<スマトラ沖大地震・インド洋大津波>タイ;津波被災者支援のための署名活動

被災コミュニティーの土地を奪い、リゾート開発を目論む投資家、地方行政の動きに対して、「NO!」と言いましょう!

「ナムケム村の苦痛、投資家の土地収奪」3.16

2005年03月16日 17時53分43秒 | ▽▽▽タイの津波記事▽▽▽
「ナムケム村の苦痛、投資家の土地収奪」
Phuucatkaan(Pracaatham newspaper) 2005/3/16

第一の津波が襲いかかり、そして被災民を更なる津波が襲っている。今度の津波は
2004年12月26日に到来した津波と異なり、家屋や資産を押し流したり、村人の命を奪
うことはない。しかし今回の津波は、村人の土地に住む機会を剥奪し、コミュニ
ティーの土地を奪い去る投資家の動きである。
 ナムケム村。パンガー県タクアパ郡に属し、津波の被害を最も受けた村。津波後に
は土地の問題が激しさを増し、問題を抱える場所は以下の2ヶ所。920,921,922番地
で広さは400ライ以上。Fariis建設(名称不正確)がその土地の所有権を主張し、「進
入禁止」の立て看板を津波後より置いている。
 津波が起こる前までその土地にはコミュニティーがあり、家族数も多かった。たと
え、親類の遺体を捜すためであろうとも、村人がその土地に入れば、会社の職員が車
でもって追い払い、村人は散り散りになって逃げることしかない。村人達は、その土
地には古い鉱山の洞窟が10ヶ所ほどあることから、おそらく未だ見つかっていない死
体が多く眠っているのではないかと信じている。
 村人の1人は、津波発生以前にも、その会社は兵隊を雇い、亜鉛の調査と称し、大
きな鉱山の洞窟を掘り、その場所に住民の家々を騙し取って埋めたことがあったと述
べた。その際にはタクアパ郡裁判所に住民側が訴え、その土地は会社の主張する土地
に含まれないという勝訴の結果となった。たとえ、彼らが勝っても家々は戻っては来
ず、何の補償金も支払われなかった。「どうすりゃいいんだ?彼は大資本家で、我々
は貧しい村人なんだよ。勝っても家は埋められちゃったし、また村人は追い出されん
だよ。」
しかしナムケム村は一般的な海岸近くの、漁民のコミュニティーである。制限付きの
自由な採掘権を取得した鉱山会社の労働に従事するために、各地からこの地に集まっ
てきた人々が形成したコミュニティーである。特にナコンシータマラート県とパッタ
ルン県からの移住者が多い。1981年までには、鉱物資源は枯渇し、採掘現場の活気は
失われてしまった。コミュニティーの人々の多くが漁業への仕事をかえ、土地-特に
莫大な利益をもたらす海岸沿いの土地-に関する投資家との矛盾は中途半端のままに
なっていた。
 村人の1人Deenさんが言うのは、会社側が立て看板で宣言している土地は、実は会
社が持っている土地権利書と異なるものだと述べた。立て看板では海岸周辺も勝手に
含めているからだ。人権に対する重大な問題として、村人50が裁判所に2月2日から現
在に至るまで訴えているのだが、元の土地に戻ることは怖くてできない。なぜなら会
社側はガードマンを雇い、村人を追い払うために待機させているからだ。
 この土地は、鉱山利用にLim Kulwaanit氏が経営するHongcongseng社が購入し、そ
の後、娘(Suchaat Tancareen)の婿である元国会副議長のSagwon Kunwaanit氏へ譲
渡された。Sagwon氏が、Fariis建設に売却して現在に至っている。さらに、土地権利
書に関する法律の抜け穴として、村人と重複した贋物の土地権利書を会社側が持って
いる。ナムケム村では、その問題の土地の住民のみならず、その土地周辺の場所でも
問題が生じている。住民の1人Samaiさんは、問題の土地付近に住む別の10人の一人で
ある。彼女が言うには、会社が行政と結託して贋の権利書を発行したために、前述と
同様な立ち退きの目に合わされており、会社側を訴えている。Samaiさんは以下のよ
うに資本家の意図を指摘する。「問題の土地がなぜ資本家の目に留まったかという
と、あそこの土地はアンダマン海から1キロの場所に位置していて、資本家は現在人
気が出始めている、コーカオ島へ行く船着場を建設しようと思っているからなんだ。
その他にもスリン諸島やシミラン島へも行けるだろうから、その利益は大きいと思う
よ。」
 裁判所はSamaiさんの土地の管理権を認めたのだが、Samaiさんが土地を測量するこ
とに関しては、会社側が抗議の意見を提出したために行うことができない。
2003-2004年の間にSamaiさんは測量願いを4回提出し、会社側はその都度、抗議の意
見を4回提出している。「津波以前から私達は脅迫、威嚇という問題に直面していま
した。それは2003年1月には爆発物によって遂に1名の死亡者まで出てしまいまし
た。でも状況は前進しませんでした。会社側は土地の半分を分けてくれといっていま
す。そうすればこれ以上命の危険に合わないようにするからと。私達は、資本家と地
方行政の権力が怖くて未だ自分の土地に戻れないわよ。」とSamaiさんは苦悩を打ち
明けた。
 支援に来ている開発基金職員は、ナムケム村の土地問題は、コミュニティーが長い
時間暮らしている土地を土地資本家が支配し、結果的に村人達を立ち入り禁止にして
いることです、と指摘している。
「津波後に、土地の問題を抱えているコミュニティーは15を下らないだろう。まず必
要な支援とは、家屋修復、仕事道具の修復、コミュニティーの生活に適した恒久的住
居の建設支援などです。漁民達は海の近くに住むべきですが、新しいコミュニティー
の建設に際しては、観光産業と災害対策の観点から開発の方法を考えていかなければ
ならないでしょう。」これは被災者達が最も落ち込んでいる時を狙って脅迫しに来た
資本家の言葉である。今後我々が注視しなければならないことは、被災地が更なる津
波によってもう一度破壊されるのか否かということだろう。

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