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地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

和田岬線の103系を訪ねて

2009-11-11 00:04:00 | 国鉄型車両


 東京駅が「富士はやぶさ」ラストラン以来の大混乱になっているようですが……(汗)、当ブログは全く関係ない地味~な話題で更新です (^^;
 先日、神戸の川重にて撮影した桃太郎の図をアップしましたが、出張撮り鉄のついでに一体何が見られるか分からないリスクを冒して兵庫駅からひたすら歩いて川重まで往復するはずもなく (^^;)、要はついでの訪問だったのでありました (笑)。では、何のついでだったかと申しますと……神戸の隠れた名所・和田岬線訪問! いや~大変お恥ずかしいことではありますが、和田岬線は初めての訪問でありまして (汗)……工場地帯を走るスカイブルーの103系を撮ってみたいと長年思いつつも、なかなかうまい具合に神戸出張・神戸泊という機会がなく、ようやく念願が叶い、同時に和田岬線から枝分かれしている川重専用線の様子もチェックしたという次第です (^^;)。
 それはさておき、和田岬線は周知の通り、終点・和田岬の目の前に立地する某重工などの従業員輸送に特化した路線であり、朝晩限定の運転&休日の本数激減という運行形態は鶴見線・大川支線を彷彿とさせます (*^^*)。しかし、今や大川支線は103系から205系に変わり、○和電工専用線も消え……だいぶ寂しくなりました (T_T)。その点、和田岬線は103系の堂々6連が運行されるだけでなく、川重専用線も付随しており、辛うじて大都会の片隅の工場地帯ローカル線として「風格」を保っているように思われます。
 そこで、今回はそんな和田岬線に敬意を表しまして、朝1番の列車で試乗することに(笑)。元町・中華街にある東急系ホテル(冗談ではなく本当です ^^;) で快適な一夜を過ごし、前日購入した如何にも神戸セレブな味わいの菓子パンで朝食を済ませたあとは、いよいよ元町から一駅乗って兵庫へ。しかし……来るのがちょいと早過ぎました。和田岬線は東武大師線 (西新井駅)・名鉄築港線 (大江駅) と同様、兵庫駅の専用改札を通る時点で全ての精算が済んだ状態となり、乗っている間は無札乗車となりますが、その専用改札が開くのは6時45分過ぎ。既に入線している103系に乗り込むまで15分ほど待たされる羽目となったのでした……(^^;;



 さて、いざ改札が開き、専用ホームに入って行きますと……をを~素晴らしい。網干電車区唯一の103系がお出迎え (*^^*)。これが代走の207系だとしたら、折角の初訪問が台無し気分になること間違いなしですので (207系ファンの方、スミマセン……って、そんな方はこんなブログ知らないか。笑)、まずは一安心。土曜の朝ということで、車内は発車間際になっても和田岬方先頭車以外超閑散ですが、そんな雰囲気がますます大都会のローカル線気分を盛り上げます (^^;)。
 そしていよいよ出発進行! 急カーブを曲がって川重への分岐にさしかかる辺りまでは徐行運転ですが、川重前からは思いもかけず一気に加速! 103系のモーター音がひとしきり盛り上がるのは嬉しいことですが、のんびり・ちんたらと工場街を走る光景を想像していただけに、これは正直意外でありました (^^;)。まぁ確かに……2.7kmを3分で走る以上、駅間では4M2Tの編成を生かして飛ばさなければならないはず。しかし個人的には、和田岬線の存在を初めて知った小学生時代以来、時刻表に所要6分と記されていたことが長らく脳裏にこびりついていたという……(^^;;;;)。オハ64のPP編成やキクハ込みのキハ35編成 (嗚呼、これらが走っているときに乗っておくべきでした) と103系を同列にしてはいかんですね、はい (笑)。
 というわけで、103系はあっという間に和田岬駅に到着~。平日に下車する大量の客をさばくため、ホームの途中にもプチ出口がある光景を楽しみつつ、ホーム最南端に向かいますと……あれ?駅舎がない……というか建て替え中 (-_-;)。古くてシブい駅舎があると聞いていただけに、もっと早く来なかった自分が悪いなぁ、こりゃ……と思いつつ、すぐに折り返す兵庫行き(乗客ゼロ ^^;) をまずは見送ったのでした。
 その後は、沿線をブラブラしながら、午前9時前まで運行される5往復を激写! 超広角から望遠まで、探せば思いの外いろいろなアングルで撮影することが出来、青い103系と工場地帯が醸し出す侘び寂びを味わい尽くしたのでした……v(^O^)v いや~素晴らしい。また薄曇りの日に是非再訪したいところです。あと、103系にキハ35時代の塗装を塗って頂けると嬉しいかな……と思うのですが、こればっかりはムリでしょうか (^^;


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7 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (ひろっぴ)
2009-11-11 01:42:37
こんばんは。
さて和田岬駅の駅舎ですが、つい最近老朽化に伴って解体となりました。
無人駅でもあるため、駅舎を立てる予定もないそうです。

神戸新聞|社会|さらば戦中派 JR和田岬駅の木造駅舎解体
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0002308916.shtml
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Unknown (Gu)
2009-11-11 22:18:23
こんばんは!
和田岬線ですかぁ~近いのにまだ未経験です。少し前まで旧客・・都会で気動車・・・不思議な路線です。一応山陽本線であることを、コレを書いていて思い出しました。
103の最後の聖地になるかもしれませんねぇ。
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Unknown (SY1698)
2009-11-12 09:13:09
大川支線と、和田岬支線...。
大川支線のほうが先に消えそうな気配。
(貨車もないし、平日19時代の電車は空気輸送。海芝浦の場合は陸の孤島ですが、大川の場合は川崎市営バスがあることですし)

※管理人注:2ch風表現は削除修正させて頂きました。今後はご遠慮下さい m(_ _)m
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Unknown (おっとっと)
2009-11-12 20:42:17
>Guさま
 こんばんは、コメントどうもありがとうございます!
 あらら、関西にお住まいの方でも意外と和田岬線は未乗でおられるのですね……。まぁかく言う私も西武狭山線・多摩湖線・西武園線といった行き止まり路線、あるいはTDLのモノレールのような目的超限定路線は未乗だったりします (^^;
 ともあれ、日常的には和田岬線が山陽本線であることを意識している方は、利用客・沿線民でもほとんどいないでしょう(笑)。
 103系の最後の聖地になるかどうかは……う~ん難しい問題ですね。広島がそうなるかと思いきや、ここに来て京都から引っ越してきた113系に追われていますし……。あ、でも安芸路ライナー用3連は安泰でしょう。あと、デザイン的にはアレですが、播但線と加古川線もありますし……。これらに比べると和田岬線は……うーん、早々に207系化されないことをとにかく祈るばかりです。
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Unknown (おっとっと)
2009-11-12 20:48:26
>SY1698さま
 こんばんは、コメントどうもありがとうございます~。
 和田岬線は神戸市営地下鉄の開通に伴い消える可能性があったようですが、やはり大動脈である山陽線からすぐに乗り換えて和田岬に到達できる利便性ゆえに、時間帯によって一斉に押し寄せる通勤客から支持されているのでしょう。電化によって山陽線から受電出来るようになり、コストが大幅に下がったとも聞きます。
 これに対し……大川はラッシュ時でも結構余裕がありますし、川崎からの臨港バスが便利で、武蔵白石からも徒歩10分……。和田岬よりもはるかに廃止しやすい条件が揃っているのは否めないですね。とにかく貨物が消えたのが痛いです。
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Unknown (SY1698)
2009-11-13 00:35:09
失礼しました。
2ch風表現が板につきすぎてしまったようで。

でもって、大川支線ですが、ホキ2200形やタキ24700形(小麦粉専用!)が、皇后陛下の本家筋がある方面(館林)へ貨物を運んでいたのが10年以上前、その後よく去年までタキ5450形の専用貨物が残っていたものだと。違った意味で感心しました。

川崎からの臨港バスですが、かつては5~10分毎に運転されていました。それが今や30分~1時間毎。それでもJRの本数の減り具合といったら。末期の五日市線武蔵岩井支線を想起させるものがあります。

えーそれでは今後ともよしなに。
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Unknown (おっとっと)
2009-11-13 20:01:37
>SY1698さま
 こんばんは、コメントどうもありがとうございます1
 大川の小麦粉輸送、中1の頃に一度だけDD13とホキが連結されている光景を撮ったことがあるのですが(90年代は非鉄・・・)、クモハ12乗車のついでにとにかく漫然と撮っただけですので、車票には全然注目しておりませんでした。何と、館林への輸送だったとは……。確かに館林はそういうところですね。
 タキ5450が残っていたのは、まさに引き込み線の存在ゆえに○和電工の工場間輸送をやりやすかったためなのでしょう。名古屋臨海・昭和町→三洋と並ぶ超短距離車扱輸送の代表格でしたが、どちらも今は無く……。車扱をバッサリ切った最近のダイヤ改定のあおりをもろに食らったのでしょう。
 大川行の臨港バス、かつては5~10分間隔ですか……。そういえばクモハ12の単行も80年代前半は昼間でも15分間隔で走っていることもあったり……(多くの場合空気輸送ですが)。それだけかつては鶴見線沿線の工場の従業員数が多く、いつの間にか古くからの工業地域の地盤沈下とマンパワーの省力化が進んだということなのでしょう。
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