『ランチ・ボックス』
「お弁当」という言葉からくる少年時代の母親や、学校仲間との想い出は、あまり覚えていない。 会社に勤め、三十歳台後半から 五年間余を駐在員として米国で暮らした時期の「お弁当」に楽しかった想い出がある。
オハイオ州の小さな町に 百人足らずの会社がスタートした。日本からの駐在員は丁度十人だった。広い喫茶室はあったが、食堂ではなく、昼食は、現地メンバーは各々が用意して来たホットドックのようなものを食べ、日本人スタッフは、近くのバーガー・ショップに出掛けていた。 ただ、その中に一人、毎日、筒状のランチボックスを持ってくる人がいた。ご飯、おかず、みそ汁、漬物の容器が 四段に積み重ねられており、それらを取り出し並べると、温かいまま、自宅の食卓のようになった。 健康を考えると、絶対これがいい、という奥様の気持ちからだという。 米国人らは 遠くの方から珍しそうに彼のお弁当を眺めていた。私も妻にこのことを話してみた。 彼女も乗り気で、ついに 毎日ではなかったが、この「お弁当」を持って行くようになった。 米国人が来て、味付け海苔が乗った「のり弁」ご飯を 何か穢いものでも見るように覗き込んだり、梅干の「日の丸弁当」を“国旗だ!”と感心し、一緒に楽しんだ日もあった。 そして、こんな反応も見ながら おかずの内容や 盛り付けにも 気を使った。 妻はそれも 面白いことだと楽しんでもいた。 このランチボックス、帰国後も 出張時に一人で昼食をとる時には 用意してもらって、近くの公園とか、一人になれる所を見つけて食べたりもした。
お弁当は、体にはもちろん、妻からのメッセージも込められており、心身ともに栄養を摂れるものだったと思っている。 そして、このランチボックス、今は 闘うビジネスマン時代—―の記念品として 残されている。
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