台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

66 ブログ  「招かざる客」

2012-11-12 17:42:07 | 台湾

 昔、映画でシドニーポァチエの主演した映画の題名。この映画は、黒人と白人が愛し合い、互いの両親が少しずつ歩み寄り、互いの結婚を許しあうという感動的な物語。
今も差別は、残念ながら、ある。
 男.女 黒人、白人。それぞれの歴史があるが、まだまだ、、、。
俺は、差別は、好きでない。自分は、差別する側には立たないようにしてきたが・・
日本の本音と建前の社会のように、立場で変わる人もいる。
 俺の小学校でSという女の子がいた。彼女は、みんなから嫌われていた。特にいたずらなグールプのAやK・・・とって格好の餌食。彼らは、Sを「雑草」と呼んでいた。
 ある時、彼女が休んで、机が誰も運ばない。仕方にので、俺が運んだ。そうしたら、
彼女の机から、一通の手紙が出てきた。
 俺は、その手紙を広げ、みんなの前で読んだ。
「私をザッソウと呼ばないで・・・」そういえば、彼女Aの連中に言われるたび泣いていた。いつもいつも彼女をAらは、からかう・・・。まさに、ゲーム。
 クラスの連中も、知っているが・・・。
 そして、Sが登校。休み時間、Aらは、またからかう。
わたしは、初めて「勇気」を出して、「止めろよ」と言えた。
 「治郎、お前Sが好きなんだろう!」
「嫌がっているだろー。」
「ほれてる、治郎は、Sが好き・・・。」大合唱。
 彼女は、勉強できない。汚い。家が貧乏。いじめられる要素たくさんあった。
けど、彼女自身のせいではない。
 俺は、相手しなかった。しても勝てないだろう。
そう感じていたが、Aが俺の胸倉をつかんできた。
こうなると、おれも、やらざるを得ない。殴り合いが始まった。
 普段兄貴たちから殴られているから、結構打たれずと良かった。 
Aのパンチを何発も受けたが・・・。ひるまなかった。
何発かは、俺も反撃していた。学校で喧嘩すること自体初めて。
 それから、少しの間、いじめの対象は、私に向いてきた。
時として、殴り合い、時として、けり合った。
とにかく、逃げることだけは、したくなかった。
 俺の本質。困ったら、人に相談、
 そこで、Aのグループも一目置くOに相談した。
Oは、気軽に「いいよ。今度あったら、俺に言え。」
 子供の世界もやくざと一緒、力関係で動いている。
Oの力もあり、私のいじめはなくなってきた。
その後も、Sに対して、いじめは、完全にはなくならなかった、
彼女は、他の学校へ転校して行った。
 俺の小さないじめへの抵抗の思い出。
                               再見