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主夫の徒然なるままに

毎日の夕食作りに奮闘する主夫の独り言

脊柱間狭窄症再発手術から一年(2)

2024年05月02日 | 脊柱管狭窄症

脊柱間狭窄症再発手術から一年(1)からの続き
 検査入院から退院.........
 


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 手術まで一週間、不安もあり、期待もあり。でも、いつものように時は過ぎていく。

 月曜日が手術なので、金曜日10時半に入院。入院担当から説明を受けて病室へ。昼御飯を食べる。焼きそばだった。ほかの入院患者が、「これが食べたかったんだ、でももう少し濃い味が好き!」言いたい放題、みんな明るい。病室は、4ベッドのとても広く清潔な空間だった。さすがに新しく建った病棟だけのことはある。これが新しい基準の病室なのだろう。快適だ。



 麻酔科の先生が来て説明、サインをするように促される。全身麻酔への恐怖が少し、、、 やはり、危険なのだろう。訴訟にならないための防波堤へのサインだろう。ふと、思い出したこと、訴訟になりやすいのは、産科と小児科と聞く。それ故に産科と小児科のドクターのなりてがとても少ないそうだ。

 食事以外することが何もない。食事が唯一の楽しみとなる。病院食というと味気なさを連想するが、けっこう美味しいのにおどろく。ここ数年、夕食作りに奮闘しているので、一つひとつの食材に興味津々となる。


 10時の消灯まで何もない。何もすることがないので、みな寝ているようだ。人のことは言えないが、爆発的なイビキが、あちこちから聞こえてくる。耳栓も準備してきたが、無料Wi-Fiがあるので、寝れないときも困らない。Tverもあるし、アベマも、spotifyもある。最強はアマゾンプライム。寝れなくてもだいじょうぶ!

 手術当日は、朝から絶食絶飲、手術が15時開始、長い。術後3時間で食べられると説明がある。病院食は、でない、と聞いたので院内のローソンでおにぎりやパンを買った。それから、韓国映画とインド映画をみた。あっという間に時間が過ぎる。

 時間が来た。手術室まで「車イス」で行くか「歩いて」行くか聞かれてた。「歩いて」と答える。ペタペタと歩いていく。付き添ってくれる。が、「待って、そんあに早く歩けない、ゆっくり歩いて下さい!」 死刑台への道を歩くには早すぎる、は言い過ぎか。

 手術台に載せられ、酸素マスクをつけられる。2、3秒で寝むるかと思ったが、今回は長いなと感じた。いろんなライト、照明器具、装置の多さが見えた。さらに自分のためにこんなに多くの人がまわりにいるってすごい、感謝だな、と思っていたら、「終わりましたよ。病室に戻りますよ。」の声。

 ここからがたいへんなんだよね、と言い聞かせる。いろんなチューブやコードが体につながっている。上半身を15度に傾けた状態で固定されている。多少の動きは許されているが、寝返りなどは不可能である。10分もしない内にカラダを動かしたくなるが、動かない。両手でベッドを押して、体を動かそうともがくが動かない。そうこうしていると看護師さんが来て、ベッドの角度を弛めたり、向きを変えてくれた。褥瘡(じょくそう=床ずれ)への恐ろしさ、苦しさを思い知った。夜中でも1、2時間おきに来てくれたのがうれしかった。結局朝までなにも食べれなかった。手術の日が終わった。

 翌日の朝ごはんは、トロミのある味噌汁、小さく丸められごはん、刻まれたおかず、寝ている体をひねりながら少しだけ食べる。36時間ぶりの食事にお腹がなる。ガスがたまってきて苦しい。大の方もだしたくなるが、何もないお腹からは何か出る兆候はなかった。

 午前中に看護師2人がやってきて、下半身のあの部分を洗ってもらうことになった。4月に入ったばかりの新人が隣で見学しますと言われた。若い女性が、じっとあの部分を洗っているの見ている。それも勉強ですよねと自分に言い聞かせながら、でもスッキリしました、ありがとう。

 夕方くらいから自分の腕の力で体の向きを変えるようになってきた。あちこちから聞こえてくるイビキの轟音と動かない体の苦しさで寝れないかなと思いつつ、うとうと時間が過ぎていく。


 手術から3日目の朝、自分の腕の力でベッドに座れるようになった(端坐位できた)。立ち上がることもできた。歩行器でトイレまで歩けるかのチェック開始。頑張れた。オシッコのチューブがとれることで自由になった。ぐるぐる巻きから解放される。術後の第一段階終了だ。次の苦しみは便秘。日頃便秘の経験がないので苦しい。前回も苦しんだが、今回も何度もトイレに行く。4回目の力みで少しだけ、5回目のトイレでですっきりできた。昨日もらった便秘薬が効いたようだ。手術後の2番目の苦しみを克服できた。看護師によると手術後の便秘に苦しむ患者は多いそうである。

 担当医師は毎朝8時前に様子を見に来る。手術が夜遅くにあっても早朝から出勤、さらにゴールデンウィークも仕事だそうで、そのスゴイパワーに感動するとともに感謝する。


 さて、歩き始めてみる。太ももからお尻にかけての激痛は完全 に消えた。足先のしびれは残っている。左足は7割り減少。右足は3割減少というところか。ぺたぺた歩きは多少ましになったように感じだ。もっともっと多く歩き始めねばと思う。隣のベッドの若者は、難病らしく、何カ月も入院しているようだが、一日 に数万歩を歩いていると聞いた。いつ見ても歩いている。私も歩かねばと、歩行器を使って院内のコンビニへ買いものに行く。途中貧血のような感じで倒れそうになる。5日ほどの寝たきりのような状態だったので、体力は相当落ちているのを実感した。

 歩き始めてから、シャワー浴、頭髪洗い、傷口 の処理など、こまごましたイベントが入るが、基本的に暇なので、ブログを一つ書いた。無料のKindleに申しみ、マンガ全巻を読み倒す。アマゾンで映画も6本以上観た。印象に残ったおは3つ。インド映画「あなたの名前を呼べたら」、アメリカ映画「チェイサー誘拐」 韓国映画「ソボク」この不死のクローン人間のSF映画は難しかった。映画が飽きたら、sptifyでのんびりと音楽にひたった。



 4人部屋の他の3人が、別病棟への引っ越しや退院、一時帰宅などでいなくなった。ゴールデンウイーク前だからだろう。広い病室が、私だけの一人部屋状態になった。快適な入院生活となる。熟睡爆睡。

 術後4日目のリハビリは説明のみとなり、曜日の関係で本格的リハビリは、術後1週間後の2回のみとなった。若い女性の理学療法士がついた。今回は2日しかないので足先の問題を解決するリハビリを説明を中心に聞き、ノートとボールペンで詳しく記録することにした。事前に、質問事項も準備した。

 足先の効果的な訓練7つ。やはり右足のグッとつかむ力が足りないことを発見、お腹のインナーマッスルのきたえる呼吸法から教えてもらう。適切な指導と解説に満足した。きれいなひとみにも癒された。

 術後9日目で普通のシャワーを浴びた。帰宅後は入浴してもいいとのことで傷口の回復も早かった。10日目で退院となった。

 入院生活で、印象に残ったことは、看護師を中心にみな、とても親切で明るく仕事熱心であったことだ。その事が暗くなりがちな病気への恐れや心配がどんなに癒されたことか。ありがとうと素直に言える入院生活であった。感謝とともに退院した。

(3)につづく







吉祥寺の藤棚 5/2 見ごろは終わっていた



























脊柱間狭窄症再発手術から一年(1)

2024年04月30日 | 脊柱管狭窄症

 ちょうど1年前のゴールデンウイーク直前に「脊柱間狭窄症」の再発手術をうけた。あれから1年がたった。当時の手術の結果をブログに載せようと思っていたが、いつの間にか1年が過ぎた。再手術をする人はそう多くはないと聞いていたが、再手術を考えている人の何かに役立てばと思い文章にしてみる。



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 歩けなくなった。10mごとに休む。ゴミ捨てもいけない。3年前である。そこで、脊柱間狭窄症の手術をした。それから1年半後、4月頃より足先のしびれがではじめる。さらに、6月頃より、以前にもまして早く歩くことができなくなった。つま先立ちもできなくなった。

 以前、手術した産業医大の担当医に再受診した。「まだ再手術 の段階でない。運動量をふやせ」とアドバイスをもらう。そこで、ウォーキングに加えプールも始める。7月末、太ももの痛みに耐えきれず、手術を決心。お盆過ぎの手術を覚悟した。検査入院のためのPCR検査をうけると、なんと陽性反応がでた。一週間の自宅待機命令。同時に軽いぎっくり腰になった。その影響かどうかわからないが、状態がいい方に回復。手術の延期が決定された。

 毎日の運動を課す。ウォーキングや水泳、空き家になった親の家の片付けなど、毎日体を動かすようにした。しかし、状態はいい状態に向かわなかった。もともと2か所の狭窄部位を手術する予定が、最終的に1カ所のみの手術だったので、それが原因ではないかと考えざるを得ず、不安になった。以降、義両親の入院や介護施設の入所、家の解体、子供の結婚など、あっと言う間に時は過ぎた。

 家族関係のあれやこれやが一段落したので、脊柱管の再手術をうけることを決心した。背骨を切り開い手術はやはり恐怖を感じたが。

 3日間の検査入院。PCR検査 慣れたものとなった。30分間飲み食い厳禁、けっこうな量の唾をださなければならににで、その時まで、ためておいた。試験管にどっと吐き出す。30秒で終了した。隣おじさんの唾は血で真っ赤。ドキッとした。この人なんの病気だろうと、こちらが気持ち悪くなった。「口のなかが切れていたので血が混じっているけれどいいですか?」「いいですよ!」いいんだ、ちょっと安心。PCR検査は陰性で、手術のための検査入院へ。

 検査前日から入院。産業医科大学の整形外科病棟がいっぱいらしく西2階の病棟へ。少し古く6人部屋。のこり5人、抗がん剤や放射せん治療の話をしていた。みんな明るく元気そうに話しをしていた。看護師も明るい。
 まずは、血液検査、レントゲン検査、されに、苦手な肺活量検査、心電図と続いた。それが終わり、痛みの場所やしびれの場所の問診、部屋に戻る。無料wifiがないと思っていたら、何とかつながりの設定を確保。これは望外の嬉しさだった。スマホ以外のパソコンやタブレット持ち込み禁止とパンフレットにあったので、無料Wi-Fiがあるとは思わなかったが、これは入院生活には大いに助かる状況だ。

 翌日より検査開始。
まず、歩き方を見られる。パタパタ歩き(=ペンギン歩き)と言われる。足の各パーツの反力を5段階で計る。右足の先の反力がいちばん弱かった。歩く最大幅計る。階段上の椅子から立ち上がれるかチェック。40センチから始めて30センチ、22センチへ。さらに片足で立ち上がれるかチェック。私は全部無理だったが、隣の80代のおじいさんは、すべて立ち上がることができた。この人は、何の病気だろうと思ってしまった。元気すぎるだろう。

 次に、像影剤の注射が始まる。学生が注射を始める。背骨に注射するのは初めてらしく、うまくいかない。主治医やその他のスタッフからあれこれと指示を与えている。不安になる。前回、痛みの記憶がなかったので安心していたが、像影剤の注入で右足に電気が通るような嫌みが走った。なぜか中学時代のカエルの解剖をしたことを思い出す。神経をさわると足がピクッとなる。痛かっただろうと思った、すでに死んでいるのに。

 動きながらレントゲンを撮る機械は、最新式で、以前は人間が回転していたが、今回は、機械が回る。人間も時々体制をいれかえて撮影、いったい何枚とるのだろうかと思っていたら終了、どっと疲れた。

 (画像はHPよりお借りしています)

 監査結果を見ながらの主治医との面談が始まる。診断の結果、「今回は、3ヶ所手術しましょう。」軽く言われた。

 一年ほど、リハビリとして運動など頑張ったが、ここ2ヶ月は、悪化を強く感じていた。歩くスピードが遅くなり、歩ける距離も短くなった。特に荷物を持って2階階に上がることが難しくなっていた。「手術は仕方がないね」と自分に言い聞かせながら、予定の手術日に手術することを了承した。 病室へもどってきた。その病棟が呼吸器系疾患のものと知る。みな肺癌患者だったのだろう。翌朝、検査費用4万7千程を払って退院帰宅。

(2)に続く








正座ができた 脊柱管狭窄症からの復活

2021年07月28日 | 脊柱管狭窄症
 連日、オリンピック柔道の金メダルに日本中が熱狂している。中学生の時に柔道をかじった私もつい興奮して「一本」などとテレビの前で叫んでしまう。中1の一年間柔道部に入部したが、1年後、中3の暴力事件で廃部となった。あれから数十年。2年前の夏、脊柱管狭窄症の症状のためスーパーでの買い物程度の距離も歩くことができなくなり、最後は、ゴミ捨て場への30メートルの距離も数回休まないと到着できないありさまとなった。近くの医者は、痛み止めを併用しながら様子を見たらと言ったが、手術を決断、10日程度の入院で歩けるようになった。コロナの前に手術できたことが、最大の幸運であったかもしれない。腰の痛みが解消すると「ひざ」の問題があらわになった。腰をかばうことでひざに負担がきたのか、歩かないことがひざに力をなくしたのか、足への神経回路がズタズタになったため、小走りもできなくてっていたのが、原因か。「正座ができない」というより、立ったり座ったりすることさえもままならない状態が続いた。
 病院での精密検査をしたが、ひざに問題がなく、病院でのリハビリも必要ないとのことだった。そこで個人的なリハビリを始めた。昔買っていた本「医師がすすめるウオーキング (集英社新書) 新書 – 2005」をもう一度読み返してみた。今では中古本を1円でかえる新書だが、要するに今歩いている歩数をリラックスして一日1,000歩ほど増やしていこうというという感じで無理強いしないところがウォーキング初心者には向いているかもしれない。とにかく、家の周り、近くの神社まで、周囲6キロ以上ある中規模森の公園、15分程度から始めた。桜の季節、夏の日差し、秋の紅葉、塾講師として室内に座りっぱなしの生活から見たことのない自然が楽しい。継続ができている。

 室内では、テレビ体操やラジオ体操第2などを一日5分で始めたが、プラスとして、「RevStretch」ヤマハがヤマハのために行ったオリジナルのストレッチ体操をしばらく続けた。その後、uFitの運動不足解消におすすめの筋トレ&有酸素運動を始めた、どちらも10分程度で長続きする体操である。少し、ひざに圧力をかけた運動にトライしてみた。ある日、正座ができている自分を発見した。叫びたいほど感動した。一年以上かかった。

 しばらくして、ウオーキング中にちょっと走ってみた、ランニングができる自分にも感動した。無理せず、毎日体を動かそう。



<主夫の作る夕食>
ささみの醤油漬けとエリンギ炒め 美味しかったです。成功作!



<想い出の一枚>

先週行ってきました。福岡県 田川市 三井寺の風鈴トンネル

主夫 脊柱管狭窄症 その体験 その5

2020年10月12日 | 脊柱管狭窄症
 脊椎管狭窄症 その5
 脊椎管狭窄症は、足のしびれや腰の痛みで歩くことができなる坐骨神経痛と呼ばれる症状である。脊椎の中の神経が圧迫され、神経の機能がおびやかされる病気だが、痛みに耐え、さらに耐え続けることで神経機能が麻痺、つまり、例えば、足を動かす脳の指令が足に届かなくなるような病気だ。.昔は、手術の後、3人に1人が、車いす状態になることもあったようだが、現在では、比較的安全な手術で、全国の大きな病院では、どこでも実施されている。比較的早めの手術の決断が、神経を救う。

 手術日の翌日、あまり痛みもなく、ベッドの上では比較的自由に動けるので、本を読んだり、ラジオを聴いたりしながら時間をつぶしていた。今夜もあのおじさんの唸り声を聞かなければと思うと憂鬱になるが、いつのまにか、さらに一日が過ぎた。大の方のトイレがしたくなったが、そう緊急ではなかったけれども、ここは一度経験しておこうと看護師に頼んで見た。布団の中にお丸のような便器が入れられ、けっこう気兼ねなく用を足すことができるようになっていて安心したが、やはり寝たままの排便は難しかった。さらに次の日には、つながっていた管が全部外され、ナースステイションから離れた病室に移動、静かさが戻ってきた。担当の医学部学生が、いろいろ話しにくるので、自分の手術の様子を聞いてみた。お尻の穴に体温計を突っ込まれ、背中の骨をノミとトンカチでガツガツ削っていた、と聞いた。想像するとなんとも恥ずかしいようなおぞましいような風景だけれども、看護師の娘に聞いてみると、学生が話に来るのはそれが仕事で、体温計はそこにさしているのは手術では普通だそうだ。でも、どの学生も初めて見たときは結構尻込みしたんじゃないかと想像する。
 さて、手術後一週間もすると結構歩けるようになり、痛みもなく、されにリハビリも始まった。2週間もせずに退院となり、家でのお風呂にしばらく浸かれない不自由の後、1ヵ月後には、普通の生活となった。その後、コロナで病院が大変なことになってしまったようで、早く手術をして正解だったとつくづく思った。
 
 さて、この病気になって多くの本を図書館から借りて読んだが、最近、「名医が語る最新・最良の治療『腰部脊柱管狭窄症・腰椎椎間板ヘルニア』(法研)」という本を見つけた。もし、手術前にこの本を読んでいたら、かなりの不安を払拭できたのではないかと思った。数十歩しか歩けず、手術するしか方法がなかったのは事実だが、背骨の手術と聞いただけでやはり恐れおののく部分は小さくなかった。同じ手術を心配している方がいたら、ぜひ読んでみることをお勧めする。医学の進歩はやはりすばらしい。
 回復出来て、みなさんに感謝します。
でも、今年の年末、もう一つの手術が待っています。(涙)

<主夫の夕食>
肉量に飽きたら、これ「シャケのホイール焼き」なんども作ったのでいい感じの仕上がりに。かぼちゃの煮物も得意料理になりそうだ。


主夫 脊柱管狭窄症 その体験 その4

2020年07月22日 | 脊柱管狭窄症
 脊柱管狭窄症、背骨の中が狭くなり、神経がやられてしまう病気。日常生活ができなくなれば手術しかない。ただし、背骨の手術となれば、恐怖に感じるのは当然か。

 ちょうど一年前にヘルニアで手術の経験があった。全身麻酔で手術、痛みはほとんどなく終了。おへそとその両端に穴をあけて内視鏡で手術、お腹の内側から網を張って腸が飛び出すのを防止するという手術。つらかったのは、何本かの管につながれて身動きとれずに一晩明かしたことだろうか。朝になり、退院した。
 同じように今回の手術も前日に風呂に入り、ゆっくりと過ごす。何もすることがない。ラジオを聴く、TVを見る。スマホやパソコンを自由に使えればいいのだが、フリーWi-Hiはない。大学の付属病院なので若い学生がひとり付く。簡単な検査と診察があったが、55歳で手術。という人と少し話した。フルのマラソン大会にも何度も参加しているのに、最後は、通勤の電車でさえも立っていられなくなり、手術を決断したそうである。さて、同室の人が午後から手術ということで、待っていたが、夕方遅くに手術の連絡があり、「あぁ、3時間待った」などと言っていた。家族の方は、たいへんだったろうと同情してしまった、さらに数時間待つわけだから。
 朝、検温や血圧などチェックして2番目の手術開始を待った。手術室に連れていかれる。手術着に着替えて、ベッドにうつ伏せになった。一瞬で麻酔が効いた。手術が終わっていた。妻と子供がいた。2時間くらいの手術時間だったようだ。部屋に戻る。つながっている管は、おしっこと点滴だけだったので、楽ではあったが、数時間おきに体温と血圧を測られた。夜になった。同室の少し太った中年の男性は、かなり重症の脊柱管手術だったようで、うめいていた。何度も医者が来た。「ママー」「ママー」不思議な寝言が続いていた。いくつになっても苦しい時は母親なのだろう。でも、「おふくろ!」ぐらいにしてほしかった。とにかく、よほど痛く苦しかったのだろう。「ママ―」。自分の術後のつらさより、そのうるささに寝られなかった。寝たきりがこれから3日続くことになる。(続く)

ふと自宅の庭の小さな畑を見てみると大きなズッキーニが実っていた。
今日の晩御飯は、これを調理しよう!


鶏の胸肉とズッキーニポン酢和え。あっさりで美味しかった。