アディクション業界一般で言われている事に「他者は変えられない、変えられるのは自分だけ」という言葉があります。実は自分を変えるのも極めて難しいのですが、他人を変えるのは不可能だと言われています。これは基本的には正しいので、共依存だろうが何だろうが、誰かのアディクションを指導により治すという事は最初から不可能なのです。
そのため普通は日本であれ海外であれ、共依存関係では依存症者のアディクションは進行し、非常に苦しい共依存関係は夫か妻かが肉体的又は精神的な限界に達するまで続きます(もちろん中にはもっと早い段階から問題を認知する人もいますが)。
ただ、ここで一つ疑問があります。アル症夫と共依存妻を例に挙げるのなら、一般的に共依存妻に対しては大雑把に言うと「旦那の世話を止めてアラノンに通いなさい」という教育が行われます。そして実際に妻がアラノンに通い始めて妻の生き方が変化すると、何故か夫がAAに通いだすという現象が普通に見られます。ここでは妻は自分自身のことしか変えていないわけですが、夫にも変化がおこります。これはどうしてでしょう。
この現象は次のような原理で起こっていると考えられます。
1:他者は変えられない
2:自分は変えられる
3:自己と心理的に一体化している他者は変えられる
という事です。
又吉氏の手法は上記の原理を利用して、アディクション本人の治療を行います。まだ完結してませんが、このブログのアル症の治療の原理もこの方法になります。ある意味では共依存状態を治療に利用しているわけです。
しかし普通は共依存状態をいくら続けても、問題の解決には至りません。どうして普通の共依存状態ではうまく行かず、又吉先生の方法論はうまくいくのか、次回はその違いについて書きたいと思います。
そのため普通は日本であれ海外であれ、共依存関係では依存症者のアディクションは進行し、非常に苦しい共依存関係は夫か妻かが肉体的又は精神的な限界に達するまで続きます(もちろん中にはもっと早い段階から問題を認知する人もいますが)。
ただ、ここで一つ疑問があります。アル症夫と共依存妻を例に挙げるのなら、一般的に共依存妻に対しては大雑把に言うと「旦那の世話を止めてアラノンに通いなさい」という教育が行われます。そして実際に妻がアラノンに通い始めて妻の生き方が変化すると、何故か夫がAAに通いだすという現象が普通に見られます。ここでは妻は自分自身のことしか変えていないわけですが、夫にも変化がおこります。これはどうしてでしょう。
この現象は次のような原理で起こっていると考えられます。
1:他者は変えられない
2:自分は変えられる
3:自己と心理的に一体化している他者は変えられる
という事です。
又吉氏の手法は上記の原理を利用して、アディクション本人の治療を行います。まだ完結してませんが、このブログのアル症の治療の原理もこの方法になります。ある意味では共依存状態を治療に利用しているわけです。
しかし普通は共依存状態をいくら続けても、問題の解決には至りません。どうして普通の共依存状態ではうまく行かず、又吉先生の方法論はうまくいくのか、次回はその違いについて書きたいと思います。