今回、とても行きたかったのですが、行くことができなかった場所を少し。
仏法寺遺跡
極楽寺が和賀江島の管理権と「前浜」(由比ヶ浜)の殺生禁断権を保持していたことを考えるときに、ずっと些細なことが気になっておりました。
それは極楽寺と、和賀江島・前浜との位置関係です。
極楽寺は、極楽寺坂切通しを西に越えた「鎌倉」の外にあります。「鎌倉」の中には、坂ノ下の馬病舎や長谷の桑ヶ谷療養所のような極楽寺の出先機関はあるものの、極楽寺自体は切通しを越えた、それも谷戸に位置しておりましたので、眺望がよろしくありません。もちろん、現地に役人を派遣してあるでしょうが、どうやって和賀江島なり前浜全体を把握していたのだろうかと、気になっておりました。
しかしこれは先日解決できました。
極楽寺坂切通しの南側の山・霊山(霊鷲山=画像の山)には、13世紀後半~17世紀中ごろにかけて「仏法寺」という極楽寺の有力末寺がありました。この仏法寺跡からは、坂ノ下から由比ガ浜・和賀江島までが一望できることが分かりました。ここから極楽寺は、前浜の様子、和賀江島の様子を監視していたのでしょう。
この「仏法寺跡」は、近年の発掘調査を踏まえて国指定史跡となり、現在は現地に入ることができなくなっているそうです。
残念ですが、今回は現地に行くことをあきらめました。
はやく整備されてほしいですね。
なお、西岡芳文氏が『有鄰』№474で、「石井進先生が、仏法寺と霊山寺[りょうせんじ]は一緒でいい、霊山崎にある寺だから、霊山寺と言っていたのではないだろうかとおっしゃっていたような気がします」とお話になっていましたので、その典拠を探してみました。これは、元弘三年八月日付「武蔵熊谷直経軍忠状」(って、明らかにこの文書名は誤りですね)(「長門熊谷文書」/『鎌倉遺文』32517号(第41巻-360頁)の新田軍に加わっていた熊谷直春が「鎌倉霊山寺」の下で討ち死したとある箇所ではないかとみられます。
なお、『有鄰』№430も興味深い内容となっております。
忍性墓
極楽寺の裏山にある忍性墓という五輪塔を拝見したかったのですが、普段は公開されていないようです。
そのため、グランドの金網越しにそのあたりを写しました。
江ノ島の岩本楼
中世、江島神社は神仏習合で金亀山与願寺といいました。その坊のひとつが「岩本坊」であり、のちの岩本院、現在の岩本楼の前身でした。
こちらは、洞窟風呂・ローマ風呂で有名ですが、
そのようは歴史をお持ちゆえに、鎌倉時代以来の文書や仏像・絵巻などをご所有されているそうです。
その一部は、宿泊客にも公開されているそうです。
なお、江の島に関しては、個人のかたのとてもすばらしいHPがあり、そこでこちらの縁起絵巻も公開されています。
ぜひぜひこれらを拝見したいものですが、やはり宿泊をしないといけませんでしょうかしら。
仏法寺遺跡
極楽寺が和賀江島の管理権と「前浜」(由比ヶ浜)の殺生禁断権を保持していたことを考えるときに、ずっと些細なことが気になっておりました。
それは極楽寺と、和賀江島・前浜との位置関係です。
極楽寺は、極楽寺坂切通しを西に越えた「鎌倉」の外にあります。「鎌倉」の中には、坂ノ下の馬病舎や長谷の桑ヶ谷療養所のような極楽寺の出先機関はあるものの、極楽寺自体は切通しを越えた、それも谷戸に位置しておりましたので、眺望がよろしくありません。もちろん、現地に役人を派遣してあるでしょうが、どうやって和賀江島なり前浜全体を把握していたのだろうかと、気になっておりました。
しかしこれは先日解決できました。
極楽寺坂切通しの南側の山・霊山(霊鷲山=画像の山)には、13世紀後半~17世紀中ごろにかけて「仏法寺」という極楽寺の有力末寺がありました。この仏法寺跡からは、坂ノ下から由比ガ浜・和賀江島までが一望できることが分かりました。ここから極楽寺は、前浜の様子、和賀江島の様子を監視していたのでしょう。
この「仏法寺跡」は、近年の発掘調査を踏まえて国指定史跡となり、現在は現地に入ることができなくなっているそうです。
残念ですが、今回は現地に行くことをあきらめました。
はやく整備されてほしいですね。
なお、西岡芳文氏が『有鄰』№474で、「石井進先生が、仏法寺と霊山寺[りょうせんじ]は一緒でいい、霊山崎にある寺だから、霊山寺と言っていたのではないだろうかとおっしゃっていたような気がします」とお話になっていましたので、その典拠を探してみました。これは、元弘三年八月日付「武蔵熊谷直経軍忠状」(って、明らかにこの文書名は誤りですね)(「長門熊谷文書」/『鎌倉遺文』32517号(第41巻-360頁)の新田軍に加わっていた熊谷直春が「鎌倉霊山寺」の下で討ち死したとある箇所ではないかとみられます。
なお、『有鄰』№430も興味深い内容となっております。
忍性墓
極楽寺の裏山にある忍性墓という五輪塔を拝見したかったのですが、普段は公開されていないようです。
そのため、グランドの金網越しにそのあたりを写しました。
江ノ島の岩本楼
中世、江島神社は神仏習合で金亀山与願寺といいました。その坊のひとつが「岩本坊」であり、のちの岩本院、現在の岩本楼の前身でした。
こちらは、洞窟風呂・ローマ風呂で有名ですが、
そのようは歴史をお持ちゆえに、鎌倉時代以来の文書や仏像・絵巻などをご所有されているそうです。
その一部は、宿泊客にも公開されているそうです。
なお、江の島に関しては、個人のかたのとてもすばらしいHPがあり、そこでこちらの縁起絵巻も公開されています。
ぜひぜひこれらを拝見したいものですが、やはり宿泊をしないといけませんでしょうかしら。
江ノ島や鎌倉で、湯気を上げているのは「夫婦饅頭」。
白まんは酒まんでこしあん入り、茶まんはつぶあん入り。
これは江ノ島神社参道の井上総本舗で。
江ノ島では、海苔羊羹もはずせません。(右側)
中村羊羹店で。
江ノ電江ノ島駅近くの玉屋のほうはお休み(涙)。
鎌倉坂の下の御霊神社の参道にある力餅屋さんの「力餅」は、一口サイズでいくつでもいただけちゃいます。
わたくしの、昔っからの大好物です。
これは中が求肥のタイプ。お餅のものもあります。
よくこうして、御霊神社の境内にあるベンチでいただいてます。
あいかわらずおいしいです。
今回はゆっくりいただきたかったので、お食事は写真に撮りませんでした。
一日目の夜は、相模湾の海の幸を使ったフレンチを小説『失楽園』の舞台となったレストランでいただきました。
ちなみに、朝もこちらでした。
夜はあまりよくわかりませんでしたが、南側一面に海が見えました。
二日目のお昼は、鎌倉駅前にある茶寮いの上では、いつものいの上弁当ではなく、すましのお雑煮を。(おいしかったです)
ちなみに、ここのあんみつは、迫力がありますよ(笑)。
夜は、ホテル近くのお魚亭で、いわしを中心としたお寿司を。
生しらすの軍艦巻きもあっておいしかったです。
ほかに、お刺身もいただきました。
そして最終日は、早めに家に帰ることになり、
お昼を新幹線の中でいただきました。
もちろん、大船軒の鰺の押し寿司ですよ。
江ノ島が見えてきた 俺の家も近い
「勝手にシンドバット」
七里ガ浜から江ノ島をのぞむ。
ここから今回の旅ははじまりました。
江の島に架かる桟橋で 恋の花火が浮かんで消えた
「HOTEL PACIFIC」
江ノ島は頼朝以来武家の尊崇をあつめた聖地です。
岩本楼(旧岩本院)には、室町時代の江ノ島縁起絵巻があるそうです。
いちど拝見したいものです。
遠く遠く離れゆくエボシライン
「希望の轍」
江ノ島水族館、江の島、七里ガ浜のホテル、稲村ケ崎と
ずっと遠くにかすんで見える茅ケ崎の烏帽子岩を見つめていました。
赤い夕陽を浴びて 風が水面に帆を立てる
「波乗りジョニー」
江ノ島の稚児が淵から見た夕日は、素晴らしかったです。
午前八時の行合橋で 死んだ蜥蜴を見ました
「黄昏のサマー・ホリデー」
このとき、午前九時でしたが。
龍口(たつのくち)での日蓮の処刑に失敗したことを知らせる使者と、死刑を免じて佐渡への流罪にすることを知らせる幕府からの使者が行き合った場所といわれています。もう少し北に碑が。
あれから10年も 忘れられたBig wave
「忘れられたBIG WAVE」
稲村ケ崎は、私の大好きな場所。
高校生の頃、よくここで夕陽をながめていましたねえ。
砂に書いた名前消して 波はどこへ帰るのか
「真夏の果実」
映画「稲村ジェーン」、むかし見にゆきました(笑)。
稲村ケ崎は今日も雨 海啼く南風
「君こそスターだ」
稲村ケ崎から江ノ島をのぞむ。
でも、私は雨が降る稲村ケ崎は知りません。いつも晴れ(笑)。
ただ一度だけ、ここで海に雪が降るのを見たことがあります。
「素敵なバーディー」(プロモーションクリップ)
江ノ電極楽寺駅。小さなかわいい駅ですよね。
本当はこの近くの霊山(りょうぜん)にある仏法寺遺跡に行きたかったのですが、国指定となったためいまは近づけないそうなので、断念。
仏法寺は極楽寺の末寺でした。
由比ヶ浜 鍵屋 たまや
「愛の言霊~Spirutual Message~」
極楽寺坂切通しの成就院の門前から見る前浜(由比ヶ浜)の風景。
成就院裏山にあったという仏法寺からならば、極楽寺が殺生禁断権を持つ前浜と管理権を持つ和賀江島は一望できますね。
なお、この歌には、閻魔堂=円応寺や釈迦堂=釈迦堂切通しが出てきます。
それは次回に。
泣かないつもりが 笑顔になれない あの日の思い出溢れる 江ノ電見つめて
「鎌倉物語」
江ノ電には、なんども乗りました。
遥か遠くに女晴れ
「BYE BYE MY LOVE(U are the one)」
きょう20日の朝、ようやく富士山が顔をだしました。
七里ガ浜のホテルの部屋から。
美味しい鳩サブレー
「亀が泳ぐ街」
鎌倉の甘いもんは、このあと(笑)。
以上、大好きな桑田の佳ちゃんの歌詞にのせてお送りいたしました。
女子大時代の友人Sちゃんからいただいた「鳩サブレー」を頂きながら、
桑田さんの『風の詩を聴かせて』を聴くしあわせ。
Sちゃんとも、一緒に鎌倉に行きましたね。
そうそう、ゼミの合宿も鎌倉でいたしましたしね。
一度サザンの曲に出てくる鎌倉周辺の名所めぐりをしたいなあと思っております。
由比ガ浜、閻魔堂(円応寺)、釈迦堂切通し、稲村ガ崎、極楽寺坂切通し、
行合橋、江ノ電、日影茶屋、鎌倉駅、江ノ島、烏帽子岩、
こんなところでしょうかしら。
どの曲にどの地名が出てくるか、お分かりになりますか?
(「サザン検定」ではないですけど)
そういえば、鳩サブレーも出てきますね。^^
もちろん、小学6年生から片手にガイドブック、もう片手にお小遣いを握りしめて、鎌倉の名所旧跡に通いつめていた私なので、どこも知った場所ではありますが。
え?サザンファンならば、これくらいは、あたりまえじゃんって?
私は鎌倉のなかでも、
天気のよい午後、裏鎌(鎌倉駅の西口)から御成小学校(おなりしょうがっこう)の南の道を笹目に抜けて、吉屋信子記念館のあたりを通り、鎌倉文学館へ寄り海を眺め、旧諸戸邸の前を通り、甘縄神明社でも海を眺め、桑ちゃんも大好物の宮代のコロッケを食べ、長谷観音の一本南の道を通り御霊神社により、そのまま道を南におりて江ノ電の線路を渡り、力餅を食べて、極楽寺坂切通しにある成就院の階段をのぼり途中で振り向きざまに見える坂ノ下の海を目におさめ、極楽寺から稲村ガ崎に抜けて、最後には夕日を見る、
というのが、一番好きなコースです。
山の手から海を遠くに見つつ歩き、最後に七里ガ浜の海岸沿いに出るときには、鳥肌が立つような心の開放感を覚えるのが好きです。
閑静な住宅街のところどころには、素敵な近代の洋館がありますし、
余り観光化されていない社寺のひなびた雰囲気も好きです。
2年前にも久しぶりにこのコースをあるいてみましたが、すいぶん変わってしまった場所もあり、しかし懐かしい風景も随所に残っており、ちょっとばかりおセンチな気分になりました。
そろそろあのきらめく海の風景が懐かしくてたまらなくなってきまた、最近のもちやでございます。