我が家の老猫、苦手の季節は やっぱり一日中寝るだけで過ごします。 今季から 炬燵をやめたため、当初は行き場を探して困惑していましたが、もうルーテインを確立して そのとおりに過ごします。 で、ひとつ発見、ストーブを2か所に点けていても 広い独占できる方には行かない、人の居る狭い方にきてストーブと誰かのお尻の間に寝転がる という習性がある ということ。 人恋しいのか 狭い処が好きなだけなのかは 判断しかねますが・・・・。
生きもの係の私としては、この老猫とのやりとりは 日に3度の食餌、水飲み、便処理を軸に それらの周辺作業を こなしますが、我が家でたった二人(匹)きりの同性、しかも双方 高齢者になってしまって、俗にいう 癒し の対象でも何でもありません。 ひたすら 世話をしているぞ、という感じです。
新聞やネットで得られることは ますます 右傾化する 傲慢になる 首相の悪態です。 呆れんばかりの言動に嫌になります。こんな政権を支持する人が世論調査では50%近くいるようです。これまた信じられません。こんなん、どないもしょうないで と言ってる筈なのに なんで 二人に一人の割合で 支持しているのか 解りません。
努力した者だけ、出された目標を達成した者だけ、結果を出せる者だけ、そういう者こそが その見返りを その評価 報奨を受けるというのは 株式会社だけでいい。 現実の 暮らし、生活、社会への行政は もっと 格好悪く、ノロマで 嘘つきで怠け者で で グズグズ言いながら生きている、そんな人達こそが あゝよかったなぁ って感じられる世の中にしてゆくのが 仕事の筈だ。 米国の覇権主義に付いて回ることなどを優先している時じゃあない。
60号の絵、空を少し触ってみました。 もう一度 枝を 描き込みます。数も増やそうかな。
今日も 一人です。
隣組内で不幸があり、今夜の通夜と明日の葬式の受付をやります。礼服着ることが増えつつあります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今週のツイッター記事から・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
①普段は総理大臣が誰だなんて分からなくても差し支えない。総理大臣が白い馬に乗って刀を抜いて「進め、進め!」なんていうのは戦国時代のドラマの見過ぎで、大きなタンカーをゆっくりと動かしておよそ間違いのない航路を進んでいく船長みたいであるほうがいい。われを忘れて没入しろということを先輩は言うわけですけど、私にはそれはできないし、もっと言えば国政という大事なものを預かっている人間が「われを忘れ」てはいけないと思っている。歴史を見れば、われを忘れて熱狂し没入して破滅にいたった国は随分あります。(宮澤喜一)福島の事故の経験から言えることは、安全性が最も重要だということ。ドイツは、このぞっとするような原発事故を連帯感を持って受け止め、より早く原子力から撤退する道を選び、今、再生可能エネルギーへの転換を進めている。日本もドイツと協力して同じ道を進むべき。(メルケル首相)表現の自由を、本当の意味で保障するには、刑罰や暴力による「脅しがないこと」だけでは足りない。表現をする人が、「面倒くさい」と感じない環境をつくることが不可欠だ。(木村草太)
②NHK新社屋3400億円
NHK職員の平均年収1780万円
内部留保 1兆円
NHK受信料払う2千万人の非正規労働者の平均年収168万円
NHK受信料払う3千万人の年金生活者の年金は年50万円
NHK無くしますか?それとも貧困自殺餓死者なくしますか?日本住民にとって、NHKはさほど重要な放送局ではない。
③TVで、なんか解説者が「国民全体の影響を考えれば、はかりしれないマイナス効果」とか言ってる、5人のオッサンの話。
別に芸能界から全員引退するわけじゃなし、もともとバラ売りやったやん。
何騒いでんだろ。
政治は国民不在、芸能も消費者不在
マスコミとのなれ合いオンリー
④自民党二階俊博総務会長「首相がうそをついても非難を受けることはない、という不文律ができている」(時事)首相が嘘をついても非難を受けることはない、という不文律ができている」という指摘は的を射ていると思う。大手メディアがその不文律を支えている。少しずつ権力への迎合を重ねた結果、首相は嘘をついても許される存在になっている。 http://bit.ly/1l8hwQS 野党共闘を嫌う自民党中堅「野党を揺さぶる作戦。野党に『衆参ダブルならくっつかない方が勝てる』と迷わせた方がいい」嘘が許される政権。
⑤共産党や社民党が「保守派」で、自民党やおおさか維新が「急進派」だという逆転はまさしく市民の実感だと思います。でも、なぜそうなったのか、その理路はなかなか簡単ではありません。ひとつ言えることは「グローバル資本主義に最適化すべく速やかにかつ徹底的に社会は変化しなければならない」という新自由主義者たちの言明それ自身が過剰に惰性化・教条化したせいで、人々が彼らの言う「変化に」うんざりしてきたということでしょう。「スピーディーかつ徹底的な変化を!」と呼号する人たちが「変化の排他的受益者」として社会の指導層を形成し、その利権集団が国民資産を排他的に独占しつつある。だから「そういうのもういい加減に止めてよ」という主張が「保守」に分類されてしまうわけです。ちょっと分かりにくいですよね。内田樹
⑥京大有志の会・歌人・永田和宏「民衆は言葉で力を持つものです。民主主義の根源にあるのは言葉です。この数年、その言葉が奪われようとしていると感じています」 永田さんの歌 [戦後70年いまがもつとも危ふいと私は思ふがあなたはどうか]
⑦岡潔の『風蘭』文庫解説。岡のいう「修羅道」について書きました。すこし引用しておきます。
「岡は知性の十分に発達していない段階で、他人をあれこれと『批判』させることは『修羅の行為』だと書いている。『あれは、人の欠点を見いだして、そして全体を否定するというやり方で、これは明らかに衝動的判断です。つまり、修羅の行為をさせているのです。/修羅の行為のうちでも、とくに悪質なものです』
現代人は切れ味の良い批評をすぐれた知性の証だとみなし、「寸鉄人を刺す」ような言説をよろこぶ。『そんなふうにしていると人の長所がわからなくなってしまい、また欠点に対する厭悪感が増大します。人の長所がわからず短所に対する厭悪感の強いのを小人といい、人の長所がよくわかり短所に寛大なのを君子といいます。そして古人は君子を作り小人を作らないのを教育の根本方針としていたのです。』鮮やかな手際で人を切り捌くような批評の言葉に僕たちは爽快感や全能感を感じることがあり、またにもかかわらず生命力の衰えを感じることもあります。それはそれが「修羅の行為」であり、小人のおこないだからである、と岡に指摘されて胸を衝かれました。そういう「批評行為」はコンテンツの当否や政治的正しさのレベルではなく「小人か君子」かのレベルにおいて論じられなければならないという知見は現代に見られなくなって久しいものでした。