台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

ブログ19 1番身近な人間を幸せできなくて・・・・。

2012-09-22 20:08:55 | 台湾
 なぜ、治郎ちゃんは、大切な奥さんを幸せにできなかったのですか?。
ブログには、奥さんのことは、書くな!と言われているが・・・・。
私が子供のまま大人になってしまったから・・・。
今更、何を言っても言い訳・・・。
過去は、大切だが・・・。私にとって、現在と未来、・・・・。
 そう、一言で言えば『因果応報』そうとしか言えない。
 今、日本は、お盆ですね。私の1番1番の悔いは、・・・・。
『息子のこと。』もうすでに、この言葉を入れただけで私の目から、涙が出ています。
もう、私を充分に知っている人は、もう知っている・・・・。
 私には、二人の子供がいました。一人は、現在東京に生活し、年中スポーツと称して、フットサル、マラソンなどして、元気に生活しています。もう一人の息子は、6歳で・・・。
今、生きていれば35歳。29年かまもなく30年経ちます。
 人間とは、とにかく『因果応報』。自分がいい加減な生活していると・・・。どこかで
罰が当たります。私は、神様も、仏様も、キリストも信じませんが・・・。
 人間を突きつめると『因果応報』この言葉は、仏教から出た言葉です・・・・。
 (宗教の話は、置いておいて・・・。)
私は、一生このことは、忘れません。そう、息子、子供のことを心配しない親は、一人もいない。だから、子供が健全に育つ。ところが、稀に・・・。
 ある日、車に乗っている時、急に自分の子供が『お父さん、なんか、片足が、
片手が半分・・・上がらないだけど・・・』「えーー。何それーー?????」
慌てました。妻も私も・・・どうしたらよいのか??。
今日は、土曜日だし・・・。妻は一生懸命医学事典を調べまくりました。彼女なりの
推論をいくつか言いました。私は、重大なことであることは、わかっていましたが・・・
。素人判断しても・・・。翌日、日曜日やっている1番大きい病院へ。車で連れて行きました。『草加の市立病院』へ。そこで、一人の医師がすぐに息子の病気を推測しました。
とにかく、「何らかの頭の病気です。東京医科歯科へすぐに入院させてください。」
それが起こったのは、8月20日前後。だと記憶していますが・・・。やく29年前の記憶。自信ありません。
それから、我が家族の闘病生活が始まりました。検査・検査・検査。とにかく大学病院は、
正確の診断するため・・・。・・・・・。・・・・。
 途中彼は、かなり回復し、もう、半身の麻痺もなくなり、病院中を走り回っていました。ところが、運命・宿命何と言っていいか。
 昭和58年11月7日永眠しました。
発病から3か月の生命。6歳で生涯を閉じました。誕生日を病院で迎えました。
 『いのち』ほど大切なのは、ありません。
私は、『いのち』を重さを充分知りながら、元妻の「いのち」を縮めるようなことばかり
していました。自分の煩悩・快楽・欲求に負けてしまう凡夫。
だから、台湾で少しでも、煩悩に負けない人間を目指して、今、師範大学で『修行僧』
(これは、私なりの表現。中国語を勉強している学生を見ていると、まるでお経を唱えている坊主に見える。)では、再見。 私も、修行に入ります。  

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