日本古靴資料館

日本の靴の歴史についてのデータベースですが、まだ未完成ですので気長にお待ちください。

新選日本製靴大観のダブルモンク

2020-04-29 21:36:38 | 明治時代の靴業界


1911(明治44)年に日本靴新報社から発行された新選日本製靴大観という本です。

この本は当時欧米で流行ったデザインを集めたもので、紳士靴だけでなく婦人靴や子供靴も収録しています。


















新選日本製靴大観は現在国会図書館のデジタル資料で見ることが出来ます。

実はこの本にダブルモンクと思われる靴が載っています。







一般的にダブルモンクは1945年に英国のウィンザー公(エドワード8世)がアビエイター(飛行士)ブーツを元にジョンロブに注文したのが起源と言われています。

新選日本製靴大観は1911年発行なので、ウィンザー公が注文する34年も前にダブルモンクは存在していることになります。

ではダブルモンクは誰が発明したのかは分からなくなりましたが、私はどこかの町の靴屋さんが思い付いたデザインではないかと思ってますが…。




東北製靴株式会社のカタログ

2020-04-28 16:53:47 | 靴のカタログ


宮城県仙台市にあった東北製靴株式会社のカタログです。

詳しい年代は不明ですが、1920〜30年代頃でしょうか?





仙台に軍靴が入って来たのは1873(明治6)年に仙台鎮台が置かれた頃と言われており、その後浅草から本杉喜代松がやって来て手縫い靴の製造が始まったのが1884(明治17)年。
依田西村組から改称した桜組の工作場も設けられました。

1889(明治22)年に市制施行で仙台市が誕生すると、桜組や浅草などで靴作りを覚えた職人が靴店を開いて行ったそうです。

その後1901(明治34)年に仙台靴同業組合、1916(大正5)年に仙台造靴同業組合が設立されました。



裏面は採寸シートでした。





日本水産株式會社のパンフレット

2020-04-27 16:11:35 | 昭和時代の靴業界




1911(明治44)年創業、日本水産株式会社の鮫革のパンフレットです。

日本水産は魚肉ソーセージや冷凍食品でお馴染みのニッスイ。

当時は食品の他に水産皮革の製造も行っていたようです。

日本水産の沿革はこちら↓





鮫革工場の位置の項目に

「本工場は省線鶴見驛より自動車にて約十分にて達し原料及び製品の持込搬出に至便なる工場地帯にあり。敷地約三千余坪昭和十二年二月起工昭和十二年六月竣工せり。」

とあるので、このパンフレットは1938年以降でしょうか。

1937(昭和12)年7月から日中戦争が始まり、やがて牛革などの皮革資源の欠乏によって鮫革の軍靴まで作られました。

物資不足による代用革だったので粗悪な物しか作れなかったのか、鮫革の軍靴はよく水を通してしまったそうです…。


yamasakiのストレートチップ

2020-04-27 01:49:43 | 日本の古靴




yamasakiという靴店(?)のストレートチップです。

残念ながら正式な店名は不明です。



キャップの境目に厚みを出して折り込んでいる(?)変わった仕様。






ソールの目潰し(目隠し)。



レザーヒールにVクリート2つ。



インソールは取り外せるKINTORIを使用。
ちなみにKINTORIのインソールは今でも買えます(ロゴは変わりましたが)。













大丸百貨店 TROJANのスリッポン

2020-04-25 02:39:37 | 百貨店






大丸百貨店のオリジナルブランド「TROJAN」のスリッポンです。

TROJANは1959(昭和34)年に始まった、大丸百貨店オリジナルの日本初のプライベートブランド。

TROJANについてはこちら↓







今は無き旧西ドイツのカール・フロイデンベルグ社の本銀判ボックス革を使用。

銀判ボックスとはカール・フロイデンベルグ社のカーフの事を指すらしいのですが、昔の日本の靴のカタログでは黒色の革をボックスと呼んでいたり、国産ボックスなんて物もあったりするので、「ボックス=カールフロイデンベルグ」とするのは早計。






ちなみにハンドソーンウェルト製法で当時25000円で販売されていました。


この靴の年代についてですが、値札の大丸マークは1983(昭和58)年まで使われていたマークなので、この靴は83年以前…と言いたい所ですが、大丸マークが現在のピーコックグリーンなので83年以降の可能性も?

ロゴについてはこちら↓
https://www.daimaru.co.jp/company/about/ci.html