アイ!サラマッポ in バギオ

フィリピン人介護者のケアを受けながらの、フィリピンでのインディペンデント・リヴィング…、心の赴くまま、ここに記します。

早咲き「大漁桜」-故郷の桜に向かひて言ふことなし

2009-03-31 17:51:27 | フィリピン-バギオ

 これは、先日、「金沢のサクラ」さんが送ってくれた、母校金沢桜丘高校のめずらしい「大漁桜」の写真です。彼もそうですが、同期生の卒業25周年を記念し、8年前に植樹されたものだけに、薄いピンク色の花が可愛く、愛らしく感じられます。大漁桜は、河津桜と並んで早咲きの品種で、この写真も3月18日に撮られたものです。校舎やグラウンドなど、懐かしーいスポットの写真を20枚も送っていただきました。
 
私の学び舎は、保育園以降大学まで5つの中で、当時の姿をとどめているのはこの高校の校舎だけです。あとは、みな新築されたり移転されたりで、写真と自分の記憶の中にしかありません。
 
本当に「サラマッポ!」(Salamat po!-ありがとうございます。)
 
(生徒玄関と大漁桜…この日は合格発表の日だったんだね。)

 「ありがとう」といえば、NHKの連続テレビ小説『だんだん』が終わり、昨日から『つばさ』がスタートしましたね。松江と京都を舞台とした『だんだん』のストーリーも面白かったですが、その音楽(村松崇継さん-たかつぐ)もすばらしいと思いました。ラストシーンの『いのちの歌』に胸が熱くなりました。
 余談ですが、「つばさ」は、私が教員になった初年の学級の学級通信の名前です。また、かつて多摩市(東京)でお世話になった、障害者の自立支援活動をしているNPOグループも「つばさ」でした。

 その金沢の初任校(小学校)の6年目に、私は3人の若い同僚と4年生約160名を受け持ったのですが、その時その学年の児童だったアライ君という男性が、数日前に突然私を訪ねてくれました。担任ではなかったし、23年も前のことですから、当時の面影も遠い記憶の中でうっすらと…。彼は、私のことを覚えていたばかりか事故で車椅子の生活になったことも知っていたそうですが、今ステイ中のダバオで、たまたま私の知人から、私がダバオで生活していたこと、そしてこのブログについて知り、何とミンダナオ島のダバオから、ここルソン島北部のバギオまで、高速バスとフェリーを乗り継いで、3日かけて訪ねて来たのでした。「ふるさとの なまりなつかし ていしゃばの…」。

 

 私の住んでいるグリーン・バレーでは、雲の中に入っていく不思議な体験に「オーッ!」と。チキンカレーにバギオの高原野菜のサラダをごちそうし、介護者たちと歓談しながら大相撲も見ました。「山本山」が「黒海」に、立ち合いでパ-ンと右ほほを張られた時、思わず介護者が「アライッ!」(Aray!)と叫び、アライ君は「はい!?」と返事をして大笑い…。「アライ」とはタガログ語で「痛い」という意味で、黒海の張り手があまりに強く「痛い(痛そう…)」と叫んだのでした。
 
昨日はお天気にも恵まれ、私自身3週間ぶりに車で外出、バギオの観光スポットや日本と関わりに深い場所をいくつか案内しました。
 
日本庭園で待ち合わせをし、まずはマインズ・ビュー(Mines view)で美しく連なる山々を見ました。二人の介護者もにわかツアーガイドになり、一緒に楽しんでいたようです。
 
それから隣町のラ・トリニダ-トまで足を延ばしました。ストロベリー・ファーム(イチゴ農園)や高原野菜の広がる観光スポットですが、ここも戦前は多くの日本人が農園を開拓、指導し、地域の発展に貢献した場所でもあります。
 私が以前来た時に入った、そのすぐ近くのレストランでランチタイム。そこのチャプスイという、新鮮野菜たっぷりの料理が美味しくて安いのです。約120円で、2~3人分はあるボリュウムです。アライ君は、それ以外にも、作りおきの十数種類の料理の中からいくつか選んで食べていましたが、どれもこの地方のイロカノ料理だったようです。はじめ豚足かと思っていたら、イロカノ出身のジェンさんによると、豚の顔(ぶ厚いスキン)入りのスープだそうで、歯のついたあごの部分もあったとか…!?それと豚のレバーの煮込み料理。極めつけは、やはり豚の顔の「耳」「鼻」「口」のコリコリ(?)した部分を、何と豚の脳ミソとこちらの甘―いマヨネーズで和えた「Dinakdakan- ディナクダカン」という料理!ジェンさんも少し食べたようですが、ビサヤ出身のマリアさんはちょっと…。時々お腹をこわすココナッツミルクだとばかり思っていた私は、全く興味がありませんでしたが…。
 最初、彼の体力に驚いた私は、そこで彼の食欲と、そして何よりその勇気に驚かされたのでした。

 

 まだ私の床ずれも持ちそうだったので、その後、ラ・トリニダードからバギオ市内に戻り、ジョン・ヘイ・キャンプに向かいました。太平洋戦争の、フィリピンにおける始まりと終わりとなった場所を、彼にも見せたいと思ったのです。市内からそこに通じる、松林に囲まれたロアカン通りは、まさに金沢の「奥卯辰山公園」そのもの、彼にも大ウケでした。(ローカルな話題です。)
 
そして最後に…「ケノン道路」。百年以上も前に、建設に従事した多くの日本人が犠牲となった難所を案内しました。
 
多少急ぎ足でしたが一通り案内したい所は回り、夕方、バギオ大聖堂まで彼を送った後、私たちも帰途に就きました。
 4泊5日のバギオ旅行を終えたアライ君は、明日ダバオに戻るそうです。
 Take care!