こんにちは、iyukです。
昨日…日曜日とうとう両親と、初病院に行きました。
どうなるか、不安でした。
先生に話してもらうことを、ほとんど23日の実家でわたしが話してしまったので、
確実に話が重複するなと思い、
両親が聞きたいことは、もしかしたらないのかも……なんて思って、
一人であわあわしてたのでした。
まず病院に入ってみたら、……あら?誰もいない……。
受付の方とお薬を出してくれる看護師の方がいつもいるのですが、
まったくなく、まさにガラーーーーン状態です。
先生に聞いてみると「日曜は患者さんも少ないので一人でいいかなと思って」
いやいや待ってる人いるじゃないですカーー!笑。
「不思議ですよねぇ」
いやいやいやいや!そんなファンタジックに言われても!爆笑。
……海老やん節炸裂ボンバーです。もうホント大好きです。
最初に「うつ病」と「うつ」の違いを説明してもらい、
わたしは後者の「うつ(心理状態から来るもの)」だと説明して下さいました。
色々と質問も混じりながらも、
父は職業がら色々な人をみているので、どん、と構えた感じに見え、
母が少し質問したりしてました。
母が聞きたかったのは
「心配してかけた言葉が娘にはプレッシャーに思えてるみたいです。
どういう言葉をかけてあげたらいいのでしょうか」でした。
先生は、これ!というセリフは出しませんでしたが、
母が「だんなさまのために夕飯くらい作っておきなさい、と言う」
と例をあげると、先生は
「ご飯を作るというのは、うつの人にはとてもハードルが高いのです」
とおっしゃいました。
確かにハードル物凄く高いです。
料理なんてとてもとても出来る状態ではないわたしです。
「料理」というのは、あっちでこう切り、こっちでは煮込み、など
意外と頭を回転させないと出来ないもの、というわけで、
うつ状態の人はかなり治ってでないと難しいとの説明でした。
自分では「億劫でからだが動かない。作る気がしない」という
気持ちだけだったのですけれども、
言われてみれば「なるほどなぁ」と自分で思い返したりして。
ホントにお料理は作れる気分になれないですし、
それはもっと元気になってからなんだ、と知りました。
ちなみに一番ハードルが低いのが「洗濯」だそうで。
今じゃスイッチ一つですしね(笑)。
確かに、わたし、全然威張れませんが洗濯はします!どーん。←威張れねって
お次は「掃除」とのお話。
まさに確かに……!掃除はなかなか体が動きません。
かなり気分がいい時でないと難しいです。
自覚症状はないものの、言われてみるとホントにその通りで、
改めてわたしって「うつ」なんだなぁと思ってしまいました←遅
父が言うには「丁度うつっぽくなり始めたのは結婚の時。
幸せ絶頂だろうになぜこんな風になってしまったのか、
それが分からなくて、
親が娘をうつだと認識するのにタイムラグが生じたように思います」でした。
言われてみれば確かに結婚の時にうつになりました
(言われてみないと分からんのかい自分)。
ただ、その時は実はヤマハに勤めていた時で、
ピアノという値段の大きいものを販売する、ノルマに近いものもありまして、
わたしには「大金出させて買わせようとしている」としか
思えない職業だったのです。
買いにくる人は、相場はよく分かってるのでしょうし、
売れもするのですが、
どうしてもわたしには「高いものを売り付けてる」感覚が抜けませんでした。
今までサービス業一本で頑張ってたわたしには、
頑張れば頑張るほど「売り付けてる」感覚が比例して出て来て
物凄く心が苦しくなっていきました。
結婚の時期はその仕事の時期でもあったのです。
それが気付かないうちにとても大きな負担になっていったのだと思います。
親はわたしを「頑張りすぎる子だ」と思っていたみたいで。
おおー!とびっくりしたのですけど(笑)。
そういう人がうつになりやすいのだと先生もおっしゃってました。
あとはわたしの中の問題になりました。
週に一度電話をかけてきてくれる両親に「何々がプレッシャーだ」、という
ことは理解してもらって、問題はやっと一つクリアしました。
すると、わたしの悪いところですが、
「もうクリアすべきことはないんじゃないか。じゃあ仕事をしなければ!」と
すぐ外に「仕事に行くこと」を直結してしまうところがあるのです。
「親も仕事をするのを待ってるんじゃないか、と思うと……」と言ったら
「待ってないヨ」と速攻で返されて「あれっ!?」でしたが(笑)。
えっイイのぅ!?Σ(゜Д゜∥)
と、いうわけで(何が何やら)、
親はとても暖かく見守ってくれてて、こうやって理解もしてくれて、
本当にわたしは幸せもので。
すぐに外に仕事しに出掛けなきゃいけないんじゃないかと焦りますが、
「家の仕事を出来るようになってから考えましょうね」という
ごもっともなアドバイスも頂き、
「家を守る、だんなさまを守るのも立派な仕事だヨ」と言われて……
未だ外は怖いです。
未だ音が怖くて音楽はほとんど聞けません。
一人で出掛けることもすごい勇気がいります。
料理も出来ませんし。
……まず、こういったところからわたしは一歩ずつ、していけばいいのだと
心の何かが一つ、カタン、と落ち着きました。
未だ親離れが出来てないわたしだけれど……
家にいてもいいと言われた安心感は、本当に大きなものでした……。
ありがとう父、母。
ありがとう、だんなさま。
ありがとうございます、お義父さん、お義母さん。
iyukはゆっくりよくなっていきたいと、思います。
よくなっていきたいと思えたのはこれが初めてです。
今までは「治る=仕事」と思い込んでいたので、
治るのが本当に憂鬱でした。
でも「治る=家にいていい」というのはとてもわたしに救いをくれて、
まずは家事から。ゆっくりと。
ゆっくりと。
iyuk携帯からでした。
昨日…日曜日とうとう両親と、初病院に行きました。
どうなるか、不安でした。
先生に話してもらうことを、ほとんど23日の実家でわたしが話してしまったので、
確実に話が重複するなと思い、
両親が聞きたいことは、もしかしたらないのかも……なんて思って、
一人であわあわしてたのでした。
まず病院に入ってみたら、……あら?誰もいない……。
受付の方とお薬を出してくれる看護師の方がいつもいるのですが、
まったくなく、まさにガラーーーーン状態です。
先生に聞いてみると「日曜は患者さんも少ないので一人でいいかなと思って」
いやいや待ってる人いるじゃないですカーー!笑。
「不思議ですよねぇ」
いやいやいやいや!そんなファンタジックに言われても!爆笑。
……海老やん節炸裂ボンバーです。もうホント大好きです。
最初に「うつ病」と「うつ」の違いを説明してもらい、
わたしは後者の「うつ(心理状態から来るもの)」だと説明して下さいました。
色々と質問も混じりながらも、
父は職業がら色々な人をみているので、どん、と構えた感じに見え、
母が少し質問したりしてました。
母が聞きたかったのは
「心配してかけた言葉が娘にはプレッシャーに思えてるみたいです。
どういう言葉をかけてあげたらいいのでしょうか」でした。
先生は、これ!というセリフは出しませんでしたが、
母が「だんなさまのために夕飯くらい作っておきなさい、と言う」
と例をあげると、先生は
「ご飯を作るというのは、うつの人にはとてもハードルが高いのです」
とおっしゃいました。
確かにハードル物凄く高いです。
料理なんてとてもとても出来る状態ではないわたしです。
「料理」というのは、あっちでこう切り、こっちでは煮込み、など
意外と頭を回転させないと出来ないもの、というわけで、
うつ状態の人はかなり治ってでないと難しいとの説明でした。
自分では「億劫でからだが動かない。作る気がしない」という
気持ちだけだったのですけれども、
言われてみれば「なるほどなぁ」と自分で思い返したりして。
ホントにお料理は作れる気分になれないですし、
それはもっと元気になってからなんだ、と知りました。
ちなみに一番ハードルが低いのが「洗濯」だそうで。
今じゃスイッチ一つですしね(笑)。
確かに、わたし、全然威張れませんが洗濯はします!どーん。←威張れねって
お次は「掃除」とのお話。
まさに確かに……!掃除はなかなか体が動きません。
かなり気分がいい時でないと難しいです。
自覚症状はないものの、言われてみるとホントにその通りで、
改めてわたしって「うつ」なんだなぁと思ってしまいました←遅
父が言うには「丁度うつっぽくなり始めたのは結婚の時。
幸せ絶頂だろうになぜこんな風になってしまったのか、
それが分からなくて、
親が娘をうつだと認識するのにタイムラグが生じたように思います」でした。
言われてみれば確かに結婚の時にうつになりました
(言われてみないと分からんのかい自分)。
ただ、その時は実はヤマハに勤めていた時で、
ピアノという値段の大きいものを販売する、ノルマに近いものもありまして、
わたしには「大金出させて買わせようとしている」としか
思えない職業だったのです。
買いにくる人は、相場はよく分かってるのでしょうし、
売れもするのですが、
どうしてもわたしには「高いものを売り付けてる」感覚が抜けませんでした。
今までサービス業一本で頑張ってたわたしには、
頑張れば頑張るほど「売り付けてる」感覚が比例して出て来て
物凄く心が苦しくなっていきました。
結婚の時期はその仕事の時期でもあったのです。
それが気付かないうちにとても大きな負担になっていったのだと思います。
親はわたしを「頑張りすぎる子だ」と思っていたみたいで。
おおー!とびっくりしたのですけど(笑)。
そういう人がうつになりやすいのだと先生もおっしゃってました。
あとはわたしの中の問題になりました。
週に一度電話をかけてきてくれる両親に「何々がプレッシャーだ」、という
ことは理解してもらって、問題はやっと一つクリアしました。
すると、わたしの悪いところですが、
「もうクリアすべきことはないんじゃないか。じゃあ仕事をしなければ!」と
すぐ外に「仕事に行くこと」を直結してしまうところがあるのです。
「親も仕事をするのを待ってるんじゃないか、と思うと……」と言ったら
「待ってないヨ」と速攻で返されて「あれっ!?」でしたが(笑)。
えっイイのぅ!?Σ(゜Д゜∥)
と、いうわけで(何が何やら)、
親はとても暖かく見守ってくれてて、こうやって理解もしてくれて、
本当にわたしは幸せもので。
すぐに外に仕事しに出掛けなきゃいけないんじゃないかと焦りますが、
「家の仕事を出来るようになってから考えましょうね」という
ごもっともなアドバイスも頂き、
「家を守る、だんなさまを守るのも立派な仕事だヨ」と言われて……
未だ外は怖いです。
未だ音が怖くて音楽はほとんど聞けません。
一人で出掛けることもすごい勇気がいります。
料理も出来ませんし。
……まず、こういったところからわたしは一歩ずつ、していけばいいのだと
心の何かが一つ、カタン、と落ち着きました。
未だ親離れが出来てないわたしだけれど……
家にいてもいいと言われた安心感は、本当に大きなものでした……。
ありがとう父、母。
ありがとう、だんなさま。
ありがとうございます、お義父さん、お義母さん。
iyukはゆっくりよくなっていきたいと、思います。
よくなっていきたいと思えたのはこれが初めてです。
今までは「治る=仕事」と思い込んでいたので、
治るのが本当に憂鬱でした。
でも「治る=家にいていい」というのはとてもわたしに救いをくれて、
まずは家事から。ゆっくりと。
ゆっくりと。
iyuk携帯からでした。