尾張廼家苞 五之上

故郷月 寂蓮
故郷の宿もる月にことゝはん我をばしるやむかしすみきと
出家して後に、在俗のころ住たりし家に行てよめる哥也。
むかし我こゝに住たりし事を、宿もる月はしりたりやと也。
和歌所歌合に海邊月 慈円大僧正
和歌の浦に月の出しほのさすまゝによるなく鶴の聲ぞ悲しき
二三ノ句は、月の出しほの汐のさすまゝにといふ秀句也。よるなく隺の聲とは、白
詩に、夜隺懐子籠中鳴とあるによしありげなれど、こゝはたゞ隺のよる

なく聲といふ事也。月の出しほに汐のみちくれは、
立所なしとて、隺のよるなくこゑのかなしと也。
定家朝臣
もしほくむ袖の月かげおのづからよそにあかさぬすまの蜑人
もしほをくむすまの浦人は、袖に月をやどしてみむとはおも
はねども、おのづからやどりて、よそならず月を袖にみてあかすと也。
秀能
明石がた色なき人の袖をみよすゞろに月もやどる物かは
此歌くさ/"\論あり。まづ色なき袖とは、例の紅の涙に
ぬれぬ袖なれど、此歌にては紅の色のことはさらに用なければ、
たゞぬれぬ袖といふ意なるべきを、色なきといへるはあまりなる

事なり。一首を誤解していはるゝ事なれば、此論みな當たらず。二三ノ句は、蜑
のなみにぬれたる袖をみよ也。それにも月はやどれとも、物をあはれと
おもひ入たるにあらざれば、色なくうつる也。さてわが月をあはれとおもひ入たるそでには、
紅にうつる事をきかせたり。月を哀とおもはぬ人の袖には色なくやどる反なれ
ばおのづからしか聞ゆる也。下句は、月をあはれとおもふ人の袖には紅にやどり、あはれ
とおもはぬ人の袖には色なくやどりて、必差別ある事也。すゞろに心もなくやどる物には
あらず
となり。又明石がたも下にかけ合たる事なければはなれば聞ゆ。
なみにぬるゝぬれぬも、月のやどりやどらぬも、みなあかし泻
にての事也。岳べの松となからんからに、いかでかはなれて聞ゆべき。一首の意は、明石
がたの人の袖をみよ。しほくみなどして濡たる袖にこそ月もや
どれ、同じ所の人にても、ぬれぬ袖には月もすゞろにハやどりはせず
然れば、すへて月の袖にやどる事は、あはれと見て涙をこぼし
てぬらす人の袖にこそやどれ。あはれともみず涙にぬれぬ袖
にはすゞろにやどる物にはあらずといふ意なるべし。以上誤
解也。人

の袖をみよといふ詞、上なる慈円大僧正の哥にもあり。羇旅
の部
に、立田山秋行人の袖をみよ
木々の梢は時雨ざりけり。 いづれか先んりけむしらねども、すべて人
のめづらしき詞をよみ出れば、うらやみて、事のさまをかへりて、又其
詞をぬすみよむこと、此集の比の人々のくせにて、いとよろしからぬ
ことなりかし。これは古人のためこゝろくるしきいひごとなり。今我其冤を洗
べし。まづ人の哥を盗む事は、喪に初まなびのさかし立たる人によくある
事なれと、一家といはるゝ哥よみには、今時とてもをさ/\なし。まして此比の豪
傑、縦横自在にいはるゝ才器にて、いかでかさる心きたなき事はあらん。為家卿より
こなたは、上下に縁の語を置て結構したつる哥なれば、めづらしき詞といふ
はなし。此集のころは、新哥をつとめたる物なれば、世にまづらかなる事も時々は
いでくるを、其卿のよみし詞、某朝臣のいひし事と、所さりて、ふたゝびよみたる事はなし。
六百番哥合の難陳に、当時の人の哥の、百首歌合などはれがましき時の哥
にもあらず。たゞ何となくよみ出たる哥とも引出て、云々の歌に似たりと難じたる
事ともあるは、その比のならひ、さるうち/\の哥までも、本歌をさけし故の事也。さ斗
用意深き人々を、ぬすみよむといはるゝはあまりに心ぐるし。此比の家集百首哥合など
と多かる引出て、本歌を求みるべし。自の哥にはまれ/\有。人の哥には絶てなき事也。

雅經卿の、人の詞をとられしといふ事有。そはたま/\人の哥を忘却しての事なるべきをいみ
じき事にて談柄にしたるにても、當時本歌を避し事をしるべし。さて袖をみよは、うつ
るもくもる、初雪白しなどやうに、めづらしき詞にもあらねば、所さらずしてよみたるン李。正明
もさきに一度よみつ。今人のいくたびよまんも難なき事也。
※白詩に、夜隺懐子籠中鳴
白氏文集 五絃彈
五絃彈
聽者傾耳心寥寥
趙璧知君入骨愛
五絃一一爲君調
第一第二絃索索
秋風拂松疏韻落
第三第四絃泠泠
夜鶴憶子籠中鳴
第五絃聲最掩抑
隴水凍咽流不得
五絃彈
聽者傾耳心寥寥
趙璧知君入骨愛
五絃一一爲君調
第一第二絃索索
秋風拂松疏韻落
第三第四絃泠泠
夜鶴憶子籠中鳴
第五絃聲最掩抑
隴水凍咽流不得
※上なる慈円大僧正の哥にもあり
新古今和歌集巻第十 羇旅歌
詩を歌にあはせ侍りしに山路秋行といふことを
前大僧正慈圓
立田山秋行く人の袖を見よ木木のこずゑはしぐれざりけり
よみ:たつたやまあきゆくひとのそでをみよきぎのこずえはしぐれざりけり 隠
意味:立田山の秋を行く私の紅涙で染まった袖の色を見なさい。それ比べれば木々の梢はまだ時雨に遭ってなにように色が薄く思われる。
備考:元久詩歌合。八代集抄、枕枕名寄、美濃の家づと、九代抄。
※うつるもくもる
新古今和歌集巻第一 春歌上
百首歌奉りし時
源具親
難波潟かすまぬ浪もかすみけりうつるもくもるおぼろ月夜に
よみ:なにわがたかすまぬなみもかすみけりうつるもくもるおぼろつきよに 隠
備考:後鳥羽院後度百首。八代集抄、歌枕名寄、新三十六人歌合、美濃の家づと
※初雪白し
新古今和歌集巻第六 冬歌
百首歌に
式子内親王
さむしろの夜半のころも手さえさえて初雪しろし岡のべの松
よみ:さむしろのよわのころもでさえさえてはつゆきしろしおかのべのまつ 定隆 隠
意味:昨夜の独り寝の片敷いた狭筵の夜着の袖が冴え冴えていると思ったら、初雪で岡の辺りの松が白くなっている。
備考:正治二年後鳥羽院初度御百首歌。久保田純説「白氏長慶集第六 冬夜」の本文取り。参考歌 さむしろに衣片敷き今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫(古今集恋四 よみ人知らず)。狭筵と寒しの掛詞。美濃の家づと、九代抄、九代集抄