さいえんす徒然草

つれづれなるまゝに、日ぐらしキーボードに向かひて

ジュラ紀の不幸な事故

2012-03-11 22:20:37 | 生態学・環境

from: Frey E, Tischlinger H (2012) PLoS ONE 7(3): e31945. doi:10.1371/journal.pone.0031945


 一見すると巨大な魚(Aspidorhynchus)に為す術無く捕食されている翼竜(Rhamphorhynchus)の化石。Rhamphorhynchusの体内からは、まだ未消化の小魚の化石が見つかっている。恐らくこの翼竜は水面で食事をしている最中に逆にAspidorhynchusの目に止まり捕まってしまったのだろう。

 しかし、このAspidorhynchusの捕食行動は彼か彼女にとっても不幸な帰結となった。この化石を分析した古生物学者によると、Aspidorhynchusの顎は翼竜のような大きな獲物を飲み込むには適していないらしい。この研究者によると、この化石が示している状況は一方的な捕食などというものではなく、Aspidorhynchusの歯にAspidorhynchusが挟まり取れなくなてしまった状態であるという。絡み合ったこの2つの魚と翼竜はもがき合いながら水中へと沈んでいき、結局両者ともに死んでしまったのだ。

 この化石が見つかったのは南ドイツのゾルンホーフェンという場所だが、この場所からはこの二種が近接した状態で保存された化石があと4つほど見つかっているらしい。上記のようなアクシデントは、比較的頻繁にジュラ紀の海で起きていたのではないかと考えられられるという。

Frey E, Tischlinger H (2012) The Late Jurassic Pterosaur Rhamphorhynchus, a Frequent Victim of the Ganoid Fish Aspidorhynchus? PLoS ONE 7(3): e31945. doi:10.1371/journal.pone.0031945

Jurassic fail: fish accidentally snags pterosaur, and both die (Not Exactly Rocket Science)

マラバルジョロウグモモドキの取り外し可能な生殖器

2012-02-04 19:56:45 | 生態学・環境
あなたはセックスをしている。相手はあなたがとても一途に思っている女性で、彼女を他の誰にも渡したくないと考えている。一方で、女性の方は違う。彼女はあなたとの退屈なセックスなどさっさと終わらせてしまい、他の男と寝たいと考えている。あなたの体の何倍も大きいこの女性は、行為の最中に鬱陶しいあなたを食い殺そうとするだろう。そこであなたは自分の生殖器を切り離し、それを彼女の体内に残すことにした。生殖器はあなたから離れた後も問題なく精子を彼女の体に送り続けることができる。あなたは生殖器を失ったが、そのかわりに彼女に言い寄ってくる男を追い払うことに専念すればいい。かくして、あなたはこの女性を独占し続けることができるようになった。

マラバルジョロウグモモドキ(Nephilengys malabarensis)のオスには実際にこの様な進化が起こったらしい。このクモのオスは交尾器(触肢 pedipalp といってクモの生殖器は頭に付いている)を、交尾中に切り離してメスの体に残していく行動が知られている。オスにとって失った交尾器は二度と再生することはないのでこの行動は一見不合理なように見える。オスが切り離した生殖器は貞操帯のような役割をしていて、別のオスと交尾することを妨げるのかもしれない。実際そのような理由で生殖器の一部をメスに残していくクモの種も多いらしい。しかし、マラバルジョロウグモモドキのオスは生殖器全体を切り離して残していく。一体どんな意味があるのだろうか。

ジョロウグモの交接行動 Nephila clavata (!生殖器は取れません!)



シンガポール国立大のLiらの実験によると、切り離された生殖器は完全に機能していて、そこから精子が継続的にメスに送り続けられているらしい。交接中にはメスからの妨害もあって30%程度しか精子を注入できないが、切り離された後はむしろそれ以前よりも早いスピードで残りの精子を注入することができるようになっているらしい。

このグループは以前にも、このクモで交尾後に生殖器を失ったオス(あるいは生殖器という“本体”から切り離された付属物というべきか)はメスの巣に居残って他のオスがメスにアプローチすることを妨害する行動を観察している【“去勢”されたクモは戦闘に強い―Charles Q. Choi
in National Geographic News】
。面白い事に、生殖器を失い去勢されたオスはそうでないオスよりも攻撃性が高く、生殖器をまだ持っているオスとの闘争に勝つ確率が高いらしい。

マラバルジョロウグモモドキのオスのこの様な生殖器の進化は、「性的対立」という生物学における最も殺伐とした競争のひとつの産物であると考えられる。多くのクモの仲間にはメスによるオスの共食い(Sexual cannibalism)がみられる。Sexual cannibalismの理由には諸説あるらしいが、例えばクモのメスのように復数のオスと交尾してそれら精子を利用できる生物では、単一のオスによって自分の卵が独占されてしまう(つまりそのオスの精子しか受精に使えなくなる)ことを防ぐという進化上の圧力が存在すると考えられる。一匹のオスとよりも復数のオスと子を作ったほうが、出来損ないの子供がばかり生まれてしまうリスクを分散できるとかそんな意味があるのだろう。一方で、オスは一匹のメスを独占したい。特に生涯で一度くらいしか交尾するチャンスが無いのなら尚更だ。そこでオスは精子を多く提供して自分の精子が受精に使われる確率を高くしたり、一度交尾したメスが他のオスと交尾することをあの手この手で防ぐことが適応的となる。マラバルジョロウグモモドキのオスは長く交尾していてはメスに食われてしまうが、短いと少量の精子しかメスに提供できない。取り外し可能な生殖器は、オスにとってこの問題を解決してくれる戦略なのだ。オスとメスの利害の対立の帰結がメスによる共食いというのはなんとも救いのない話かもしれないが、これに対するオスの対抗手段が取り外し可能な生殖器というのはもうただ驚くばかりだ。

Golden Orb-web Spider - Sexual Cannibalism ジョロウグモの交接と共食い



Spiders dodge cannibalism through remote copulation― Ed Yong in Nature News

Li, D., Oh, J., Kralj-Fišer, S. & Kuntner, M. Biol. Lett. (2012).

アンティキセラ島の機械をレゴで作ってみた

2011-12-18 21:59:43 | 材料・技術
 「アンティキセラ島の機械」は紀元前一世紀頃に作られたとされる非常に精巧な歯車式機械。1901年にギリシャのアンティキセラ島の海域で見つかった沈没船から発見された。この機械の使用目的については諸説あるらしいが、なんでも天文運行の計算に関するものだそうで、日蝕などの日付を驚くほどの精度で予測することができるらしい。祭事の日取りなどに役立てていたと考えられる。

 


 こちらはその機械をレゴで再現したという動画。

Lego Antikythera Mechanism


 古代ギリシャ人って凄いな。今じゃあんな国になってしまったけど。。。

ボルバキアは人を救うか?

2011-09-04 22:29:52 | 医療・衛生

 蚊などの昆虫・節足動物によって媒介される感染症のうち、デング熱やマラリアなど今だに予防ワクチンが存在しないものが多い。このような感染症を防ぐためには媒介者となる昆虫の発生を抑えることが最も重要だが、これまでは主に殺虫剤がこの目的に用いられてきた。しかし近年、遺伝子組換え技術等を利用して旧来の技術とは異なるアプローチから感染症を媒介する有害な蚊を防除するという試みがなされようとしている。以前にも何度か紹介したRIDL(Release of Insects carrying a Dominant Lethal)と呼ばれる方法では、優性致死遺伝子を持つオスの蚊を放飼してその遺伝子が遺伝した次世代の個体を死滅させる。基本的な原理は不妊虫放飼法と同じだが、この方法では理論的には野外の個体数が減少すればしていくほど加速度的にその効果を増して行く。

個体群置き換え法
 RIDL法は有害生物の個体数を直接削減することを目指すが、これらとはまた違った発想で蚊による病気の媒介を防ごうとするアイデアもある。“個体群置き換え法(population replacement)”と呼ばれているが(この日本語への訳は筆者によるもので正確なものかどうかは保証しない)、これは蚊の個体群の中に病原体の媒介を妨げるような遺伝因子を広げることで病気の蔓延を防ぐというものだ。“個体群置き換え”といっても野外の個体群そのものをそっくり別のものに置き換えてしまうというイメージは誤りで、実際には染色体の一部の領域や細胞質など特定の遺伝因子が集団中で置き換わるという理解が正しい。不妊虫放飼法との大きな違いは、不妊虫放飼法は蚊の個体群のサイズを減らすことが目的であるのに対し、個体群置き換え法では個体群のサイズは変わらないか著しく減少することが無い。その代わりに特定の(人間にとって)望ましい遺伝因子の頻度を上昇させ、究極的にはそれを個体群中に固定させる。この方法がうまく行けば、蚊は相変わらず不愉快な存在として残り続けるがもはや病気を媒介する恐ろしい存在ではなくなるので、公衆衛生上の目標は達成できることになる。


(from Alphey 2009)

 RIDL法と比べ個体群置き換え法には以下に述べるような利点がある。RIDL法は野外の個体群を縮小させるが、放飼する雄は同じ種のメスとしか交尾しないため原理的にその効果は単一の種の単一の生殖集団に限定される。しかし、病原体は宿主として幾つかの異なる種や亜種を利用している場合がある。この主たる例はマラリアだろう。アフリカでやマラリアは主にガンビエハマダラカという種が媒介するが、この種には形態的に区別できない複数の亜種が存在する。また、その亜種と認識されている集団自体もさらに同所的に存在する異なる分集団に分かれていることが分かっている。このように媒介者となる種(あるいは生殖集団)が複数存在する場合、一つのターゲットを不妊虫放飼法で駆逐しても、その空いたニッチを埋めるように別の種の個体群が拡大してしまう恐れがある。そうなると病気は一時的には減るかもしれないが、拡大した別の媒介者によってまたぶり返し、場合によってはもっと状況は悪くなるかもしれない。実際、遺伝子組換えによるネッタイシマカの不妊化技術を開発しているオキシテック社も、彼らの方法ではマラリアの抑制は難しいと認めている。一方で、個体群置き換え法では、蚊の種構成自体にはあまり影響を与えないと考えられるので、主要な媒介種か集団をターゲットにして行えばそのような問題は起きにくいと考えられる。

 病原体の媒介を防ぐ目的で蚊の個体群に広める遺伝因子(エフェクター)には例えば次のようなものが考えられる。

1.蚊の体内で病原体の増殖を抑える遺伝子
 実際に自然にいるの蚊の中から彼らが媒介する病原体に対して“抵抗性”になる遺伝子が見つかっている。また本来自然界に無い遺伝子でも人間が“デザイン”して新たに作り出すことも考えられている。

2.媒介者である蚊の成虫寿命を縮めるような遺伝子因子
 蚊は吸血という行動によって我々の病原体を媒介するが、一匹の蚊がある病気に関して一人の新たな感染者を出すためには最低でも2回の吸血を必要とする。なぜならば最初に吸血で感染した人間の血液から病原体を獲得して、それ以降の吸血ではじめて別の人間に病原体の入った唾液を注入することができるからだ。また、病原体にも蚊の体内に入ってから感染できる状態になるまでに要する一定の期間が存在する(外部潜伏期間:extrinsic incubation period)。例えばデングウィルスでは、温度にも依存するが蚊に吸血されてから次に人間に感染できるようになるまでには7~14日の期間が必要で、宿主である蚊のメスには最低でもこの期間を生き抜いてもらえなければ感染を広めることができない。
 あくまで感染を広めない程度に成虫寿命を縮めるという性質は、次の理由で個体群置き換え法で用いるエフェクターの性質として望ましい。もし、エフェクターが最初の吸血と産卵も許さないぐらいに苛烈なものであれば、その遺伝因子を持った個体の適応度はゼロになってしまうだろう。これでは個体群に広まるどころか速やかに消失してしまうので致死遺伝子と実質的には変わらない。一方で最初の産卵は行える程度に穏やかなものであれば、とりあえずは次世代に伝わることができる。もちろん成虫寿命を縮めるという性質も著しく適応度を奪うはずだが、そのエフェクター遺伝因子が後に述べるような“利己的性”を兼ね備えていれば個体群中で頻度を増して消失せず維持される可能性がある。


エフェクターを広める手段
 個体群置き換え法の最大の難関は、エフェクターとなる遺伝因子をどのようにして個体群中に広めるかという問題だ。理論的にはそのような遺伝因子を持った個体を放飼し続ければ次第に個体群中に頻度が上がっていくかもしれないが、仮にその遺伝因子が蚊の適応度にとって中立であったとしても、野外の巨大な個体群を置き換えるには途方も無い数の蚊を飼育し放飼しなければならないだろう。また、往々にしてエフェクターとなるような遺伝子因子は蚊にとっても有害である可能性が高く個体群中に安定に維持されないかもしれない。
 この問題を解決するために、“利己的な遺伝因子”をエフェクター遺伝子を広める“ドライバー”として利用することが考えられている(Sinkins and Gould 2006)。利己的な遺伝子因子と呼ぶと、リチャード・ドーキンスのかのベストセラーのタイトルを思い出す人も多いかもしれないが、ここで言う“利己的”であるということは若干意味が異なる。ドーキンスが彼の本で用いた“利己的性”とは、あらゆる遺伝子は自身のコピーを広めるという自己利益のために進化するという意味だろう。個体の適応度を上げるという一般的な遺伝子の作用もその利己的性の現れである。しかし、一般的に生物学の論文などで“利己的な”という言葉が改まって使用される場合はもう少し限定された性質を指すようだ。この場合、利己的遺伝因子は、個体の適応度に全く寄与しないかあるいは減少させもするが、それでも自身の存在を個体群中に広めていく性質を持っている遺伝因子のことである。利己的因子は自律的に自身の頻度を個体群中に広める性質があるので、エフェクターとなる遺伝因子をこのような因子と連鎖させて導入すれば、ヒッチハイキングによって個体群中に広めることができると期待される。利己的因子のよく知られている例としては、次のようなものがある。

1.ドライブを引き起こす遺伝因子
 転移因子、ホーミングエンドヌクレアーゼ遺伝子(Homing Endonuclease Genes:HEGs)、分離歪曲因子(Segregation Distorter:SD)のような遺伝子因子は、自身の次世代への伝達率をメンデルの遺伝法則から期待される分離比よりも高くする性質がある。このような現象はドライブと呼ばれている。これらの因子を行様な遺伝子を広げるドライバーとして用いる利点はそれ自身が自律的に個体群中に広まっていくため、放飼する数が少数で済むこと、また多少個体の適応度に負の影響があっても安定的に維持されうることだ。しかし、途中でドライバーとエフェクター遺伝子の間で組み換えが起こった場合、ドライブバーだけが単独で広まっていくという恐れがある。この問題は、エフェクター遺伝子に強い負の適応度への効果がる場合は特に懸念されるだろう。またドライバーそれ自体にも適応度へ強い負の影響があった場合、ドライブバーが淘汰されるか標的とする個体群中でドライバーのドライブ効果に対する抵抗性が発達する可能性も考えられる。
 
2.Underdominance
 ある二つの対立遺伝子のペアにおいて、そのヘテロ接合体の適応度がそれぞれのホモ接合体の適応度と比べて高い場合、それらの対立遺伝子は超優勢(Overdomminance)の関係にあると呼ばれる。超優勢の関係にある二つの対立遺伝子は機会的浮動による消失をお互いに免れながら長期間個体群中に維持されることで知られる。それに対して、ヘテロ接合体の適応度がそれぞれのホモ接合体の適応度と比べて低い場合、それらの対立遺伝子はUnerdomminance(正確な日本語訳は見つからなかった。)の関係にあるという。Undedominanceの関係にある二つの対立遺伝子は、超優勢とは逆に最終的にはどちらか一方の対立遺伝が個体群中から消失する運命にある。どちらの対立遺伝子が消失するかはそれぞれのホモ接合体での適応度と存在比によるが、一般的に初期頻度が低い対立遺伝子が消失に向かって推移することになる。なぜならば、頻度の低い方の対立遺伝子はヘテロ接合体として存在する割合がより高いからだ。
 Underdominanceのような関係は進化的に不安定なので、そのような関係にある遺伝子が自然界に見つかることは殆ど無いだろう。ただ、人間が野生型の対立遺伝子とUnderdominanceとなるような遺伝因子をデザインすることは可能だ。厳密に言えば、underdominance因子は利己的遺伝因子とは言えないかもしれない。なぜならば初期頻度が低い状態では自身を滅ぼす方向に働く自殺遺伝子でしか無いからだ。しかし、一旦この因子が野生型の対立遺伝子の頻度にたいして一定の比率を超えると、一転して相手を消滅させように作用する。
 Underdominanceを利用した戦略は、野生型の対立遺伝子を上回るまでかなり多くの個体数を放飼しなければならないため、大きな集団に大しては用いることはできないだろう。しかし、この方法には次のような利点がある。ドライブ効果をもつ遺伝因子のような存在比に関わらず自律的に広まっていく因子の場合、標的としている個体群の外部の集団にも漏れ出して、最終的に人間がその蔓延をコントロールすることが出来なくなる恐れがある。一方で、underdominance因子は標的としていない別の集団に移入しても、その集団中での頻度は低いため、そこではすぐに消失する。一方で一旦固定した集団中では外部から移入する野生型の対立遺伝子を排除するように働くため安定的に維持される。

3.ボルバキア
 ボルバキア(Wolbachia)は節足動物と線虫類に広く見られる細胞内共生細菌である。この細菌の興味深い点はその自身の感染を宿主の個体群中に広めていく生存戦略にある。ボルバキアは基本的にはミトコンドリアと同様、細胞質を通じた母系遺伝のみで次世代に伝わっていく(ただしボルバキアが系統的に全く異なる生物種に存在していることは、進化的な時間スケールではごくたまに生物種間の水平伝搬が起こっていることを意味している)。したがって雄に遺伝してしまったボルバキアは次世代に伝わる事ができないのだが、細胞質不和合性という次に述べる性質で間接的に自身の蔓延に寄与することができる。あるボルバキアを持ったオスが、ボルバキアを持たいない(あるいは自分より劣位にある異なるタイプのボルバキアを持った)メスと交尾した場合、その子孫は正常に発育せずに死んでしまう。一方で、このようなオスが自身と同じタイプのボルバキアを持つメスと交尾した場合には、その子孫は通常通り孵化し生存する。このようなオス個体に感染したボルバキアの振る舞いは、自分と同じボルバキアが存在しない細胞質を集団中からひとつひとつ排除しているようなもので、長期的にはそのボルバキアの感染が個体群中に広まっていくことになる。ボルバキア は系統や宿主によっては細胞質不和合性の他にも、オス殺し、宿主のメス化、単為生殖の誘導などといった多様な性質が見られ、それらは全てボルバキア自身の感染を広めていくために理にかなった戦略である。
 ボルバキアが最初に発見された生物はアカイエカという種類の蚊であるが、感染症媒介者として重要な蚊種でデング熱・黄熱病を媒介するネッタイシマカとマラリアを媒介するハマダラカ類からはいずれもボルバキア は見つかっていない。標的とする集団にボルバキアが存在しないことは、個体群置き換え法においては好都合であるだろう。なぜならば、既に野生のボルバキアが感染している集団に新たな我々にとって望ましいボルバキアを広げることは容易ではなく、場合によってその蔓延を阻止する要因になりかねないからだ。


ボルバキアを利用したデング熱の抑圧
 蚊に対する個体群置き換え法では、ボルバキアを用いた方法が現段階で最も実用に近付いている方法かもしれない。

 豪クィーンズランド大学のScott L. O’Neillらのグループは2009年に、ネッタイシマカにポップコーン(wMelPop)と呼ばれるボルバキアの系統を感染させることに成功したとSience誌に報告した(McMeniman et al. 2009)。wMelPopは遺伝的に脳細胞が変性して成虫寿命が短くなる性質を示すあるショウジョウバエの系統から見つかったボルバキアだが(脳細胞の中で増殖したボルバキアの電顕像がまるで袋に詰まったポップコーンのようだからこのような名前が付いた)、この系統の短い成虫寿命の原因がwMelPopの感染であることが分かっていた(Min and Benzer 1997)。前述したように蚊の成虫寿命を短縮することはデングウィルスのような病原体の感染効率を大きく損なう。彼らはこのwMelPopの成虫寿命に対する効果がヒトスジシマカでも得られると期待したのだが、実際にヒトスジシマカでも同じように宿主の成虫寿命を著しく短縮することが分かった。

 wMelPopを個体群置き換え法に用いるアイデアで興味深い点は、それ自身がドライバーでありエフェクターでも有るということだ。これはわざわざ遺伝子組換え技術を使って新たなエフェクター遺伝子を導入する必要が無いという点で、社会的にも受け入れられやすいという利点があるかもしれない(ただし、それを以てして環境に優しいと言えるかというと個人的には疑問だけど)。

 同じ年に、wMelPopの持つもう一つの意義深い作用が同じグループから報告された。wMelPopに感染したヒトスジシマカでは、デングウィルスの蚊の体内での増殖が抑制されるということが明らかとなった(Moreira et al. 2009)。このボルバキアのウィルスの増殖を阻止するメカニズは今のところ分かっていないが、本来の宿主のショウジョウバエにおいても同様にRNAウィルスの増殖が阻止されるらしく、いくつかの致死的なウィルスの作用から宿主を保護していることが分かっている。
 前述したように、ボルバキアは宿主の繁殖機会をときに奪いながらも自身を個体群中に広めていくという意味で利己的な存在である。しかし、基本的に垂直伝搬のみでしか次代に受け継がれるチャンスがないことを考えると、宿主の生存力を奪う事は自体は彼らにとってなんの利益にもならないだろう。実際、線虫のフィラリアや昆虫のトコジラミ(Hosokawa et al. 2010)など、一部の生物ではボルバキアが宿主相利共生となっている例もある。wMelPopに見られたウィルスの増殖を阻む作用も、宿主の生存力を上げることにより自身の蔓延をさらに広げるという“利己的でない”生存戦略の一つなのかもしれない。

 wMelPop の持つ成虫寿命の短縮作用はデングウィルスの流行を阻止する上では望ましいが、同時に蚊個体の適応度に直接影響するようなこのボルバキアの性質は、蔓延速度を遅らせるか場合によってはそれ自体を実現不可能にするという意味で諸刃の刃でもある。厄介なことに、wMelPop のヒトスジシマカの適応度への作用は成虫寿命の短縮にとどまら無いらしい。ヒトスジシマカを含むシマカ類の卵は、乾燥した状態で孵化せずに長期間耐得ることができる。降雨等によってたまった水にふれるとその刺激で孵化が誘導される。幼虫の好適な生育環境が整うまで孵化を遅らせるという一種の休眠だ。wMelPopに感染したヒトスジシマカではこの耐久卵の孵化率が著しく下がることが分かった(McMeniman and O'Neill 2010)。

 ボルバキア自体がデングウィルスの増殖を抑えて実質的に媒介能力を奪うとわかった以上、当初注目されていた成虫寿命の短縮効果は不要で、むしろお荷物ということになる。そこでO’NeillらはwMelPopとは別のボルバキアでウィルスの増殖阻止効果だけを持つより理想的な系統を探すことにした。彼らが注目したのは、同じくショウジョウバエのボルバキアでwMelという系統だ。このボルバキアは現在自然界に生息しているショウジョウバエで最も頻繁に見つかるタイプのボルバキアだが、このボルバキアはほんのここ100年間の間にその勢力を拡大したと考えられている(Riegler et al. 2005)。
 wMelはwMelPopと異なり感染した宿主のネッタイシマカ成虫寿命を短くすることはなく、耐久卵の孵化率も減少していなかった。wMelの宿主への影響がwMelPopと比べて穏やかなのは、蚊体内での増殖能力の違いにあると考えれられる。wMelPopは全身の様々な組織の細胞で増殖が見られたが、wMelは卵巣以外の組織の細胞ではそれほど増えていなかった。wMelPopの宿主への有害作用にはどのような意味があるのかわからないが、全てのボルバキアに共通する性質というわけでは無いようだ。一方で、wMelの感染したネッタイシマカでは、wMelPopの時と同様にデングウィルスの増殖が1500分の一に抑え抑えられていた。(デングウィルス4つの血清型が存在するが、この実験で用いられたのは2型だった。他の型のデングウィルスに関してはどうなのだろう?)。また、wMelの感染した蚊の唾液からはデングウィスルスは検出されなかった。デングウィルスは蚊の唾液と共に人間の血液に注入されるため、このウィルスが蚊の唾液まで移行できていないということは、その感染能力が完全に奪われていることを意味する(しかし、残念ながら媒介能力に関する直接的な検証はされていないみたい)。

 上記の研究が報告されたNatureの同じ号の論文で、O’NeillらはwMelが実際にネッタイシマカの野外集団に浸潤して固定することができるかどうかを野外集団について確かめる実験を行ったことを報告している。この実験が行われた場所は豪ケアンズにほど近いヨーキーズとゴードンベールという場所だが、どちらも600世帯余りの小さな集落のようだ。デング熱を媒介しないといっても血を吸うメス成虫(しかもわけの分からない細菌が感染した)を放飼しなければならない実験なので、よくこれが実現したなと思うが、"長期に渡る地元住人との交流の末、強い支持を得た(an extensive period of community engagement and subsequent strong community support)"らしい。
 実験では10週間で合計30万匹のwMelに感染した蚊が放飼された。どちらの地区でも放飼開始から感染蚊の割合が上昇し、終了の時点ではその地区で捕獲される蚊の約7割以上が感染している状態になっていたが、放飼をやめてからも徐々にその感染率は伸び続け、放飼終了から5週目あたりで感染率9割に達した。

 10週間で約30万匹という数字がどれだけの労力を必要とするのか全く想像もできないが、今回実験が行われた集落の規模から考えると意外に多いんだなという感じがした。やはりボルバキアと云えども短期間で広めるためにはかなりの初期頻度を必要とするのだろう。RIDL法ではオスだけを放飼すれば良いが、今回の場合はボルバキアを次代に遺伝させるメスも放飼する必要がある。病気は媒介しないといえ、血を吸う不愉快なメスの蚊をわざわざ大量に撒くということに地元の理解を得るのはそう簡単なことではなさそうだ。実際に広い地域に応用するためには、あらかじめ殺虫剤やRIDL法で個体群のサイズを下げておくといったように、他の方法と組み合わせて行う必要があるかもしれない。

 ボルバキアを利用した蚊媒介性感染症の抑制は、デングウィルスだけではなくマラリアにも応用できるかもしれない。今年発表されたHughesら(2011)の研究によると、ボルバキアを感染させたガンビエハマダラカでは、マラリア原虫のオーシスト形成が阻害されることが分かった。残念ながら安定的にボルバキアが継承される感染系統を作り出すことにはまだ今のところ成功していないようだが、今後の発展が期待される。

ボルバキアを用いることの懸念
  個体群置き換え法は前述したように、媒介宿主の個体群のサイズに影響を与えないという点でRIDL法よりも優れているかもしれない。また、一度置き換えが成功してしまえば、その後人間が特に手を加えなくとも安定的にその状態が維持されるということも魅力的である。
 しかし、この方法がRIDLと比べて環境に優しくより倫理的であるかというと必ずしもそうは言えないだろう。個体群置き換え法は、本来自然界に存在しない遺伝因子(ボルバキアも広義には一種の遺伝因子とみなすことができる)を野外個体群に導入するが、RIDL法と根本的に異なるのは、この遺伝因子が長期間あるいは永久的に自然界に維持されることである。そして、一度広めてしまったそのような遺伝因子を再び消滅させてもとの状態に戻すことは非常に困難であると思われる。一方で、RIDL法で用いる致死遺伝子は放飼を止めれば原理的には速やかに個体群から消滅するだろう。だから何か予期しない問題が生じてもまた後戻りできるという可能性は高い。この意味において、たとえボルバキアという遺伝子組み換え技術を用いていない場合でも個体群置き換え法の倫理的なハードルはRIDLと変わらないか、むしろそれ以上に高いと私は考える。
 もちろん、たとえ倫理的な問題を孕んでいたとしてもそれによってデング熱で苦しむ人々が減ることの意義を忘れてはならない。しかし、個体群置き換え法が本当に永久的な解決になるのかどうかということも今のところまだ不透明だ。デングウィルスにとって人間に感染することができないという状態は非常に強い選択圧になるだろうが、このウィルスがwMelの作用を乗り越えるような進化をすることができないという保証はどこにもない。もしそのようなウィルスが新たに生じるか、もしくは既に少頻度で存在していると、デング熱は一時的に抑制されるた後にまた振り返すことになるだろう。もしそうなってしまっても、もう一旦広めてしまったボルバキアを個体群から除去することは難しい。デングウィルスがボルバキアの効果に打ち勝つことができるかどうかは今のところまだ分からないが、少なくともなぜこの細菌がウィルスの増殖を抑えることができるのかというメカニズムを解明しておく必要はあると思う。



Alphey, L. (2009). "Natural and engineered mosquito immunity." J Biol 8(4): 40.
Hosokawa, T., R. Koga, et al. (2010). "Wolbachia as a bacteriocyte-associated nutritional mutualist." Proc Natl Acad Sci U S A 107(2): 769-774.
Hoffmann, A. A., B. L. Montgomery, et al. (2011). "Successful establishment of Wolbachia in Aedes populations to suppress dengue transmission." Nature 476(7361): 454-457.
Hughes, G. L., R. Koga, et al. (2011). "Wolbachia infections are virulent and inhibit the human malaria parasite Plasmodium falciparum in anopheles gambiae." PLoS pathogens 7(5): e1002043.
McMeniman, C. J., R. V. Lane, et al. (2009). "Stable introduction of a life-shortening Wolbachia infection into the mosquito Aedes aegypti." Science 323(5910): 141-144.
McMeniman, C. J. and S. L. O'Neill (2010). "A virulent Wolbachia infection decreases the viability of the dengue vector Aedes aegypti during periods of embryonic quiescence." PLoS neglected tropical diseases 4(7): e748.
Min KT, Benzer S (1997) Wolbachia, normally a symbiont of Drosophila, can be virulent, causing degeneration and early death. Proc Natl Acad Sci USA 94: 10792?10796.
Moreira, L. A., I. Iturbe-Ormaetxe, et al. (2009). "A Wolbachia symbiont in Aedes aegypti limits infection with dengue, Chikungunya, and Plasmodium." Cell 139(7): 1268-1278.
Riegler, M., Sidhu, M., Miller, W. J. & O’Neill, S. L. Evidence for a global Wolbachia replacement in Drosophila melanogaster. Curr. Biol. 15, 1428?1433 (2005).
Sinkins, S. P. and F. Gould (2006). "Gene drive systems for insect disease vectors." Nat Rev Genet 7(6): 427-435.
Walker, T., P. H. Johnson, et al. (2011). "The wMel Wolbachia strain blocks dengue and invades caged Aedes aegypti populations." Nature 476(7361): 450-453.


 

性交で感染するアルボウイルス?

2011-07-09 02:35:23 | 医療・衛生
2008年の8月、生物学者とその学生である患者1と2はマラリアの研究でセネガルのとある村に滞在していた。調査を終えた彼らは8月24日に自宅のあるコロラドに帰国するが、帰国から6-9日後、二人の患者はいずれも理由の分からない体調不良を感じる。症状としては足のむくみ、胴に斑点状丘疹、極度の虚脱感と頭痛、手足首の関節痛、排尿困難を伴う前立腺炎、血精液症(池の混じった精液)等。

 そして患者1の発症から数日後の9月3日、なんと今度は彼の妻にも同じ症状が出始める。

3人の患者(1,2と1の妻)は免疫血清検査を受けたが、病気の原因を明らかにすることはできなかった。患者1と2の血清からはデングウイルスへの陽性反応が出て当初これが疑われたが、彼らはもともとアフリカに行く前に黄熱ワクチンを接種されていた。デングウイルスは黄熱ウイルスと同じフラビウイルスの仲間で、黄熱ワクチンによって増えた抗体が交差反応を起こしたのだろう。本当の病原体の正体を突き止めることができたのはそれから1年後、回復期に採取された3人の血清はいずれもZIKAウイルスに対する抗体価が高くなっていたことが確かめられた。

ZIKAウイルスは蚊によって媒介される病原性ウイルスで、アフリカと東南アジアに広く分布する。あまり臨床例は多く知られてはいないらしいが、2007年にミクロネシアのある島でこのウィルスの大流行が起こり、島民の約七割が感染したということで最近「新興感染症」として注目されていたようだ。

患者3はどこで感染?

患者1と2はアフリカでウイルスを持った蚊に刺されて感染したのだろう。しかし、患者1の妻である患者3は一体どこで感染したのだろうか?彼女は一度もアフリカに行っていないのにもかかわらず。考えられる可能性としては、患者1を吸血した蚊が妻に媒介したというものだろう。しかし、患者3は患者1の帰国からわずか9日で発症している。蚊がZIKAウイルスに感染した人間の血液を吸って、次に別の人間に感染できる状態になるまでには通常2週間以上の期間がかかる。また、ZIKAウイルスを媒介するStegomyia属の蚊は、患者1の自宅周辺には生息していなかった。これらの事から蚊を介してZIKAウィルスが伝搬した可能性はあまり高くない。次に、唾液などを介して直接感染した可能性が考えられる。しかし、同じ程度に濃厚接触していると思われる彼らの4人の子供には感染していなかった

 最近Emerging Infectious Diseases誌に掲載されたBrian D. Foy(コロラド州立大学)らの出した報告では、患者1のZIKAウイルスは性交渉を介して患者3に伝搬された可能性を主張している。実際二人は1の帰国後、膣性交を行っている。患者1の精液に血液が混じる症状が出ていたのも何か関係ありそうだ。

 節足動物が媒介するウイルスをアルボウイルス(arbovirus: arthropod-borne disease)と呼ぶが、アルボウイルスが性交渉を通じて直接人から人に感染した例はこれまでに報告されていない。もし、彼らの主張が正しければ世界で初めての例となるだろう。しかし、今のところこの一例だけで、状況証拠しか無いという点で結論を出すにはまだ早いのかも知れない。ただ、同じくアルボウイルスである日本脳炎ウイルスで、感染した牡豚から人工授精されたメス豚が感染したという例はあるので、ありえないという訳ではなさそうだ。

こちらの記事で種明かしがされているが、患者1は上記の論文の筆頭著者であるFoy自身であり、患者3である彼の妻のJoy L. Chilson Foyも堂々共著者に名を連ねている。)

ゲノムのコンタミネーション―個人ゲノム時代の落とし穴?

2011-02-17 23:16:54 | 分子生物学・生理学
現在公開されている生物のゲノムデータベースのおよそ二割に、本来人間に存在するはずのDNA配列と全く同じ配列が含まれていることが分かった。これらの生物は、無脊椎動物、真菌、バクテリア果ては植物と多岐に渡る。世紀の大発見である。人間の持つ遺伝子は相当な頻度でこれら生物に何らかの経路で水平伝搬しているのだ。我々が知っている遺伝学は大幅な見直しを迫られることになるだろう。

…という話では残念ながらない。実は、シーケンスの作業中に(恐らく作業に従事している)人間の組織がサンプルに混入しているのことが原因なのだ。この報告をした著者たちは人間ゲノム中存在するAlu配列(SINEトランスポゾン)に関して、現在公開されているゲノムデータベースのアセンブリ前の生データ(trace reads)とアセンブリされた配列から検索を行なった。Aluはヒトゲノム中に高コピーで存在するので、人間のDNAが混入していれば真っ先に検出されるだろうということ。

霊長類以外のゲノム中にコンタミしている限りは後で検出してデータから除去することは可能だが、例えばリシーケンスした一人の人間のゲノムデータに混入した他の人間のゲノムを検出して除去することは難しいと著者らは警告する。この問題、さすがに真のサンプルに対して大量の他人のDNAがコンタミするとは思えないから、それなりのカバー率があれば低頻度で検出される変異はノイズとして扱うことである程度解決できそうな気もするけどどうなのだろう。

Longo MS, O'Neill MJ, O'Neill RJ (2011) Abundant Human DNA Contamination Identified in Non-Primate Genome Databases. PLoS ONE 6(2): e16410. doi:10.1371/journal.pone.0016410


見過ごされたガンビエハマダラカの亜種

2011-02-07 00:04:57 | 医療・衛生

Anopheles gambiae mosquito (from Wikipedia)


 マラリアPlasmodium属の原虫(単細胞性の真核生物)が引き起こす寄生虫症だ。人間のマラリアを引き起こすマラリア原虫は現在5種類が知られ、それぞれ症状が異なる。この中でもアフリカで最も一般的な P. falciparum が引き起こす熱帯熱マラリアは最も症状が重く、死亡率が高い。

 人間のマラリア原虫はハマダラカAnopheles)属の蚊により媒介されるが、アフリカにおいて P. falciparum の主要な媒介者となっているのガンビエハマダラカA. gabiae sensu stricto) だ。A. gabiae という名称は広義には種群を指し実際にはいくつかの形態的に区別できない亜種に分かれているが、 A. gabiae s.str. はその中でも特に人間の血を好んで吸う最も危険なマラリア媒介蚊として知られている。A. gabiae s.str.にはさらにMとSと区別される二つの亜種あるいは生殖集団が存在していることが現在知られている。両者間での交配はほとんど起きていないらしく、特定のSNPs(Molecular Form Diagnostic SNPs;MFDS)で識別できるとされていた。MFDSはそれぞれの集団で固定されているらしく、M型とS型のヘテロ接合体が見つかるのは非常に稀だ。

 最近、西アフリカのブルキナファソで採集されたA. gabiae s.str.についてマイクロサテライト座を使った集団構造解析が行われたが、その結果によるとA. gabiae s.str.はこれまでに知られていたMとSだけでは無く、これらとは遺伝的に独立した第3番目の生殖集団が存在することが分かった。この新しい集団は、調査が行われた地名にちなんでGOUNDRYと名づけられた。興味深いことに、GOUNDRY 集団内にはM型とS型を区別するMFDSが混在しているらしく、両者のヘテロ接合体が高頻度で見つかった。それならばこれまでにも見つかっていて良さそうなものであるが、どうやらA. gabiae s.str.のサンプリングバイアスがGOUNDRY集団の発見を阻んできたらしい。

 これまでのA. gabia s.str. の採集の多くは、家の中に侵入してきた成虫個体を捕まえることで行われている。これはA. gabiae s.str.が吸血後に屋内で休息する性質があることから、基本的に本種は居住空間を好むと解釈されてきたからだ。また、屋内で採集を行うことが屋外よりも効率が良いため研究者にもその採集方針が好まれていた。しかし今回の調査で見つかったGOUNDRY集団に帰属する個体は全て屋外の水溜りから採集した幼虫であった。一方で屋内で採集したサンプルは全てこれまでM型・S型と認識されていたGOUNDRY以外の集団(これらをまとめてENDOと呼ぶことが提案されている)に属することが分かった。つまりGOUNDRY集団はENDO集団と生態が異なり、基本的に屋内には侵入して来ないのだ。

 GOUNDRY集団内の対立遺伝子の多様性は、ENDO集団内よりも低い。恐らく進化的にはGOUNDRY集団の方が新しいのだろう。また、GOUNDRY集団の個体を実験室で成虫まで育て P. falciparum に対する感受性を調べたところ、ENDO集団の個体よりも有意に感受性が高かった。これはGOUNDRY集団の個体は潜在的な媒介能力がENDOよりも高いことを暗示している。ただ、今のところGOUNDRY集団に属する野外の個体がまだ成虫では発見されていないこともあり、この集団がどれだけマラリアの蔓延に寄与しているかはまだ調査が必要なようだ。

<原著論文>
A Cryptic Subgroup of Anopheles gambiae Is Highly Susceptible to Human Malaria Parasites. Michelle M. Riehle,Wamdaogo M. Guelbeogo, Awa Gneme, Karin Eiglmeier,Inge Holm, Emmanuel Bischoff, Thierry Garnier, Gregory M. Snyder, Xuanzhong Li, Kyriacos Markianos, N’Fale Sagnon and Kenneth D. Vernick, Science 4 February 2011: 331 (6017), 596-598. [DOI:10.1126/science.1196759] [DOI:10.1126/science.1196759]

遺伝子組み換えネッタイシマカの放飼がマレーシアで始まっていた

2011-02-05 22:48:41 | その他
 遺伝子組換え技術を利用した新時代の不妊虫放飼法ともいえる害虫防除法が、デング熱や黄熱病の媒介蚊として知られるネッタイシマカの駆除に用いられようとしている。

GM Mosquitoes Released On Cayman Islands


 不妊虫放飼法とは、防除したい害虫の雄を何らかの方法で不妊化(つまり“タネ”無しにする)し、それらを野外に撒く方法である。野外に放たれたこの不妊の雄は、その場所に生息している野生のメスと一定の割合で交尾する。不妊雄を交尾の相手と選んでしまった不運な野生の雌は、卵を産むがそれらは正常に発育せずに死に絶える。不妊虫放飼法の素晴らしい点は、野外の個体数が減れば減るほど正常な雄個体に対する不妊雄の割合が高くなるので、放飼する数が一定ならばその効果が加速度的に上がっていくということだ。島など隔離された小さな地域などでは、目的の害虫個体群を根絶することもできる。また、殺虫剤と違い標的としている種だけにその効果を限定することができる。

 従来の不妊虫放飼法では、雄の不妊化に放射線を利用していた。しかしながら、この方法では個体が弱ってしまい正常な野外のオスと十分競合できないことがある。また、放射線により不妊化されたオスと交尾した雌から生まれる子孫は大抵の場合胚性致死(卵の状態で死んでしまう)が次に述べるようにこれがネッタイシマカなどの昆虫を対象に使う際に大きな欠点となる。

 現在応用されようとしていう遺伝子組換え技術を利用する方法では、条件的に抑制できる優勢致死遺伝子を組み込むことで蚊の雄を不妊化する。この遺伝子組み換えの蚊(GM蚊)の系統は実験室や工場内で特定の化学物質(テトラサイクリン)を与えて飼う限りは致死遺伝子が発現せず、大量に増やすことができる。野外に放たれた雄は雌と交尾しその雌は子孫を残すが、野外にはテトラサイクリンが存在していないためその子孫では継承した致死遺伝子が発現し最終的に死んでしまう。実はここでもう一つ仕掛けがあるのだが、この致死遺伝子は幼虫時代の後期で発現するように仕組まれていて、致死遺伝子を持つ個体でも卵から孵化し比較的長く生きることができる。ネッタイシマカはその生態において幼虫期に密度依存的な種内競争(密度が高いと死亡率が上がり、低いと下がる)が激しい。従来の放射線による胚性致死では、結果的に幼虫の密度を下げ正常な野生の集団の死亡率の低下をもたらすが、これが不妊虫放飼の効果を相殺してしまう。遅効性の致死遺伝子を持った子孫であれば、幼虫期までは正常な野外集団と競合するためその個体数を大きく減らすことができる。死ぬタイミングまで調整できるのは、遺伝子組換え技術ならではだろう。

 この技術を利用した遺伝子組換えネッタイイエカを開発したのはOXITECという英のベンチャー企業だが、昨年既にケイマン諸島で300万匹を野外に放飼する実施試験を行ったと発表した。結果は非常に良好だったようで、数ヶ月間の放飼で野外個体群の個体数が80%も減少したという。しかし、この放飼に関してはOXITEC側から事前にアナウンスが殆ど無かったこともあり、遺伝子組み換え技術をあまり良く思わない自然保護団体だけでなく基本的にこの技術の利用を支持してきた研究者からも批判が巻き起こった。そしてまたつい先日、マレーシアでも既に野外試験を既に終えていたことが明らかになり、これもまた事前の情報がなかったことで新たな批判の火種となっている。マレーシアで行われた放飼は6000匹という少数のもので、主に不妊雄の生存力と移動能力を確認することが目的だったらしい。

 昨年このブログで同じ会社が開発した「OX3604C」という致死遺伝子の発現に性特異性(雌だけで働く)を加えた系統を紹介したが、現在実際に実施試験に用いられているのはそれ以前に開発された「OX513A」という系統で雌雄どちらも致死になる。OX3604Cでは雌だけ死滅するため、放飼する前に雄だけを自動的に選抜することができるという利点があるが、OX513Aではサナギの大きさで雄だけを選別しているようだ。

 デング熱はマラリアと同様にいまだ予防ワクチンは無く、世界で毎年5000万人の人間が発症すると推定されている。遺伝子組み換え技術を利用した不妊虫放飼法は、蚊の駆除法としてはこれまで行われてきたどのような方法とも比べ格段に効率的かもしれない。それ以上に、遺伝子組換え生物のこのような形の利用は画期的で、ある意味歴史的ですらあると思う。しかしOXITEC社がこれまでに行った二度の実施試験は、蚊の研究者や専門家ですらそれが行われていたこと自体、発表があるまで知る由がなかったらしい。いまのところOXITEC社、あるいは恐らく全面的な協力しているであろうそれぞれの行政機関があえて秘密主義を貫いているのかどうかは分からない。ただ、遺伝子組み換え生物を野外に放すということに多くの人間の合意が得られるかが最大の問題のひとつであるだけに、少しでも疑念を抱かせるようなやり方はをとるのは、結果的にこの技術の可能性を大きく減じることに繋がるかも知れない。

Bad project

2011-01-29 00:22:00 | その他
 twitterで話題になっていた冴えないプロジェクトにハマってしまった大学院生の悲哀を描いたパロディ動画。

Zheng Lab - Bad Project (Lady Gaga parody)


 ベイラー医科大学でアルツハイマーの研究をなさっているラボの学生(?)さんたちらしい。なかなか本格的に作っていて凄いなー。再生数が凄いけど、あまり話題になったらボスにバレて「お前俺のプロジェクトが気にくわないのか?」とかなったりしないだろうか(笑)
 
 -I don't wanna be poor-
 
 笑いながらも、ふと自分のことを思うと後ろ寒い物を感じたりもする・・・

ミトコンドリアを拝借

2011-01-24 23:01:07 | 分子生物学・生理学

Cytology from a needle aspiration biopsy of a canine transmissible venereal tumor. Slide was stained with a modified Wright's stain (from wikipedia)


 可移植性性器腫瘍(CTVT)は犬の間で蔓延する伝染性の癌細胞だ。この腫瘍は交尾や噛み合いなどを通じて個体から個体へと伝染るが、この癌細胞は約一万年前にたった一つの個体で生じた癌細胞に由来すると考えられている。同じような伝染性の癌細胞は有袋類のタスマニアデビルの間でも知られており(デビル顔面腫瘍性疾患)、この生物の個体数の急激な減少をもらたしている。


デビル顔面腫瘍性疾患 (from wikipedia)



タスマニアデビルの場合、彼らの遺伝的多様性が少ないために免疫が非自己の細胞として認識できないことが近年の急速な伝搬の原因らしいが、犬の場合はそれほどでもないのか、免疫反応により縮退することがあるようだ。

 現存のCTVTは単一の起源を持つためにそのゲノムの多様性は非常に低い。しかし、細胞小器官のミトコンドリアのDNA(mtDNA)を調べた最近の調査によると、CTVTのmtDNA配列は単一のクレードを形成せず、現存の犬の持つmtDNAとは系統樹上で区別できないことが分かった(リンク先の図)。これは、CTVTがその進化の途上で何度か宿主からミトコンドリアを拝借してきたことを意味している。

 CTVTは体細胞に由来するが、通常の生物と違い一細胞期(つまり卵)を経由しない。そのため有害な変異を持つミトコンドリアが蓄積しやすいのではないかと著者らは推測している。偶発的に宿主から水辺伝搬したミトコンドリアはそのCTVTが持っていたミトコンドリアよりも性能が良いため、比較的素早く置き換わってしまうのだろう。また、CTVTが食細胞から生じたということも外部の細胞小器官を取り込みやすい性質の要因かもしれない。

Mitochondrial Capture by a Transmissible Cancer, Clare A. Rebbeck, Armand M. Leroi and Austin Burt Science 21 January 2011: 331 (6015), 303. [DOI:10.1126/science.1197696]