京のにちじょうさはん ごこう

京都在住19年目の浜っ子の日記。其の弐。

茶の花の咲く頃

2007年10月30日 | ミーハーがつくる喫茶文化史





茶の花の咲く頃








ここにはじまり(万福寺前の駒蹄影茶園)








二度目にしてやっとみつけた宇治七名園の川下園跡(み、民家の敷地にあった)









祝園にいたっては、なにもなかったのに(汗)









森園は最近の碑文も整備されてました。









「宇治の師匠」のところへいったあとは(おっきな宿題貰いました)、
「宇治のお姉さま」赤門茶屋さんのところで極を飲みつつ話し込む。









その間にお昼をいただいたのは、ここ。
ほいろ(焙炉)場だったこの建物は、天井が高いですよね。








おみやげは、駿河屋さんの茶の香餅やら茶団子やら(笑)。
さてさて、いままでの画像を併せてパワーポイントつくらないと(汗)。

「第一回 和束茶まつり」のご案内

2007年10月27日 | 催し物情報
秋番茶の収穫も終えられたという、
京都府南部の茶どころ和束からご案内を頂戴しましたので、ご紹介いたします。

第一回 和束茶まつり

会場  和束活道ヶ丘運動公園内
開催日 平成19年11月23日(金・祝) 午前10時~午後3時

内容は

お茶のおいしい淹れ方講座・和束在住の日本茶インストラクターが講師です。
お茶の手揉み実演・体験
茶香服大会
茶娘コンテスト
抹茶餅つき大会
模擬店や物産の販売コーナー
フォト・スケッチコンテストの展示
ステージでの催し

など盛りだくさんです。
さらに、注目すべきは

茶娘コンテスト出場者募集
出場資格 中学生以上なら、老若男女誰でもOK!!!
審査基準 茶娘衣装が似合う。
賞    グランプリ 準グランプリ 参加賞

ストライクゾーンが広そうなコンテストで、
茶娘姿にあこがれている、そこの貴女、コンテストに出て茶娘になってみませんか? 特にぽのちゃん(爆)。
出場の要領詳細は事務局(0774-78-3321)へ、おたずねください。

主催  和束青年ネットワーク会議 準備室
事務局  和束町商工会事務局 電話 0774-78-3321
               FAX 0774-78-4030



和束までの交通は
一例として京都から

9時20分JR京都発―(みやこ路快速)―9時56分木津着・10時02分木津発―(大和路快速)―10時8分加茂着・加茂駅西口10時30分発奈良交通・和束方面行き乗車 白栖口下車です。

というのはいかがでしょうか。
11月23日は、きっと紅葉が美しいでしょうね。楽しみです。
みなさんもいかがですか?

「狩野永徳」展へ行く

2007年10月26日 | ミーハーがつくる喫茶文化史
この秋も博物館・美術館で、魅力的な特別展が開催されていますね。









日中、すごい雨が降ったきょうの京都地方。
夕方、現在京都国立博物館で開催中の「狩野永徳」展に参りました。
今回、京都限定であり(つまり巡回がございません)、わずか一か月の開催期間であり、はじめての「永徳」展であり、毎日NHKではコマーシャルしてるし、日曜美術館でもやったし、というどうみても混雑する要素が満載なので、
業界で「穴場」といわれている、雨の日の金曜日の夕方に行くことにいたしました。
ほんとすんなり入場。そして聚光院の襖絵からはじまり、老松桜図屏風にサンドされた唐獅子図屏風まで、割り合いとゆったりみれました。



目玉のひとつ、「上杉本洛中洛外図」には、もちろん茶屋が描かれています。
大政所(祇園社御旅所)には振売りの荷茶屋、千本閻魔堂には居茶屋と荷茶屋、蓼倉には店売り、祇園社の百度大路の二軒茶屋のひとつがあります。
手持ちの資料で予習でもしておかないと、海のような「上杉本」のなかで迷子になっちゃいすでしょ。
それに最近、物覚えと物忘れがひどくなってますしねえ。(しみじみ)

しかーし、展示されている中央室に来て驚き。
ちょうどU字を横にした状態で整然とした列ができているんです。
業界関係者のブログを拝読するかぎりでは、ひとは多いもののゆっくりご覧になれたとありましたが、
どうやらその混雑を解消するために、かように整列させて観覧させる方法にかわったようです。
そこには係員が張り付き「一歩ずつおすすみください」と絶えず声をかけ、どんどん流してゆくために、とってもまともに細部を拝見することはできませんでした。
ほんと、予習していった茶屋をみるだけで精一杯で。
ちょっと私が蓼倉の茶屋を確認するために立ちどまったところ、
「お客様、前におすすみください」ってすぐに係員に声をかけられてしまいました。
しかも、後ろに並んでいるひとびとの冷たい視線が痛いこと。
これでは、せっかく生で絵画資料に接する機会を得たというのに、
細部ばかりか全体もまともに見ることができないやん(怒)。

しかもみなさん、上杉本の隣に並んでる松栄の「釈迦堂春景図屏風」は一瞥で終わりのご様子。
門前に茶屋があるというのに(それは私だけの感慨か)。
また、上杉本の次にある永徳の「洛外名所遊楽図屏風」も並ぶこともなく。
こんな名品を。
ただ上杉本だけがそのようなことになっておりました。
ちなみに「洛外名所遊楽図屏風」には宇治が描かれています。
そこでおやと思ったことが(たいへんやあ。)

なんだか上杉本に関しては、極上の寿司を前にして、結局ガリしかいただけなかった、っていう感じで(なんつう例えか)。
あー、上杉本の前でゆっくり見たかったですう(涙)。

大安吉日

2007年10月25日 | 京のつれづれ
きょうは着物で、お友だちとお茶をしに、町中へ参りました。









まずは、六角高倉の栖園さんで、お煎茶とお菓子のセットを。
ここは、朝10時から開いてますし、平日の午前中は、静かに素敵な坪庭を見ながら、
いつも安定しておいしく淹れられたお煎茶と季節の上生がいただけます。
十分におしゃべりをしたあとには、










姉小路堺町角の京都屋さんへ。
ご開店おめでとうございます。

まず、入った場所にある岸勝人さんのコーナーをはじめとして、いろいろな魅力的なお品の数々に、
お友だちと「わあ素敵」って声をあげてしまいました(笑)。
あとからはいっていらしゃったお客さまも、同じようにお声をあげていらっしゃいましたよ。






吉田さんのお茶もならんでいます。
パッケージには、あの鳥獣戯画が。
これは吉田さんが高山寺茶園を管理されているご縁で実現に。










早速、マイ日常茶の「くきほうじ」を購入。
これからは、お散歩がてら、ここまで歩いて買いに参ることができます。










お店のなかを拝見させていただいている間にも、ひっきりなしにお祝のお花が届けられていました。
お店の横にあたる堺町通もずーっとお花が並びました。すごいですねえ。
しばらく素敵なお花の数々を拝見させていただき、幸せな気持ちにさせていただきました。









そして我が甘党オフ会からの「気持ち」は、入口の一番いい場所に飾っていただきました。
今回お花は、岸勝人さんにお願いしました。
岸さん、ありがとうございます。とっても素敵です。









そのあと、お友だちと、光泉洞さんで日替わりを。

きょうは大安吉日。
京都屋さんのご開店というお祝ごとの、幸せな気分のお裾分けを頂戴いたしてまいりました。
伝統をベースにしつつも常にあたらしいものを取り入れ続ける「京文化」の発信地として、
今後のご活躍に期待いたしております。

対岸の火事

2007年10月24日 | 京のつれづれ
とは思えません。
ロスのTちゃん、Nちゃん、だいじょうぶですか?
なんとか火災を鎮火させる方法はないのでしょうか。
とても心配です。

祭りのあと

2007年10月23日 | 京のひとやすみ
きのうは、時代祭でしたね。
晴れて室町時代列ができたことが、話題にもなっておりましたが、
いったいどんなキャストが並んだのでしょうか。
残念ながら、私は家で仕事でしたので拝見できず仕舞い。









きょうは、ちょっとだけ外にでました。
一日違うだけで、街が落ち着きを取り戻しているのがわかります

まず、嘉木さんでお薄「北野の昔」と京華堂さんの上用饅頭「秋の実り」をいただきました。
お抹茶はふんわり。上用はまったけですねえ。
お床には、川合玉堂の大黒さんとえべっさんの絵が掛けられておりました。
米俵と大鯛が、これまた秋の実りを約束してくださっているようです。

そのあと並びの更科さんであなごそばをいただきました。
さらには橋を渡って、二条通りの古本屋さんもまいりまして、手に入らないとおもっていた本をみつけました。
こんど改めて買いにゆきます。

またいつもの京都ぐらしに戻っております。

私の「鎌倉物語」 心残り編

2007年10月21日 | いとしの湘南
今回、とても行きたかったのですが、行くことができなかった場所を少し。










仏法寺遺跡
極楽寺が和賀江島の管理権と「前浜」(由比ヶ浜)の殺生禁断権を保持していたことを考えるときに、ずっと些細なことが気になっておりました。
それは極楽寺と、和賀江島・前浜との位置関係です。
極楽寺は、極楽寺坂切通しを西に越えた「鎌倉」の外にあります。「鎌倉」の中には、坂ノ下の馬病舎や長谷の桑ヶ谷療養所のような極楽寺の出先機関はあるものの、極楽寺自体は切通しを越えた、それも谷戸に位置しておりましたので、眺望がよろしくありません。もちろん、現地に役人を派遣してあるでしょうが、どうやって和賀江島なり前浜全体を把握していたのだろうかと、気になっておりました。
しかしこれは先日解決できました。
極楽寺坂切通しの南側の山・霊山(霊鷲山=画像の山)には、13世紀後半~17世紀中ごろにかけて「仏法寺」という極楽寺の有力末寺がありました。この仏法寺跡からは、坂ノ下から由比ガ浜・和賀江島までが一望できることが分かりました。ここから極楽寺は、前浜の様子、和賀江島の様子を監視していたのでしょう。
この「仏法寺跡」は、近年の発掘調査を踏まえて国指定史跡となり、現在は現地に入ることができなくなっているそうです。
残念ですが、今回は現地に行くことをあきらめました。
はやく整備されてほしいですね。
なお、西岡芳文氏が『有鄰』№474で、「石井進先生が、仏法寺と霊山寺[りょうせんじ]は一緒でいい、霊山崎にある寺だから、霊山寺と言っていたのではないだろうかとおっしゃっていたような気がします」とお話になっていましたので、その典拠を探してみました。これは、元弘三年八月日付「武蔵熊谷直経軍忠状」(って、明らかにこの文書名は誤りですね)(「長門熊谷文書」/『鎌倉遺文』32517号(第41巻-360頁)の新田軍に加わっていた熊谷直春が「鎌倉霊山寺」の下で討ち死したとある箇所ではないかとみられます。
なお、『有鄰』№430も興味深い内容となっております。








忍性墓
極楽寺の裏山にある忍性墓という五輪塔を拝見したかったのですが、普段は公開されていないようです。
そのため、グランドの金網越しにそのあたりを写しました。








江ノ島の岩本楼

中世、江島神社は神仏習合で金亀山与願寺といいました。その坊のひとつが「岩本坊」であり、のちの岩本院、現在の岩本楼の前身でした。
こちらは、洞窟風呂・ローマ風呂で有名ですが、
そのようは歴史をお持ちゆえに、鎌倉時代以来の文書や仏像・絵巻などをご所有されているそうです。
その一部は、宿泊客にも公開されているそうです。
なお、江の島に関しては、個人のかたのとてもすばらしいHPがあり、そこでこちらの縁起絵巻も公開されています。
ぜひぜひこれらを拝見したいものですが、やはり宿泊をしないといけませんでしょうかしら。

私の「鎌倉物語」 食べ物編

2007年10月20日 | いとしの湘南







江ノ島や鎌倉で、湯気を上げているのは「夫婦饅頭」。
白まんは酒まんでこしあん入り、茶まんはつぶあん入り。
これは江ノ島神社参道の井上総本舗で。







江ノ島では、海苔羊羹もはずせません。(右側)
中村羊羹店で。
江ノ電江ノ島駅近くの玉屋のほうはお休み(涙)。







鎌倉坂の下の御霊神社の参道にある力餅屋さんの「力餅」は、一口サイズでいくつでもいただけちゃいます。
わたくしの、昔っからの大好物です。
これは中が求肥のタイプ。お餅のものもあります。
よくこうして、御霊神社の境内にあるベンチでいただいてます。
あいかわらずおいしいです。



今回はゆっくりいただきたかったので、お食事は写真に撮りませんでした。
一日目の夜は、相模湾の海の幸を使ったフレンチを小説『失楽園』の舞台となったレストランでいただきました。
ちなみに、朝もこちらでした。
夜はあまりよくわかりませんでしたが、南側一面に海が見えました。

二日目のお昼は、鎌倉駅前にある茶寮いの上では、いつものいの上弁当ではなく、すましのお雑煮を。(おいしかったです)
ちなみに、ここのあんみつは、迫力がありますよ(笑)。

夜は、ホテル近くのお魚亭で、いわしを中心としたお寿司を。
生しらすの軍艦巻きもあっておいしかったです。
ほかに、お刺身もいただきました。

そして最終日は、早めに家に帰ることになり、
お昼を新幹線の中でいただきました。








もちろん、大船軒の鰺の押し寿司ですよ。

私の「鎌倉物語」 2007年秋

2007年10月20日 | いとしの湘南





江ノ島が見えてきた 俺の家も近い
「勝手にシンドバット」

七里ガ浜から江ノ島をのぞむ。
ここから今回の旅ははじまりました。








江の島に架かる桟橋で 恋の花火が浮かんで消えた
「HOTEL PACIFIC」

江ノ島は頼朝以来武家の尊崇をあつめた聖地です。
岩本楼(旧岩本院)には、室町時代の江ノ島縁起絵巻があるそうです。
いちど拝見したいものです。








遠く遠く離れゆくエボシライン
「希望の轍」

江ノ島水族館、江の島、七里ガ浜のホテル、稲村ケ崎と
ずっと遠くにかすんで見える茅ケ崎の烏帽子岩を見つめていました。








赤い夕陽を浴びて 風が水面に帆を立てる
「波乗りジョニー」

江ノ島の稚児が淵から見た夕日は、素晴らしかったです。








午前八時の行合橋で 死んだ蜥蜴を見ました
「黄昏のサマー・ホリデー」

このとき、午前九時でしたが。
龍口(たつのくち)での日蓮の処刑に失敗したことを知らせる使者と、死刑を免じて佐渡への流罪にすることを知らせる幕府からの使者が行き合った場所といわれています。もう少し北に碑が。









あれから10年も  忘れられたBig wave
「忘れられたBIG WAVE」

稲村ケ崎は、私の大好きな場所。
高校生の頃、よくここで夕陽をながめていましたねえ。









砂に書いた名前消して 波はどこへ帰るのか
「真夏の果実」

映画「稲村ジェーン」、むかし見にゆきました(笑)。









稲村ケ崎は今日も雨 海啼く南風
「君こそスターだ」

稲村ケ崎から江ノ島をのぞむ。
でも、私は雨が降る稲村ケ崎は知りません。いつも晴れ(笑)。
ただ一度だけ、ここで海に雪が降るのを見たことがあります。









「素敵なバーディー」(プロモーションクリップ)

江ノ電極楽寺駅。小さなかわいい駅ですよね。
本当はこの近くの霊山(りょうぜん)にある仏法寺遺跡に行きたかったのですが、国指定となったためいまは近づけないそうなので、断念。
仏法寺は極楽寺の末寺でした。








由比ヶ浜 鍵屋 たまや
「愛の言霊~Spirutual Message~」

極楽寺坂切通しの成就院の門前から見る前浜(由比ヶ浜)の風景。
成就院裏山にあったという仏法寺からならば、極楽寺が殺生禁断権を持つ前浜と管理権を持つ和賀江島は一望できますね。
なお、この歌には、閻魔堂=円応寺や釈迦堂=釈迦堂切通しが出てきます。
それは次回に。








泣かないつもりが 笑顔になれない あの日の思い出溢れる 江ノ電見つめて
「鎌倉物語」

江ノ電には、なんども乗りました。









遥か遠くに女晴れ
「BYE BYE MY LOVE(U are the one)」

きょう20日の朝、ようやく富士山が顔をだしました。
七里ガ浜のホテルの部屋から。








美味しい鳩サブレー
「亀が泳ぐ街」

鎌倉の甘いもんは、このあと(笑)。




以上、大好きな桑田の佳ちゃんの歌詞にのせてお送りいたしました。

きょうのお稽古

2007年10月17日 | ミーハーがつくる喫茶文化史
きょうは、お茶のお稽古です。
お天気もよろしいので、先生のお宅まで、家から歩いてまいりました。
(片道40分でした)








途中、こんなところを通ったり、









寄り道して、秋の青空に映える妙蓮寺さんの御会式(おえしき)桜を楽しんだり、
昔行ったことのある「アヤシイ町家」の前を通ったり(笑)していたら、
思っていたよりすぐに鞍馬口通まででることができました。
それなのにそこからお宅がわからなくなってしまい、船岡山のあたりをうろうろしてしまったのです。
うっ、大宮からいったので、距離感がわからなくなってしまったようです。

さて第三週目は、毎回「花月」です。
わあ、まったく忘れてます。
あいかわらず、足の運びから、折据の扱いまで、頭がこんがらかっています。
一瞬ぼーっとすると、自分の役割を忘れていたり。気が抜けませんね。
2回させていただいたところで、用事があった私は、先に失礼させていただきました。
みなさん3度目をなさったはずです。

みっちり2時間お稽古をさせていただいたために、きょうはお菓子からなにからなにまで、写真を撮るのを忘れていました。
すみません。

ちなみに、お軸は「明歴々露堂々」にかわっていましたね。
(これだけは読めたけど)
お菓子は幸楽屋さんの「光琳菊」でした。中はつぶあん。
きみそぼろで崩れやすく、なるべく大胆に切るよう心がけました。
なんとか完食(爆)。
(こんなときに使うべき用語ではありませんが、左利きの私が右手で菓子きりをつかって無事にいただくことができたときには、心のなかでひそかにこうつぶやいているのです。ほほ。)

どうみても「花月」マスターへの道程は遠そうです。