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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

彷徨う少年と原爆忌

今日八月六日は「広島原爆忌」ですね。m(__)m

広島上空で、米軍のB29爆撃機が投下した原子爆弾は、ウランを用いたもので、小型であったため「リトルボーイ」 (ちび)と呼ばれていました。 (°▽°)

一方、長崎に投下された原子爆弾はプルトニウムを用いたもので、その容姿から「ファットマン」(ふとっちょ)と呼ばれていました。(≧∇≦)

なお、長崎に投下された「ファットマン」は、広島のリトルボーイの約80倍の威力、120万トンのTNTに相当する約21キロトンの爆発を起こしたと報告されています。
(※TNT 1kgが、おおよそ木造住宅を全壊させるほどの威力)

そして、恐るべきことに、アメリカは日本が降伏しない場合に備えて、終戦間際に東京に落とそうとしていた原子爆弾があったと言われています。٩( ᐛ )و

広島(リトルボーイ)、長崎(ファットマン)に続く3つ目の原子爆弾の存在については、様々な議論があるようですが、その名称が「スカーレット」だったと伝えられています。m(._.)m

スカーレット、、、可憐な女性の名前のような名称ですが、殺戮兵器にこんなふざけたネーミングをするなんて、米軍の常識を疑うと同時に、戦況に対する余裕すら感じてしまいます。( ; _ ; )/~~~

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

昨晩、大阪の暮らしや文化を研究されている女性教授とお話させていただく機会に恵まれました。(^。^)

いろいろな話題が広がるうちに、彼女の出身地が山口県岩国市であることが分かり、その話の末に、馬関から「そう言えば明日は広島原爆忌ですね、岩国市も広島に近いから影響はあったんでしょうね?」と何気なく聞きましたら、、、

「私の祖父が、広島中心部の中国電力に勤めていて被爆、即死しました。爆心地に至近だったため遺骨も見つかっていません」とのことでした。(°▽°)

悪気はなかったとはいえ、原爆忌の話題は軽々に口にすべきではないと反省しましたが、彼女は屈託もなく、「少年だった父は、祖父の行方を探しに、翌日から広島市内に入り、焦土と化した市街地をあてどなく歩いたそうです。それで、いわゆる二次被爆者となりました。」と続けました。m(__)m

その上で、さらに、「父は、晩年まで酒に溺れましたが、原爆の狂気に苛まれていたのだと思います。」と、この話を結ばれました。(T . T)

一瞬にして、多くの尊い命が奪われ、幸せな暮らしが崩れ去った「原爆投下」、、、すべての犠牲者の皆様に心から哀悼の意を捧げます。m(__)m

「少年の尚も彷徨ふ原爆忌」 祖谷馬関

(注)原爆忌は初秋の季語。第二次世界大戦の終結は昭和二十年に投下された原子爆弾による。 八月六日に広島、九日に長崎、という二回もの核兵器の使用は世界に類のない大惨事を招いた。この日の慰霊行事に合わせ、世界平和への祈りを奉げる。
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