浄藏貴所飛鉢事
浄藏貴所と聞ゆる善宰相清行の子並びなき行人也。山
にて鉢の法を行ひて鉢を飛しつゝ過ける比或日空しき
鉢ばかり歸來て入る物なし。あやしく思程に此事つゞけ
て三日になりぬ。驚て道の間に何なる事のあるぞ見んと
思て四日と云日鉢の行方の山の峯に出て伺ける程に、我
鉢と覺くて京の方より飛くるを北の方より又あらぬ鉢
のき合て、その入物をうつし取て本の方へ歸り行ありけ
り。是を見るにいと安からず。さりともとこそ思ふに、だれば
かりかは我鉢の物うつしとるわざをせん。此事目ざましき者
のしはざ哉。見んと思て、我が空き鉢を加持して其をしる
べにてなん、はる/"\と北を指て雲霧をしのぎつゝ分入ける。
今は二三百町もきぬらんと思程に、ある谷はざまの松風ひ
びき渡ていさぎよくこのもしき所に一間ばかりなる草の菴
あり。砌に苔青く軒近く清水流れたり。内を見れば年た
かき僧のやせをとろへたる只ひとり居て脇息によりかゝり
つゝ經をよむ。いかにも只人にあらず。此人のしわざなめりと思
程に浄藏を見て云やう、何くよりいかにして來り給へる
人ぞ。をぼろげにても人のまうでくる事も侍らぬをと云。
其事に侍り我はひゑの山にすみ侍ける行者也。しかるに
月日を送るばかり事なくて、此程鉢をとばしつゝ行を
し侍るに昨日今日こと/"\しくあやしき事の侍りつれば、
うれへ申さんとてまいり來るなりと云。僧の云樣ゑこ
そしり侍らぬね。いと不便に侍る事哉。尋侍らんとて、し
のひに人をよぶ即菴のうしろの方よりいらへて來る人を
みれば十四五ばかりなるうつくしき童子のうるはしく唐装
束したるなり。僧是をいさめて云樣此仰らるゝ事は汝
がしわざか。いとあたらぬ事也。今よりはさるわざなせそ
と云へば、かおうちあかめて物もいはで歸りぬ。かく申つれ
ば今はよもさやうのわざは仕らじと云。浄藏不思議の思
をなして歸りさらんとする時、僧の云やう、はる/"\と分來
給て定てくるしく覺すらん。しばし待給へ。饗應し奉ら
んとて、又人をよぶ。同じさま童子いらへてさし出たり。
かくとをき程よりわたり給へるにしかるべからん物まいら
せよといふければ、童子歸り入て、るりのさらに唐梨のむき
たるを四いれて檜扇の上に並てぞ持來。其それとすゝむれ
ば是を取てくふ。味のむまき事天の甘露の如し。わづかに
一菓をくふに身も冷に力らつきてん覺へける。即雲を
分つゝ歸るほどに道もちか/"\しく見へざりければ、何とも
覺へず。そのさま只人とは見へざりき。讀誦仙人なんとの類ひ
にやとぞ語りける。