ただ自分の声が聴きたくて

毎日(できるだけ)つれづれなるままに^^ 
うつと本に向かい合うiyuk改め「かぷ」ワールド。

★ 昨日も今日も病院なのです。

2005年11月28日 15時36分06秒 | ♪ 沢山の鬱や薬たち
 こんにちは、iyukです。
昨日…日曜日とうとう両親と、初病院に行きました。
どうなるか、不安でした。
先生に話してもらうことを、ほとんど23日の実家でわたしが話してしまったので、
確実に話が重複するなと思い、
両親が聞きたいことは、もしかしたらないのかも……なんて思って、
一人であわあわしてたのでした。

 まず病院に入ってみたら、……あら?誰もいない……。
受付の方とお薬を出してくれる看護師の方がいつもいるのですが、
まったくなく、まさにガラーーーーン状態です。
先生に聞いてみると「日曜は患者さんも少ないので一人でいいかなと思って」
いやいや待ってる人いるじゃないですカーー!笑。

「不思議ですよねぇ」

いやいやいやいや!そんなファンタジックに言われても!爆笑。
……海老やん節炸裂ボンバーです。もうホント大好きです。

 最初に「うつ病」と「うつ」の違いを説明してもらい、
わたしは後者の「うつ(心理状態から来るもの)」だと説明して下さいました。

色々と質問も混じりながらも、
父は職業がら色々な人をみているので、どん、と構えた感じに見え、
母が少し質問したりしてました。

 母が聞きたかったのは
「心配してかけた言葉が娘にはプレッシャーに思えてるみたいです。
どういう言葉をかけてあげたらいいのでしょうか」でした。
先生は、これ!というセリフは出しませんでしたが、
母が「だんなさまのために夕飯くらい作っておきなさい、と言う」
と例をあげると、先生は
「ご飯を作るというのは、うつの人にはとてもハードルが高いのです」
とおっしゃいました。

 確かにハードル物凄く高いです。
料理なんてとてもとても出来る状態ではないわたしです。
 「料理」というのは、あっちでこう切り、こっちでは煮込み、など
意外と頭を回転させないと出来ないもの、というわけで、
うつ状態の人はかなり治ってでないと難しいとの説明でした。

 自分では「億劫でからだが動かない。作る気がしない」という
気持ちだけだったのですけれども、
言われてみれば「なるほどなぁ」と自分で思い返したりして。
ホントにお料理は作れる気分になれないですし、
それはもっと元気になってからなんだ、と知りました。

 ちなみに一番ハードルが低いのが「洗濯」だそうで。
今じゃスイッチ一つですしね(笑)。
確かに、わたし、全然威張れませんが洗濯はします!どーん。←威張れねって

 お次は「掃除」とのお話。
まさに確かに……!掃除はなかなか体が動きません。
かなり気分がいい時でないと難しいです。

 自覚症状はないものの、言われてみるとホントにその通りで、
改めてわたしって「うつ」なんだなぁと思ってしまいました←遅

 父が言うには「丁度うつっぽくなり始めたのは結婚の時。
幸せ絶頂だろうになぜこんな風になってしまったのか、
それが分からなくて、
親が娘をうつだと認識するのにタイムラグが生じたように思います」でした。
言われてみれば確かに結婚の時にうつになりました
(言われてみないと分からんのかい自分)。

 ただ、その時は実はヤマハに勤めていた時で、
ピアノという値段の大きいものを販売する、ノルマに近いものもありまして、
わたしには「大金出させて買わせようとしている」としか
思えない職業だったのです。

 買いにくる人は、相場はよく分かってるのでしょうし、
売れもするのですが、
どうしてもわたしには「高いものを売り付けてる」感覚が抜けませんでした。

 今までサービス業一本で頑張ってたわたしには、
頑張れば頑張るほど「売り付けてる」感覚が比例して出て来て
物凄く心が苦しくなっていきました。

 結婚の時期はその仕事の時期でもあったのです。
それが気付かないうちにとても大きな負担になっていったのだと思います。

 親はわたしを「頑張りすぎる子だ」と思っていたみたいで。
おおー!とびっくりしたのですけど(笑)。
そういう人がうつになりやすいのだと先生もおっしゃってました。

 あとはわたしの中の問題になりました。
週に一度電話をかけてきてくれる両親に「何々がプレッシャーだ」、という
ことは理解してもらって、問題はやっと一つクリアしました。
すると、わたしの悪いところですが、
「もうクリアすべきことはないんじゃないか。じゃあ仕事をしなければ!」と
すぐ外に「仕事に行くこと」を直結してしまうところがあるのです。

 「親も仕事をするのを待ってるんじゃないか、と思うと……」と言ったら
「待ってないヨ」と速攻で返されて「あれっ!?」でしたが(笑)。
えっイイのぅ!?Σ(゜Д゜∥)

 と、いうわけで(何が何やら)、
親はとても暖かく見守ってくれてて、こうやって理解もしてくれて、
本当にわたしは幸せもので。

 すぐに外に仕事しに出掛けなきゃいけないんじゃないかと焦りますが、
「家の仕事を出来るようになってから考えましょうね」という
ごもっともなアドバイスも頂き、
「家を守る、だんなさまを守るのも立派な仕事だヨ」と言われて……

 未だ外は怖いです。
未だ音が怖くて音楽はほとんど聞けません。
一人で出掛けることもすごい勇気がいります。
料理も出来ませんし。
……まず、こういったところからわたしは一歩ずつ、していけばいいのだと
心の何かが一つ、カタン、と落ち着きました。

 未だ親離れが出来てないわたしだけれど……
家にいてもいいと言われた安心感は、本当に大きなものでした……。

 ありがとう父、母。
ありがとう、だんなさま。
ありがとうございます、お義父さん、お義母さん。
iyukはゆっくりよくなっていきたいと、思います。

 よくなっていきたいと思えたのはこれが初めてです。
今までは「治る=仕事」と思い込んでいたので、
治るのが本当に憂鬱でした。
でも「治る=家にいていい」というのはとてもわたしに救いをくれて、
まずは家事から。ゆっくりと。

 ゆっくりと。
iyuk携帯からでした。


★ 両親との暖かい話し合い。

2005年11月25日 01時30分04秒 | ♪ 沢山の鬱や薬たち
 こんにちは、iyukです。
いつも「お久し振り」ですみません。
今回は自分が書く気力がなかったのと同時に、パソが……壊れまして。

 たった2クリックしかしてないのに
突然「ハードディスクが壊れました」と出たらしい……(だんなさま作業中)。
最初は「簡単なモノだろう」と思っていたら(だんなさまはあわあわ)、
そんなもんじゃなかったらしくて、
うわぁ。とつい他人事のように見守っておりました。
もうもう、だんなさまはあわあわで。
何度も言いますがあわあわで。

 わたしは何が出来るわけでもなく、
落ちているだんなさまの側で座り込んでいました。
なんとなく、このまま読書したら怒られそうな気がして……ハハハ。

 そんなわけで携帯から初記事を打ちますね。
うまく載ってくれればいいのですが……

 先日の祝日。11月23日の祝日。
だんなさまと共にうちの実家に帰りました。
ただ、当日行くとゆっくり出来ないので、
前日の22日から実家に泊まって23日夜に家に帰ることにしました。

 ……まぁ……あたしなので……はしゃぎましたよ(苦笑)。
久しぶりに会えて嬉しいのもあるから楽しい!ってのもあるのですが、
これがまたはしゃぐのがもう無意識に近い反射神経みたいなもので、
寝る時にやっとスイッチが切れて、ぐて、となってました。
いつもそれでだんなさまには怒られます。
その上、元気な私を見て親は
「うつって何だ?」と「元気じゃん」と思う悪循環です。

 そんなこんなで過ごしてた時間ですが、
23日(祝)の夜、猪鍋をつつきながらいつの間にかわたしの話に。
ご飯が食べ終わった頃にはわたしは泣きながら話してました。
自分のうつのことを。

 やっと話せました。
話そうとしても重大に感じてくれなかった両親でしたが、
わたしが手首を切った時点でかなり重く受け止めたような気がしました。
話す時期がやっと来たのだ、と思いました。

 親に「期待通りに育てない罪悪感」を持っていること。
くれる言葉が心配の上にたってるのは分かってるけど、
それをプレッシャーに感じる罪悪感。
「元気になったら仕事をする」というのが暗黙のことが重くて
「治りたくない」という思い。

 様々に。話してきました。
本当は、今度の日曜日に病院で先生から言って貰うはずの話題だったのですが、
自分から勇気を出して話してみたのです。

 ……両親は、優しかった。

 本当に優しかった。
わたしは泣いていて、冷静ではなかったから、
貰った言葉を正確には覚えていないのだけど(父、母、ごめん)、
わたしが「罪悪感」と思ってるモノは、全てがいらないものだと、
優しく説いてくれたのでした。

「落ち込んだ姿などは子供の前では見せないって決めてたよ」
「明るい家庭が作りたかったしね」
「昨晩は、あぁはしゃいでるなぁと思ったよ。はしゃがなくていいのにねぇ」
「そりゃあ親は子供に期待するよね」
「でもその通りに進まなくていいんだよ~」
「罪悪感なんて感じる必要ないじゃん」
「なんで感じるのん?(あっさり)感じる必要ないんだよ~」
「ないよ~iyukがそんな感じる必要ない。あらそしたら楽になれるじゃん」
「なれるねー」
「ねー」

 みたいな感じで(ちょっと違うけど笑)。
その間、色々思ってただろうに一言も言葉を挟んで来なかった兄に凄く感謝。
あそこで口をいれられてたらわたしはどうなったか分からない。

 わたしは……凄い激流にいるような、でも穏やかな大海にいるような、
不思議な気持ちで、でも……心が物凄く安らいで。
大好きな父と母だから、がっかりされたくない、と必死でいた自分から
抜け出したような……そんな気持ちになりました。

 一瞬、親のことが解決したことで
「もう治ったのと同じなんだからお仕事をしなきゃ」と
病気のせいでしょうか、すぐにそう思ってしまったのですけど、
まだ、外からの音がとてつもなく怖かったり、
対人関係に恐ろしく緊張したり、
よっぽどの勇気がないと一人で外にも出られないし、
「あんた問題は山積みでしょ」とだんなさまに言われて
そして「そう思う所が病気なんだ」と改めて思って(でもいつも忘れちゃう)、
日々を過ごしています。

 明日は両親と初めて病院に行くことになってます。
すでに先生がおっしゃる予定のことをわたしが話してしまったので
どうなるやら心配ですが(苦笑)。

 心配なのはだんなさまで、本日39度の熱を出して倒れてしまいました。
少しでも早く治ってくれればいいな、と思います。

 Σ(゜Д゜∥)…!これが「少しでも早く治ってほしい」という気持ちか…!!
自分にとってはとても重荷でプレッシャーになる言葉なのですが、
こうやって人に伝えることに矛盾ですね……。
自分のことになると、めっこりやっほい(ナニソレ)分からなくなるのですね。

 わたしにはこんなにも理解してくれる人がいて、
本当に幸せだし、親からの愛はとても大きくて
今でも「罪悪感なんて感じなくていいんだよ」という言葉に涙します。
とても、わたしにとって親の存在は大きくて……。

 これからもだんなさまと作っていく家庭と
大切な両親と兄の存在に、
きっとたくさん救われると思います。
友人にも。全ての人間関係にも。

本当に、皆、いてくれてありがとう……なのです。

携帯から。iyukでした。


★ 「甘え」と「罪悪感」と。

2005年11月12日 16時12分35秒 | ♪ 沢山の鬱や薬たち
 こんにちは、iyukです。
見事に風邪っぴきです。鼻がずびずばします。
でも書いちゃう。なんでだろ。色々吐き出したいのかな。
この、複雑な思いを。

 ののかさまの「明けぬ夜の夢 大好きだけれど寂しかった」を読んで。

 わたしは妹です。
きっと兄より甘やかされたんじゃないかなと思います(兄よ……すまぬ)。

 ちょっと前に「まず、抱き締めてあげて下さい」というCMがありました。
子供の愛し方が分からない現状を訴えてのCMです。

 わたしは物心付いてから親から抱き締めてもらったことは
実は覚えていない……んですが、
一緒に遊んだことは覚えているんです。
母と向かい合って両手を繋いで、母の足の甲に自分の小さな足をのっけて
「いっちに、いっちに」って歩く遊び。
「アリさんが1匹と100匹どっちがいい?」「100匹!」「きゃーーー!」と
全身をくすぐってくれた遊び。
ぎゅーーーーーっていうのがなくても、スキンシップで暖かかったな、と
思い返します。

 今、それでもまだ甘えたりないのかと思ってしまって、
自分で自分を責め込んでいます……。
わたしはまだ、甘えたいのです。
まだ、甘えたいのです……。きっと。

 わたしにとって、「甘え」というのは「わかってもらいたい」と類似語です。
わたしの親は、わたしが調子の悪い時にかける言葉をしりません。
なので、親は励ましたつもりで、「甘えさせた」つもりでも、
わたしには逆にプレッシャーとしてしか感じとれないことが多々あります。
これはとっても悪循環です。
親は「まだ足りないの?!」と思うし、
わたしは「そんなんじゃなくて……違う言葉が欲しい」と甘えるのです。
それがとても罪悪感になり、また悪循環です。

 身勝手ですが、
わたしは、「調子が悪い時のわたしにかける言葉を知って欲しい」という欲求が、
今、あります。
でもそれが、とっっっっっっっっっっても身勝手だと罪悪感でいっぱいなのです。
今も心配してくれてるし、何かを送ってくれたり、金銭的援助をしてくれたり、
親は色々してくれます。

 だけど、わたしが今欲しいのは、
「うつを知って欲しい」ということなんです。すれ違っているのです。
親がよかれとしてやってくれてることが、
わたしにはプレッシャーになってしまうなんて。
親に、色々してもらってるのに。
ごめんなさいって思う。
こんな事を望んでるなんて、甘えてるよね、ごめんねって。
でもそれがわたしの今の本当の「甘えたい」感情で……。

 昨日から「ごめんなさい」って書いてるのは、こういうことなんです。
親が、心配してくれる。色々してくれてる。仕事も忙しいのに。
なのに、わたしは他のことを望んでる。
身勝手で、本当に、ごめんねって。

 早く、両親とカウンセリングを受けられる日がくればいいな、と思います。
今月末、一緒に病院に行ってくれることになったのです。
忙しい間をぬって。

 本当にうちの両親は忙しい。
だから、あまりカウンセリングにも時間を取れないだろうと思います。
わたしに対する態度をどうするかを教えてもらうために、
今月の一回で、全てを教わろうとしてると思います。

 でも、……一回で済むかな……というのがわたしの本音です。
それもまた心配です。

 来てくれてありがとうね、ごめんね、ってこれまた「罪悪感」です。
とどまることをしりません(苦笑)。

 自分の中で「甘え」=「罪悪感」というのは
なかなか離れないんじゃないかな……と思うiyukなのでした。

※ののかさまにお礼の気持ちを込めてTBさせて頂きます。


★ 気付いたけど、行動に移せない。

2005年11月10日 17時00分35秒 | ♪ 沢山の鬱や薬たち
 こんにちは、iyukです。
せっかくの秋晴れなんですが、外に出るのが怖くて散歩をする気も出ません。
ダイエットの為にも、「歩きなさい!」と言われそうですが、
「歩かなきゃ、歩かなきゃ、でも怖い、でも晴れてる、どうしよう」と
いつまでも考えて、結局今日もお外には出られません。
秋晴れな日が続けば続くほど、
「今日も怖い、今日も歩けなかった、ごめんなさいごめんなさい…」って
気分になります。
歩けなかったことも、晴れだったのにって皆に思われてるかもしれないことも、
……どう見ても散歩日和なのに、そしてやっぱり歩けないことに、
ごめんなさいと、凄い、罪悪感です。
今週は晴れ続きだったので、そんな思いで家にいます。
「読みたい本があるから」を言い訳にして。ゴロゴロして。

ごめんなさい……。


 さて、私は先日、病院に行って、先生に
「親の基準じゃなく自分を基準にしましょう」って言われたことを書きました。
そして、そうか、と気付いたこと、一条の光が見えたと思ったことを。

 悲しいことに、今は、それに気付いているのに、
実行出来ない。行動に移れない自分を抱えて悩んでいます。

 もうこればっかりは自分の気持ち次第ですから、
お薬を出してくれる海老やん(先生)に相談してもどうにもならないことで、
この範囲は「カウンセリング」じゃないとダメだろうなぁと
冷静に思う自分もいます。

 悩む。昨日は、悩んで……他にも墜ちるファクターがあって、
本気で手首を傷つけたくて、泣いて、泣いて、泣きました。
今も悩んでいます。
まだ、親の基準を気にしているんでしょう。


 ……私は親の前で「うつ」の表情を出すことが出来ません。
それは、「暗い」表情を出すことを親が嫌うからです。

 前に、「いなくなりたいんだ」と母に言って、
私の中では結構墜ちている時だったんですが、
それを聞いた母は「やめてよ。聞きたくないそんな話」と言いました。
それを聞いて、今までも明るく凄く繕っていたけど、
ますます親の前では明るく取り繕うことにプラスが加わりました。

 親の期待に応えたい。
これが、つまり「親の基準」ですよね。
本当は、親の前でもいつも通りにしていたいんです。
でも、それは嫌がられる。

 これからも、当然親とのやり取りがある訳です。
その都度、取り繕う。私は、それが憂鬱でたまらない。
今後もずっとそうなるのかと思ったら、もう、……苦しい。

 私は両親に、こう思ってしまう自分に物凄く罪悪感を感じてしまう。
ごめんなさいごめんなさい…………

 大好きな両親だよ。本当に、大好き。
でも、私が「うつ」なところを表したら「暗くなって」嫌がるよね。
私はそれが分かってるから、明るい自分を作り上げる。
……ごめんなさい。そのことに、私は疲れてしまったの……。
ごめんなさい。

 「親の基準じゃなく自分の基準でいきましょう」。
でも、自分の基準でいったとして、誰か……この場合は両親を、
とても良い雰囲気から暗い雰囲気に持って行ってしまう。
それが、申し訳なくて。出来ない。行動に移せない。

 気付けたけど、気付けたのに、
私はまた出口から入口に戻ってしまいそう。
それか、袋小路にはまってしまいそう。
どうしたらいいかわからない。
両親は、こんな私を受け入れてくれるの??
無理だよ。「職業がら、いつも明るくいなきゃいけない仕事」なんだもん。
だから、あたしがうつなのを、出すことは……出来ないよ。
でもそれがもう……苦しい。

だから、罪悪感がいつも消えないんだ。

iyukでした。


★ 宮部みゆき「龍は眠る」読了。

2005年11月04日 20時39分13秒 | ♪ 興味ある本たち
 こんばんは、iyukです。
今日も晴れ。
隣の保育園が平和そうにいつまでも運動場で遊んでいました。
いいことですね。

 しかし、子供達の声は、悪いがドアで閉めさせてもらい、
友達から借りている大量の宮部みゆきの本を読んでいました。
読んで、評判通り「あぁこれホント面白いなぁ」と思ったのは
借りた初期に読んだ「ステップファザー・ステップ」で、
あとはそんなに、「ズガン!!」と心に打つものはありませんでした。
悪い意味じゃないです。
どれも面白いくてとても読みやすいんですが、
「ズガン!!」とまで記憶に残らなかったのです。

 そこで、来ました。
宮部みゆき「龍は眠る」(新潮文庫) です。
「ズガン!!」ときました。

 ストーリーは、

嵐の夜だった。
雑誌記者の主人公は車で東京に向かう道すがら、
道端で自転車をパンクさせ、立ち往生していた少年を拾った。
なんとなく不思議なところがある少年が言った。

「僕は超能力者なんだ」

その言葉を証明するかのように、
二人が走行中に遭遇した死亡事故の真相を語り始めた。
それが全ての始まりだったのだ……


 超能力。
「龍が眠る」の超能力者は
サイコキネシスと呼ばれる、触れたものから記憶を読める能力。
それが人間だろうが物だろうが、
触った物から、心情や風景が読み取れてしまうもの。

 少年は、物を触って真理を明かしてゆく。
しかし、主人公は普通の雑誌記者。普通の人間。
少年の言うことを信じられるかどうか……???
しかし言うことはいちいち当たっている。
信じていいのか?イヤ、偶然じゃないか?何だこの少年は……。
揺らぐ主人公。

 普通、本当に、そういう人に出会ったら、
私はどうするだろう。
本当に出会ったら……??

 私の心友に「何でこんなに私を分かってるんだろう。すげー。」という
友達はいる(笑)。
だんなさまも、私の行動パターンは何でもかんでもお見通しだ(オレ超単純)。

 でもそれとは違う。
よくTVでやっている透視能力者やサイコキネシスなど出て、
事件を解決しようとしている番組がある。
 ……私は……そういう番組を、見ない。
…イヤ、見られない。
自分には出来ないことだから、「分からない」のだ。

 「龍が眠る」の主人公も、そうだったと思う。
事実、物凄い揺れていた。
また、上手く揺らす人も出てくるのだ。
これではますます嘘を言われているのか真実なのか、分からない。


 今作の、宮部さんの面白い!って思うのは
主人公の気持ちが物凄く現実味であること。
 また、超能力者側からの「なんでも見えてツライ」という未知なる感情も、
普通の私たちにも実感出来るように文章で表現しているところ。

 超能力者側からの「なんでも見えてツライ」という未知なる感情も、
普通の私達にきちんと実感出来るように文章で表現している。
(二回言った笑)

 これって、凄い。
本当に、超能力者の方々が「ツラい」と感じてることを、
「実感」出来て背筋が冷たくなる気持ちを伝えるのって、凄い。

 こうやって、主人公の、過去があったり、揺れ動く今があったり、
白紙の郵便物が送られて来ていくつもの方向に情報が揺れ、
そして何かを掴んだ気がする時の主人公の嬉しさに安堵し、
でも物語は安堵を与えさせない勢いで
ぐいぐいぐいぐいぐいぐいぐいぐいぐいぐいぐいぐいぐい引っ張っていく。
どんどんどんどんどんどんどん入り込んじゃう(どん一個多くね?←若者風)
過去にツラい事があっても、後ろ暗いところはない。
なのに舞い込むような脅し。
思い当たることもない。
でも、期限が来たら自分の周りの誰かが巻き込まれてしまう焦り。
強烈な焦りの心配から沸き上がる想い。
未だ超能力に対しての大きな揺れ。
止めどころが一切ない。一気に読めちゃう。
五百文字以上ある小説の止めどころがないって凄いですよ。

 競技の水泳みたいでした。
泳ぎ終わった時の「ぜいぜい、はぁはぁ、ぶはぁっ!」っていう気持ちと
読み終わった時の「こういってああいってここでこうでこうでこうなのかぁっ!」
という気持ちと、とてもかぶります。
水泳って一気に泳ぐでしょう。それと一緒。

 読後感もものすごく気持ちいい。
北島康介(漢字あってる?)選手と一緒ですよ。
さっぱりして、笑顔で終われて。

 こういう作品の後、同じ宮部みゆきでも、
次は何を読もうかと悩みます。
「レベル7」にするか「理由」にするか短編集にするか他のにするか……

 そういえば、「ステップファザー・ステップ」
子供達用の文庫として改めて出版されていて驚きました。
確かにあの物語は面白いし読みやすい。
……この年代層の幅って凄いんじゃないでしょうか。
本格ミステリ作家が、小さなお子さまからお年寄りまでの本が書ける。

 今のところ、この二冊。たまりません。iyukでした。


★ 「両親を基準にしないで自分を基準にしましょう」

2005年11月03日 18時04分54秒 | ♪ すごした時間
 こんにちは、iyukです。
今日は起きたら16時に近い時間でした。
睡眠薬を飲んでるからって、こりゃ寝過ぎだ、とも思ったんですが、
昨日の初めて行く病院で、物凄く緊張していたので
(緊張と孤独感と、緊張と緊張と緊張と緊張)、
いつも精神的に疲れた時にはそれくらい寝ないと体が動かないんです。

 本当は、先日肺炎で入院したお義父さんのお見舞いに行かねばならないのに、
風邪も引いてしまって、今日は寝て過ごすことを
だんなさまから言いつかりました。
……ブログ書いてますが。どーーーーん。

 先日、私は「手首を切らなくなって気付いたこと」「自分は弱い」
感じていることを記事にしました。
そしてそれを昨日先生に全て話して来ました。

 そうしたら、
「親の期待に応えられない罪悪感がある」=「自分は弱い」というのは
ずいぶん離れた(……突飛な)考えの行き方だと思う、と
先生はおっしゃいました。

 私にとってはとても近しい、本当に「=」で結ばれることだったので
その言葉に驚いてしまって、何も言えなくなりました。

そこで、先生が仰ったこと。
「罪悪感……本当はそういった人の目を気にしないのが
一番なんですけどね~」
「本当は、親の期待に、というより、
彼との生活(夫婦関係)に対して感じなきゃいけない事じゃないですかねぇ」
「iyukさんのご両親は精神的にお強い。
だけど、それを基準にするのではなく、iyukさん自身の家庭のために、
自分を基準にしましょう?」


   ……!

 私は、だんなさまによく「奥様。奥様じゃけぇ、な?」と言われて、
でも実感なく「うん」と頷いていました。

「実感なく」

 それは、私が、未だまだ自分達の関係が「恋人同士」感覚であることに
初めて気付いたということでした。
だから、「親」の応援に応えられない自分に「一番罪悪感」を感じている、
親離れしてない自分を感づかせる先生の言葉。

 私は本当に両親が大好き。大切でたまらない。
相談相手でもあり、とっても尊敬できるし、支えでもある。

 けれど、それは結婚した時点でだんなさまに向ける感情なんですよね。
私、本当にダメな人間。
今頃、そんなことに気付いた。

 だから「強さ弱さをご両親を基準にではなく、
自分を基準にしましょうよ」と、言われた時、
あぁ、私って、なんて遅い。と感じ、
違うトンネルの光が、一条見えて来ました。

 結婚は、けじめのためにする。
結婚は、自分達だけで自立して社会に出ます。
こういった事を周囲に披露すること。

 改めて、これの本当の意味を感じた気がしました。
父、母が言ってたことって、コレだ……。
本当にダメな自分。気付くのが、なんて、遅い。
……でも、気付けたことが良かった。
そういう、こと。か……。

 それでも、本当に本当に私は両親が大好きだから、
だんなさまもとても大切で、両親は物凄く僅差で大事。
大事っていうか……だんなさまとは別のくくりで、とっても大切。

 「両親を基準にしないで自分を基準にしましょう」
うん、そうだね。
そうしていかなきゃいけない。
「自分」として生きていく為には。

 親と子供の関係って、本当に、不思議。
血が繋がってるのって、不思議。

 だいすき。だいすき。

iyukでした。


★ 病院を変えてきました。

2005年11月02日 23時55分01秒 | ♪ 沢山の鬱や薬たち
 こんばんは、iyukです。
最近秋晴れでステキな時期ですね。
ぐうぐうぐうぐう寝てますけども←ぁーだからブクブクに……
   誰かダイエットに意欲的にならせてくらはい(弱)

 一年くらい通っていた病院を、今日変更しました。
今まで行ってたのは「●新宿メンタルクリニック」(伏せ字殆ど意味無し!)
というところで、西●宿のとあるビルの中にある病院に行ってました。
※HP内にある「スタッフの声」として載ってる先生はお辞めになりました。

 そこで担当して下さってた先生が、
ほわーーーーとして、ほわーーーーーとして、ほわーーーーとしてる方で(誉)、
いやぁイイ先生で。
何度わたしの人生に突っ込みを入れてくれたことか。
ステキで、この相性はとてもかけがいのないものだと思っていました。

 そんな先生が、私の前からフッといなくなったのが9月12日。
最初は、病院に行って、
あれ?いつもの先生のアナウンスがないなぁ(○○さん2番へどうぞ~)、と
思って待っていたら、ふと、受付のカウンターに、

「海老原先生は9月12日をもって辞められました。
引き継ぎは院長先生です」

と、小さくぺらりと貼り紙。








         え?







 どれくらい世界が凍り付いたでしょう。
それも、リストカットしてた時の最悪の時期だったので、
海老やん(34←推定 イヤ先生に向かって!)に相談にのってもらいたくて
のってもらいたくてもらいたくてもらいたくてたまらない時でした。

 頭は真っ白でした。時間は凍り付きました。体も。頭も。

なんで、い な い の?
どういうこと………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

 そして、見知らぬ、院長先生に診てもらう。
「なんだこの人。人の顔、見ない」第一印象。
どこかの北にある独裁国家の独裁者にそっくり。が第二印象。
深緑の小太りなおじさん。めがねもかけてる。そっくり返ってる。

 「コントミン(薬)ほしいんです」
 「そう言わずにこれ飲んで」
 「次は月曜……いえ、火曜にします」
 「いえ、月曜日に来て下さい」

話、かみあってますか?


       アナタ ダレ デスカ


あまりの、人の話の聞かなさに脳味噌は凍り付くばかりでした。

 「海老原先生が辞められたこと知らなかったんですけど」
 「あぁそうですか」

        エビハラ センセイハ ドコデスカ

心の支えが折れた気分で、あまりのショックで言葉が出なかった。
その日は「新しく出来たスープカレー屋さんに行こう!」と
言われていたけど、
こんな精神状態でこれ以上状見知らぬ所に行くのは絶対無理で。

 10月は、もう、泣きたくなるくらい、でも、そこしか知らない、
院長先生の病院へ行くしかありませんでした。
こうしてどんどん、リストカットを増やしていった訳です。

 「手首きりました」
 「どうして?」
 「心のもやもやの表現の仕方が分からなくて(自分でも分からない)」
 「意味分からないですね」



     ユメナラ イイノニ。



 こんな状態でいて、ますます手首を切る私を、
だんなさまが海老やん(イヤ失礼やて)となんとか連絡付けてくれたのです。
トンネルの先の先の先の先に光を一条見た気分でした。

 ここから、ここから、どんどん、光が見えて来て。
11月2日、まさに今日、海老やんの病院が開業されたのです。
西新●の病院から、●新宿に。

 そして、今日、18時30分に行きました。
うーーーーーーーーーーわ。凄い人!!!
待ち合い室からもれてますよ。

 完璧、先生の人柄ですね。どう考えても。
今日はお昼休憩も取れず、一人につき30~50分ずつ時間を取って、
一日で32人ぶっ続けで診たと仰ってました。
というのも、18時30分に行った私が最後で、
終わった時間が22時30分という。三時間待ちです。
先生ホントにお疲れ様です……。

 新しい病院だからどれも新しくて(当たり前かもしれないけど)。
トイレだって自動でフタが開くし!
自動で電気が付くし!
待ち合い室の椅子が一人ずつのまるでリゾートにある形でフカフカの椅子!
電気も柔らかい!ステキ。

 診察室が一つと、予約カウンセリングの相談室が一つの病院。
だけど、もう、私はどんなに待たされても
海老やんだけを頼りに、海老やんだけを頼りに……。

 だんなさまはお仕事が忙しい中、
中抜けして駆け付けてくれたのだけど、
待ち時間がさすがに三時間というのは仕事上問題もあって、
「一人で待ってるから、イイよ、お仕事行って。ごめんね、ありがとう」
と、結局先生には会えず、お仕事へ。
そして終電帰り……可哀想…… 
ホントは、待ってる間、凄く孤独感に苛まれたけど

 ここ最近の精神状態の揺れは、こんなところからきていました。
かなり、これが原因だったです。
院長、評判悪いらしいです。人の話を聞かなくて有名だそうで。

 西新宿●リニック。
気を付けて下さい。
これで潰れたら笑ってやるのに おっと言霊使いがこんなこと言ってはいけない。

 少し……イヤ、結構イイ方に進んで良かった。
海老やーーーーん!

今日のコネタ
 「先生、この新しい病院は診察室からのアナウンスじゃなくて
  先生自らドアを開けてお部屋に入れて下さるんですね~」

    「(小首傾げて)ダメ?」

ダメ?て!こてん、て小首傾げないの!!海老やーーーーーん!!
だいすき。

 iyukでした。