goo blog サービス終了のお知らせ 

地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

南へ旅立った北斗星 (09年10月)

2013-02-10 00:00:00 | 貨物列車 (神奈臨)


 たかだかヤンゴンに4泊の滞在のみでは出逢えるはずもないでしょうが、そういえば約3年4ヶ月前に日本の鉄路最後の旅をして南国へと向かった北斗星罐DD51とスシ24の未公開画像がありますので、とりあえずビルマ (ミャンマー) ビザ申請記念として、少々アップしてみましょう。DD51はぼちぼち運用されているそうですが、スシ24はネット上での目撃録を見たこともなく、一体何処へ行ったのやら……。
 そのついでに (?)、こんなところに書いてもほとんど誰も参考にしないであろうことは百も承知ですが、鉄ヲタな方で今後ビジネスや観光などでヤンゴンを訪問しようという方もいらっしゃるでしょうから、現下のビザ取得をめぐる状況について簡単に備忘録を記しておきます。
 初めに結論から申しますと……昨年から日本でもビルマに注がれる視線が熱くなりつつあることを受けて、ビザ申請は粘り腰と時間的余裕が必要です。
 まず、大使館公式HPによりますと、ビザ申請から受領までの所要時間は1週間とありますが、一昨日私が申請した時点では10日となっていました。日本の建国記念日が入るためか、あるいはビルマの記念日か何かが入るためなのかも知れませんし、はたまた少人数の領事部員で大量のビザ発給手続をしているために余計に日数を要していると考えるべきなのかも知れません。他の国であれば、割増料金で在外公館での特急ビザ発行を受け付けるところもあるでしょうが……。というわけで、「7日」という文言を真に受けて、出発8~10日前に申請に来た人は、ことごとく受付で絶句→爆死状態に陥っておりました。私の目の前に並んでいたパッカー風のおっさんも同じ憂き目に……(滝汗)。



 そこで彼らは、航空券のキャンセル料を払って出発を遅らせるか、はたまた旅行自体の中止のいずれかを選ぶ羽目になります (@o@)。このような運命を回避するため、予定が決まり次第、遅くとも半月前までに申請するに越したことはないようです。ビザの有効期限は発行から入国まで3ヶ月以内ということですので……。
 それはさておき、ビザの申請・受領を行う領事部に向かうには、まず正門の重い鉄の扉を開けて守衛所にて記帳し、正面玄関左から入ることになりますが、中に入ってビックリ! 狭いロビーにはビザ申請&受領者の行列がとぐろを巻いた状態に……(滝汗)。申請と受領が全く同じ窓口で、団体客と個人客の区別もなく、受付担当が通常1人しかいないためなのでしょう。とはいえここは日本ですので、至ってまったりと秩序ある行列ですのでご安心を。何処に行っても電気警棒を持った公安が居丈高に「排隊!別擠!別挿隊! (並ばんかいオラ!押しくら饅頭すんじゃねぇ!横入りすんじゃねえ!)」と怒鳴り散らしているC国とはわけが違います (笑)。私の場合、並び始めてから受理されるまで50分かかりました……。というわけで、申請・受領ともに十分な時間的余裕をとることをオススメ致します。
 なお、申請料3000円の振り込みは、口座として指定された○井○友銀行五反○支店に行って手続きするのが一番手っ取り早いです。受付の行員の皆様も「またミャンマービザの客が来た」と完全に心得ており、国際送金用書類 (在東京大使館ではなく直接本国財務省の収入になるようで……) をスッと出してくれて「ここにこう記入して下さいね」と教えてくれます。
 まぁ有り体に言って、将来的にはビザ免除にして頂ければ、またはインドネシアのように事実上入国税徴収としか思えない簡単なビザ取得を空港で済ませられるようになれば、時間の都合で短期間しか訪問できない人間にとっては非常に有り難いですね……。これだけ苦労して取得するならば、半月以上はのんびりウロウロしなければ気分的に元が取れないような気分すらします (-_-)。とはいえ、大使館に出向いてビザを取得するという古典的な手続きを経て訪れるのも、面倒を克服した分だけの楽しみが待っているというものなのかも知れません。

開業半世紀を迎える神奈川臨海鉄道

2013-01-12 00:00:00 | 貨物列車 (神奈臨)


 川崎大師参拝ついでに京急大師線を撮影したとなれば、小島新田駅の目の前に生息するかなりんのDLを訪ねたくなるというのが人情です (んなこたぁない? ^^;)。思い出してもみれば最近は多忙のため、かなりんも大分御無沙汰ですし……。そこでまずは、11時過ぎに塩浜を出発する浮島線の返空タキ列車を撮影しようとしたところ……ウヤ (号泣)。石油繁忙期であるはずなのに一体何故……(-_-;)。
 というわけで一旦大師線に乗って川崎駅界隈に引き上げ、「天下一いずま」店で腹ごしらえしたのち、今度は川崎市バスで千鳥町へ! すると……酸化エチレン用タンクコンテナを載せたコキ200・1車が留置されており、やがて荷役設備の奥から関係者が出て来ました。やった!これで単203レは少なくともウヤではない!♪ そこで「あわよくば昼便=単203レでもコキ200を連れてきてくれないものか。そうならば複雑な入換を久しぶりに激写しまくりなのだが……」と期待したものの、あらら残念。現れたDD55 16はフツーに単機で、直接コキ200の塩浜寄りにガチャンと連結してさっさと帰って行ってしまいましたとさ (汗)。



 それでも、少なくともウヤではなかったことこそ目出度けれ♪ わざわざ往復のバス代400円をかけて訪れても西群線ヤードはすっからかんという事態も珍しくありませんし、コキ200が留置されていてもお迎えの単203レは来ないという腰砕けな事態も有り得ます。勿論、ウヤが怖ければ臨海鉄道撮影などするべきではありませんが、やはり初詣ついでの撮影である以上、せめて単機であっても幸先良く撮影したいわけで……(^^;)。そんな願望が取り敢えず満たされ、しかもド順光で撮影出来ましたので、何となく今年は個人的にかなりんとの相性も悪くないかな?とプチ期待を抱いているところです。そもそも今回は、撮影しそびれてしまったものの、小島新田=塩浜界隈で非常に美味しい展開を目にしてしまいましたので (謎)、自ずとかなりんに回数を増やしたい気分であります♪
 そんなかなりん、今年は川崎界隈の専用線を再編成して正式にかなりんとして開業して以来半世紀の節目を迎えるとのこと! 様々な工場に線路が張り巡らされ、膨大な量の車扱貨物が運行され、まさにかなりん開業の重要な契機でもあった半世紀前の京浜工業地帯の活気は、今や産業構造の転換によって面影薄れ、かなりんの貨物輸送もトラック輸送の拡大 (とくに川崎貨物駅へのコンテナ持ち込みの一般化) や石油を除くJR車扱貨物列車の消滅により激変してしまいましたが、今後も何とか活路を切り開いて行くことを一ファンとして願いたいものです。
 そして出来れば……千鳥線貨物列車の運行時間変更を希望します。昔の「午前10時頃・午後3時頃」というのは、早起きが不要という点でも、あるいは千鳥東線への入線を撮る上でも一番都合が良かったのですが……。

川崎港から旅立つキハ52・58 (約5年前)

2013-01-07 00:00:00 | 貨物列車 (神奈臨)


 松の内最終日となり、年末年始の旅行シーズンも終わりを告げた今日この頃ですが、一方ではそろそろ春の観光シーズンを見据えてあれこれプランニングを始める頃……。私は年末年始に遠出しない分、毎年3月頃に外国をウロウロするのが最近の恒例となっております。そこで先日、鶴丸派の私は……公式HPを眺めながらポチッとな (爆)。というわけで、川崎港で日本に永遠の別れを告げたこれらの車両をお目当てにビルマ (ミャンマー) を訪ねる計画が一丁上がり♪ もっとも、RP誌でお馴染みで、私もいつもお世話になっている斎藤幹雄様が度々レポートされている通り、荒っぽい扱いや部品不足がたたって離脱した車両が多数あるとのことで、川崎港にてナマで見送った車両とは遭遇できない可能性の方が大きいのですが (汗)。



 とはいえ、他にもいろいろな車両が海をわたっており、さらにはビルマ国鉄オリジナル車やC国からの貰い物罐&客車も個人的には大好きですので、まぁいずれにしても4泊5日 (活動時間は3.66日程度) の滞在をどう組み立てようかと今からワクワクしております。また往路では、19年ぶり (汗) にバンコクにも寄って鉄活動しますので (とはいっても2泊3日ですので、基本的には近い将来やりたいと思っているマレー半島縦断鉄旅の下見程度しかできませんが)、相当忙しい一週間になることでしょう。暑期の強烈な炎天下に耐える体力をつけなければ……(笑)。
 それにしてもウワサ通り、ヤンゴンの宿代の激烈な急騰ぶりはスゲェ……(鬱)。カネはないけどヒマはあるパッカー向けのゲストハウスはさておき、長い休暇をとりづらいヲッサンが炎天下のヲタ活動の疲れを癒やしつつそこそこ快適に過ごせるような宿であれば (老朽化には目をつむります)、明らかにインドネシアの倍以上しますし、日本のビジホよりも高い……。しかも、どれだけ高くとも思い立ったときに予約しなければ、鉄ヲタ活動にもバスヲタ活動にも便利な中央駅~スーレーパゴダ界隈の宿は、約2ヶ月先といえども速攻で埋まって行ってしまうという……。約2年前に発行された『地球の歩き方』(新しいの買えよ、と ^^;) には「ヤンゴンの宿は明らかに供給過剰」とあるのですが、一応の民政移行と主要国による経済制裁の解除によって全てが一気に変わり始めたこの国の現状を最も象徴しているのが宿代なのでしょう。もともとヤンゴンは第二次大戦頃まで東南アジア最大の都会であり、今もビルマ (ミャンマー) の潜在的実力を以てすれば、商都としていっそう発展することは間違いないわけですから、今後雨後の筍のように宿が増え、宿代が東南アジア主要都市一般相場に落ち着くまでの我慢比べでしょうか?
 しかしそれまで待っていると、これまでの古き良き雰囲気、そして現在稼働している車両が失われてしまうでしょう (キハ52・58や早期に海を渡ったレールバスがヤバいらしいのみならず、元々右側通行のウリナラ[笑]中古が徐々に日本製中古バスの世界を浸食しつつあるといわれます)。宿代よりも優先するべき価値がいまそこにある、と理解するべきなのかも知れません。

河合貨車模型復活祈念・千鳥線良き時代

2012-11-04 00:00:00 | 貨物列車 (神奈臨)


 景気が悪いと何処かの会社が不渡りを出すのは世の習いとはいえ、自分の趣味に関連する会社でそのようなニュースが流れると遺憾を禁じ得ないものです。車扱貨物のN模型を楽しみたい向きには欠かせない存在である河合商会が自己破産を申請してから早いもので約半月、何とか製造受託元が鉄道模型事業を継続することに決したようですが、個人的には秩父セメントがらみのタキ・ホキや、「相鉄貨物・相模大塚ごっこ」には欠かせないタキ3000の米タンなど、河合の製品にはそれなりに佳作もある……と思っておりますので、何とか現在製作中の製品が無事発売されることを期待すると同時に(アルコール用のタキ13700を予約していたのです。汗)、落ち着き次第新たな商品展開も期待したいものです……。



 とくに個人的には、神奈臨千鳥線の常連だった車扱タキの製品化を激しくプリーズ!! 旭○成と信越線・二本木の日本曹○を結ぶ雪兎マーク(一部JOT)のタキ22900は、千鳥線を語る上ではなくてはならない究極アイテム! 千鳥町西群線ヤードの片隅にあるヘロヘロ線で積み込んだエチレングリコールを三島のレア線たる東○専用線へ運ぶタキ6650・タキ15800も、このエチレングリコール輸送が通常浮島町の果てからの発送であったところ、稀に荷役場所が千鳥町に移されて道路の目の前で入換シーンが展開していた……たというアツ過ぎる思い出を抜きにして語ることは出来ません☆ そして、ラテックスを運ぶタキ8350・23800・26100といったシブい役どころも見逃すわけには行かないでしょう!
 しかし……どれも往年の鉄道貨物輸送全体からみてマイナーな存在であることは否めません。塩素用黄タキ5450や、苛性ソーダ用タキ7750のように、荷主ごとの多彩なバリエーション展開をするわけにも行かないですし……やっぱ未来永劫製品化は期待薄なのでしょうか。あるいは、もし以上の車種が模型化されても、肝心の神奈臨罐がない……(汗)。鉄コレでも何でも良いので、臨海鉄道罐や産業用入換罐がシリーズ化されて発売されないものか、と思っているのは私だけではないでしょう (ムリか……苦笑)。
 それにしても、今回の画像はいずれも2005・06年に撮影したものであり、車扱化成品タキが大崩落を迎える直前にあっても、これだけの車両が現役だったのか……と思うと呆然とします。ホント、この頃は頻繁に千鳥線に通ったものですが、西群線に高い柵が設けられて以来、出勤or帰宅ついでスーツ鉄はやりにくくなってしまいましたし (まぁ劇薬を扱う以上、そして最近は甲種輸送の都度カヲスになりがちであった以上、柵の設置それ自体は仕方がないことですが)、そもそも最近は千鳥線に寄るヒマもない……(-_-)。

神奈臨浮島線・石油需要繁忙期の勇姿

2012-01-10 00:00:00 | 貨物列車 (神奈臨)


 一昨日は、いつもお世話になっております「あまのじゃく」様ご主催の新年会が開催されまして、私も近場で鉄活動して腹を減らしたうえで有難く参加させて頂いたのですが、あまのじゃく様の御人脈を通じて集まった濃いぃ鉄ヲタ(含・鉄道関係者)数名が酒を片っ端から傾けながら縦横無尽に昨今の鉄道事情を語るその場はまさに興奮のるつぼ……(笑)。私もおかげさまで年始早々多大な刺激を頂くことができました。あまのじゃく様をはじめ、ご参加の皆様どうもお世話になりました~m(^^)m
 とはいえ、日本の鉄道を趣味的にとらえてみますと、やはり撮りたい列車と車両の激減、そして景気や生産・輸送体系の変化をうけて、どうも暗い話題中心にならざるを得ないのも事実です。とくに……あまのじゃく様や、リンク頂いております「ロジ担」管理人・ロジ担様 (一昨日久々にお会いしてお元気そうで何より!) と私が知り合うきっかけとなった車扱系貨物の旬、あるいは神奈臨の面白さの旬は、はるか遠くに過ぎ去って久しいのではないか……ということで議論が一致せざるを得ないという……。国際埠頭の塩コキに、千鳥線の青化ソーダ、ラテックス、エチレングリコール、浮島線の酸化エチレン……全てが懐かしすぎます (-o-)。その一方で、神奈臨の貨物輸送をめぐっては、時代を反映した新展開が図られていたものの雲散霧消してしまったらしい云々……という話題も飛び出し、激しく歯ぎしりせざるを得ないのでありました (T_T)。



 というわけで、久々に神奈臨のカットをアップしてみることにしましょう~。個人的には最近、神奈臨を訪れる頻度は多忙やら何やらのため減少してしまい、訪れるとしたら立ち位置のバラエティがそれなりにある千鳥線……という感じでしたので、日中の列車が石油タキと単機に限られる浮島線は相当御無沙汰になっていたのですが (たまにある末広町からの特大貨物を狙えば良いのかも……^^;)、昨秋にはその千鳥線もヤードにフェンスが立って従前ほどの撮りやすさはなくなりましたので、アングルが限られるものの気軽にバンバン (?) 車扱貨物を撮影できるという点で浮島線の面白みが脳内で急上昇している今日この頃。そこで、去る師走にはリハビリ鉄として曇った日を狙って浮島線を久しぶりに訪れ、オイルターミナル青タキを多数連ねて必死に勾配を登るDD55の勇姿に興奮を覚えたのでした☆ 貨物時刻表を見ると概ね1~2時間間隔で運行されている浮島線の石油列車は、詳論するまでもなく石油需要の変動ゆえに運行状況にはいろいろと波があり、真夏に訪れようものなら短編成、さらにはウヤなどいろいろな落とし穴が待ち構えていますが、さすが真冬は旺盛な灯油需要に支えられて繁忙を極め、通常であれば単機であるはずの313レも空車タキを20車ほど連ねてやって来たのには大興奮! その折返しの314レも積車18~19車を連ねて激しい唸りが!! いや~たまには来てみるものですね♪ 
 そういえば、原発にどっぷりと依存するわけには行かなくなった中、まだまだ代替エネルギーへの転換はこれからという事情があり、復興元年は過渡期元年であることを意味することから、今年の冬は当面寒さをしのぐ策として石油をより多く需要するという状況があります。したがって、浮島線の冬の風物詩である青タキ長大編成も、今後数年間は (?) いっそうの隆盛を見せることになるのでしょうか? 内陸部の多くの人々に暖を届けるための最前線ランナーとしての神奈臨DL……その咆哮が一層元気で高らかなものであることを期待せずにはいられません。