<スマトラ沖大地震・インド洋大津波>タイ;津波被災者支援のための署名活動

被災コミュニティーの土地を奪い、リゾート開発を目論む投資家、地方行政の動きに対して、「NO!」と言いましょう!

「未だ支援を待つ被災民」3.26

2005年03月26日 18時06分36秒 | ▽▽▽タイの津波記事▽▽▽
「未だ支援を待つ被災民」
Phuucatkaan 2005/3/26

上院金融経済委員会は被災者の要望を聞きにアンダマン海側地域を訪れた際、支援が
未だ行き届いていないグループとして、融資を銀行から拒否されている雑業層の被災
者達がいることが判明した。3月26日13時30分、上院金融・財政委員会と上院経済・
商業・工業委員会が「南部津波被災者支援にむけて」というセミナーを、プーケット
県、プーケットシティーのロイヤルホテルで開催。上院議長のSuchon Chaaliikhrua
氏をはじめ、行政職員、経済界、南部6県からの被災民などが集まった。Suchon氏
は、開会の言葉として、今回のセミナーの目的が、被災民の生活(仕事)と観光産業
への支援を前進させるためのものであること、そして、上院では雑業層を生活の術と
する被災民から、銀行の貸し渋りや、融資をうける代わりとしての担保、つまり財産
が津波によって損失してしまった等の問題の解決を要望されている。そこで、上院
は、財政機構からの代表として、被災民の問題の本当の所、そしてその解決策に努め
たいと考えている。当会議で話し合われ内容は、今後の津波支援策に関する、上院・
金融省会議に提出する。
 津波から3ヶ月ばかりが経とうとしているが、未だほとんど支援を受けていない
人々がおり、例えばパトン・ビーチの100人以上の雑業層は、仕事を立て直す資本金
を集められないでいる。かつて銀行から借受けをした経験がないために、銀行も担保
貸しをしてくれない。さらに、担保自体を持っていない人や、営業物品、場所を賃貸
していた人々なども資金面で困窮している。そこで上院では、パトン・ビーチの雑業
層も世話するよう、銀行に委任指示を出した。
 クラビー県地方管理機構からの代表者は、受け取った予算の大部分は、重要な県の
観光地域に当てられるものが多く、特にプーケット県では、数億Bahtの予算があてが
われているのだが、同様の被害を受けたクラビー県には、ほんの僅かな予算しかあて
がわれておわず、当県の観光地域の復興事業はプーケット県同様には行かないだろう
と指摘した。
 プーケット県カムラー行政区の代表者は以下のように語った。津波の被害を受けた
カムラー村周辺の被災者は、未だ政府の支援に満足していない。特に、被害総額20万
Bahtぐらいにはなろうかという家屋が全壊した被災者に対して、わずか2万Bahtしか
支給しておらず、地方行政としては、より支援を拡大するための方策を検討中であ
る。その他にも、職業における道具への支援など、やるべきことはまだ終わっていな
い。
 プーケット県ラッサダー行政区からの住民達は、未だ建設作業が行われていない7
軒の住宅建設支援を求めた。現在は、部屋を借りなければいけない状態で、月に
2000Bahtの費用がかかり、困窮していると訴えた。

「津波の影響を受けるパトン・ビーチのサービス産業」3.26

2005年03月26日 18時06分08秒 | ▽▽▽タイの津波記事▽▽▽
「津波の影響を受けるパトン・ビーチのサービス産業」
Phuucatkaan 2005/3/26

パトン・ビーチの娯楽施設は津波よる深刻な影響を受けている。観光客はほぼ100%
いなくなり、エンターテイナー達は他の地域に移動して働いている。未だ観光客は及
び腰であり、復興には2年以上必要かもしれない。政府は諸外国からの理解を受け、
一日も早く復旧活動を終わらせなければならない。
 プーケット県パトン・ビーチのサービス産業組合代表のSomphachee Muusaphoon氏
は、津波によるパトンビーチの被害について以下のように語った。津波によって、パ
トンビーチのサービス産業はそれほど直接的な影響を受けなかったが、間接的影響が
ひどかった。津波以前にサービス産業を利用していた観光客がほぼ100%いなくなって
しまったからだ。商人達は、営業が成り立たず、他の地域、例えばパッタヤー、バン
コク、サムイなどへ移動しなければならなかった。現在もほとんど観光客は戻ってき
ておらず、未だ営業は苦しいものになっている。しかし、兎に角現在の状況を悪化さ
せないために、みなで協力して店を開くようにしている。たとえ観光客が全く来ない
日があったとしても、パトン・ビーチの魅力の1つとしての娯楽施設を開かないこと
は、パトン・ビーチの観光産業の復興を遅らせることになると考え、開業している。
観光客が徐々に戻ってくることを期待しているが、新たな津波が来るなどのマスコミ
の報道によって、再度観光客が来なくなったり、商人自体が他地域に逃げてしまうこ
とが起きている。彼は、パトン・ビーチの復興にはおよそ2年弱かかるのではないか
と予測している。4月の水掛祭りなどが、観光客を刺激してくれることを期待してい
るが、パトン・ビーチの復興に欠かせない2つの要素として、ビーチ周辺での雑業層の
営業が活況となること、そして修復作業を即急に完了することであると指摘した。な
ぜならビーチ周辺の雑業層は、観光客をもう受け入れられるのだということを証明す
る事業の頭角だからである。もし政府がこの問題を速やかに解決するたけ、確実に観
光客の回復は早いものとなる。

津波被害のタイ・プーケット島、観光に復調の兆し 3.26

2005年03月26日 16時26分21秒 | ▽▽▽タイの津波記事▽▽▽
津波被害のタイ・プーケット島、観光に復調の兆し
2005年03月26日06時31分
朝日新聞

 スマトラ沖大地震の津波で被害を受けたタイ南部のリゾート地プーケットに、観光客が続々と戻りつつある。タイ政府や観光業者らの官民を挙げた宣伝活動が、ようやく実を結んできた形だ。しかし、津波は一年で最も観光客を集めるシーズンを直撃しただけに、観光従事者らの立ち直りは容易ではない。

 パトンビーチ沖に、大型のクルーズ船がゆっくりと姿を現した。約500人の乗客は、桟橋に降り立つと、さっそくバスに乗り込んで観光に向かった。津波直後からプーケットへの寄港を中止していたシンガポール、マレーシアからのクルーズ船が戻ってきたのは、3月に入ってからだ。

 復活のきっかけは、タイ政府観光庁の担当者によるねばり強い説得だった。同庁はリゾート地の復興ぶりを解説したビデオCDを2千枚つくり、1月中旬から、18の海外拠点を中心に各国政府や旅行業界に繰り返し説明を重ねてきた。

 担当者は「メディアで津波の映像が繰り返し流されることもあり、誤解を解くのは大変だった」と振り返る。クルーズ船から降り立ったシンガポールの男性(47)は、あたりを見回しながら「実際に来てみたら、想像以上に復興している。十分楽しめそうだ」。

 観光庁によると、プーケットのホテルの総部屋数のうち、今は約9割が使用可能だ。1月に10%以下だった客室稼働率は、2月は約40%、3月が約50%まで回復してきた。

 政府は5月にミスユニバース世界大会がバンコクで開かれる際に、プーケットなどの被災地にも招待し、観光への波及効果をねらう。被災地を舞台にした恋愛映画の制作も、政府の肝いりで計画されている。

 観光業に携わる人たちの現実は今なお厳しい。「1年のかせぎのほとんどが集中する」(ホテル経営者)と言われる12月から3月にかけてのハイシーズンを、津波の影響が直撃したからだ。

 観光客の中でも、特に日本人の落ち込みが大きく、その状態は今も続いているという。日本人相手のダイビングショップ経営者は「例年の1割程度。このまま日本人観光客が増えなければ、経営がもたない」と話す。

被災地における土地問題について

2005年03月26日 12時14分09秒 | タイ国津波被災地の土地問題
 インド洋大津波の被災国タイでは、津波以前に居住していた土地に住まいを再建することが不可能な怖れがある被災者達がいる。それは単に、将来的な津波再来を考慮した措置ではない。住居を再建するにあたり、その土地が誰の土地なのかという問題が発生しているのである。<表1>は、タイの政府組織の1つであるコミュニティー組織開発機構(CODI)が調査・要約したタイ南部6県の被災村落の概況である。南部6県の海岸沿い、つまりアンダマン海に面し津波来襲の危険性があった418村落の中で、合計161村落が被災し、その中でも47村落が深刻な被害を受けた。被災者達は、倒壊・半壊した住居が再建されるまでの期間、避難キャンプなどで日々を過ごしている。海軍や政府機関、援助団体、時には住民が協力して元の土地に住居を建設しており、生活再建の第一歩を踏み出そうとしている。しかし一方で、土地の権利に関して問題を抱える32のコミュニティーにとっての第一歩とは、元の土地に居住する権利を獲得することから始めなければならない。

<表1>タイ南部6県の被災村落概況(2月2日HP掲載のCODI資料より)
http://www.codi.or.th/tsunami/summary_020248_01.htm
*)1月13日作成(HP掲載日;1月18日)CODI資料より。

 2月27日から2日間、政府組織、NGO、被災住民ら総計1123人が参加した津波復興セミナーでは、今後の生計手段や地域社会再建といった問題以上に、住居再建と土地の問題が議論された。住民側から政府への提言として、①コミュニティーの生活に即して恒久的居住地をあてがう。特に海外沿いの漁民コミュニティー、法律に即して居住するコミュニティーなどは、元の場所で生活できるよう取り組むこと、②長期間暮らしている土地の権利をコミュニティーに保障する、または長期間の土地の貸付を行い、将来への不安をなくすこと、③長期間暮らすコミュニティーの土地に対して、土地の権利書発行のための調査を実施すること、④様々な機関で編成された、土地問題解決委員会を設置することなどが出されたことからも、土地の問題が復興の1つの障害となっていることが伺いしれる。
 現在生じている、具体的な土地の権利に関する争点は以下の5点である。以下に例として記した村落は、問題を抱える32のコミュニティーの一部である。

①借用契約をしておらず、津波後に正しい居住権・借用権に関して調整しているコミュニティー。
・プーケット県ターチャットチャイ(ท่าฉัตรไชย)村

②長期間住み続けている土地ではあるが、公有地もしくは個人に奪われた土地のコミュニティー。コミュニティーの居住地に関して、行政と住民の間で合意と協力を形成できるが、土地の権利に関しては未だ不明確なコミュニティー。
・パンガー県パークトリアム(ปากเตรียม)村
・クラビー県ホワレーム(หัวแหลม)村1,2、
・サンカーフー(ลังกาฮู้)村。
・ラノーン県ハートプラパーン(หาดประพาส)
・ハートサーイカーオ2(หาดทรายขาว หมู่ 2)
・サーイダム島(เกาะทรายดำ)
・プーケット県パークパーン;パトン・ビーチ(ปากบาง ;หาดป่าตอง)

③公有地に長く居住し、津波後に、行政側がもとの土地での家屋建設許可を出したくない、他の目的で活用したいと考えられている土地に住むコミュニティー。
・パンガー県トゥングワー(ทุ่งหว้า)

④公有地もしくは私有地で、重複した土地権利書を持ち、元の場所での恒久的居住を阻止されているコミュニティー(前田註;おそらく彼らも何らかの土地権利書を持っているのだが、土地の権利に関する複雑な規定、改定などの結果、実は公有地もしくは私有地でもある土地)。
・パンガー県タップタワン(ชุมชนทับตะวัน)
・ナイライ(ในไร่)村
・ナムケム(บ้านน้ำเค็ม)村

⑤そのほかの問題を抱えているコミュニティー。例えば、ナムケム村のコミュニティーは幾重もの複雑な問題を抱えており、ムック島のコミュニティーは、保護林での居住を希望していることなど。
・パンガー県ナムケム(บ้านน้ำเค็ม)村
・トラン県ムック島(เกาะมุกด์)
・パンガー県コーカオ島(เกาะคอเขา)
 土地の権利を持たない被災民の問題を、更に深刻化させている主要因の1つが観光産業である。年間1000万人以上(2002年以降)の外国人観光客が訪れるタイにおける、主要観光アトラクションの1つが「Sea Sand Sun」と形容される南部ビーチ・リゾート、つまり「南国の楽園」という一面である。アンダマン海側においては、「東洋の真珠」と形容される古株プーケット島を筆頭とし、その周辺各県で急速且つ継続的にリゾート開発が進められてきた。「南国の楽園」を創出するために、地元住民の立ち退きと、立ち入りを禁止し、プライベート・ビーチと豪華なホテルでもって外国人観光客を出迎えるような外国資本のリゾート経営者やタイ系観光関連事業主達は、津波という不幸を1つの好機にしようと願っている。津波という機会を利用し、まだ未開発の海岸沿いの土地を掌握して今後の観光開発に利用しようという狙いである。そこで、1つの突破口として有力なのが、海外沿いの被災民達を「余所」の土地に移転させ、その土地を掌握することである。その援護射撃となるのが、多少強行な土地投機家や、観光産業こそが繁栄の手段と信じている政治家や役人
の存在である。天然資源・環境省事務次官のPlodprasop Suraswadi氏は、津波発生後、ハリウッド映画の撮影現場となり、飛躍的に観光産業が成長したクラビー県ピーピー島の復興計画に携わり、海岸沿いに暮らしていた住民5000人を、高地の国立公園内に移住させ、観光産業の「復興」に着手すべきという再建案を実施させようと目論んでいる。前述した、土地に関して問題を抱えるコミュニティーの1つであるパンガー県タップタワン村では、長年住んでいた居住地が、地元有力者であるKulavanit氏が購入していた土地であり、その土地でのコミュニティーの再建に待ったが掛かっている。また、パンガー県のナイライ村も同様に、住民が土地の権利を持っていないという理由で、元の土地での再建ができないでいる。もとは錫鉱山の労働者として移住し、数百年以上もその土地に暮らしているにも関わらず、津波後になってみれば、土地権利書が誰かの手の中に渡っていた。
 観光産業と被災民の土地問題がなぜ繋がるのか。津波後の土地問題に関して現地視察を行ったChirmsak Pinthong議員の以下の指摘が端的に説明している。

「観光客を誘致しようと役人が考えると、彼らは地元住民を追い出さなければいけないと思ってしまう。観光客は小さな家屋やボートではなく、砂浜と海と太陽を欲していると思っているのです。」

 観光産業に関して盛んに交わされる議論は、観光産業による雇用の創出と経済波及効果である。今回のケースで言えば、大した金にもならない漁業などは辞め、リゾート地として発展したほうが、地元住民の安定的雇用という面でも、外国人観光客が落とすドルマネーの波及効果という面でも得策ではないかという意見である。現に既存のリゾート地などでホテル従業員、清掃員や土産品店、レストランなどに従事する人々が多くいるではないかとう指摘が必ずされる。「平和産業」と形容される観光産業が、テロや伝染病、天災などの要因によって必ずしも安定的な「金のなる木」でないことが証明され、逆に自然環境と共生した観光産業のあり方、観光産業の雇用創出と経済効果の実相などについて、未だ解答を模索中である現状において、観光産業の発展が被災民の為になると、高邁に説き伏せる資格を持つ人は果たしているのだろうか。答えは否である。だからこそ、津波というハプニングに乗じて、被災民たちから土地を掌握しようという動きが発生しているのである。
観光産業に参入するもしないも、被災者自身が各人の考えのもと決めればよい話で、それは津波の復興とは関係のない事柄である。
マスコミやNGO団体などは、前述のような土地問題を「第2の津波」などと形容して警鐘を鳴らしている。キャッチフレーズとしては良いが、人間は天災を起こさない。