ごじゃっぺ日記(旧、看悶日記)

京都生まれのにわか茨城県民による雑多な日記です。内容に一貫性はありませんが、どうかひとつ長~い目で見てください。

80系湘南電車の終焉(昭和58年飯田線)その2

2011-01-07 07:42:39 | 鉄道
昭和58年の飯田線探訪、後半です。

元善光寺駅にて。飯田線は私鉄の買収路線なので構内踏切が多いですね。

ED62が配置されていることからわかる様に、当時はこんなローカル線でも貨物列車がみられました。
待避線には、タンク車が見えます。

天竜川に沿って走る三信区間に入り、平岡で交換した普通は165系。急行の末端部の普通運転か、間合い運用でしょう。

こんな山奥でも多数の乗降がある。今では考えられない光景です。

電車は天竜川の谷底を走り、大嵐から先は佐久間ダム建設時に付け替えられた区間。
長大トンネルで尾根を一つくぐり、水窪川の渓谷に移ります。
ここでの見せ場は、「渡らずの鉄橋」として知られた第六水窪川橋梁。

なんでこんな鉄橋ができたか?

地理や地学の勉強を思い出して…。ここ水窪川の渓谷は、日本の中央構造線上に位置します。
ざっくりいえばこの場所で、日本列島を構成する大きな2つの地盤が南北からぶつかり合っていると思えばわかりやすいですね。
地質的には非常に不安定な場所といえます。
写真を見れば、川に向かって右から斜面がせり出しています。普通はここにトンネルを掘って真っすぐ線路を引くのですが、
地質が悪い場所にトンネルを掘るのは難工事が予想されるため、トンネル建設を避けて、水窪川上に迂回する鉄橋を掛けた。
ということらしいです。

さて電車は飯田線南部の運転上の要衝、中部天竜に到着。すれ違いの辰野行きは新型の119系電車でした。

既に運用によっては先行して、新型車への置き換えが始まっているようです。
このような通し運転の長距離電車には、旧型国電目当ての「鉄ちゃん」が多数集まってくるはずなので、
既に新しくなった電車を見て愕然とする光景も見られたのではないでしょうか。
ネットで情報があふれている現在と異なり、当時は直接電車区に電話で運用を確認でもしない限り、どんな車両が来るかは知ることができない時代です。

飯田線はローカル線とはいえ200kmを約7時間かけて走る長大路線。やっと着いた豊橋では折返し準備中に、

鉄道友の会が「さよなら80系」のプレートを付けていました。
翌週で最後に残った飯田線の80系は全廃になり、新型の119系に置き換え。6月にはスカ色の51系他の旧型国電の全廃になりました。

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