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主夫の徒然なるままに

毎日の夕食作りに奮闘する主夫の独り言

私の見た塾の興亡史(6)

2025年04月23日 | 
  高見校での2学期が始まった。教室をまかされて半年が過ぎた。
 
 塾の仕事の7割は生徒集めである。どうやって生徒を集めるか。ほかの教室を見ていると、門配(もんぱい= 校門でのチラシ配り、帰宅生徒や入学式などで配る)や近所の家にチラシを郵便受けに入れたりする。個人塾に近いこの教室では、効果は限定的と考え、いや、ある意味、無駄と考え、ほとんど実施しなかった。校門付近で捨てられたチラシを最後に拾い集める作業は、塾の先生として、あまりに悲しく無意味な作業ではないだろうか。

 では、どうやって生徒を集めるか。まず、保護者を攻める。つまり、よい「口コミ」を保護者に広めてもらう。とにかく、教室を知ってもらい、塾に通うメリットを認識してもらう。そのための一歩として、塾通信を配布する。単なる塾の宣伝ではなく、おもしろく、かつ、内容のあるもの、さらにわが子に役に立つ情報が掲載されているもの。

 次に集客の本から学んだモチベーションを持続させるために、生徒や保護者からのアンケートを事務所や保護者との面談室(面談用教室)などに張り、講師のやる気をアップさせるとともに来塾者にも知ってもらうようにする。


<塾通信の例>



<上記、1ページの家族学の内容について>
 昨年から、3つのアメリカ家族映画をみました。
幸せのポートレート」、「トランスアメリカ」、「リトルミスサンシャイン」。

 最近、日本では、子供が親を殺したり、親が子供を殺すというようなニュースが毎週のようにTVをにぎわしています。 日本の家族のあり方も激しく変化し、常識というような物差しでは語ることのできない悲しさを感じ始めます。

 そのような状況のなかで、昨今の韓流ブームでは、忘れかけていたなつかしい家族の絆や愛のテーマを思い出させ、アジアをわかせているのかもしれません。
 アメリカでは、韓流ブームの家族の形は、もう40年以上前の1960年代のテーマであり、今、日本が苦しんでいる家族の崩壊や苦しさは20年以上の前の1980年代の苦しさだと思われます。その時代を超えたアメリカの家族は、今どんな風景を私たちに見せてくれるのか、そのひとつの表現の仕方が、これらの映画にあると思われます。

 古典的な家族映画のように見えるこれらの映画、やさしさと幸せいっぱい、そのなかに次々と、父、母、夫婦、親子、子供の、その新しく不可解な、そして古くて不透明な奇妙の愛の姿を見せてくれます。私が古いのか、あなたが新しいのか、誰が正しく、誰が間違っているのか、いや、「誰も間違ってはいないはず(かなぁ?)」と微笑みながら「ついて行けないかも」とこれら映画を見終わってしまいます。
 お奨めのアメリカ版「家族」映画です。DVDでどうぞ!(ネットでも)


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12の月の塾通信では、親学としての記事を掲載。

「ハーフ」
先日,インターネット掲示板でこんな質問をしてみました。
「娘の友達が東京の公立中学校へ転校しました。中1でお医者さんの娘さんですが,こういう場合私立中学に入れるものと思っていましたが,とにかく大田区の公立中学に転校しました。帰省して娘と遊んでいる時,ちょっと東京の中学のことを聞いてみました。『クラスの半数がハーフだ』と教えてくれました。どういうハーフなのか聞いてみると,お父さんは全員日本人で,お母さんはフィリピン,台湾,韓国,中国,タイ,そして黒人の子が2名だそうです。地方に住んでいる者から見るとびっくりといういう感じなのですが,詳しい方のご意見などをお聞きしたいと思います。」
たくさんの返事をいただきました。その一部をご紹介します。
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※その1 2~3日前の朝日新聞に外国人受け入れに関した二人の方による論文が載ってました。その中でびっくりしたことは,今現在結婚するカップルの20組に1組(東京では10組に1組)は夫婦二人のどちらかが外国人だそうです。ああ時代はそこまで来ていたのかと言うのが感慨でした。
 大田区の公立中学は,二組のカップルに一組という率ですから高いと思いますが,地域によっては日本の中でもインターナショナルスクール状態になっている公立学校は確かにたくさんあります。国際的な人権保障基準に合致した法整備が急がれる所以ではないでしょうか。

※その2東京に限らず、どこの地方でもありますよ。今回はたまたま東京だっただけでしょう。
 大きい工場や同じ産業が集まってるところなど、外国人が多く働いている場所がある町では当然ハーフの人も多くなります。日系人が多い地域もあります。このテーマでは驚くというよりむしろ、医者の子供だからと特別扱いせず、地域に慣れる環境である公立に通わせている親御さんに感心しました。

※その3首都圏ではそんなに珍しくはないのでしょうね。我が家も神奈川県在住ですが、父母のどちらかが韓国、中国、東南アジア、中近東とさまざまな国の方がいますね。クラスの半分と言うほど多くはなく、1人か2人くらいですが、公営団地が学区にあるため比較的低所得層になりがちな外国人労働者世帯(もちろん父母のどちらかが日本国籍でないと居住できないと思いますが)の子供たちがいます。大田区は町工場が多いところなのでそこで働く外国人労働者や、日系2,3世は多いでしょう。だから地域によってはクラスの半分という事もあるでしょうね。同じ東京でも地域によってはヨーロッパ系だったり、帰国子女が多かったり本当にいろいろです。でも、子供たちは自然にクラスメイトから異文化を学んでいるようですね。

※その4とあるの公立中学などはブラジルのお母さんのハーフの子が多いみたいです。母親はほとんどが片言しか日本語できなくて会話が大変らしいです。最近ハーフの子が多いですね。

※その5大阪でも、以前から外国の方の日本居住が多くなっていますので、日本人との結婚で生まれたお子さんが大きくなって小学生、中学生に入学しています。場所によって違いますが半数と言うのは初めて聞きましたね。
※その6地域によってハーフが多いというのは、一都三県に限らずどこの地域でも起こっている現象だと思いますよ。私の住んでる町はフィリピーナが多く、ハーフの小さな子供も多く見られます。市役所や区役所のホームページには、タガログ語とか中国語・韓国語バージョンが用意してあるんですよ。友人の中学校教師の赴任している学校もハーフは多いそうですが、神奈川県の某地域には難民(?)のような人たちを受け入れている地域があるそうで、そこはベトナムを始め、よく聞く国々でない所からの人たちの子供やハーフが多く在校しているそうです。でも、連絡網や伝達がスムーズにいかない事も多く、同じクラスだったりすると大変な事も多いようです。面白いと思うのは、お父さんが日本人であると、日本の学校に。お母さんが日本人でお父さんが外国の方ですと、大体外国人学校。たとえば、アメリカンスクールとか○○スクールといった母国のカリキュラムで行っている学校に子供を通わせるという事です。日本は島国ですから、外国人やハーフが珍しいのかもしれませんが、都心に住んでると、外国人の姿は、一昨年のサッカーワールドカップを境によく見るようになったと思います。 
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驚いているのは田舎に住んでいる私だけ?と思ってしまいました。
「日本の家族」はどういうふうに進化していくのでしょうか。
楽しみでもあり,恐ろしくもある。明るい恐怖を感じますね!



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 講師たち、というよりも私自身のモチベーションを保つために、生徒や保護者からの塾への感想などをアンケートで集め、そのなかのお気に入り文章を事務所や面談室(教室)などに張りつけた。くじけないように、諦めないように、そして明日の力になるように掲示した。(以下はその一部、数年後のものも含む)


↑の文章
(1)ITさん
中学3年生になって初めて通いはじめた。
塾は、私かが想像していたものよりも、ずっと明るくて、楽しい所でした。今まで全然わからなかった英語もちゃんとできるようになったし、あまり好きじゃなかった教学も、とても楽しいと思えるようになりました。そう思えるようになったのは、やっぱり授業が楽しかったからだと思います。
明るくて元気な先生方の授業は、わかりやすくて苦手だと思っていた所もきちんと解けるようになりました。塾では新しい友達もできて授業以外の時間も楽しく過ごせました。
夏の勉強合宿では、今までで、一番勉強してたと思います、楽しいイベントもあって、とても良い思い出になりました。たった一年間だったけどとても充実した時間だったと思います。この塾で勉強することができて良かったです。

(2)HYさんの保護者様
阿座上とのつき合いは、5年になります。その年ごとにその年齢、学年に合う指事をして頂いて、中3受験生となると、どんな指導をするのかと期待していたら、納得のいく1年で、こうして受験対策をするのだとほれほれして見ていました。
娘も、試験前の勉伝を塾長先生と相談しながら一番効果的な学習法を考えてしてきたようです。 わがままを大きな理解力で受けとめて下さり、塾の先生方には感謝の一言です。
(3)KMさん
私は春期講習のときに阿〇座上塾に入りました。
最初は授業についていけるか、友達が出来るかなど不安だらけでした。でも、入ってみると塾は楽しく、授業にもだんだん慣れていくことが出来ました。
また、夏の勉強合宿では勉強はもちろん、今まで話したことのない友達と話すことが出来たり、途中にキャンプファイヤーやバレーなどをして楽しかったのを覚えています。
塾に入って嬉しかったことは、入るまでは全然わからなかった英語が分かるようになったことです。それと、内申点がとても上がりました。通知表をもらったときは、とてもビックリしたのを覚えています。
約一年間お世話になりました。短かったような、長かったような、そんな気分です。阿〇上の先生方はみんな個性あふれる先生だったなあと思います。阿〇上塾に入れて良かったです。ありがとうございました。先生方、これからも頑張って下さい。
(4)MK君
阿〇上塾高見校で授業をしてくださった全ての先生方へ
 思えば私がこの塾に入塾したのは、今から一年と半年前の中二の夏休みの時でした。勉強が好きではなかった私にとってその頃は、ひたすら嫌とか面倒などという気持ちでいっぱいでした。
 しかし、この塾はおもしろかった。先生方の授業は決して自分達を追いこむものではなく、常に私達に新鮮な楽しさを提供してくれました。正じき「勉強が好きになりましたか」と聞かれれば、まっすぐ「はい」とは答えられないかもしれません。ですが、「この塾にもう一度、通ってみたいですか」と聞かれたのなら、私は自信を持って言えます。「はい。私はまたここに来たいです。」と。
 数ある学習塾の中で私が、この塾の先生方と出会えた事を本当に忘れません。
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2学期が始まり、講師も入れ替わる。生徒数の増加は漸増というところか。
しかし、<楽しいが力(ちから)><基礎力主義>の指導方針のもとに、しっかりとした学力をつけることに毎日の授業を続けた。







<この年の旅行・釜山旅行 >
チャガルチ市場らしい風景
いい家族写真ができました
お祭りにも遭遇








私の見た塾の興亡史(5)

2021年09月09日 | 
中3生で10名ちょっと、多学年はすべて一桁生徒数の教室長を任された4月、この教室の基本方針を「基礎力主義」と「楽しいが力(ちから)」に絞る。すぐに中間考査、期末考査が始まるが、目先の高得点を狙わず、やるべきことをしっかり実行する方針にする。覚えること、理解することのスモールステップを毎日の課題として示すことから始める。
 私の担当する文系科目では、毎回必ず暗記テストを課す。宿題を必ずだす。当たり前だと思っていたが、ほかの教室では、英単語の毎回暗記テストなどは、ほとんどやっていなかった。理由の一つが、生徒の嫌がることを課すことで生徒数が減ることを懸念しているようであった。まるで遊びのような雰囲気で授業時間が過ぎていた。塾運営のひとつの在り方だと思ったが、それで授業料を払う親たちが納得するのかが難しい。と思ったが、しかし、TVやマンガ、携帯に無駄な時間を費やすなら、あるいは、夜に悪い友達とどこかに出かけるくらいなら、塾にいてほしい、これは、ある意味親の本音でもあるが、こういう形態を「子守り塾」という。
 きびしくしてもついてくる子供は多い。前年度の教室で、しっかりとした方針で数カ月頑張ってみた。お母さんがやってきて、嬉しい報告をしてくれた。
「子供が言うんですよ、『お母さん、へんよ!お母さん、へんよ!英語の問題がスラスラ解ける、お母さん、へんよ!』って。」 新教室でも毎回の暗記テストや宿題にぶつぶつと文句を言う生徒もいたが、まじめな生徒たちは、しっかりと基礎力をつけていった。
 
 さて、夏期講習の準備が始まる。この塾では、中3生の夏にはキャンプを実施していたが、3年ほど前にちょっとした事故で中止となっていた。中3受験生でキャンプというのに違和感を持っていたが、口コミの種になにかイベントを考えてみた。そこで、夏の勉強合宿の実施を社長に直談判。まわりの先生たちは、反対されると決めつけていたが、あっさりOKがでた。基本的なコンセプトを「ホテルでフランス料理を食べながら、勉強合宿」生徒たちの評判も上々、ただし、初めての企画なので生徒増への期待はあまりしていなかったが、以降の口コミには大いに貢献してくれた。
 マンション型のホテルを見つけ、個別指導のできるパソコン機をもって、勉強合宿を実施した。さすがに、フランス料理フルコースとはいかなかったが、洋風料理をナイフとフォークを使いながら(使い方を教えながら)食事も楽しく過ごした。休憩時間には、海辺で走り回る青春も堪能させた。

ところで、次年度もここで勉強合宿を予定しようと、春に申し込もうとすると、ホテル全館一週間貸し切り状態であることが判明、駆逐された。大手塾には、かなわない。

 夏が終わり、素晴らしい成績が残った。勉強しなかった生徒が勉強をコツコツと始めたのだから、当然の結果であろう。





<主夫の作る夕食>
毛羽中が大好きと聞いたので、3歳の子のために挑戦してみた。美味しいとバク食い。


私の見た塾の興亡史(4)

2021年08月20日 | 
 さて、2年間、10教室以上で授業を行った。小さな個人塾での経験は、役に立つかと心配していたが、この塾は、個人塾の集合体であった。テキストと月謝が同じこと以外すべて各教室まかせ。生徒数のノルマを達成すれば、すべてが許される。(少し危ない塾講師もいた)

 さて、新学年の初授業日、生徒たちがどっと入室してくる。昨年度までの先生がすべて退職、初顔合わせの授業となる。生徒たちはあまり驚きはなかったようだ。退塾を考えていた生徒も残った。以前の講師がすべて辞めたことを知った保護者が、「塾をやめさせる!」と叫びつつもすぐに落ち着いて新学期が始まった。各学年数名から十数名という危機的な人数であったが、質の良い生徒が残っていたので快適な授業風景が流れていった。熱心に授業を聞くよい生徒たちであった。

 塾講師の仕事。「教える」ことと思っている人が大半だと思うが、塾講師の仕事の大部分は営業である。チラシを作る、袋詰めにする、門配をする。お知らせを作る、欠席、遅刻、月謝の未納を連絡する。保護者と面談する、入塾案内を作り、入塾希望者とその保護者と長時間話をする。夕方、授業が始まる前に疲れ切ってしまう。塾でアルバイトをする学生たちは、時々、塾講師になろうと決意する学生がいるが、裏側に潜むブラックを知らない。

 塾の生徒集めをどうするか。ほかの教室を見ると、毎日、地域にチラシ配りをしている教室などもあったが、何かピンとこない。とにかく、参考書を探すことにし、大型書店に通うことになる。ネットでも探してみる。この手のハウツー本も百冊以上見つけることができる。おもしろそうなのを片っ端から購入、読んでみることにした。

  何度も読み返し、参考にした2冊;
「生徒は必ず集められる!教育・スクール業界の集客バイブル」
「口コミ伝染病」

  「口コミ伝染病」を基本とした生徒増戦略を立ててみることにした。つまらないチラシを作らない、つまらないチラシのために足を使わない、口コミの乗る話題を作っていく、ITの力を活用する。
 当時は、まだ、家庭への連絡は紙でのやり取りが主流であった。「イベント参加の方は、申し込みに印鑑を押してお子様を通じて提出してください」こんなのんびりしたやり取りにビックリ。遅刻や休みの連絡は、電話だった。授業中に何度も電話がなる。事務職員など置けない個人塾では、授業が中断する、電話に出ないと評判を落とす。メールを使えば瞬時に解決するはずと思っていたら、この塾には、入室退出メールシステムが既に存在していたが、どの教室もカードを入室退出時に利用すれば、ポイントが付くだけに利用していた。この機器を利用し、保護者との連絡に活用、さらに口コミの種も配信するようにした。
 保護者、生徒、講師のパイプが強固なものとなった。今となっては当たり前のことだが。


<想い出の一枚>




<主夫の作る夕食>
さんまの塩焼き、かぼちゃの煮つけ。時には、和風で。


私の見た塾の興亡史(3)

2021年08月17日 | 
 2000年代半ば、北九州に13教室を展開する阿座上塾に吸収された我が「高須進学スクール」は、若手一人を残し、各教室を転々とすることになる。私自身は、塾の成績管理、教務管理を独自のプログラムで作成した経験を買われて、週一で本部事務所でパソコン関係を担当することになった。ほかの会社に出向いた場合、その風土の違いに皆驚くのは当然だが、この会社のアナログ状態には、仰天した。もともとオーナーがパソコン嫌いで、「パソコンを買ったら生徒が増えるのか?」の一喝で旧態依然の環境で過ごしていた。

 各教室に配布される名簿は紙ベースで、各教室では、事あるごとに手打ちで名簿を作っていた。教室の座席表、あるいは、〇〇行事の参加者などすべて名簿を見てエクセルに手打ちで作成、パソコンが苦手な講師は、自筆で作成だった。塾終了後、残って名簿を打ち続けてる講師の姿は、空しく映った。

 フクトテストからの成績表は、業者から紙で返送され、それを係の者が手打ちで自社のデータベースに打ち込んでいた。多い時は1000人を超える点数を打ち込み、確認する。どれほどの時間と労力がかかったことであろう。塾の担当として交渉、次年度からは、データでの送信をテスト会社に依頼、成績入力は、ほんの数十分で完了するようになった。
 この塾が製作する実力テストのテスト処理は、90年代前半のデータベース言語で作成されたものだった。製作者は退社、10年以上前の言語と機器で構成されているため、プリンターを変えようにもUSB端子が使えないなど誰も近づけない状況であった。旧式のドットプリンターに毎月1.5万円のリース料を払っているのにも唖然とした。さらに当時の成績担当者が退職、成績処理が闇となってしまった。やむをえず、個人的にいままでに作成したVBのプログラムとデータベースアクセスを新規に勉強し、成績処理プログラムを完成させた。
 同じ頃、塾のホームページは、存在していたが、すべてが外注であった。一度出来上がったホームページの運営保守は、そう難しくないのに関わらずこれもすべて外注、変更をお願いするだけで相当の手数料が引き落とされていた。無知に乗じての高額費用が垂れ流しの状態であった。そこで、ホームページも何とか学習してHP管理者となる。

 当時の塾講師の中には、パソコンのできる講師もいたと思うが、だれも成績処理やホームページには、近寄ろうとしなかった。何故だろうと思っていたが、根拠は意外と早く判明した。講師として教えながら、個人的に遅れているIT分野に尽力しているつもりであったが、ある日社長に呼び出され、教室での貢献が3年たっても見えない場合は辞めてもらうことになると勧告される。「教室での貢献」とは、教室の人数を増やすことであった。ならば、だれも、生徒獲得以外には手を出そうとはしない、当然である。
 
 さて、一世を風靡したこの塾も厳しい生徒獲得競争に常勝とは言えず、不採算4教室を閉鎖予定に入った。しかし、強い保護者からの反対に押され、先延ばしとなった。責任を取らされた教室長が辞めていく中で、その4教室のひとつ、「高見教室」を任される、いや、押し付けれれることになった。
 その教室は、壁がうす汚れていて、トイレも旧式、壁中に古い宣伝用の壁紙が貼られ、事務室には大量のフィギュアがあった。とにかく、毎日、掃除と片づけで新教室長を始めることになった。


<主夫の作る夕食>
茄子とピーマン、豚肉のコチジャン炒め、ちょっとピリ辛で美味しく頂きました。



<想い出の一枚>




私の見た塾の興亡史(2)

2021年08月10日 | 
 1980年代に入るといわゆる「ゆとり世代」の子供たちが誕生することになる。「ゆとりの時間」 が始まる。
 1980年代の荒廃する中学校、「校内暴力」は、凄まじいものがあり、中学校ではまともな授業が不可能になりつつあった。原因として多くのことが言われたが、印象に残る言葉としては、「詰め込み教育」「偏差値至上主義」「落ちこぼれ」などがある。塾には、授業を受けたい生徒やよりよい成績で希望の高校に進学したいと願う生徒が集まってきた。塾として、学力の向上には、基礎的知識の詰込みは必要であり、偏差値は、単なる順位の指標であり、「落ちこぼれ」ないように指導していくのは、当然のことであった。
 私たちの塾にもそういう生徒が多く学ぶようになる。時を得て、オーナーは3階建ての新校舎を建設し、キャパシティーを超える生徒が集まるようななった。その余裕というか思い上がりというか、それからが衰退への始まりとなった。塾業界の競争はさらに厳しいものになっていくが、伸びる塾の一つの方向性として、プロの戦略コンサルタントの導入や多角経営、多教室経営など個人塾では、手を出しにくい部分にどう攻めるかが企業の飛躍のポイントとなっていた。我が塾では、「しっかり授業をしていれば生徒は集まる」と過去の栄光を引きずった旧態依然の経営戦略のため生徒数をゆっくりと漸減させていくことになった。門配(校門なでで配布)や地域へのチラシ配りなど全くせず、新聞への折り込みチラシだで生徒集めをしていた。今から思い返してもぞっとするものである。気づいたときには、大手塾に身売りするしかない事態になっていた。
 当時の塾としては、小倉を中心に「阿座上塾」、八幡を中心に「シーズ鎌倉学園」などが地方塾として興隆していた。福岡県では、英進館などが覇を唱えていたが、まだ、北九州には進出していなかった。
 1990年代の「ゆとり教育」では、土曜日休業、2000年代では、小学校の授業3割削減などが記憶に残っている。この2000年代の時に小中学生だった生徒を「ゆとり世代」と呼ぶことが多い。ゆとりにどっぷり浸るか、しっかりと勉強するかで教育格差はさらに広がり、厳しいものになっていった。
 さて、経営が苦しくなってくると経営者たちは、いらだち、働く者たちにうっぷんを晴らすかのように怒鳴り散らす。コミュニケーションがだんだんと取れなくなっていく。この風景は、その後、ほかの会社でも何度も見ることになるが。社長としては、自分の給料は「0」にしても従業員のボーナスは出す。なのに従業員は、この会社を何とかしようとする気概がないと、頭を抱える、ぼやく。根本的戦略無しに場当たり的に生徒数を増やす方法を実行する。今から考えても、最悪だったのが、一度退塾した生徒(退塾するように仕向けた生徒も含む)に再入塾の案内を送ったことだろうか。それなりの人数が集まったが、勉強が嫌いで、塾が嫌いでやめていった生徒が親の強権で再入塾してもうまくいくはずもない。塾に混乱の種をまいて、教室の雰囲気を一気に悪化させることになった。学校が勉強する雰囲気がないという理由で塾に来ている生徒にとっても楽しめるはずの塾の雰囲気が悪化、さらに生徒数の減少を招くことになる。のちのち理解するのだが、塾に来る生徒たちは、勉強だけでなく、サロンとして塾、友達や先生と仲良く時間を過ごすことにも重要視して塾選びをしている。つまり、個人塾や少人数塾としては、生徒選びにも十分な配慮をしないとひどい目にあうことになる。
 さて、よく言えばM&A、悪いけば、身売りとして、「高須進学スクール」は、「阿座上塾」に吸収されていった。一時期、納税額が北九州で2位であったこともある塾だ、当時に比べて売り上げを落としていたが、それでも4億程度の売り上げを確保していた塾であり、地域では有名塾であった。
 我々の社長は、勇退。我々講師は、それぞれの教室などに派遣されていった。

私の見た塾の興亡史(3)に続く


<想い出の一枚>





<主夫の作る夕食>
親子丼を作ったら、「鶏肉のこまぎれ」を買ったと思ったら「鳥軟骨」だった。コリコリ音を立てながら食べた。大失敗。