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人生の最終段階が近づくほど「絶対にこの選択がいい」との医療的正解はなくなる。幸せな最期を迎えるための三つの条件とは

2023年10月17日 09時03分37秒 | 医療のこと

在宅医療専門医 人生の最終段階が近づくほど「絶対にこの選択がいい」との医療的正解はなくなる。幸せな最期を迎えるための三つの条件とは(婦人公論.jp) - Yahoo!ニュース 




在宅医療専門医 人生の最終段階が近づくほど「絶対にこの選択がいい」との医療的正解はなくなる。幸せな最期を迎えるための三つの条件とは
9/26(火) 6:32配信



婦人公論.jp
中村先生「正解がないからこそ、自分たちで選択して決めていくことが大切になってくる」(写真提供:PhotoAC)


自分がどのような最期を迎えたいか、考えたことがあるでしょうか。相続やお墓のことを考える方は多いものの、最期の日までの過ごし方を考えている人は意外と少ないようです。幸せな最期を迎えるために必要なのは「きちんとした知識と自分たちによる選択」と語るのは、在宅医療専門医の中村明澄先生。中村先生は最期の過ごし方について「正解がないからこそ、自分たちで選択して決めていくことが大切になってくる」と言っていて――。


* * * * * * *


◆医師に従う段階から医師とともに考える段階へ


病気や怪我をしたら病院に行き、そこで医師が出した方針に従って治療を受ける―。これはみなさんが幼い頃から、ごく自然な流れとして受け止めてきた医療との向き合い方だと思います。


ところが人生のある時期に差し掛かると、たとえ同じ病気であっても、医師が出した方針に従うのではなく、医療者と一緒に方針を考える段階に変わってきます。


例えば、肺炎と診断され、医師から「入院して治療したほうがいい」と言われた場合。


もし40~50代でしたら、基本的には医師のすすめに従って入院すると思います。しかし、これが80代、90代の高齢者となるとどうでしょうか。


入院した場合、仮に肺炎が治っても、入院によって足腰が弱って寝たきりになる可能性もあります。本人のその後の人生を考えると、入院がベストの選択と言えるのか、難しくなってきます。つまり、人生の最終段階が近づくほどに、「絶対にこの選択がいい」という医療的な正解がなくなってくるのです。


医師から「どうしたいですか?」と意見を求められるようになるのは、このように医療的な正解が一つではなくなってきた時です。これまで医師が決めた方針に沿うのが当たり前としてきた多くの人は、「先生はなぜ突然、こちらに意見を求めるのだろう?」と戸惑うかもしれません。


しかし正解がないからこそ、自分たちで選択して決めていくことが大切になってくるのです。そして、ひいてはそれが、納得のいく最期につながってくると感じています。


◆こんな時、あなたならどれを選択しますか


さてあなたに質問です。


あなたのお父さんが90歳だとして、2日前から痰(たん)と咳(せき)の症状が出ているとします。そして今朝から食事をまったくとることができず、38.7度の発熱があって寝込んでいます。こんな時、あなたなら次の行動のなかからどれを選択しますか?


(1)救急車を呼ぶ
(2)病院に連れて行く
(3)診療所に連れて行く
(4)往診を頼む
(5)もう少し様子を見る



いかがでしょうか。ここであなたが選択した答えに、医療的な正解はなく、どの答えもあなたにとっての正解になります


そこでもうひとつ質問です。今と同じ質問で、対象があなたのお父さんではなく、「あなた自身が90歳だったら」どうしてほしいでしょうか?


先ほどのお父さんの時に選んだ答えと違う答えを選んだ方もいるのではないでしょうか。


同じ状況であっても、対象が変わることで、選択は変わってきます。もちろん、ここで選択した答えにも、医療的な正解はありません。講演会などでこの質問をすると、どの選択肢にも手が挙がりますし、二つの質問で答えが変わる方もいます。それでいいのです。年齢や生活スタイルや性格、もともとの健康状態や持病の有無などによっても、何を選ぶかが変わってきます。


この「自分の価値観に合わせて選択する」ということこそ、幸せな最期を考える上で大切なことです(写真提供:PhotoAC)


◆自分の価値観に合わせて選択する


このように、発熱という状態をひとつとっても、自分と親という対象や、年齢や状況によっても答えが変わってきます。ですから医療的な正解がひとつでなくなった時は、それぞれの価値観に合わせて選択したものが、それぞれにとっての正解になります。


この「自分の価値観に合わせて選択する」ということこそ、幸せな最期を考える上で大切なことです。それが、後から「こんなはずじゃなかった」と後悔しないことにつながります。


時折、患者さんや家族が「私たちでは決められないので、先生が決めてください」とおっしゃることがあります。しかし私たち医療者は、患者さんや家族が何か迷った時に選択肢を提示して一緒に考えることはできても、意思そのものを決定することはできません


どこでどう過ごすか、何をどこまでやるかという判断は、本人や家族が自分たちの価値観と照らし合わせ、「自分たちがどうしたいか」という視点で決めることなのです。


例えば、あなたがもし「余命3ヵ月」と言われたら、どうでしょうか?


考えたくないことかもしれませんが、この問いを考えることで、自分にとって何が大事なのかが自ずと見えてくるはずです。


自分がこれからどう生きたいか、大切な人とどう関わっていきたいか、老後はどう過ごしたいかと、広く自分の今後について考えてみていただきたいと思います。

◆幸せな最期を迎えるための三つの条件


「生き方も“逝き方”も自分らしく」というのは、私が考える幸せな最期のあり方です。これまで数多くの看取りをしてきて思うのは、幸せな最期は、自分らしい“逝き方”を選ぶことで訪れるように感じています。


幸せな人生の最終段階を過ごすために、考えておきたいことが、大きく分けて三つあります。


それは人生の最終段階を迎えた時の、
(1)過ごす場所
(2)やってもらいたいこと(医療や介護)
(3)やりたいこと(夢)
の三つです。


まず、(1)の最期を過ごす場所には、自宅、施設、病院という選択肢があります。メリット、デメリットがそれぞれありますが、まずは過ごす場所に選択肢があり、それを選択できる可能性があることを知っていることがとても大切です。


なぜなら「本当は家で過ごしたい」と願いながら入院している人が、「望めば家に帰ることができる」という選択肢を知らないままに、病院で亡くなってしまうようなことを見てきたからです。このように選択肢を知らないがために希望が叶わないというのは、とても悲しいことです。


(2)の受けたい医療や介護も同じです。例えば胃瘻などの延命治療は、一度開始すると途中でやめることが簡単にはできません。ですから「とりあえず」と安易に開始することは避け、正しい情報をもとに、きちんと考えて納得のいく選択をすることが大切です。また、受けたい医療や介護を考えることで、過ごしたい場所が変わってくることもあるでしょう。


そして(3)のやりたいことについては、「やる時期」が大切です。病気によっては、たとえ余命1ヵ月であっても、一見元気に、少し調子が優れない程度に見える場合があります。すると、「もう少し体調が良くなってからにしよう」とやりたいことを先送りにしてしまいがちです。


ですが実際は、その後に病状が進んで動けなくなってくるため、結果的にやりたいことができず、望みを叶えられるチャンスを逃してしまうことがあるのです。そうならないために、正しい情報を知って選択してほしいと心から願います。


※本稿は、『在宅医が伝えたい 「幸せな最期」を過ごすために大切な21のこと』(講談社)の一部を再編集したものです。





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