Dr.mimaが医原病を斬る!

C型肝炎の解決を目指し、国の責任を追及するため闘っています。

6.肝炎患者会

2014年11月20日 19時58分08秒 | 回顧
私は肝臓病に取り組んだ時から、肝炎という同じ悩みを持つ患者をどう結びつけたらいいのかばかりを考え続けていました。これには歌志内の体験が活かされました。北海道には、道単独の事業とし、「難治性肝炎」という肝炎に対する公費負担制度が、1974(昭和49)年4から、始まっていました。これは当時の北海道知事堂垣内尚弘(北大、1939年卒)によって導入されたものであり、この制度を守るためにも患者会を作る急務でしました。
1975(昭和50)年10月18日、10人部屋にいた患者たちを中心に、「ウイルス性肝炎友の会」が20人で船出することになったのです。翌年には北海道難病連に加盟しました。
この年の4月、私たちの仲間に安井重裕(北大薬学部、1976年卒)が加わったことは大きな力となりました。
話をするのが苦手な私にとって、彼は話上手で、語学力にも優れていましたので肝炎患者会運動の発展に大いに貢献しました。
患者会結成1周年を記念して、当時旭川医大の内科講師であった関谷千尋を招き、医療講演を行い、予想をはるかに超える100人以上の参加があり、患者会も40人となりました。 
このときは患者会の会員を増やす手段として、考えられるのは講演会しかありませんでした。
1978(昭和53)年11月18日には、日大医学部病理学教授、志方俊夫(しかた としお)(東大、1952年卒)の講演会を開きましたが、450人の会場はあふれかえりました。 
この日の札幌は凍りつくほどの寒い日でした。
彼は前年の6月にチンバンジーの実験を行いB型肝炎ウイルスキャリアで、e抗原陽性の場合には、血清1㎖を1億倍希釈静注しても感染を起こすこと、さらにe抗体陽性の場合は未希釈液血清、1㎖を静注して、ようやく感染を引き起こしたことを証明した学者です。 
1980(昭和55)年に5周年を迎えた患者会は、北海道の非A非B型肝炎(C型)を幅広く結集すべく、名称を「北海道ウイルス肝炎友の会」とかえました。
同年五周年記念として、10月5日当時東大医学部長の織田敏次(東大、1944年卆)が講演に駆けつけてくれ、彼はインターフェロンを担いでこられなかったのが、残念だと話していました。まだその当時インターフェロンは出来上がっていなかったのです。
インターフェロンでき保険適用になったのは、1986(昭和61)年9月のことである。
インターフェロンも保険適応になってから沢山のB型肝炎患者に使用されましたが、B型肝炎の特効薬ではありませんでした。
特効薬である抗ウイルス剤(核酸アナログ製剤、ゼフィックス)が使用できるようになったのは、2000(平成12)年11月からです。私が肝臓病に取り組んでから、20年後のことでした。
これで高血圧を薬でコントロールできるのと同じような時代になったのです。
このときの後援会には1000人の会場に、1100人の人々が集まりました。
このように医療講演会の成功に全エネルギーを費やし5年目を迎えたが、会員数は200人足らずで、札幌周辺の人ばかりでした。
全道に点在する患者をどう結びつけていくのかという壁にぶつかってしまいました。
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