尾張廼家苞 五之上

熊野にまうで侍し時切目ノ宿にて海邊眺望といふ心
をのこどもつかうまつりしに 具親
ながめよとおもはでしもや歸るらん月まつ波のあまの釣船
海邊にて月をまつほど、月の出べき方の波の上を、釣舟のか
へるをながめてよめる意也。あの釣舟は、我にかくながめよと
思ひて今かへるにてもあるまじきにやあらん。されど月もまた
出ぬほどなれば、おのづから先ながめらる事よとよめる也。二ノ句
しもといふ詞は、必しもさやうにてあらざらめともといふ味なり。

歸るといへるも月まつ比にかなへり。すべてかやうの所に心をつ
けて、かけ合をおもふべき事也。
八十に多くあまりて後百首歌めしゝによみて奉し
俊成卿
しめおきて今やとおもふ秋山のよもぎがもとにまつ虫のなく
いたく老ぬれば、かねて墓所をしめ置て、今や/\とおもへ共、
また死もせず、かうながらへて居れば、其しま置たる所の蓬が許
に、松虫も我をまちわびてなくと也。さる老人の情、いかに心
ぼそかりけんと、哀なり。秋山は松
虫の縁なり。結句詞よわし。いくたびも打吟ずれば、よわきか
よわからぬかはしらるゝ物なり。
千五百番歌合に

あれわたる秋の庭こそ哀なれまして消なん露の夕暮
下句は、今だにかくあれたる庭の、我露と消なば、まして
いかにあれなんと也。夕ぐれは、露のあはしらひにて、これは
縁あり。死にも
よせあり。夕ぐれを死る縁也とは、秋風を厂の縁也といはるゝと同じ事也。
縁語にはあらねど、折からの似合しき也。人の死るに、いつとはいふ事
はなけれど、夕ぐれよはなどは似合しくて、昧且正午などは
似合しからず。こゝも其似合しきにとりて、夕暮とよみ給へる也。
題しらず 西行
雲かゝる遠山畑の秋さればおもひやるだにかなしき物を
此哥心えがたし。もしは初二句は親しき、友の墓所にはあらざるか。下ノ句
いとかなしげ也。下の古畑云々友よぶ声のとある所とひとつなるべきか。
※古畑云々友よぶ声の
新古今和歌集巻第十七 雜歌中
題しらず
西行法師
古畑のそばのたつ木にゐる鳩の友よぶ聲のすごきゆふぐれ
よみ:ふるはたのそばのたつきにいるはとのともよぶこえのすごきゆうぐれ 定隆 隠
意味:荒れ果てた畑の近くの切り立った崖に立つ木に止まっている鳩が、友を呼んで鳴いて、声がもの寂しく聞こえる夕暮だ。本当に友を呼んでいるのは私自身かもしれない。
備考:西行上人集では「述懐の心を」 歌枕名寄、新古今注、九代抄、九代集抄
俊成墓 伏見区深草願成町
