<スマトラ沖大地震・インド洋大津波>タイ;津波被災者支援のための署名活動

被災コミュニティーの土地を奪い、リゾート開発を目論む投資家、地方行政の動きに対して、「NO!」と言いましょう!

「タイ空軍25日に被災者へ住居提供」3.16

2005年03月16日 17時55分27秒 | ▽▽▽タイの津波記事▽▽▽
「タイ空軍25日に被災者へ住居提供」
Phuucatkaan 2005/3/16

タイ空軍が恒久的住居建設を進めている、ラノーン県カムプワン行政区のハートサー
イカーオ村ムー7では、合計48軒に関してほぼ90%の作業が完了している。おそらく22
日に被災者に対して贈与がなされ、25日午後3時以降から被災民が居住する予定。空
軍のラノーン県での作業は、142軒(3ヶ所)の恒久的住居建設と20棟の国境巡視詰
所建設支援。

「北部農民同盟、津波被災民支援のために北部から南部へ」3.16

2005年03月16日 17時54分45秒 | ▽▽▽タイの津波記事▽▽▽
「北部農民同盟、津波被災民支援のために北部から南部へ」
Phuucatkaan 2005/3/16

「北部農民同盟」は、「森のコミュニティー・ネットワーク」と協力し、南部へのボ
ランティア派遣と支援金集めをしている。現在「北部農民同盟」は、「森のコミュニ
ティー・ネットワーク」と協力し、津波被災民を支援しに行く資金、お米、乾燥食品
などを集めるために、「木の出家(得度)」という催しを開催した。集められたお
金、食料を使いパンガー県の被災漁民支援に向かう。上記の団体から60名の助っ人が
パンガー県に赴き、住居建設作業を手伝う。電車やバスなどの一般交通機関を利用
し、3月19日出発、3月31日まで滞在。

「ナムケム村むせび泣く女性達」3.16

2005年03月16日 17時54分05秒 | ▽▽▽タイの津波記事▽▽▽
「ナムケム村むせび泣く女性達」
Matichon 2005/3/16

Raatrii Kongwatmaiさんは32歳、タクアパ郡のナムケム村のハートレームポーム・コ
ミュニティーの住民。津波が起こる前までは商売と雇用労働に従事していて子供は2
人いた。津波によって子供1人が奪われ、親類合わせて6人が死亡した。津波によって
何もかも奪われ、この苦痛を乗り越える術が何もない。そして第2の津波は2月28日に
起きた。会社が立ち入り禁止の立て看板を立てたのだ。村人は死体を捜しに入らせて
くれと頼んだが断られてしまった。40年以上は暮らしている土地なのに。彼女はこの
現状に関してパンガー県役人に知らせようと電話をかけたもした。後日村に役人がナ
ムケム村に来た際には、死体捜査の許可を求めた。しかし投資家側は住民が土地に侵
入しようとしていると役人に述べていた。彼女は資本家からの脅迫も受けており、資
本家はこんなことを言った。「津波ってのは人の命を必要としないが、俺達は貴様達
の命が必要なんだよ。」
 津波から一ヵ月後に彼女は亡くなった子供の遺体に出会った。全く面影はなくなっ
てしまっていたが、子供にあったことで、彼女は負けられないと強く思うようになっ
た。もう1人の子供、老いた母親のためにもここで負けたら、その後どうしていいの
かわからないから。村人は津波以前の土地でまた暮らしたいという僅かな望みを持っ
ているだけなのに。たとえ政府が助けてくれなくでも村人は残念とは思わない。行政
にはそれ以上変なことをしてもらわないように願うだけだ。命に関して将来どんなこ
とが起こるのかは、全くわからない。
 Parathip Kongsongさんは39歳、同じくレームポーム・コミュニティーのメンバー
の1人。ナコーンシータマラート出身、ナムケム村住民だった夫と結婚し、父方の母
と畑仕事をし、そしてレストランを開いた後に、バンガローも始めていた。2002年、
投資家がリゾート地の周辺に防護柵を作り、コミュニティーに立ち退きをせまるよう
になった。彼女の主人は追い出される際に、二度とその地に入る気を起こさないよ
う、資本家にバンガロー2棟を破壊され埋められてしまった。資本家の嫌がらせはそ
れでも終わらず、もしこの地を出て行かなければ、安全の保証はできないと言われ、
彼女は子供とナムケム村にある夫の母の家に移った。資本家は村人の家々を壊し埋め
てしまった。村人達は資本家の思惑をつぶそうと努力しているが、武器を持ったボ
ディーガードや、強制的に虚偽の申告をさせられるなど、障害が大きい。彼女は津波
によって実の母はなくしている。母がなくなってからは、逃げようなんて思わない。
正義を信じて土地にどうしても戻るために戦わないと。叫ぶだけでは意味がないか
ら、頭を使ってなんとか自分の土地を取り戻さないと。

「ナムケム村の苦痛、投資家の土地収奪」3.16

2005年03月16日 17時53分43秒 | ▽▽▽タイの津波記事▽▽▽
「ナムケム村の苦痛、投資家の土地収奪」
Phuucatkaan(Pracaatham newspaper) 2005/3/16

第一の津波が襲いかかり、そして被災民を更なる津波が襲っている。今度の津波は
2004年12月26日に到来した津波と異なり、家屋や資産を押し流したり、村人の命を奪
うことはない。しかし今回の津波は、村人の土地に住む機会を剥奪し、コミュニ
ティーの土地を奪い去る投資家の動きである。
 ナムケム村。パンガー県タクアパ郡に属し、津波の被害を最も受けた村。津波後に
は土地の問題が激しさを増し、問題を抱える場所は以下の2ヶ所。920,921,922番地
で広さは400ライ以上。Fariis建設(名称不正確)がその土地の所有権を主張し、「進
入禁止」の立て看板を津波後より置いている。
 津波が起こる前までその土地にはコミュニティーがあり、家族数も多かった。たと
え、親類の遺体を捜すためであろうとも、村人がその土地に入れば、会社の職員が車
でもって追い払い、村人は散り散りになって逃げることしかない。村人達は、その土
地には古い鉱山の洞窟が10ヶ所ほどあることから、おそらく未だ見つかっていない死
体が多く眠っているのではないかと信じている。
 村人の1人は、津波発生以前にも、その会社は兵隊を雇い、亜鉛の調査と称し、大
きな鉱山の洞窟を掘り、その場所に住民の家々を騙し取って埋めたことがあったと述
べた。その際にはタクアパ郡裁判所に住民側が訴え、その土地は会社の主張する土地
に含まれないという勝訴の結果となった。たとえ、彼らが勝っても家々は戻っては来
ず、何の補償金も支払われなかった。「どうすりゃいいんだ?彼は大資本家で、我々
は貧しい村人なんだよ。勝っても家は埋められちゃったし、また村人は追い出されん
だよ。」
しかしナムケム村は一般的な海岸近くの、漁民のコミュニティーである。制限付きの
自由な採掘権を取得した鉱山会社の労働に従事するために、各地からこの地に集まっ
てきた人々が形成したコミュニティーである。特にナコンシータマラート県とパッタ
ルン県からの移住者が多い。1981年までには、鉱物資源は枯渇し、採掘現場の活気は
失われてしまった。コミュニティーの人々の多くが漁業への仕事をかえ、土地-特に
莫大な利益をもたらす海岸沿いの土地-に関する投資家との矛盾は中途半端のままに
なっていた。
 村人の1人Deenさんが言うのは、会社側が立て看板で宣言している土地は、実は会
社が持っている土地権利書と異なるものだと述べた。立て看板では海岸周辺も勝手に
含めているからだ。人権に対する重大な問題として、村人50が裁判所に2月2日から現
在に至るまで訴えているのだが、元の土地に戻ることは怖くてできない。なぜなら会
社側はガードマンを雇い、村人を追い払うために待機させているからだ。
 この土地は、鉱山利用にLim Kulwaanit氏が経営するHongcongseng社が購入し、そ
の後、娘(Suchaat Tancareen)の婿である元国会副議長のSagwon Kunwaanit氏へ譲
渡された。Sagwon氏が、Fariis建設に売却して現在に至っている。さらに、土地権利
書に関する法律の抜け穴として、村人と重複した贋物の土地権利書を会社側が持って
いる。ナムケム村では、その問題の土地の住民のみならず、その土地周辺の場所でも
問題が生じている。住民の1人Samaiさんは、問題の土地付近に住む別の10人の一人で
ある。彼女が言うには、会社が行政と結託して贋の権利書を発行したために、前述と
同様な立ち退きの目に合わされており、会社側を訴えている。Samaiさんは以下のよ
うに資本家の意図を指摘する。「問題の土地がなぜ資本家の目に留まったかという
と、あそこの土地はアンダマン海から1キロの場所に位置していて、資本家は現在人
気が出始めている、コーカオ島へ行く船着場を建設しようと思っているからなんだ。
その他にもスリン諸島やシミラン島へも行けるだろうから、その利益は大きいと思う
よ。」
 裁判所はSamaiさんの土地の管理権を認めたのだが、Samaiさんが土地を測量するこ
とに関しては、会社側が抗議の意見を提出したために行うことができない。
2003-2004年の間にSamaiさんは測量願いを4回提出し、会社側はその都度、抗議の意
見を4回提出している。「津波以前から私達は脅迫、威嚇という問題に直面していま
した。それは2003年1月には爆発物によって遂に1名の死亡者まで出てしまいまし
た。でも状況は前進しませんでした。会社側は土地の半分を分けてくれといっていま
す。そうすればこれ以上命の危険に合わないようにするからと。私達は、資本家と地
方行政の権力が怖くて未だ自分の土地に戻れないわよ。」とSamaiさんは苦悩を打ち
明けた。
 支援に来ている開発基金職員は、ナムケム村の土地問題は、コミュニティーが長い
時間暮らしている土地を土地資本家が支配し、結果的に村人達を立ち入り禁止にして
いることです、と指摘している。
「津波後に、土地の問題を抱えているコミュニティーは15を下らないだろう。まず必
要な支援とは、家屋修復、仕事道具の修復、コミュニティーの生活に適した恒久的住
居の建設支援などです。漁民達は海の近くに住むべきですが、新しいコミュニティー
の建設に際しては、観光産業と災害対策の観点から開発の方法を考えていかなければ
ならないでしょう。」これは被災者達が最も落ち込んでいる時を狙って脅迫しに来た
資本家の言葉である。今後我々が注視しなければならないことは、被災地が更なる津
波によってもう一度破壊されるのか否かということだろう。