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本当は毎日生まれ変わっているのが私たち
いつだって限りない可能性の光が満ち溢れている

全てを知っている私の手を取ればいい

2022年10月01日 | 目覚め
Facebook、2022年6月6日にあげた記事。

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「二人羽織」って。
知らない人もいるかもしれないけど。

ににん‐ばおり【二人羽織】
袖に手を通さずに羽織を着た人の後ろから、
もう一人が羽織の中に入って袖に手を通し、
前の人に物を食べさせたりする芸。

見当違いの動きを楽しむ。
寄席や宴会の余興などで演じられる。
(コトバンクから引用)


例えが昭和な感じだけど。

昨日の覚書。

この二人羽織の「袖に手を通さずに羽織を着た私」が、
ずいぶん長い間…頑張って自分だけの力で必死に何かをしようと試みていたけど。

何をどうやっても上手くいかなかった。
自分の力で何とかしなきゃ、とやればやるほど苦しくなる。

そもそも、「袖に手を通した私」が背後にいるなんて知らなかった(忘れていた)し。
自分の背中は、どうやったって自分じゃ見れないし。

だから、私一人が頑張らないと!と必死だった。

それこそ引用にあるように「見当違い」の動きばかりだった。


でも、ふとした瞬間に背後の「私」を垣間見る機会が訪れた。

・・・あれ?

それでも、すぐにはわからない。

わからないのに、自分をあずけるなんて出来ない。
あずけちゃったら、どうなるかわからない。

それでも、間違いなく「気配」を感じ始める。

…何度も何度も。

どうやら、私はもっと大きな私に動かされているらしい…という想いと。
確証のないものに明け渡すのは怖いけど、私一人ではどうにも出来ない!もう無理〜!!

これが前後しながら次々と起きてくる。


「自分」で何とかしようとせずに。
少しずつ「袖を通した私」にあずけることで、ラクになっていくことがわかった。

背後にいて姿は見えないけど。
袖を通した私は全てを知っているらしい。

もう自分が頑張るのはやめよう。

この時、形の上では二人羽織だけど、
中身は一人羽織になったような(としか表現できない)体感覚がフッと来た。

昨日は、それを感じて涙が溢れた。

どうして涙が出てきたのかはわからない。
どんな言葉でも言い表せない何かを感じた。
どっちの私の涙なのかはわからなかった。

この涙の理由もわからなかった。


私は何もわからない。
私は何も知らない。
でも、全てを知っている私の手を取ればいいということだけはわかる。



孤独という感覚が薄れていく

2022年10月01日 | 目覚め
Facebook、2022年6月4日にあげた記事。

このあたりも、言葉にすると…なにいってんの?
という感じになってしまうけど。

先人たちが書いた「目覚め」についての本も、同じような感じ。

そもそも頭で理解できるものではないので、仕方なし。

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毎日の生活の中で色々な動き(出来事)があるけど。

常に、私が私としてくつろいでいる。
穏やかで静か。

どんどん私が抜け落ちていったと感じたにも関わらず。
あれだけ私がいないことを目撃したにも関わらず。

ここでまた私?と思うんだけど。
『私しかいない』ということと。
『私はどこにもいない』は同じ…なんだよなぁ。


何も変わっていないけど、何もかもが変わった。


例えば。
何かを目にした時に出てくる思いが、
まるで漫画の吹き出しのように、身体の外側(空中)にポツンとあらわれる感覚。

身体の内側にとどまらない、沈殿もしない。

あ、と気づくけど…いつの間消えている。


あるいは。
一人でいても誰かといても、常に見え隠れしていた孤独という感覚が薄れた。

生きることが、こんなにもラクだなんて…とも感じる。
だからといって、至福感満載という感じではなく、穏やかで静か。

覚書として。



恐れや執着は実体がないもの

2022年10月01日 | 目覚め
Facebook、2022年6月3日にあげた記事。

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恐れや執着を手放していくと。
あんなことや、こんなことが、ヒラリヒラリと浮かび上がってくる。

すっかり忘れていたのに。
浮かび上がってきたものは、静かに透き通っていく。

その度にそれらが「実体がないもの」だったということに、
あらためて気づかされる。

その実体のないものに焦点をあてている時は。

私個人の問題として「何とかしなければ」とやっきになっていたので、
結果的に抱え込んでいたんだなぁと思う。


その名残り?なのか…
浮かび上がってきたそれに対して何かしら解釈をつけ、
その解釈に対して感情が起こるという動きがあったけど。

それすら取ってつけた感を覚えてからは、ただ浮かび上がって消えていく。

と言っても、そもそも実体がないわけだから、
実際に消えたかどうかなんてわからないし確かめようがないけど。

ほんの一瞬…フッと身体がラクになる感覚は訪れる。


でも、何度も言うように(実体験を通して)段階はあると思っている。
(その段階も自分ではどうにも出来ないけど)

悲しみに打ちひしがれている時。
ショックで茫然としている時。
苦しくてどうにも出来ない時。

そんな時、寄り添ってくれる言葉がどれだけ有り難いか。
黙って側にいてくれるだけで、救われる想いになることもある。

言葉はいらない世界に触れた時に、癒やしが起こり心の重荷が少し軽くなっていく。


昨日の継続セッションのクライアント様。

「なんでわかるんですか?」
「どうしてそこまで知っているんですか?」と何度も涙を流されていたけど。

後半は、笑いすぎて涙をこぼされていた。

言葉にならない世界…。
慈愛に包まれながら進めさせてもらったセッションだった。



いのちは私を動かし続ける

2022年10月01日 | 目覚め
Facebook、2022年6月1日にあげた記事。

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夫が突然亡くなってしまった後。

私は、後悔と罪悪感の中に沈んでいた。


退職したら〇〇に行こう。
退職したら〇〇をやろう。

そう話していた計画を何も実行にうつせず、彼は旅立った。

亡くなる少し前には、その年のボーナスで
新しくサーフィンのボードを買うのをとても楽しみにしていた。

でも、あちらの世界にいった夫からは、後悔の文字は出てこなかった。

それでも、私は自分を責めることで現実逃避をしていた。


もっとこうしておけばよかった。
もっとああすればよかった。


そんな想いの中。

人って、こんなにあっけなく死んでしまうんだ。
そして、いつ死ぬかなんて誰にもわからない。
だったら、やりたいことはやっておかないと。
肉体があるうちに、体験しておかないと。

…と、強迫観念にも似た気持ちが出てきた。


でも、そのような状態で、自分が本当に何をしたいかなんてわからなかった。


お金はあの世に持っていけない。
(じゃ、ご縁があるモノは買おう)

モノより経験。
(興味があることはやってみなくちゃ)

日々を丁寧に過ごそう。
(暮らしの質をあげるってことね)


ずいぶん右往左往した。
それらが間違っているとは思わないし、それはそれでありだと思う。

仲間や愛する人と過ごす時間が何より大切っていうのもあるけど。
これも人それぞれだし、時期もあるだろう。

どんなモノもヒトも、出来事も、とどめることは出来ず。

「空」の私の中にあらわれて、そしていつかは消えていく。
自分だと思っている「私」でさえ、いずれは消えていく。
思考でどうこう出来るものではない。

それを体感した時に。


あらわれてくる…そのままに。
湧き上がってくるものに従う。

本当に、それだけでいいし。
それしかないんじゃないかと思うようになった。

言葉にすると、何だかこの世を儚んでいるように聞こえるけど、むしろ逆。

その瞬間(実際には瞬間という切り取られた時間があるわけじゃないけど便宜上)
起きてくること、湧いてくるもの、感じること、出逢うヒト、モノ。


「ただ在る」と思考に引きずられることがなくなり、
それまでいかに散漫だったのかと茫然とする。

肉体の動きの中にあっても、五感は研ぎ澄まされる。

時間という概念に翻弄されなくなる。


そして、どんな状況だとしても。
いのちは私を動かし続けるし。
いのちが指し示すものがある。

ありのままの私からは。
ありのままのその人からは。
躍動感と美しさが溢れてくる。




全ては「私」という拡がり

2022年10月01日 | 目覚め
Facebook、2022年5月30日にあげた記事。

この時期は、覚醒あるあるで、
身体から自分が大きくはみ出て広がり続けているような体感が続いていた時期。

今は、すっかり落ち着いて、この頃のことがむしろ懐かしい・・・。

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先日の覚書の続きをつらつらと…。

からっぽ感が大きく(メインに)なると。

・・・眠い。

睡眠不足からくる眠さじゃなくて(快眠だし)、
身体の機能がエコモード?になるのか…。
自然にまぶたも下がって、常に目が半開き状態(これヤダな~)。


そして、頭の中がすごく静か。

以前なら、四六時中ひっきりなしに、
あーだこーだと頭の中でお喋りが止まらなかった。

そして、それが当たり前だと思っていた。

まるで…息継ぎしないで必死に泳いでいたような感覚に近い。


今は、ただ…ぽっかりと浮かんでいるような感覚。


誰かの声も。


何かの音も。


漂ってくる香りも。


あっちとかこっちという距離感がなく。


全て、私という拡がり…スペースの中に在って、あらわれては消えていく。


さらに「食べる」とか。
「聞く」とか「話す」という行為。

それらひとつひとつが、五感を通して鮮明に感じる。


まるで、それまで曇ってほとんど見えなかった視界が、
一気にクリアになったような感覚。


子供の頃に体験した、全ての境界線がなくなって拡がっていく…
あれとは少し違って。

私という拡がりの中で、もともと境界線がない、という感覚。


今までと違って、全身がエコモードみたいな感じもするけど、
拡がりの中で感じるものは混じりっけがない。