或女房參天王寺入海事
鳥羽院の御時ある宮腹に母と、むすめと同じ宮づかへする
女房ありけり。年比へて後此女母にさき立て、はかなく
成にけり。歎きかなしむ事限なし。しばしは、かたへの女房も
さこそ思らめ理りぞなんど云程に一年二年ばかりすぎぬ。
其歎更にをこたあらず。やゝ日にそえていやまさりゆけば祈あ
しき時も多かり。こといみすべき比をも分ず涙をおさへ
つゝ、あかし暮すを人目もをびたゞしく、はてには此事こそ心
得ね。をくれ先立ならひ今初ける事かはなんど口やすか
らずざゞめきあへり。かくしつゝ三年と云年、ある曉に人に
もつげず白地なる樣にて、まぎれいで、きぬ一つ、てばこ一つ
計をなん袋に入て、めのわらはにもたせたりける。京をば過
て鳥羽の方へ行ば、此めの童心へず思ふ程になを/\ゆき
ゆきて日暮ぬれば橋本と云所に留りぬ。明ぬれば又いで
ぬ。からうじて其夕べ天王寺へまうでつきたりける。さて
人の家かりて是に七日ばかり念佛申ばやと思に、京よ
りは其ノ用意もせずたゞ我身と、めの童とぞ侍るとて
此持たりける衣を一つぬぎてとらせたりければ、いと
安き事とて家主なん其ノ程の事は用意しける。
かくて日毎堂にまいれて、をがみめぐる程に又こと思
せず、一心に念佛を申たりける。手箱きぬ二とは御舎
利に奉りぬ。七日にみちては、京へ歸るべきかと思程に
兼て思しよりいみじく心もすみて、たのもしく侍り。此次
に今七日とて又衣一ッとらせて二七日になりぬ。其後聞
は三七日になし侍らんとて猶きぬをとらせければ、なにか
はかくたびごとに御用意なくとも、さきに給はせたりしにて
も、しばしは侍ぬべしと云へど、さりとて此料に具しありし
物を持て歸るべきに非ずとて、しゐて猶とらせつ。三七日
が間だ念佛する事二心なし。日數みちて後云やういま
は京へ上るべきにとりて音にきく難波の海の床敷に見
せ給てんやと云へば、いと安き事とて家のあるじ、しるべ
して濱に出つゝ則舟にあひのりてこぎありく。いと面白と
て今少し/\と云程に、をのづから澳に遠く出にけり。かく
てとばかり西に向て念佛する事しばしありて海にづぶと
落入ぬ。あないみじとて、まどひしてとりあげんとすれど石
などをなげ入が如くして沈ぬれば、あさましとあきれさは
ぐ程に空に雲一村出來て舟にうちをほひてかうばし
き匂あり。家主いと貴くはれにて泣々こぎ歸にけ
り。その時濱に人のをほく集まりて物を見會たるを知ぬ
樣にて問ければ、をきの方に紫の雲立たりつるなんと云
ける。さて家に歸てあとを見るに、此女房の手にて夢の
あり樣を書付たり。初の七日は地藏龍樹來りて向へ
給と見る。二七日には普賢文殊向給とみる。三七日には
阿弥陀如來諸の菩薩と共に來りて向給と見るとぞ
書置たりける。