続いている。現実に小学校では、先生が足りずに定年退職した70代の先生や中学免許でもOKという都道府県もある。

 教師志望者が減少している理由は複数あるが、長時間労働やなんでも責任を押し付けられる過酷な労働環境。 教職とはブラック職業というイメージの浸透。モンスターペアレンツどころかモンスターチルドレンの対応を考えるだけで志望意欲が薄まる。昔、ある中学でアメリカ人のALTが授業を受け持ったが、その教室の無法ぶりに一瞬で退職したそうである。現実の教室、生徒、親は、先生を目指す若者には、過酷すぎるかもしれない。

 そういう状況の中で、教師を目指して頑張る若者も多い。最初に、非正規でもかまわないとして教師をはじめる人も多い。生徒や保護者は、どれくらいの割合で非正規教員がいるのかを知らないと思われる。20%近くが非正規という県も多く、非正規教師は10万人以上に上る。つまり、5人から6人に1人が非正規という劣悪な労働環境の中で、正規の教師とほとんど同じ校務教務をこなしている。

「あなたの先生が非正規教師である」ことを知っているだろうか。ただし、佐藤氏は、この本では、非正規教師が劣っていることは全くない、と何度も断っている。だが、問題は、不安定な立場に追い込んでいる教師に、日本の教育を任せていいのかどうかだ。



AIに駆逐される教師像は、単純に言って、昭和・平成時代の教師像、一方的な知識伝達を授業を行い、宿題を出して、テストをする。目的は、(一流)大学や企業に入るための教育を行う教師であるという。反して、生き残れる教師は、単純に言って、AIを駆使し、考える力、創造する力を培う教師だという。ブルームのタキソノミーによる「知識・理解・応用・分析・評価・創造」のプロセスが教育の理想形として示されている。今までの日本の教育は、「知識・理解・応用」という低次の学習認識スキルを満足させるものでしかなかったと言う。今からの教育は、高次の学習スキルが求められていると言うのである。




ただし、2000年頃の本「分数ができない大学生: 21世紀の日本が危ない」などにあるように基礎学力がまったく身についていない生徒・学生も多い。

「知識」だけとっても、そこには、授業の創造を駆使した知識の学習も存在する。塾講師の経験から言えば、知識理解と創造は、ピラミッドの底辺と頂点ではなく渦巻き状に低次高次を深化させ高度な教育・学習へと発展するように思われるが、どうであろうか。

 
 非正規教員の問題やAIによる教育のあり様などは、現代の「今」が、教育の変節点にあることは確かだろう。教育関係者や教育に興味を持つ人々、そして親としても、興味深い視点を提供してくれる2冊の本だと思う。













高校中退 青砥 恭 著

2023年05月10日 | 日本の教育
   高校無償化が始まって数年たつ。しかし、中退の割合が大きく減少したデータもなく、子供のために余裕資金がつかわれることもほとんどないようだ。働く人々の賃金が下がり続け、生活は苦しくなるばかり、高校中退率もあまり変化がない。

  格差と貧困に関する本を読み続けているが、家族の貧困が、子供たちの貧困へと固定化され、貧困層の階級化が現在の日本の社会問題化している。

 高度経済成長が続いていた頃、日本は大金持ちがいないけれども、乞食もほとんどいない国として世界から注目されていた。(日本では、乞食も新聞をよんでいるとして、日本の教育制度を絶賛する声もあった。)

 そして、今、日本にも多くの大金持ちが増え、100万円を100人に配るような金持ちを多く目にするようになった。同じく、ホームレスの人々の群れをどこの街でも目にするようになった。

 日比谷高校、その昔、東大合格者193人で日本一であったが、1967年に導入された学校群制により、進学エリートコースから崩壊、東大合格者1名まで凋落した。2000年以降、石原慎太郎知事のもと学校群制の廃止などで、より広い地域から優秀な生徒を集めることなり、現在、全国公立高校東大合格者1位として君臨している。すばらしい。

 すばらしい、と思う反面、日比谷高校復活の陰で、多くの底辺校が誕生し、より偏差値の低い生たちが集中することになる。その授業風景を想像できるだろうか。そういう高校の先生や進学した生徒からいろいろな情報を得たが、まず、授業を始めるのに着席させるところから時間がかかる.。料理が好きで進学したが、高校1年生の2学期でbe動詞の授業が始まった、など。

 
    <あおとやすし著>

 新自由主義という経済政策がイギリスのサッチャー、アメリカのレーガン、日本の中曽根から安倍へと続いている。小さな政府での競争原理を導入し、できるものは、さらにできるものへ。豊かなものは、さらに豊かに、という政策だ。より力を持つもは確実に豊かな階級を確保する。そして、できないもの、貧しいもの、力のないものは、固定化された貧困層へと落ちていく。そこに登場するフレーズは、「自己責任」

 貧困の負の連鎖、DVやネグレクト、低学力、基本の生活習慣の欠如、そこに高校中退という出口に辿り着くとさらなる貧困が待ち受ける。 歯磨きの習慣のない高校生、九九ができないABCが書けない高校生、一日机に座る意味をなさない。 それでも、高校生であれば、アルバイトもできるが、高校を中退した途端にバイトの口もなくなる。中退であれば、仕事が続かない、責任感がないと断られる。底辺の仕事しか働く場所がない。

 美容師になるには、昔は中卒でも可能であったが、現在は、高卒の肩書がなければなれない。高校中退での就職先は非常に限られていていることを知らなくてはならない。

     介護施設で働く高校中退の若い女性2人とであった。この本にでてくる中退の若者と同じく高校だけは卒業するべきだったという。中学の時は、夜中まで友達と遊ぶことが楽しく、また、誇りでもあった。現在は、介護施設で命じるままに仕事をしているが、せめて準看護師として働きたいと。高校中退、中卒であることが、実社会にでてみて、どれほど厳しいかを実感した。

 高校進学を中心とした塾講師を35年ほど勤めたが、基本的に成績が中以上の生徒を教えてきた。底辺高校へ進学したものは多くない。最近、読むことが多くなった格差の問題や貧困の問題などあまり知らない場所で長い間、働いてきたようだ。 ただし、クラスの2割以上がシングルマザーかつ看護師である中3クラスが毎年の標準で、彼女たちは自分の子の負の連鎖をとにかく断ち切ろうとしていたのであろう。



ドキュメント高校中退からの引用
子どもが教育から排除されれば、その後に続く人生の可能性が奪われる。貧困は子ども たちから学ぶこと、働くこと、人とつながること、食べるなど日常生活に関することま でも、その意欲を失わせている。彼らから話を聞いていくと、ほとんどの若者たちが、経済的貧困にとどまらず、関係性の貧困、文化創造の貧困など生きる希望を維持できない 「生の貧困」に陥っている。それが親の世代から続いている。

高校の序列化が固定することで、高校教育による社会階層の移動の可能性も失われている。そのため、多くの子どもたちにとって、集団の中で文化や価値を対立させたり、交流させたりしながら、地域社会で連帯を育てるという貴重な機会が失われている。 貧困世帯の子どもたちを底辺高に囲い込むことで、同世代の異なる階層の若者たちと出会う機会 がなくなり、同世代の若者たちからも孤立する状況が生まれている。 高校中退は若者たち の中にも分断をつくっていくのである。学校間(階層間格差)はそのまま若者たち の集団を分断してる。

教育に関わる人に読んでもらいたい一冊である。












「ゆとり教育」の誤解

2022年09月02日 | 日本の教育
「ゆとり教育」について、個人的に以下のように理解していた。

 1970年代後半から1980年代にかけて、中学校での校内暴力の嵐、その原因に詰め込み教育・偏差値教育があげられる。知識量偏重の画一的な教育と体罰教師に代表される管理教育に、教育制度と教師に見捨てられた中学生の反抗が校内暴力として蔓延した。そこに登場したのが、「ゆとり教育」だと理解していた。授業内容の3割削減・個性重視の教育などがうたわれた。1998年。

 例えば、福岡県の中学生の日本地理では、日本の県3つのみ学習することになった。福岡県と東京都と岩手県のみ。世界地理では、アメリカとドイツとマレーシアしか学習しない。米欧アジアから3か国のみの学習が全国の基本であったらしい。これにはかなり驚いた。歴史を学ぶにしろ経済を学ぶにしろ、あるいは理科を学ぶにしろ地理の知識はすべての基礎だと思っていたので驚きであった。しかも、高校入試問題では、例年と変わらない全国の県、全世界の国を対象とした問題が出され続けていた。さらに、高校では「世界史」が必修となったが、アジアやヨーロッパの国々を知らないで世界史を学べるのだろうかと疑った。

 中学英語も関係代名詞などが骨抜きになっていたが、その分は、高校に回された。つまり、高校ではより多くの学習内容が盛り込まれることになったわけだ。福岡県の進学高校は、0(ゼロ)次元の授業が当たり前で、7時に到着するバスにのるため5時過ぎには起きて登校する。地獄のような高校生活であったようだ。(5年ほど前より0次元授業は廃止された)

 永井忠孝著「英語の害毒」に「ゆとり教育」についての解説がある。通常、ゆとり教育とは、学習内容の3割削減と認識されているが、それはゆとり教育の半分しか理解していないということだ。残りの半分は、学習指導要綱が「最低基準」になったということにある。今まで入試などでは教えていないこと、教科書に載っていないことは入試問題にださないのが基本であったが、この「ゆとり教育」によってそのタガがはずされた。公立の小中学校では、この最低限の学習が中心となるが、上位の私立小中学校や塾では、大学入試を見据えた高度な内容、先取りの学習が推し進められた。教育格差がさらに拡大していった。「結果の平等主義から脱却し、トップを伸ばす戦略的人材育成」と自民党の教育政策が発表されている。

 私の教えた教室でも「ゆとり教育」はある程度無視して授業を行った。大学入試が変わらないのにのんびりと3割削減して教えるわけにはいかないし、中高一貫校のように中3の入試対策期間を必要としない相手と戦うには、より早く、より詳しく授業を推し進めていく必要があった。できる子供たちにとっては楽しい授業となる。

 では、できない生徒はどうするのか。「ゆとり教育」には、人材を2極化して、「エリート」と「非エリート」に分断する教育方針の一面がある。この「非エリート」たちには、這い上がれない過酷な社会に生きることになる。放置すれば、暴動が起きるか、革命がおきるか。そうならず、安い賃金で厳しい現実をいきさせる「個性重視の原則」がゆとり教育のもう一つの側面である。

 「勉強なんかできなくてもいい、君には個性がある。自分のやりたいことを見つけて、夢を追い続ければいい。」つまり、SMAPの歌、「世界に一つだけの花、その花を咲かせるために一生懸命になればいい。」ただ、現実は、成績と賃金にやはり相関関係がある。成績が良ければ賃金の高い職に就ける可能性が高く、その逆はきわめてまれである。個性重視の夢追い人は、根拠なき自信をもとにフリーターや非正規労働者として夢を追いかける。経済的に不遇であるが、本人たちは「今」の状況に満足する。成績が悪くても「今の成績に満足。」最低賃金で働き続けても夢があるからだいじょうぶ。このような人材は、企業にとって実においしい人たちとなる。そのゆとり世代の10年後、20年後、彼らが40代になるとき厳し過ぎる現実に唖然とする。結婚もできず、正社員にもなれず、家も持てない。「ゆとり教育」の過酷さの現実が、今の彼らを作り、日本の最下層として日本の富裕層やエリートを支えている。

 格差社会が世界を蔓延し、日本の格差社会が際立ってくるとともに社会問題化している。給付金というばら撒きで押さえつけられている「さとり世代」という不況のなかで育った中年男子、貧困女子。その遠因が「ゆとり教育」だということを初めて知った。







 <主夫の作る夕食>
美味しく焼けた魚のムニエル。
NHKの料理番組で参考にした「しし唐」のつまようじ焼き。塩水に10分ほどっとつけることで上品な味に変身。



 



名ばかりの大学生 ー 教育格差を考える

2022年08月09日 | 日本の教育
 大学生を問題視する本を何冊か読んだ気がする。「分数ができない大学生」などいろいろな形で大学生の学力批判、あるいは日本の教育批判の文章が山ほどある。「名ばかりの大学生」ー日本型教育制度の終焉ー河本敏浩。この本も以前読んだ気がしたが、もう一度読んでみて、初めて読む本であることに気がついた。
 
 日本という国の地盤沈下がよく言われるが、はっきり言って「教育」の失敗が大きな原因の一つとなっていることは確かだ。明治以降日本の近代化を支えたのは教育であり、格差を超えて優秀な人材が発掘されたのが日本の教育制度であったと思う。貧乏な子供の家でも優秀であれば、東大にも旧帝大にも入学できた。小学校出(小卒)の両親から大学入学の子供がいることは珍しくなかった。格差はあったが、中学入学時で教育格差が歴然という時代ではなかった。がんばれば日本を支える人材への道はあったと思う。

 この本のなかで2つの事実に驚いた。一つは、教育格差の驚くべき事実。国語の問題で、中学入試問題と大学入試問題が同じ問題・レベルであること。女子中学の名門である「桜蔭中学校」の問題と国立の和歌山大学の入試が同レベル、否、解答の難しさは桜蔭中学が上だえるという事実。ただし、桜蔭中学の1982年と2006年の問題ではレベルの差が明白で、1982年の問題では、難解とは言えず、1990年以降東大入学者や医学部合格者を輩出した以降、難解な問題の出題となっている。この2006年レベルの問題を解くのに小学生がどれほど勉強しなくてはならないか、どれほどの教育資金をつぎ込まなくてはならないか考えなくてはならない。

 高校受験の塾講師として、中学受験の高額さに驚いたことがある。地方の優秀な公立高校進学への塾の授業料は中3で平均月3万円程度であったが、地方の私立中学受験には、5万~10万ほどの塾費が必要で、中学受験の塾がしっかり稼いでいることが羨ましかった。しかし、東京では、塾費月額10万円、入試直前では家庭教師代月額10万円が必要となると聞いた。その家庭の1か月の収入はいくらなんだろうか想像してしまう。

 この時点で普通の家庭では「勝てない」ー 教育格差に絶望せざるを得ない。大学の授業料も、私の時代では国立大学の授業料は、年間2万円台、私立で10万円程度であった。現在は、年間60万円、4年で200万円以上。私立大学では、4年間で最低でも300万円、5~600万円の授業料も珍しくなく、さらに子供が3人、4人となると考え込んでしまう夫婦の存在が目に浮かぶ。
 
 そこで終わらない。東京大学の1970年の英語入試問題と2008年の英語の問題を比較してみるとその難しさが群をぬいている。2008年の問題が、難易度も問題量も圧倒的に上となっている。大学が入りやすいのではない。トップ校の入学には、過酷な競争が待っている。あるいは、小学生からの準備しなければトップ校の合格は難しいという現実が待っている。幼い子供の時代から教育格差が歴然としている。


 過酷な受験勉強を勝ち抜く勝者は、10年近く勉強に打ち込むことになる。では、敗者はどうなるのか。昔は、浪人すれば、2ランクも3ランクも上の大学に合格できたが、現在は、1年でランクを上げるのは、不可能に近くなっている。相手は、6年も7年も勉強しているわけだから。

 ならば、普通の大学は、というと勉強しなくても合格できる大学が日本に数多く存在する。いわゆる合格偏差値F値の大学である。F値とは偏差値がない、つまり誰でも入学できる大学で、その学力は、昔の暴走族の学力と同じとこの本では断言している。名ばかりの大学生の存在だ。中3生の英語も数学も得点力が30%以下、数学図形問題では、3%以下の得点しかできない。

 だが、問題は、もう一つ別のところにもある。
 
 日本では、必死に勉強しても何も勉強せずとも大学に入学できるのだが、世界的に見て、入学すれば、だれでも卒業できる大学は、日本だけであるという点だ。アメリカで中退率が50%、ヨーロッパで30%、日本は、10%程度である。
 何も勉強せずに卒業することのできる日本という国。
 大学入学は、難しくないが、しっかりと大学の勉強をしなければ卒業できない国
 どちらに大学の存在意義があるだろうか。経済学部をでても経済学部の基礎も知らずに卒業できる大学に何の意味があるのだろうか。ここに日本の教育の問題と世界に後れを取り始めた日本の大きな問題点のひとつがあるのではないだろうか。



<主夫の作る夕食>
鮭がじょうずに焼けた。高いシャケはうまい。チジミは今一歩。

我らの大学時代


記憶に残る算数の解説

2022年06月07日 | 日本の教育
 「小学校6年分の算数が教えられるほどよくわかる」という本を読んで、   
   分数÷分数ではなぜ、割る分数の逆数をかけるのか
  の解説にいたく感動したものですが、
 「算数再入門」とう本では、説明の仕方が6つあるという解説にさらに感動しました。



  --------説明例----------------
   10÷5=2  割られる数、割る数の両方に10をかける 100÷50 答えは2
   つまり、割り算では割られる数と割る数に0でない同じ数をかけたりわったりしても答えは同じであるという性質を利用して 割る数を1にする。つまり、割られ数の逆数をかける

   2/3÷3/4(3分の2÷4分の3)=
  (2/3×4/3)÷(3/4*4/3) =(2/3×4/3)÷1 = 8/9 
   注:「 / 」の記号でパソコンの割り算の表記を使っています)

 ちなみにこの本では、割り算の筆算の仕方が、外国では違うと説明があります。ドイツやカナダ、アルゼンチンなど9か国の例をあげて説明しています。驚きます。さて、子供から「分数はなぜ下からよむのですか」と聞かれたら、どう答えますか。「そう決まっているから」と答える大人(先生)がいたら、もっと興味のあるおもしろい説明を期待していた子供は、次第に質問することやめていくことになるのではないでしょうか。この本では、「日本や中国では、分数は下の数から先に読んで <5分の3>のように言いますが、アメリカやイギリスでは、<スリー・フォース>のように上から先に言います。」この説明をうけた子供たちはきっともっとたくさんの質問をするようになるだろうし、知的な興味をもって大人(先生)たちに話しかけていくのでないだでしょうか。

 三角形の内角の和が180°の解説も面白い。みんなにいろいろな三角形を書かせて、ハサミで切る。その三角形を3つにちぎる。3つの角を合わせると一直線になる。つまり180°。こんな先生にならいたかった。



 個人的に記録に残る算数の解説は、円の面積の求め方。
 通常は、このような図で説明されるが。


 パソコン雑誌に載っていたバウムクーヘン型の円の面積の求め方が記録に残った。文系の塾講師だった私が授業中に、この求め方を黒板に書くと「お~」という声が聞こえたものである。いろいろな求め方があることを示すと子供たちは知的な好奇心でいっぱいになりますね。



 「算数再入門」のコラムの欄に1000引く683の求め方の解説がありました。1000円だしてお釣りがいくらかという日常よくある光景ですが、繰り下がりが面倒で暗算が苦手という人も多いのではないでしょうか。認知症が少し入った老人たちは、計算が苦手で、いつも1万円札(千円札)を出すので、財布が小銭でいっぱいになるそうです。(話しが少しそれましたが)
 1000-683 両辺から1引く 1000-683=999-682 これならば百の位から順に答えることができます。
 同じように 10000-4568=9999-4567=5432 と簡単に求められます。

ちょっと得した気になりました。 



<主夫の作る夕食>
エビの中華スープ と コストコのチキン、このチキン味が薄いまずい。コストカットの影響だろうか?


翌日は、チキンの残りを使って サラダチキン+ゴマドレッシング、これは美味しかった。