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地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

東急恩田通信・旧入換車惜別展示 (?) 編

2009-05-14 00:19:00 | 事業用車両


 【他の記事に頂いたコメントへのレスはもう少しお待ち下さい m(_ _)m】
 ここしばらく、東急テクノシステムでの地方向け譲渡改造が一段落していたことに加え、GWの前後は出退勤ついでに恩田に寄るという行動パターンをとる機会もなかったことから、恩田ウォッチも少々ご無沙汰となっていたのですが、昨日は久しぶりに時間を確保し、退勤ついでの恩田見物を決め込んでみました。
 今回のお目当ては、テクノシステム内でゴソゴソと改造が行われていた9002Fのその後の状況を観察することに加え、既にネット各所で臨時の入場か廃車か諸説紛々な8091Fがどうなっているのかを確認することでしたが、こどもの国線の電車が恩田の構内にさしかかるや……そんな当初の目的は完全にどこへやら、感動と驚きの光景が目の前に広がっているではありませんか! 今年1月のアント導入以来完全に失職し、長らく無架線地帯の廃車候補車コーナーに放置されていたデワ3043・デキ3021・ED301が揃いも揃って、眺めやすい位置=改造待ち&改造中車両の待機コーナーに引き出されているという……(^O^)。



 そこでまずは線路と川のあいだの遊歩道に向かいまして、柵の外から超望遠撮影! (1枚目……35mmフルサイズ換算480mmで撮影後、大幅にトリミング) その後は構内を見下ろす公道からED301先頭で編成写真 (?) を撮影! 現役当時は2両連結で留置されていたことはあっても、結局3両連結状態は目にしたことがなかったことから、長きにわたって長津田工場の黒子役として地味に活躍を続けた3両の旧入換車が最後に (?) 魅せた3重連状態にすっかり魅了され、撮影後もしばし神々しい光景を眺め続けてしまったのでした……。まぁホントは、9002Fが長津田工場側に移された結果空っぽになったテクノシステムの屋内に、アントが別の車両を押し込まないかどうか待っていただけなのですが (笑)。
 それにしても……この3両はアントに職を奪われて既に御用済みである以上、廃車候補車コーナーからダイレクトに工場内に取り込まれて解体、あるいはトレーラーに移されて陸送のうえ解体……という運命をたどってもおかしくありません (-_-;)。しかし、そうならずに敢えてこれほど眺めやすい位置に並べられているあたり、個人的には長津田工場のファンに対するサービス精神を感じずにはいられないわけです……。そんなご厚情に対し、こんなブログの場ではありますが、心より謝意を表したく存じます。(実際には、単に8091Fの留置場所確保のために移動させたに過ぎず、ファンサービスは特に考えていないというのが真相? ^^;)。
 3両の今後は、果たして解体か保存か……引き続き気になりますね。


 クハ9102の正面下回りがだいぶキレイになっていますが、果たしてどのような改造をしたのでしょうか? そして、空っぽの表示器まわりは、今後果たして幕を戻すのか、それともLEDになるのか……。
 いっぽうの8091Fは、きょう入場した3009Fが速攻で工場内に取り込まれたのとは対照的に、無架線地帯に留置された状態ですので、恐らく通常の入場とは異なる目的で恩田入りしているのでしょう。そして、デハ8491・8292が抜かれ、8091+8192+8092の状態で留置中。わざわざ両端を先頭車にした3連を組んでいるということは……まさか伊豆急向けに電装化されたクハと同じく、先頭車のうちどちらかを電装して地方私鉄に持って行く可能性もゼロではない……?? 全車廃車にするのであれば、手の込んだ (?) 中間車抜き取りをしないと思われるわけで……。しかし8090系は超軽量車。そのクハともなれば、果たして電装化に対応出来るほど十分な強度の台枠を備えているのでしょうか?? 考えれば考えるほど頭の中が……(^^;)。取りあえず今後、もし実際にテクノシステムに取り込まれれば地方譲渡は間違いないでしょうが、現段階では以上の駄文はあくまで状況判断による妄想に過ぎませんので悪しからず (笑)。

東急恩田通信・デハ8841先頭化完成編

2009-02-17 14:42:32 | 事業用車両


 しばらく東急テクノシステム内で先頭車化改造が進められていた8624Fの中間車・デハ8841は、同じ非貫通といっても秩父7002・7202とは異なり、かなり忠実に貫通車の形状を再現するものとなっていたことから、改めて広く注目を集めている (ような気がする) ところですが、本日ついに改造が終了し、新型アントを用いてテクノシステムから工場屋内に移動されました! (→現在外からは見えません)
 約1ヶ月ぶりに出勤ついでの恩田見物を……と何となく思いまして、まずはラッシュ輸送を終えて長津田に戻る8606Fや8694Fを田奈で激写したあと、うまい具合にやって来たバスに乗って恩田に向かったところ……東急テクノシステム社屋の車両出入口のあたりが賑やか! 見たところ……8841の先頭化工事が完成し(今回は秩父7002・7202のような作りかけではなく、運転席周りの艤装や行先表示LEDの取付が全て終わった状態)、テクノシステム社員の皆様が丁寧に車体を拭いたり、車体の周囲の脚立や作業台を撤去したり……。そこで「をを~完成だ!」と思い眺めていたところ、やがて線路上の「作業中」の立て看板が外され、アントが工場側から本線を渡ってお出迎え!! 何と……先日の広瀬川原に続いて超レアシーンに遭遇してしまったようです(*^^*)。願わくば、デワ3043かデキ3021・ED301の出番ならば良かったのですが、この3両の姿は既に全く見えません (泣)。



 引き出された3両は、例によって車番と社紋部分に覆いがされていますが、今回は段ボールなどを用いてやけに厳重な気が……(^^;)。そこで気になる譲渡先ですが、とりあえずドアスイッチが未装備で、クーラーカバーに雪除けの蓋を装着できるようになっていますので、例によって長野に行く可能性が大なのでしょうか?!
 しかし……気になるのは、原形を保ったままのデハ8524と、先頭化されたデハ8841を見比べてみると、その違いは単に貫通か否か、運番窓が残っているかどうかといった点以上に大きなものがあるという点です。特に……デハ8841の屋上アンテナの形状が既に長野に行った車両とは異なるだけでなく、8524にはない大振りなヘッドマークステイが8841に取り付けられている……。このため、高運転台かつ車番が運転席窓の上にあるという、新バージョンの顔となっています。(両者の違いは「続きを読む」からどうぞ)
 そこで、デハ8841の用途は、
*もし長電の場合……特急代走用? (HM装着可)・湯田中入線可?
*もし長電でない場合……別の会社? しな鉄? 富山地鉄ラッシュ用……?
 (ドア開閉用ボタンがないので、弘南ではないでしょう)
……などなど、妄想は止むところを知りません (汗)。富山地鉄?!と思ったのは、正面に丸い行先サボを取り付ける機会がしばしばあるためですが、さらに考えてもみれば、ステイの形状が既存車と全然異なりますので、やっぱ違うか……(^^;)。8500系に富山地鉄風の5ケタナンバーが付くとしたら最高にワクワクするのですが……(笑)。

※アップの都合上、17日付記事とさせて頂きます。




東急恩田通信・入換用新型アント出現編

2009-01-14 16:28:51 | 事業用車両


 新年の黄色つながりシリーズ、さらに西へ向かう予定だったのですが、思わぬ伏兵の出現によって、急遽地元・神奈川県に戻って来るはこびとなりました……。
 去る師走の秩父7000系甲種輸送以来、個人的な多忙に加えて、車両の動向がしばし止まる年末年始が重なったため、長津田&恩田界隈への探訪は約1ヶ月ほどご無沙汰になってしまったのですが、そろそろテクノシステムで改造中の8624Fの様子が気になりまして、仕事帰りに田奈で途中下車してみました。
 しかし……徒歩で到着した長津田工場で目にしたものは、年始早々衝撃の光景……。何と、新たな入換用機械として、アント工業製の大型 (?) アントが2両入線し、ちょうど入場したばかりの3000系を早速牽引しているではありませんか……(@o@)。とりあえず、2両のアントには「AD84」「AD85」という番号が付されており、恐らく「A」はアント、「D」はディーゼル車を意味していると思われます。
 この2両の入線は恐らく、最早骨董品の域に達したデキ3021やED301を置き換えるためなのでしょう……。既にED301は昨年秋からずっと正門脇で眠ったままですが、昨年末までは活発に動いていたカラスことデキ3021も、2両のアントにすっかり役目を譲り、普段は廃車予定の8000系列が並べられている無架線ゾーンの一番奥に置かれている光景を、こどもの国線車内から目撃した次第です……。



 かねてから、無架線ゾーンにまたがる車両の移動には、工場内で通常動いている無軌道対応アントが用いられており、しばしば恩田駅ホームの脇までアントが出て来ていたものですが、ついに架線下用入換車もアントの天下となったということで……個人的に専用線などで見かけるスイッチャー・アントの類は大好きではありますが、置き換える対象が余りにも貴重な古強者だったりすると、非常に複雑な気分ですね……(-_-;)。ELの余りの古さから、いつかは新型車両に置き換えられるだろうと薄々予想しつつも、それが余りにも突然で、しかもパンタが付いた電動車ではないとなると、恩田の入換風景の魅力が一気に減ってしまいそうな気がしています (まぁ、それでも昭和のステンレスカーをめぐる動きが続く限り、何のかの言って恩田を訪れることになりそうですが ^^;)。
 ちなみに、デワ3043はまだ架線下に留置されており、屋根も心なしかキレイになったような……。いつ故障するか分からない旧型入換車3両の役割を新型アント2両が担うのはいともたやすいことであると思われ、デワ3043もこのまま置き換えられてしまうのかも知れませんが、今後少しでも長く恩田で生息する姿を眼にすることが出来れば……と思うのみです。
 それにしても、当ブログの新年初更新では、デキ3021ほか古豪事業用車両の益々の活躍を祈念したばかりだというのに、これは一体……何てこった……。

京急デト15+16、旧1000形とともに憩う

2009-01-07 00:05:50 | 事業用車両


 神奈川県内の黄色い事業用車ということでもう一発 (笑)、京急デト軍団のうち金沢文庫に常駐するデト15・16をアップしてみましょう。
 京急のデトといえば、通常もっとも活躍しているのは、部品などを積んで定期的に新町←→久里浜間を往復しているデト11・12でしょう。これに対して、出番がないことが望ましい救援車・デト17+18およびクト1&2はさておき、デト15+16の出番の少なさは一体どうしたことか……。
 15+16といえば、もともとはレール運搬車としてクレーンを装備し「デチ」を名乗っていましたが、レール運搬の役目はモーターカーに譲って久しく、単なる無蓋車に改造されて「デト」に改称されましたので (確か……まだデチのままでしたら大変恐縮です ^^;)、11+12と交替で配給電車の運用に入ってもおかしくないはず。それでも、普段はまるで継子扱いされているかのように文庫の片隅に放置され、せいぜいたまに通電のためパン上げしているにとどまっているのは……たぶん有蓋部分が狭く (客用扉+戸袋窓分のスペースがない)、室内に積んでおきたい資材を運ぶ際に不便をきたすためなのかも知れません。個人的には、パンタの台座を兼ねて無蓋部分へと伸ばされたヒサシ屋根の存在から、11+12よりも15+16の方が何気にカッコ良く思われ (*^^*)、もっと活発な動きを期待しているのですが……11+12の検査入場などがない限り難しい話なのでしょうか?



 さて、そんな不遇なデト15+16ですが、留置位置がだいたい決まって八景駅近く・横浜市大前踏切の脇と決まっているのは不幸中の幸いとしか言いようがないでしょう。とにかく撮りやすい……(^O^)。あ、もちろん公道と文庫検車区敷地とのあいだには仕切壁と鉄条網がありますが、最近のデジカメの進歩は本当に有り難い……。デジ一眼でもだいたいの画角を決めてから手を高く差し出してノーファインダー撮影を行い、1カット切るごとにモニタで確認しながら微妙にレンズの向きを変えることで、会心のカット (1枚目) を得ることが出来るという……(^^)v
 そして、このとき (昨年9月 ^^;) は両脇に旧1000形が並び、まさに両手に花状態!! (^O^) 旧1000も昨年はあれよあれよという間に減少し、以前はいくらでも見られた旧1000とデトの並びも、最近では必ずしも見られるとは限らず……。そんな中、京急名物「入庫時デタラメ表示」(たとえば今回の画像……A急行浦賀行きなんてまずあり得ない!! ^^;) を出した旧1000形と仲良く昼寝をしている光景は、見ているこちらとしても嬉しさ100倍な反面、あともう少しでこんな当たり前な光景も見られなくなってしまうのか……という寂しさが募るのでした。

伊豆箱根大雄山線の黄色い老雄・コデ165

2009-01-06 00:16:14 | 事業用車両


 さらに神奈川県内の私鉄事業用車&元相鉄つながりで (^^;)、大雄山線のヌシ・コデ165をアップしてみることにしましょう。
 小田原駅の片隅から出発する小路線として、かつて箱根登山と伊豆箱根大雄山線がそれぞれ重厚な釣掛式電車を走らせており、東海道線を下って来るとまずは大雄山線のくすんだ西武色の電車がお出迎え、これに対して箱根登山は小粒ながらもピリリと辛いモハ1~3形が存在感を主張していたものです。しかし、私が物心ついた70年代後半には既に、かの箱根山戦争も勝負が見えていたような……。そこで当時グリーンとクリームだった伊豆箱根バスだけでなく、国鉄・西武・相鉄の中古をかき集めた大雄山線も、箱根登山の電車・バスと比べて相当地味~な印象があったのは否めません (大雄山線はもともと最乗寺への参詣電車と小田原近郊電車を兼ねた路線ですので、箱根山戦争とはそれほど関係ないのですが ^^;)。
 そんな大雄山線と私との付き合いといえば……幼少時から温泉旅行で乗る箱根登山の旧型車が大好きだったことに加えて、大雄山線沿線には用がない家に育ったため、小学校の頃までの大雄山線の印象は「恐ろしく地味で古過ぎ謎めいた電車」というもの (^^;)。しかし、だからこそそんな大雄山線のことが次第に気になって仕方がなくなり、中学生になってからはさっそくカメラ片手に何度か、5000系入線前後の大雄山線を撮り歩いたものです。
 もっとも、当時の最大の狙い目は、何と言っても17m国電の残党! モハ154~156とクハ183は車内がニス塗りという垂涎モノの車両であり、しかも154・156は前パン! これらに次いで、後パン&車内ペンキ塗りに改められたグループが当たり……ということで、もと相鉄2000系の160番台グループはイマイチ優先順位が下がっていたのは否めません (^^;)。いや、もちろん今も昔も日常的に相鉄に親しんでいる身として、普段はかしわ台でしか見られなかった2000系が主力として走っている光景は、当時でも「素晴らしい!」のひとことでしたが、他がもっと強烈な存在でしたから……。



 こんな選り好みの思い出も、今考えてみればゼイタクこの上ない話 (爆)。1984年に登場した大雄山線の新星・5000系は、大雄山線にしては余りにも斬新だったことから、「まぁどうせ1本や2本、見かけ倒しで導入するだけで、整備状況が良い元相鉄グループはたぶん長く残るだろう」と思っていたのも束の間……5000系は第2編成以後ステンレスに移行していつの間にか大 (?) 増備され、旧型車の残りは両運転台の牽引車に改造されたコデ165のみとなってしまいました (汗)。
 そんなコデ165、無蓋車を牽いる工事用列車として活躍することもあるようですが (→形式名の「コデ」は「工事用電車」そのまんまか?)、出番は夜間に限られる……ということで、白日の下でその勇姿を眺めることが出来るのは、5000系が東海道線を介して駿豆線の大場工場との間で甲種輸送されるときに限られます。まぁ、このへんの話題はDJ誌にも時刻が載るほど有名な話ですので、これ以上の説明も不要というものでしょうが、平日ごくまれに走るのみということで、撮影の機会がそうそう巡って来るわけでもなし。しかも、往復をうまく撮影するのであれば、薄曇り程度がベストコンディション。これは難度の高い撮影です……。
 というわけで、あらゆる制約を克服して、釣掛サウンドも高らかに走るコデ165の走行をうまく撮影できたときは、思わずガッツポーズ (^O^)。端で見ている分には、単行の際の起動はアッと驚くほどパワフルで、5000系3連を牽引するのも楽勝という雰囲気ですので、今後ますますの長寿と撮影チャンスの再来を心から願いたいものです……(^^)。
 ちなみに、相鉄2000系のこの車体は、本家相鉄の2000系およびモニ2000、大雄山の160番台のほか、日立のクハ2501・2502、三岐の155・156といった車両に流用されていますので、いずれ鉄コレとしての登場を願いたいところですね~(とくに相鉄は緑系ツートン希望 ^^)。これに加えて、幻の銚子電鉄バージョン (確か重すぎるためにデヴュー出来ず、犬吠駅前のレストランとして流用中) とか……(超爆)。