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仙人をめざして

2011年1月新装 
 第1部「パン屋の気持ち」及び 第2部「疾風伝」は 2010年12月26日で閉幕

おじさんの日々

2018年01月26日 | Weblog

 猛烈な寒さ、どうなってんだか。

我が家は、フローリングに改装した折に 居間に 掘り炬燵を設置した。ここに座って いろいろ楽しいことでも考えてみようかと、くだらない事、みっともない事を白状しながら 書いてみる。  この類は 今までにも何度か FBを含め 書き残しているが、これらを見た家族からの信頼を繋げる程度?のものにしている。今日もそうしよう。ところで、このホリコタツ 大き目のを作ったので 正解、女房が出勤した後、今日はこの中に 潜り込んで 全身を入れて そこで着替えをした。あったかい、人間も冬眠するなら ホリコタツが好い。

①「寒い、さみ~い。」って 言いながら、最後に「さみ~い でえーびす・・」「サミー・ディビス・ジュニア」と言った。もちろん独り言風。   ②トイレに座っていた時、女房が 出掛けるので トイレの前を通って玄関に向かいながら「行ってきま~す。」って 言ったので、当方は中から 「うん・」と返事した。 なぜか 一人で笑えた。   ③先週 プールで 息継ぎせずクロールして、やっと 向こう側の壁に到着した瞬間、ほんの 本当にほんの少し、ちょろっと おしっこが漏れた気がした。 気がしただけか 本当に漏れたのかは 不明、確信できないし 確認のしようもない。  

 今日はこんなところ、もう終わりにしておく。 

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転載】   茂木健一郎

 年齢を重ねたら自動的に「おばさん」「おじさん」になるわけではない。「おばさん化」「おじさん化」のポイントは、コミュニケーションの取り方にある。コミュニケーションの「達人」になるためにコミュニケーションにおいて大切な要素の一つは、相手の気持ちを思いやることである。
自分の言葉が相手にどのように響いているのか。相手からは、自分がどんな風に見えているのか。つまりは相手を自分の「鏡」として、そのことを常に意識して言葉を発することができる人が、コミュニケーションの「達人」となる。逆に言えば、相手を気にしないで自分の好きなことを言う人は、コミュケーションにおいて失敗することが多い。
私は、年齢で人のことを決めつけるのが嫌だ。
だから、一定の年齢の人を「おばさん」とか「おじさん」とか言うのが好きではない。
年齢を重ねたからと言って、自動的に「おばさん」や「おじさん」になるわけではないし、外見だけで「おばさん」や「おじさん」が決めつけられるわけでもない。むしろ、コミュニケーションにおいて「おばさん」化、「おじさん」化する人がいる。このことは、大いに自戒しなければならない。何よりも恐ろしいことだから。コミュニケーションにおける「おばさん」化とは何か。それは、端的に言えば「無意識のたれ流し」である。
自分が思いついたことを、まるで実況中継をするように口にしてしまう。相手がそれをどう受け止めるか気にせずに、とにかく声に出してしまう。
「あら、あなた、最近老けたんじゃないの」
「なんだか、冴えない顔ねえ」 
「ほら、あの人なんて言ったっけ、あの、ほら、あの人よ。あそこに座っている人」
それを聞いた人がどう受け止めるのかに関係なく、自分の脳裏に浮かんだことをとにかく話し続けてしまう。そうなってしまうと、その人は「おばさん」化している。
女性は、ある年齢になると「おばさん」になるのではない。無意識のたれ流しをするようになると「おばさん」になってしまうのである。
無意識のたれ流しという現象は、男性にも見られる。相手の気持ちに関係なく、思いついたことを言ってしまうようになると、その人は「おじさん」である。
加えて、男性に固有の「堕落」もある。
猿山のボス争いを見ていてもわかるように、男性というものはお互いの間の力関係、序列に敏感なものである。どちらの方が地位が上か下か、お互いに読み合ってコミュニケーションをする。年齢を重ねていくと、次第に地位も上がっていく。そうなると、コミュケーションの取り方が「おじさん」化する人が現れる。自分の意見に対して相手がどのように感じているか、どんな意見を持っているかを気にせずに、とにかく自分の方が正しい、相手の言うことなど聞く必要がない、という態度が出始めてしまうと、その人は「おじさん」である。
要するに、普通に言えば、「偉そうな」態度で話をする人は、「おじさん」化している。だからこそ、かわいらしい「おじさん」は貴重である。そのような人は偉そうではないからである。
コミュニケーションの「おじさん」化は、意外なかたちで現れることもある。
いわゆる「おやじギャグ」は、「おじさん」化の一つの表れである。
科学的な研究により、笑いには政治的な要素があることが示されている。年上の男性と年下の男性がいっしょにいると、いわゆる「お追従笑い」をする確率が高いのは年下の男性の方だというデータがあるのである。つまり、年上の男性(「おじさん」)がつまらないギャグを言うと、年下の男性は(たとえ面白くなくても)笑わざるを得ない。「オヤジギャグ」が一つの「権力の行使」になる。職場などで、上司が「おやじギャグ」を言ってみんなが(仕方なしに)笑うという光景がよくあるが、あれが、典型的な「おじさん」の振る舞い。「権力者」にみんなが合わせているという現場である。
では、「おばさん」化、「おじさん」化は、どうしたら避けられるのだろうか。
人間は、いろいろなことを思いつくものである。精神分析学の創始者であるフロイトが指摘したように、心の中に浮かぶもののなかには、人に見せるべきではないものもある。
他人に何かを言う前に、その言葉が相手にどのように伝わるのか、それに対して相手はどう思うか、あらかじめシミュレーションする。いわば、他人という「鏡」に映った自分の姿を考えることで、たとえ何か思いついても、言うべきことと言わないことをあらかじめ「仕分け」しなければならない。それは、お化粧をすることに似ている。他人という鏡に映った自分の姿を見て、これは言うべきことではない、これは言ってもよい、このような表現で言うのがよいと調整することによって、「おばさん」「おじさん」になるのを避けることができるのである。
逆に言えば、「おばさん」化、「おじさん」化してしまうということは、すっぴんよりもひどい状態だということになる。いわば、鏡も見ずに適当に化粧を塗りたくって、そのまま街を歩いてしまうような、そんな「罰ゲーム」状態だということになる。
自ら招いた罰ゲーム。コミュニケーションにおける「おばさん」化、「おじさん」化は、考えてみると恐ろしいことである。そして、もったいない。
どんなに素敵な人も、「おばさん」化、「おじさん」化することで、その良さが伝わらなくなってしまう。
自分の魅力を十分に伝えるためにも、コミュニケーションにおける他人という「鏡」を大切にしたい。そうすれば、何歳になっても「おばさん」「おじさん」になることがない。コミュニケーションにおける「アンチエイジング」だ。

                          

 

                                                                                 


いったい、何様なのだ。

2018年01月24日 | Weblog

  「京大論文不正」記者会見に臨んだ山中教授に、一人の記者が 所長辞任を問うたという。馬鹿な記者だと思う。研究所長として管理責任はあるとしても、大学の組織上、研究所長がそれぞれの研究室が発表する論文の内容に立ち入ることは、普通はなく、論文に関しては、筆頭著者を含め、全著者が責任を取ることが正当だろう。と、この研究所が山中先生がいなくなっても存立しうるものかどうか、「山中伸弥」という大黒柱を失えば、日本という国にとってどれほどの損失になるのか、わずかな常識があればわかるはずだ。
 数年前、「STAP細胞騒動」で、メディアは日本の再生医療の牽引役を自殺に追い込んだ。
  つい先日の「小室哲哉引退表明」もしかり、全くプライベートなことで、引退する形で責めを負った感じだ。プライベートなことが、メディアで晒された上に、社会に向かって頭を下げて謝罪する必要があるのか、なんとも不思議なことだ。他にも議員・芸能人の「不倫疑惑」に説明責任有りという記事や記者、私的な恋愛に「説明責任」などあるわけがない。これっぽっちも迷惑などかかってない我等に謝罪させようとする、いったい、メディアとは何様なのだ。自分たちのミスは決して認めようとしないが、他人には もっともらしく正義の旗を振りかざして追い詰めていく。
  先般からの 詳しく知ったところで何になるのかと腹立たしくなった「連日の大相撲問題」も 最後にはさすがに反吐が出た。

  これでいいのか、日本メディア!

 

 大雪、厳寒、と 噴火。 この数日は ニュースを観ている。

                                              

 

 

 


途中経過 1.17

2018年01月18日 | Weblog

 どうも絵を描く気になってない、相変わらず・・・・・、決意はするんだけれど。

急遽、「東山魁夷 展」を 観にいく。 

 天性の力に 努力・研究が重なる、凄いなあ、と。

 

当面 描き続ける予定の 植物のデッサン、最新の状況は これ↓。

  

 

 

17日、 阪神淡路震災から 23年目の日。

 

 

 

 


年初、ぼやき。+ 笑

2018年01月15日 | Weblog

 やっぱり、年取ってゆくのが 解る。というか 気付くのが ちょっと寂しい。

胃腸薬やサプリの錠剤を 手に取る時、さっきもそうなんだけれど 必ず 一粒を落とす。  夕飯 食べ終わって、立とうとすると、足元に なにやらこぼした物が見える。

 おしっこの回数も増えたようだし、第一 勢いがない。   昨年末に 末っ娘が 引っ越したので、我が家は 老夫婦だけになった。 で、テレビを見ようとすることも増えたのだけれど、どうも 不機嫌になる番組が多すぎる、と感じている。で ぶつぶつ 文句を口にする、これも 若い頃の様子とは違う。

 

 去年から 漫画で 大ブームになったらしい この本を 漫画でない方で読むことにした。 名作、でも 初めて読む。

   意外と長編だ。

 

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これ、面白い。普段は「ちゃん」付けだが、業務用の時は呼び捨て、なんだ。

 

 糖質の摂りすぎを防ぐため「いろんな食べ物の糖質を 角砂糖に換算すると 何個に相当するか」って言う記事があったのを思い出して、今 必死で探している。 確か、カレーライスは 12個相当らしかった・・・・・。  嫌になっちゃうよね、廊下 いや 老化。

 

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  あった  https://matome.naver.jp/odai/2149672338219325501

 

 追伸・・・・・・。

  どうせなんで、FBに書いたの 一部 転載。

① 今一番売れてる漫画、名著です。

 

 

 ②麺なしラーメンが ブームになりそう、スープ味わうなら麺より 豆腐、とのこと。

③この国の首相の 食べ姿の 下品なこと、箸と茶碗くらいしっかり持てよ。

 

④カッコいい書店の看板の横で センスのない文字書くなよ

 

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  以上。

 

 


6日、はや・・・。

2018年01月06日 | Weblog

 新年、そろそろ 始動 って思ったけれど 今日から 娘家族が集結を始める。 久しぶりに孫君たちとも、一泊。  で、 ここにも 書く気にならんので ネットでの話題を列記して 留めておこう。

①いい加減にしてもらいたい「お相撲さん事件」社会面トップで延々とやることじゃあないだろう。大事なことは他にもいっぱいある。②安倍首相「改憲」の勘違い。発議は国民から出てくるのが筋であって 政権から提案するものではない。傲慢で 無知も甚だしい首相。③海外有力新聞が 「詩織さん事件」を採り上げだした。日本のメデイアは相変わらず ほぼ黙殺。  ④年末の「ガキの使いSP」での黒塗り顔、ベッキー蹴りが 常軌を逸していたとの声で炎上。日本のお笑いは人権無視世界だと。⑤「AIで変わる未来」って言うけれど、最初に不要になるのは 秘書や従業員ではなくって 管理職、という説もある。ガッテン。

 戌年だけれど、猫で 埋め尽くしまっせ。

                             

 

 

 やっぱり「犬」で・・・・。

・・・・・・・・朝日新聞「折々のことば」から・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

月に吠(ほ)える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。

萩原朔太郎

鷲田さんのことば

 影に向かって吠えるのは切なくも詮(せん)なきこと。「私は私自身の陰鬱(いんうつ)な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。影が、永久に私のあとを追つて来ないやうに」と、1行置いて続く。うちの犬は時折縁側に座り、静かに庭を眺める。愛への渇きや捨てられた悲しみに疼(うず)くのではなく、自身を温かく包む光に思いをはせているのだったらいいのに。詩集『月に吠える』の「序」から。(鷲田清一