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地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

相鉄かしわ台夢の宴 (3) 6001

2017-01-12 00:00:00 | 大手民鉄 (相鉄)


 去る師走の鉄コレ相鉄9000系YNB発売記念・かしわ台プチ撮影会は余りにも素晴らしかったのですが、それを一刻も早くアップしたいという願望を、年末年始の猛烈な仕事の波が押し流してしまい、YNB9000系もまだN化していないという惨状であります (滝汗)。とはいえ、記事化にしても鉄コレのN化にしてもとにかく手がけなければ、既に蓄えたネタの山から勿体ないお化けが発生しそうですので何とかします……。
 というわけで、相鉄が誇る究極の珍車・モハ6021と並んで、「よくぞオンレール保存してくれました!」と拍手を送りたい逸品がこちら、モハ6001!



 詳論するまでもなく、鉄道省ロクサン→3000系の導入で大型車に適応した相鉄が、5000系の全電動車編成よりもさらなる経済効率と輸送力のアップを目指して導入したのが、昭和後半の相鉄を象徴する6000系。猛烈に客が増え続けた高度成長期にあって、大した観光地を沿線に持つわけではない相鉄としては、ただ効率良く安定的に大量輸送できるスペックであれば良いという発想の下、外観も内装も実にシンプルで全く虚飾も何もない電車を作ったわけで、カエル顔に床下カバーつきボディマウント構造の5000系と比べると、その設計思想の違いは一目瞭然でありますが、とにかく質素そのもの・地味そのものな電車の割には直角カルダン駆動という強烈な独自性に走っているあたり、激しく相鉄スピリットを感じるのは私だけでしょうか?
 そんな6000系のうち、新6000系は2003年秋のさよなら運転、そして引き取り手探しの不調を経て2004年に消えてしまったものですが、旧6000系の保存車となって久しかった6001と6021については、2007年の秋に相鉄創立90周年を控えて化粧直しされ、とりわけ6001が旧塗装になったのは喜ばしいことでした。ただ残念ながら、なかなか撮影の機会は訪れず、常にかしわ台を通過する際に指をくわえて眺めるのみ……。それだけに、9年以上を経てようやくこうして激写出来たとことは、ただただ感動、感激、感無量に尽きます♪
 とはいえ、旧塗装を塗ってから既に長い年月が経った結果、屋根から垂れた汚れも目立つわけで……。相鉄100周年を迎える今年、改めての化粧直しに期待せずにはいられません。
 そして個人的妄想ですが、新7000系あたりを使って、是非この旧塗装と黄緑塗装を営業車両として復活させ (あと出来れば、2000・3000系が纏った緑クリームツートンも ^^;)、相鉄100周年の超お祭りモードが実現すればなぁ~~と思います。そうすれば鉄コレの格好のネタにもなりますし (^_^;;;)。

第八ジャカルタ炎鉄録 (17) 東急新8007F

2017-01-10 12:10:00 | インドネシアの鉄道


 昨年末にはジャカルタの日本製中古冷房車草創期~躍進期を支えたKAI所属の車両が次々に廃車回送されましたが、その中には東急新8039Fも含まれ、東急車では8613Fに次ぐチカウムの塚になってしまったという悲しい出来事がありました。東横線での末期、廃車第一候補から奇跡的な復活を遂げて以来、銀一色の神秘的な活躍をしたことに加え、インドネシアに移ってからも当初の青+水色帯が余りにも美しく、ジャカルタを訪れる東急ヲタにとってかけがえのない編成でしたので、なおさら悲しみは深い……。とはいえ、考えてもみれば新造から40年を遥かに過ぎ、とうの昔にスクラップとなっていたはずの車両が、その後10数年生きながらえてジャボデタベック事業部時代の輸送大戦争時代を支え、しかも未だに車両のかたちそのものは残っているのですから、その経歴はまさに奇跡と言うべきで、大往生と呼ぶに相応しいものでしょう……。
 そして8039Fのうち、クハ8039は忘れ形見のように新クハ8007となり、「伊豆のなつ」8007Fと8039Fを組み合わせた最強の伝説的編成として、新8007Fは今日もジャカルタを快走しています♪



 そんな新8007Fは、ご多分に漏れずKAI青黄帯から赤黄のKCJ色に変わり、昨年8月の訪問時点ではブカシ線の運用に入っていました (東急8連はスルポン線とタンジュンプリオク線を除く全線で運用されています)。既にブカシ線は12連が運用されており (これまで3~4両程度にしか対応していなかった小駅のホームが12連対応になっておりビックリ!)、次々に205系の長大編成が現れる中、これまで慣れきっていたはずの東急8連が恐ろしく短く見え、「まるで10連の東海道線みたいだ……」と思ったものですが (汗)、何はともあれ205系や長距離客レに伍して堂々と飛ばして来る新8007Fの走りに「何時まで持つか分からないけれど、一日でも永く頑張れよ……」という声援を送らずにはいられないのでした。
 さて、この年末年始には、いつもお世話になっておりますKucing様がジャカルタを訪問され、その際に激写された8607F・サハ8924の真夜中の方向転換シーンがパクアン急行様のブログに掲載されています。これは恐らく東急車の編成替え、すなわち10連または12連化の予兆であるとしか思えないわけで、その結果8000系の残り2編成については、一部を廃車にして12連1本を作るのか、それとも付属4連をつくってタンジュンプリオク線の増発に回すのか、いろいろと妄想するのが面白くなって参りました……。

中国むかしは良かった (1) 撫順の上游

2017-01-07 12:00:00 | 中国の鉄道


 新年がいよいよ本格化していろいろなニュースが入って来る昨今ですが、まぁいろいろな面で相変わらずお騒がせな国のNo.1は中国ということになるのでしょうか。既に相当経済の屋台骨が揺らぎ、そこらへんを高速鉄道や地下鉄などの公共投資で何とか自転車操業しているわけですが、例えば人民元の価値を何とか維持するために猛烈な勢いで外貨を溶かしてしまったため、外資の資本持ち出しに制限をかけている云々という話はしばしば側聞するところです。そしてここに来て、個人の零細な銀行口座から海外への送金についても著しい制限をかけ始めたとか何とか……。
 要するにこれは、改革開放が終わるということであり、そのうち外貨管理をいっそう厳しくするため、1993年に廃止の方向性が決まった外貨兌換券 (※) が復活することもあり得るのではないかという想像がフッと脳裏をよぎりました (これはさすがにないか ^^;)。怪社で中国人若手社員に外貨兌換券の実物を見せてやると、初めて見る珍奇な紙幣に喫驚するものですが (笑)、キミたちが生まれた頃の中国はとても貧しかったのだよ……ということで。また、外貨流出を厳しく警戒するということは、海外旅行客の爆買いどころか爆旅行にも制限をかけて、訪日ブームそのものも陰って行くのかも知れません。
 ※……外貨兌換券は95年廃止とのことですが、その前の94年の段階で既にほとんど流通していなかったはず。



 まぁ何はともあれ、昔の中国は確かに今と比べると何事もボロくて貧しく、何をするにも「没有」地獄、列車に乗るにも切符を買うときから下車するときまで全てが「万人の万人に対する闘争」でしたが、逆に身内や少しでもお近づきになった者どうしで助け合うという中国本来の美風は今よりも強く、しかも中共も今と比べて全然カネを持っていないので言論弾圧も程度が知れており、いわゆる愛国主義教育も1995年に始まったばかりで、何処へ行っても日本人は純粋に大歓迎された……ということで、本当に良い時代だったと思います。昨年末、既にオッサンになっている中国人とお会いしたところ、今の中国では「貧しくとも共産党が今ほどウザくなく、改革開放の今後に対する夢があり、それなりに言論も開けていたという点で、80年代が中国の黄金時代だった」という評価が水面下で広まっているとのことで、さもありなんという感じです。

 というわけで、そんなことがつらつらと脳裏をよぎる中、むかし撮影したきりアップせずお蔵入りになっていたカットを追加レタッチしてみたい気分になりました。とりわけ、早いもので10年前になってしまった瀋陽・撫順・北京訪問は良かったなぁ……ということで、撫順の製鉄所で活躍していた上游を貼っておきます。
 ネット上で側聞するところによると、中国の現役SLも間もなく終焉ということで……。一方、中国型HOの珠玉の逸品として、バックマンから人民型1043号機「青年号」が出るようで……。かつて『中国鉄道の旅』(美乃美)『エアリアガイド・中国鉄道の旅』(昭文社)を舐めるように読み返す中で、中国の数ある装飾罐の革命的な美しさに卒倒し、「そのナゾなスローガンの意味を知りたい」という浅はかな理由 (←ウソ) で大学の第二外国語として中国語を選択した私としても、一瞬「欲しい……」と思ったのですが、2,600元超えか……。飾り物として安いとみるべきか、高いとみるべきか……。最近ネタとしてちょっとそそられている、キヤノンEFマウント用の中国・中一光学製レンズを2本買うのと似たようなもんか (←そう考えるとヤバい誘惑 ^^;)。

大阪圏103系の落日 (3) 日根野ブルー

2017-01-06 00:00:00 | 国鉄型車両


 昨年末に運行を開始した大阪環状線の323系は、当初は2~3編成という陣容で順調に営業運転を始めているようで、次第に安定してきたと判断され次第、残りの編成も運行を始めて103系を追いやるのでしょう。しかし一方、阪和線で103系を追いやる225系は、既に分厚い実績を築いてきた車両であるだけに、徳庵で造り次第どんどん投入されている感があり、去る9月に撮影した際と12月に甥っ子を連れて訪れた際とを比較しますと、俄然225系の普通運用が増えたという印象です……。朝のラッシュ時であっても天王寺駅の頭端式ホームに103系が全くおらず、並んでいるのは223・225系ばかり、という状況が既に現れているのです。そして、103系が入線すると……先頭部を目がけてヲタが殺到するという修羅場が展開……! 9月に訪れた際には全然ヲタなど見かけなかっただけに、この変化には大いに驚くとともに、「関西のヲタはこれまで何時でも103系を撮影出来たはずなのに、何故今頃焦っているのだろうか……(まぁ関東のヲタも全く同じなのだが)」と思ったものです。



 というわけで、甥っ子を関西の国鉄型に乗せてやるために関西入りした先月の訪問時には、天王寺口の6連の走行シーンは撮影しておりませんので、9月に出張ついでで撮影した日根野ブルー6連の最後の活躍シーンをアップしたく存じます。このときは残念ながら、ただでさえ曇りときどき雨の天候であったのが、さらに美章園滞在中ドヨ~ンと暗くなってしまい、そういう点では残念な撮影環境でありました。しかし、購入したばかりのEOS 5D MarkⅣの超絶な高感度撮影ポテンシャルを活かし、ISO2000~3200あたりでも辛うじてそこそこ鮮やかな画像を得られたのは何よりです♪ 
 とりわけ、改造ミニブタ鼻ライト&グロベン存置の低運という点で、既に超貴重になっていたクハ103-148……。悪天候のためのハイビーム点灯で、画面にフレアが生じるのは避けられなかったものの、レタッチによって何とか見られる画像になったのみならず、とらえ方によってはボロクハの最後の奮闘シーンとして良き記念にもなったと思います……☆ 一方の高運クハも、戸袋窓を埋めて正面窓を一枚窓化しグロベンを撤去するという、一連のJRW・N30仕様改造を受けていますが、やはり京浜東北・根岸線を連想させる風貌にはメロメロになってしまいます……。
 というわけで、225系の新造ペースを考えますと、現時点ではそれなりに走っているとはいえ、そう遠くない将来に完全離脱するであろうブルー103系……最後まで無事故で走り続けて欲しいものです。

第八ジャカルタ炎鉄録 (16) 特急ブロモ山の蘭

2017-01-04 12:00:00 | インドネシアの鉄道


 鉄道事情が激しく移り変わるという点では、インドネシアも負けてはいません。いつもお世話になっておりますパクアン急行様のブログを日々拝見するにつけ、昨年末にはついに、メトロ6000の追加分に車庫のスペースを譲るための廃回が再開され、既に103系は全車チカウムの塚となってしまったという……。一方、205系が次々に12連化されたのは、既に8月の訪問時に目にしておりましたが、さらに203系の12連が出現したとは! この勢いで行きますと、東急の12連が出現しても全くおかしくありません (@o@)。
 そしてさらなる巨大な変化を告げるものとして、昨年末にはジャカルタ~スラバヤ間の1067mmゲージによる準高速化について、日本に協力を求める旨が『日経新聞』の片隅に小さく載っておりました。そこで『じゃかるた新聞』に載っている詳細な記事を見てみますと、既にインドネシア側が日本に協力を求めているのを受けて、日本側としては既にインドネシア側に対して選択肢を示しており、国交相のインドネシア訪問で現地の雰囲気を感じ取った上で日本側としても本格的に動く方向なのだとか。



 まぁ日本側の姿勢が必ずしも前のめりと読み取れないのは、例の新幹線問題の後腐れが続いているためだとも思われるのですが、インドネシアで鉄ヲタ活動をしたことがある者としては、このままインドネシア側の日本に対する期待が持続し、実際に事業化されることを願ってやみません。新幹線問題の二の舞を恐れて、インドネシアとの関係で何事も過度に慎重になることは、それこそKCIC (Kereta Cepat Indonesia China) そのものの利益をはるかに上回る中共の思う壺なのですから。

 ……と思ったのは、昨年の大晦日にこの記事の下書きをした時点までの話 (汗)。昨日の『日経新聞』に載っていた詳細裏事情によりますと、インドネシア側で昨年夏に運輸大臣が変わって以来、この高速化構想について次から次へと超お手盛りなイケイケドンドンの要望 (いや願望??) が続いており、当初はCC206の最高160km/hなポテンシャルを活かした非電化のままの高速化であったはずが、いつの間にか全線電化・車両全面EC・EL化計画に置き換わっているばかりか、資金調達面でもKCICと同じく民間資金を広く募り、インドネシア政府による債務保証は回避したいという方針とのこと……。しかしKCICは、ジョコウィ臨席の起工式から相当の時間が経ってもロクに工事を開始できていないことからして、日本側は「ジョコウィ政権は盛るだけ盛ってそんな逃げ腰ではどうなることやら」とハラハラしているようです……。そこで、まさかこの計画も挫折して、バンドゥンとスラバヤのどちらに行くにも従来通り客レか高速バス (そしてスラバヤは飛行機) ということになりはしまいか、とも思います (滝汗)。要は、ジョコウィ政権が短期的視野しか持っておらず、インフラの要不要を見極めて責任を取る度胸がないのが最大の問題なのではないか……と。
 これも何だかんだで中共に貢がせることになり、大連や長春あたりで作った直流電機や電車が大量に揃い (これもまぁ満洲国の遠い遺産か?)、その後インドネシアがナトゥナ諸島で中国船を爆破しまくって、中・印尼関係悪化、インドネシアがインフラもらい逃げ、という順序をたどりそうな気もしてきました (滝汗)。

 というわけで、現在ジャカルタとスラバヤの間を最速で結び、KAIにおける栄光の「1レ・2レ」を名乗っている「Argo Bromo Anggrek」を貼ることにします。
 この列車は専用の台形ボディ客車を使用しており、計り知れない存在感を放っておりますが、一時期台枠か何かに問題が生じて全車離脱したのも今は昔。全車塗装変更と内装リニューアルが終了し、相変わらずKAIの王者として君臨しています。ジャカルタ~スラバヤ間を160km/h・5時間で結ぶ工事が、かりに当初計画通り2019年に完成しますと、自ずとこの客車も第一線を退くことになるのでしょうか? あるいは、この分で行くと何も高速化が進まないような気もしますので、むしろこの客レ特急も長く続くことを前提として、最新鋭の2016年バージョン客車に置き換えた方が良いような気もしますが……。
 ちなみに2枚目の画像は、客車が新塗装化されながらCC206が登場時の黒スカートのままであったという、一昨年8月撮影のカットです。今思えば、何気に激レアな過渡期シーンです……(^^;)。