ごじゃっぺ日記(旧、看悶日記)

京都生まれのにわか茨城県民による雑多な日記です。内容に一貫性はありませんが、どうかひとつ長~い目で見てください。

80系湘南電車の終焉(昭和58年飯田線)その1

2011-01-06 07:08:36 | 鉄道
小学校3年ころから近場を中心に路線をまわり出しましたが、より本格的な乗り鉄を始めたのは私が中学1年だったころから。
それまでの日帰り中心から、土曜日の夜行で京都を発ち各地の路線を使って日曜日に帰って来るというパターンに。
行動範囲がそれまでの関西圏から、中国~中部地方に広がりました。

時は昭和58年2月、飯田線では旧型国電が終焉を迎えてました。
土曜夜、長野行き急行ちくまの12系座席車に乗り込み、翌早朝4時半ごろ塩尻駅に降り立ったのでした。
当時は塩嶺トンネルルートが未完成で、まだ辰野経由の大八廻りがメインルート。
朝一番?6時前の飯田線に乗り込みました。何便か段落とししながら午後3時ごろまでに豊橋に南下する予定でした。
朝一の電車はクモハ54始め51系主体の編成だったと思います。というのもこの部分のネガが出てこない…

同好の氏が大勢いたので…と言っても今のようなブームではないので5名ほど…伊那松島で降りて、
伊那松島機関区(現JR東海伊那松島運転区)の見学を申し込んだのです。
まだおおらかな時代で、突然の訪問でも特に案内のないまま工場内に入らなければ好きに撮っていていいということになりました。
実際には、朝の通学輸送用の車両群の出区が終わった後で、車両の動きがない時間だったからかもしれません。
だから機関区内はがらんとした印象でした。しかし、クモハユニ64000等の珍車を撮影したりしながら時間を過ごしたのです。

この写真から新しいフィルムに交換したようで、写真が残ってます。
ED62型電気機関車が目立ちます。検車場の建物に微かに見えるのがクモハユニ64。

伊那松島で時間を使ったので、中部天竜乗り換えで豊橋に向かうのですが、80系電車の通し運用でした。
結局スカ色の旧型国電に乗れたのは、辰野~伊那松島のわずかな区間のみで、
後は7時間あまり、翌週には運用を離脱、釣り掛けモーターを唸らせ最後の力走をする80系のお世話になります。

豊橋側の制御車は2枚ガラスのクハ86。言わずもがなオリジナルの制御車です。

辰野側の制御車は103系タイプの運転台が取り付けられた、いかにも改造車といった顔のクハ85。
湘南電車は元々東海道線で10~15両編成で運転するために設計された電車。
短編成化に対応するため、中間付随車のサハ85やサロ85に運転台を取り付けクハ85に改造されています
上記の写真は、駅前に饅頭屋があるので元善光寺駅での交換待ち中に撮ったものでしょう。

運転席も覗いてみます。多分交換待ち中に、乗務員ドアから覗き込んでいます…


CTC化はされてませんでした。2枚窓の間の柱に、タブレットのキャリアが掛けられています。

これは、どの駅で撮ったかは不明。

この角度で見ると、80系300番代全金車の滑らかな曲線形状がはっきりとわかりますね。

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