
仙台からは、今回の撮り鉄旅の最終目的地に向けさらに北上したのですが、時間節約のため一ノ関まで新幹線でワープ! (爆) 普通列車でダラダラ北上しますと、石越で30分、一ノ関で1時間の乗り換え待ちが発生してしまうためとはいえ、いやぁー仙台から30分少々で一ノ関に着いてしまうとはラクですなぁ……。「在来線を出来るだけ使う派」としては後ろめたいのですが、すっかり時間を金で買うトシになってしまいました (^_^;
それにしても、岩手県まで来ると本当に風景が違うなぁ……と思います。北上川沿いの盆地と、それを取り囲む山々の様子がどこまでものびやかで雄大ですし、空気ももちろん透明! 緯度の関係からか、黄昏の日射しもことのほか鮮やかに見えます。そんな光景を、降り立った新幹線のホームから眺めていますと……何と眼下の留置線には、3月のダイヤ改正で運用を離脱して疎開中と思われる455系が!

広い風景に広い構内。その中にひっそりと廃車回送を待つ455系の9連……。塗装こそ違えども、かつては二段窓がズラリと並んだ堂々たる長大編成が、東北急行の雄としてみちのくを駆け抜けていたという古き良き光景が、にわかに眼前に広がっていました!
当時みちのくを訪れる機会がなかった私にとって、それはあくまで時刻表の中でしかしのぶことが出来ないものでした。駿足王として伝説となっているという急行くりこま、そして遠路はるばる上野から北を目指していた急行いわて……。ところが、突如目の前で、これから廃車になる運命を控えた455系たちが、最期の最期になって「当時はまさにこんな雰囲気だったのだ!」ということを誇らしげに語りかけているのですから、思わず胸が熱くならずにはいられませんでした……。
それだけに、貫通扉に貼られた「危険・近寄るな」なる貼り紙には、「一体どこが危険なんだ……」という思いを禁じ得ません (-_-;)。それでも、そんな小細工も結局はどうでもよくなるほど、455系の姿は余りにも威厳に満ちていました。
古き良き国鉄急行黄金時代の栄光を担ってきた455系。その最後の場所のひとつが一ノ関駅であること自体、じつは絶妙なめぐり合わせなのかも知れません。
急行形455系。もはやオリジナル色を目にすることもなくなりましたが......。
全盛期には、急行「いわて」「もりおか」が、特急「はつかり」「やまびこ」を支えるように、この駅に発着していたわけですから......。
なんとも漠然とした文章になってしまい、失礼しました。
こんばんは、コメントどうもありがとうございます!
在来線特急・急行が全盛だったころの東北線を知る方にとっては、やはりこの光景はジーンとくるものがおありのようですね……。
今から20年以上前は、一ノ関駅の1〜3番線に入れ替わり立ち替わり特急・急行・客車鈍行が出入りし、今やガラーンとしているこのヤードにも、留置中の客車や車扱の貨車などがたくさん転がっていたのでしょうか。そんな夢の後に、忘れ形見のように455系が眠っている……ということなのでしょうね。
それにしても、1980年代初頭の時刻表を取り出してみますと、定期急行だけでも一ノ関駅は
八甲田 1往復
十和田 2往復
くりこま 3往復
いわて 2往復
もりおか 2往復
あぶくま 1往復
きたかみ 3往復 (うち1往復は陸中併結)
たざわ 1往復
むろね 1往復
……これだけの列車が行き交っていたとは!
しかも、急行たざわは「必殺・多段急行」で、一ノ関で「むろね」を分離、「さかり」を連結、花巻で「陸中」を分離、「はやちね」を連結するというワケのわからなさ……(@o@)。
あー、生まれてくるのが遅すぎました (爆)。