宮沢賢治の年譜から、
稗貫郡立農蚕講習所
1921年(大正10年)12月3日、稗貫郡立稗貫農学校(翌年に岩手県立花巻農学校へ改称)の教諭となる。地元では「桑っこ大学」と呼ばれた小さな学校だった
>岩手県立花巻農業高等学校(いわてけんりつはなまきのうぎょうこうとうがっこう)は、岩手県花巻市にある公立の農業高等学校である。
略称は「花農」(はなのう)。宮沢賢治が教諭として勤務した花巻農学校の後身に当たる学校として知られる。
校内に「賢治先生の家」と呼ばれる建物が保存されている。これは、もとは宮沢家の別宅だったもので賢治が独居自炊していたこともある(羅須地人協会)。
賢治の生前は現在の花巻市桜町にあったが賢治の没後に売却されて現在地に民家として移築され、その後1969年に本校が移転した際に偶然にもそこに建っていたという曰くがある。外部の人も学校で鍵を借りて中を見学することが可能。玄関に掲げてある黒板には「下ノ 畑ニ 居リマス 賢治」と書かれてあり、当時の様子を偲ぶことができる。
「賢治先生の家」
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