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地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

雨に濡れる名鉄パノラマカー@布袋

2009-04-28 07:18:00 | 都市民鉄 (中京圏)


 1970年代の末に鉄道図鑑をしゃぶるように眺めた世代にとって最も輝いて見えた私鉄車両のうち、近鉄ビスタカー3代目は徹底的な更新修繕を受けて現役でいるわけですが、名古屋ですぐに乗り換えることが可能な名鉄の大御所・パノラマカーはと言えば……周知の通り昨年の末を以て定期運用を終了 (T_T)。その後のパノラマカーの状況は、ネット各界を散歩して得られた大まかな把握をまとめてみますと、7011Fがたまに臨時・貸切運用で走る他はもっぱら豊明・布袋・猿投に疎開して留置されており、たまに機能保持のため軽く慣らし回送を行っている程度であるようです。7011Fは白帯車ですので、さまざまなイベントに駆り出されるのは当然の成り行きとして、布袋の7041Fと猿投の7043Fは一体何故すぐには解体されず留置されたままなのか……不可思議なものがあります。パノラマスーパー特別車4連をなるべく早く全車5000系とするべく、東名古屋港の解体場がいっぱいいっぱいな状態であるため、7000系の解体は後回しになっているだけなのか、それともいずれ7000系重連イベントをやるためなのか……。中京圏住民ではなく事情に疎いからこその妄想が脳裏をグルグルと駆けめぐっている状態です (汗)。



 しかし、事情や背景はどうあれ、いずれ必ずパノラマカーが消える日が来るわけで、たとえ日程や人混み嫌いの関係でイベント走行を撮らないとしても、最も撮りやすい布袋に留置車がいる間に一度はその姿を拝みに行き、離脱後の最後の姿を記録しておきたい……という思いは日増しに強まる一方でした。そこで、去る18日の京都日帰り出張の折、天気予報が散々雨嵐だと脅しまくっていたことから、早朝の「のぞみ」で関西入りして出張撮り鉄に徹するのは止め、185系普通伊東行き→「こだま」名古屋行きという超ゴールデンまったりリレーで移動 (^O^)、名古屋で「のぞみ」に乗り換えるついでに (爆) いったん改札の外に出まして、布袋までとんぼ返りで往復してみることにしました。
 新幹線から名鉄名古屋駅に向かいますと、ちょうど1000系一部特別車の快速特急到着~♪ 岩倉まであっと言う間で移動した後、西春で追い抜いた普通犬山行きに乗り換え、布袋に到着しました。すると目の前には無事7041Fが留置中……。突然何の前触れもなく廃車回送されておらず良かった……と思うと同時に、たとえ逆さ富士の行先表示板を外されてしまっても、パノラマカーはあくまでもパノラマカー! その圧倒的なオーラにすっかり感激しつつ、約20分間の滞在時間のあいだ、ひたすらシャッターを切りまくったのでした。しかも、ちょうどそのとき、恐らくパノラマカーが降らせたであろう涙の通り雨が……。あるいはそれは何らかの嫌がらせだったのかも知れませんが、いったんその雨が止んだ後、布袋から名古屋へ戻る途中で激しい風雨が襲い始めましたので、やはりこれはパノラマカーの涙雨であったと信じたい……です。
 こんな感じで名古屋からの往復の所要は約1時間、改札を出たために余分に要する新幹線特急料金と名鉄運賃の和は約2000円ということで、端から見ると酔狂以外の何物でもありませんが、私としてはかねてからの願望をフラットな光線の下で果たせて大満足……。美味な駅きしめんを楽しんだ後、午後の京都での撮り鉄メニューへと移行したのでした……。

名鉄パノラマカー運用消滅直前・白帯の輝き

2008-12-26 14:39:51 | 都市民鉄 (中京圏)


 1961年にデヴューして以来、長年名鉄のシンボル兼主力として、今さら贅語を要さないほど八面六臂な活躍を続けてきたパノラマカー7000系。今日はついにその47年にわたる定期運用の歴史が尽きる悲しい記念日となってしまいました……。今日一日は間違いなく沿線も車内も大変なことになりそうですが、まずは安全・正確な運転で、その偉大なる使命を全うして欲しいものだと心から願っています。
 そんなパノラマカー、定期運用離脱が決まった後もなかなか撮りに行くことが出来ない……という相変わらずのぼやき節 (-o-;)。とくに、国鉄117系の登場に対し真っ向から受けて立つべく登場し、当時の名鉄ファンに鮮烈な印象を放った白帯車が復活してからというもの、「嗚呼!この超期間限定な麗姿を撮らずに済ませてしまうのか……」と悶々としておりました。しかし、先日の京都出張にあたり四苦八苦していたプレゼン用資料の準備がめでたく前日までに終了!! これで名鉄に寄り道する時間が出来た!(^O^) というわけで、長丁場な一日を「のぞみ1号」でスタート! 朝8時過ぎには常滑線の客となっていたのでした。
 パノラマカーの終焉にあたり、名鉄がご丁寧にもHPにアップして下さっている運用表によると、定期運用の本数はフル使用状態で3本。もちろん、まる1日を名鉄のために使うことが出来れば、完全密着せずとも光線状態と相談しながら充実した撮影を楽しむことも出来るでしょうが、当方としては昼過ぎには京都に着いておきたいということで、持ち時間は僅か3時間少々。そのあいだに白帯を引き当てるためには、名古屋近辺からなるべく離れずに常滑線の太田川以北で待つのが吉であることが判明! そこで、ダイヤ通りであればカブる心配がない聚楽園界隈にて、空き地にちょっとお邪魔して (^^;) 普通金山行を待つことしばし……何と!いきなり白帯車でやって来てくれました!! \(^O^)/



 四つ目ライトに純白の白帯……これぞ7000系パノラマカー全盛期の証!
 遠来の人間として、最後にこの姿を眼にすることが出来て、ああ幸せ……。
 ここで敢えて欲を言えば、ドピーカンでない方が良かった (線路東側の斜面の影が完全になくなっていない) とか、展望席に陣取るビデオ少年要らん! (鬱……さて、どうやってレタッチで消し去ろうかと……-_-;;) とか、いろいろと後悔も残るのですが、既にこの日は定期運用離脱の1週間前。こうして斜光線を浴びながら流麗に舞う姿を記録できただけでも有り難いと思うしかないのかも知れません。ビデオ少年の存在すら、最後の日々の記録として割り切るしかないのでしょう。窓から顔を出されるよりは全然マシですし……。
 それはさておき、聚楽園到着直前の姿を成功裏に記録したあとは、優等列車の待避時間を使って速攻で聚楽園駅に戻りまして、発車シーンを超順光で撮影! 電柱やケーブルの影や、線路間の仕切り棒の存在は、気にしない気にしない……(^^;)。
 その後は大急ぎで上りホームへ移動し、約2分後にやって来た急行河和行の後ろ4両に連結されているパノラマカーを後追い激写! ブック型サボに「急」の表示という、これまたまさに全盛期から晩年まで日常的だった光景に、思わずジーンとしてしまいました……。
 ともあれ、こうして「パノラマカー惜別・聚楽園白帯の陣」を終えたあとは、神宮前乗り換えで本笠寺へ向かい、東岡崎からやって来た岩倉行7041Fに乗車!! 先頭車、特に展望席はヲ○ギッシリで近寄りがたく、残りの席も別れを惜しむ (?) 一般の利用客で埋まっていたことから、先頭車は避けて2両目のモ7081に乗ったのですが、「ポンポンポン……」とCP音も小気味良く、どっしりと静かな走りは快調そのもの……。それなのに何故もうお別れなのか?!と思う反面、これほど完成度の高い車両だったからこそ約半世紀にわたる偉大な使命を全う出来たのだろう……と、改めてその存在の大きさに気付かされたのでした。
 パノラマカーが走り去ったあとは、三河線ワンマンとして活躍する7100・7700系で、偉大なパノラマの時代の残り香を味わうことになるのでしょうが、それがいつまで続くか予断を許さず……こうしてまたひとつ、昭和の戦後・高度成長の良き時代を物語る存在が消えて行くことに、改めて底知れない寂しさを感じるのは、すべての名鉄ファンに共通な思いなのでしょう……。

 登場から終焉まで常に、
 鉄道ファンにとっての《夢》であり続けた
 名鉄パノラマカー7000系万歳!!

危機迫る瀬戸線オリジナル車 (3) 6650系!

2008-08-31 09:28:05 | 都市民鉄 (中京圏)


 喜多山滞在可能時間が30分少々と非常に限られていた瀬戸線での出張撮り鉄も、そろそろ電車に乗らなければ用務先10時のアポに間に合わない……しかし大曽根で栄町行きとして見かけた一番のお目当てが未だ戻って来ない……ということで次第に焦り始めたのですが、いやーラッキー! 無事ギリギリのタイミングでやって来ました! 瀬戸線釣掛式電車の中の少数派・6650系 (6750系1次車) です!
 一見何の変哲もない6000系顔に、6500系と同じタイプの一つ目LED標識灯、6600系よりも角が目立つ田の字ユニット窓、そして金属の塊のようなFS-16台車……。何もかもが寄せ集めの半端者っぽく、そこがまた哀愁を誘っているのが6650系の奥深い魅力だと思います (*^^*)。
 それにしても……1980年代半ばの登場当初は、RP誌名鉄特集をはじめ各方面で、この電車は6650系と呼称されていたはずなのですが、何故いつの間にか6750系1次車と呼ぶのが通例になってしまったのか……その間には私自身の非鉄期間も挟まっているだけに、非常に不思議なものがあります (^^;)。6650系と同性能ながらも全くデザインが異なる6750系が瀬戸線釣掛のメインとなった結果、少数が多数に従うかたちで6750系1次車と呼ぶようになったのかも知れませんが、ならば6750系を「6650系2次車」と呼んでも良かったわけで、う~んナゾは深まります (笑)。



 ともあれ、80年代に名鉄AL車にハマった私の名鉄に関する基礎知識は、概ね80年代のそれでとどまっておりますので (イマドキの3000番台の車両のことなんてよくわかんな~い。爆)、ここでは6650系と呼称させて頂きます (^^; 6750系とのデザイン上の違いも分けることが出来ますし)。そんな6650系……鉄活動の道に復活して瀬戸線をたびたび訪れるようになっても、いつも喜多山の栄町寄り側線で寝ているばかりでしたので (T_T)、4000系登場に伴い先行きに黄信号が点っている中、こうして申し訳ながらも走行シーンを撮影できて一安心 (^^)。同じ3850・3900系の車体更新車である小牧線の3300系が呆気なく車齢10数年で廃車になったのと同じく、6650系も間もなく廃車解体の道をたどることになるのでしょうが、最後の最後まで安全運行で有終の美を飾って欲しいものです……。
 6650系が尾張旭へ向けて発車して行くのを見送った後は、すぐにやって来た6750系の栄町行 (^O^) に乗って用務先へ。昼にご馳走になった地下鉄浄心駅近くの「ひつまぶし」は、うなぎが舌の上でとろけるような感覚の絶品で、かなりヤバかった……(笑)。電車も食べ物も手頃な値段で美味しい名古屋の伝統は、名鉄で怒濤のように進む新旧交代劇のために揺らいでいる……というのが個人的な印象なのですが (^^;)、せめて瀬戸線の釣掛は一日も長く残って欲しいと思いつつ、5月末の名鉄シリーズを締めることにします。
 しかし、名古屋出張ついで鉄はまだまだネタが……。続きは改めて (^^;

危機迫る瀬戸線オリジナル車 (2) 6600系

2008-08-25 15:26:44 | 都市民鉄 (中京圏)


 このたび名鉄瀬戸線が栄町直通を実現してから30年が経ち、昨日はそれを記念するイベントがあったようです (その模様は、リンク頂いているKaz-Tさんのブログ「Kaz-T's blog レインボーライン」にて紹介されています)。個人的には栄町付近のトンネルを行く釣掛のデラックス・サウンドにしびれるのもさることながら、出来ることならタイムマシンを利用して、栄町直通以前の瀬戸線に乗ってみたかったなぁ……と思います。のち揖斐・谷汲線に転じた700・750・2320形や、北陸鉄道に転じた900形といった戦前の名車たちが、名古屋城の外堀 (水はなし) の中をゴロゴロと走り、しかもガントレット (上下線が単線並みに細くなりながらも決してポイントはなく合流できない特殊な配線) というお楽しみもあったという……。もちろん利便を考えれば、堀川という中途半端な場所 (鶴舞線丸ノ内駅の北) が起点であるよりも、繁華街ど真ん中の栄町が起点である方が良いに決まっていますが、鉄道雑誌などで昔の瀬戸線の様子を知れば知るほど、失われた光景への思いも募ります (ま、これら瀬戸線の古強者たちは後に全て乗りましたので良いのですが ^o^)。



 というわけで、かつて名鉄に足繁く通った80年代、古豪が去ってすっかり模様替えした瀬戸線には一度も訪れなかったのですが……いま考えてみるとそれはとんでもない大失態でした (滝汗)。何故なら……当時の瀬戸線には、栄町開業のシンボルとして新造のオリジナル車・6600系が12両投入されていたものの、それだけでは到底足りるはずもなく、本線系から3730・3780といったHL車が大量に転属し、めくるめく釣掛ワールドが展開されていたからです……。戦前製の下回りを持つ雑多なルーツの車両が走り回っていたということで、まるで3000系が走っていた頃の東武野田線に近い世界! まぁ、野田線との最大の違いは、2扉転クロ冷房車の3780が走っていたことでしょうか。そしてもう一つ、冷房はないもののピカピカな6600系が相当な存在感を放ちまくっていたのも大きな違いでしょう……(ヘロいHL釣掛の冷房車3780と、暑いけど新型の6600、どちらを選ぶかは一時期の瀬戸線における「究極の選択」だったのかも ^^;;)。こんな濃いぃ世界を見逃してしまったとは……うぅ、つくづく10代の頃の私は浅薄でした (爆)。
 そこでいま6600系を眺めると、そんな思いがあらためてこみ上げて来るとともに、パノラマカーの廃車発生品である古いクーラーを載っけてますます濃いぃ雰囲気になった姿をいつまでも……と思うのであります (*^^*)。しかし、ついに現れた瀬戸線用の新型車4000系は、これまでの瀬戸線の雰囲気とは全く異質であり、既に車齢が30年に達した6600系もそう遠くないうちに釣掛車と同様置き換えられるのかと思うと、何とも寂しいですね……。現在瀬戸線で最大勢力を誇る6000系 (5次車タイプ) は、恐らく本線系に戻されるでしょうが、6600系は車齢といい、クーラーの古さといい、転属を期待させる要素に乏しいことは否めません……。
 もし6600系が転属するとすれば、三河線7700の置換用でしょうか? 少なくとも6000系が本線に戻れば、間違いなく三河線に充てられそうですので、久しぶりに7700系の記録もしなければなぁ……と思っています。

危機迫る瀬戸線オリジナル車 (1) 6750系

2008-07-28 21:57:45 | 都市民鉄 (中京圏)


 5月末の名古屋出張シリーズ、アップする話題が前後してしまいましたが (汗)、パノラマカー→城北線と撮り歩いたあとは、用務先が瀬戸線某駅徒歩10分という何とも言えない場所にあることから (^o^)、アポをとった時間になるまで久しぶりに瀬戸線を楽しんでみることにしました。
 もっとも、勝川から寿司詰めの中央線211系に揺られて大曽根に着いたのが8時40分頃、そして用務先に行くために最寄り駅で下車しなければならないのは9時45分頃でしたので、実は時間がほとんどないという……(^-^;;)。しかも、瀬戸線の運用はほとんどランダムですから (だと思います)、短時間のあいだにちょうど良い案配で釣掛6750系がやって来なければ、瀬戸線を訪れる楽しみの多くをフイにしてしまうことにもなります。というわけで、短い滞在時間であれもこれも……と欲張ろうとしても、多分うまく行かないことは覚悟していたつもりでした。
 しかし……大曽根駅の瀬戸線ホームに上ったところ、何と!! 栄町行として6750系の1次車 (2+2両・二段窓の希少価値車で、予備車的存在) が到着!! しかもその直後、瀬戸行としてノーマルな6750系も到着!! というわけで、一瞬のうちに行動計画を頭の中で計算し、まずは喜多山まで釣掛サウンドを激賞のうえ、喜多山で6750系1次車を迎え撮ることに決定です (^^)。



 大曽根を発車した6750系は、普通電車ですので決して過激なシャウトというほどでもありませんでしたが、瀬戸へ向かって緩やかに続く勾配を登って行くために盛大な釣掛サウンドを響かせてくれます (*^^*)。とくに喜多山駅手前の、急カーブと勾配が連続するあたりは、何ともシブい走りを披露……! これだから瀬戸線は何度訪れてもやめられません。
 そして喜多山では実に絶妙なことに、6750系の並び (1枚目の画像) が実現!\(^O^)/ この顔の編成は瀬戸線に5本現存しているとはいえ、たまに訪れた際に並ぶところを目にするのは至難の業です。それがいとも呆気なく実現するとは……うーん、運を使い果たしていないか心配になりますね (^^;)。
 それにしても、普段はバブル期以降のデザインの電車にはほとんど何の興味も持っていないにもかかわらず、何故6750系となるとこれほど盛り上がってしまうのか……。それはやはり何と言っても、6750系が3850・3900系の生まれ変わりとして名鉄に最後まで残った釣掛式電車である、ということに尽きるでしょう! むかしはそれこそHL車の3700系列や、AL車の一部にパノラマカー並みの車体を載せた7300系など、この手の車体新造釣掛車はゴロゴロしていたのですが、思慮深さというものを知らない10代の頃の私は、単純に「車体が古くない」という理由だけで、これらの車両を「またお前が来たのかよ……」と邪険に扱っていました (爆)。そんな浅薄だった自分の過去への悔恨も、6750系万歳!を叫ぶココロの片隅にあるのは申すまでもございません……(^^;)。
 ともあれ、何とも幸先の良いスタートを切った瀬戸線訪問、朝9時半まで濃いぃひとときが続くことになるのでした。続きは改めて……(^^