善光寺の境内は、江戸後期から大正期にかけて大きく変わってきました。元禄期の火災で善光寺は焼失し、本堂は現在の元善町(元の善光寺の意味)から300m北方の現在の場所に移動し、宝永4年に再建されました。本坊の一つである大本願は、元禄期までは(前の)善光寺本堂のすぐ前にあったのですが、宝永期の再建で大本願はそのままの位置に再建され、結果的に大勧進が本堂の近くに位置する様になりました。2つの本坊と善光寺 . . . 本文を読む
知人の矢島忠亨(ただゆき)氏が、謎の多い善光寺の創建について調査し、大胆な仮説を立てて著述し、2018年10月に自費出版で発刊されました。
私と矢島氏ですが、私の寺社彫刻の調査の延長で善光寺を調べていた縁で、交誼を結んできました。
善光寺大本願の初代上人が、聖徳太子の妻の刀自古郎女(とじこのいらつめ)であり(大本願HP「現お上人様の紹介」の頁 参照)、善光寺の創建、本尊の絶 . . . 本文を読む
2018年5月18日に紹介した【ちりめん本『Japanese pictures of Japanese life』(第2版)(長谷川武次郎)】ですが、明治28年に発行された初版本とは全く異なるものです。今回は、その初版(第1版)をご紹介します。長谷川武次郎は、「明治の蔦屋重三郎」と呼んでもいいかもしれません。
また、海外で高評価の、絵師 小原古邨(おはらこそん:1877-1945)の木版画も、長 . . . 本文を読む
―大日方悦夫氏の本『満州分村移民を拒否した村長』の刊行に寄せて
8月23日の信濃毎日新聞21面の記事で、佐々木忠綱村長をテーマにした本が刊行された。以前から興味を持っていた人物で、昨年夏に佐々木村長の家(阿南町役場の近く)もみてきた。
南信の阿智村には、昭和初期に満州に渡った人々の記録が満蒙開拓平和祈念館で公開されている。3年前に見学させていただき、最初の満蒙開拓に至った経緯、その後の . . . 本文を読む
群馬県の銅(あかがね)街道の花輪宿周辺には、日光東照宮をはじめ北関東の寺社の装飾彫刻を手がけた彫工の集団がいました。(上州彫工集団と呼んでいます)この花輪のすぐ近くの小夜戸(さやど)地区に小夜戸稲荷神社があり、素晴らしい彫物があります。さらには地紋彫という柱や梁の木面に彫る幾何学的紋様が沢山彫られています。今回そちらを紹介させて頂きます。地紋彫りの名称はここでは省略させていただきま . . . 本文を読む
明治6年に山嵜儀作(長野市妻科)によって作られた、問御所町の屋台です。2018年(平成30)のながの祇園祭では置き屋台として披露されます。儀作の作った彫物を中心に紹介します。
後方破風入の鬼女の拡大 顔の表情、指も繊細に表現されています。
屋台全体像
1.腰巻部分 (赤い部分) 題材「近江八景」。前後に2枚、左右側面に6枚、計8枚。左右表記は進行方向に対して。
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明治期から刊行された「ちりめん本」ですが、因幡の白ウサギ、浦島太郎などの「おとぎ話シリーズ」が有名です。個人的には、長谷川武次郎が日本の風俗を、海外へ積極的に紹介しようと作った本に興味があります。今回は、その一つであります『日本人の生活風景』(勝手に訳)を紹介させて頂きます。
・表紙 和本などの刊行物を摺る職人
・目次 発行者の長谷川武次郎の名前があります
・火消の出初式
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毎年5月5日(注意! 御柱祭の時には前日の4日)に、豊作祈願のため里山辺の9つの地区から9艘のお船が須々岐水神社へ曳き回されます。
それぞれのお船には、諏訪立川流系統の素晴らしい彫刻が付いています。お船の彫刻を中心に、初めての方がお船の概要を把握できるようにと思い紹介します(各船の彫刻の詳細は別の機会に)。祭りの流れ、詳細な曳行の順路は、後半に載せます。彫刻の内容から勝手に命名(『 』丸)し . . . 本文を読む