本当は28日までなのですが(汗)、きょう、例年のごとく、ご近所の御所西にある護王神社さんへ「大祓人形」(おおはらえひとがた)を納めてまいりました。
これで無病息災と参りたいものですね。
来年は亥年ということで、イノシシ神社のこちらでは、かなりはやくから、その準備をなさっておりました。
まだ年も明けてはおりませんが、すでにいつもより多くの参詣のかたがたがお見えになっておりました。
最近、だんだんそれらしくなりつつある、境内の茶屋(笑)。
こんな干支おみくじもかわいいですね。
みなさんはどちらの寺社に初詣におでかけになるのでしょうか?
これで無病息災と参りたいものですね。
来年は亥年ということで、イノシシ神社のこちらでは、かなりはやくから、その準備をなさっておりました。
まだ年も明けてはおりませんが、すでにいつもより多くの参詣のかたがたがお見えになっておりました。
最近、だんだんそれらしくなりつつある、境内の茶屋(笑)。
こんな干支おみくじもかわいいですね。
みなさんはどちらの寺社に初詣におでかけになるのでしょうか?
朝起きましたら、風景は一面、雪化粧を致しておりました。
正午のいまもなお、静かに雪が降り続いています。
町家の瓦屋根にも雪が少し積もっております。
ほんまに冷え込んでますね。
そんな寒い日のおやつには、熱いほうじ茶と、宇治田原のかねまたさんからいただいた、宇治田原の「西川栄彦農園」さんで栽培されている「展茗(てんみょう)」入りの抹茶カステラをいただきました。
「展茗」は、宇治在来由来のてん茶用の新品種茶です。
命名は、山田京都府知事さんによるのだそうです。
さすがお茶の産地の抹茶カステラです。
抹茶色も濃く、香りもよい抹茶カステラでした。
ごちそうさまでした(笑)。
午後1時過ぎには、待望の「雪大文字」が。
ご近所さんの通りにいって写してまいりました。さぶさぶ。(笑)
正午のいまもなお、静かに雪が降り続いています。
町家の瓦屋根にも雪が少し積もっております。
ほんまに冷え込んでますね。
そんな寒い日のおやつには、熱いほうじ茶と、宇治田原のかねまたさんからいただいた、宇治田原の「西川栄彦農園」さんで栽培されている「展茗(てんみょう)」入りの抹茶カステラをいただきました。
「展茗」は、宇治在来由来のてん茶用の新品種茶です。
命名は、山田京都府知事さんによるのだそうです。
さすがお茶の産地の抹茶カステラです。
抹茶色も濃く、香りもよい抹茶カステラでした。
ごちそうさまでした(笑)。
午後1時過ぎには、待望の「雪大文字」が。
ご近所さんの通りにいって写してまいりました。さぶさぶ。(笑)
先日のポーセリンアート教室で作らせていただいた、ハート型の小物入れができました。
一応、小さいくまちゃんの恋の物語、という設定で、
ハートの中には大好きなくまこちゃんがいます。
(勝手に何をいっているんでしょうね(汗)
でもでも、シールを貼るだけで、簡単ですし、とても楽しいですよ。
さて、来年になったら、例のミッションをいたしますからね、お楽しみに。
去年に引き続き、今年もやります、食べ納めシリーズです。
(誰も期待していないかもしれませんが)
本日は、アフタヌーンティー編ということで、
ご近所の新町中立売の京都ブライトンホテルさんのラウンジ「クー・オ・ミディ」
で「ブライトンセット」をいただきました。
こちらのアフターヌーンティーセットは、
英国風アフタヌーンティーセットというよりは、
ちゃんと栄養のバランスもよくお食事もいただける
小さなランチという趣きです。
前回とは一部内容が変わっていて、さらにおいしくなっていました。
まずかぼちゃのミニスープにはじまり、
一段目にはピザやキッシュ、プチサラダ、
二段目には、クッキーにお好みのケーキ、
そしてフルーツゼリーコンポートに紅茶という充実の内容です。
途中で暖かい紅茶もサーヴしてくださいますし、
本当に久しぶりに、ゆったりお食事をさせていただきました。
ふふふ、だいぶ生き返りましたわあ(爆)。
きょうは午後から京都の茶所(ちゃどころ)へ参りました。
って、茶摘娘がいるここ「宇治」は、あくまで最寄り駅です。
少し待ち合わせまで時間があったので、まるとさんこと中村藤吉さんに参りまして、
どうも疲れ気味の今日この頃なので、まずは抹茶で元気をつけました(爆)。
さて、きょう伺ったのは、宇治からさらに山を越えて行く、「日本緑茶発祥の地」宇治田原町でした。
仕事(?)をこなしたあと、せっかくなので、宇治田原町を代表する「あの場所」へつれていっていただきました。それは、
宇治田原町の湯屋谷にある永谷宗圓(宗七郎)さんの生家跡でした。
宗圓さんは、元文三年(1738)宇治製煎茶の製法(いまの煎茶の製法)を生み出した篤農家として知られています。
皆様はお茶漬けで有名な「永谷園」さんをご存知ですよね。
宗圓さんは、その永谷園さんのご先祖様にあたります。
現在残る藁葺きの建物は、永谷家の立地していた敷地に、昭和35年一部を復元されたものです。
軒先に並んだ茶壷。
敷地の一部には、「茶宗明神社」もあります。
ここは谷筋の一番奥にあり、木立に囲まれた静かな場所です。
敷地の脇には清水が流れていました。
ここは、今年のお茶に関わる仕事(?)をしめくくるにふさわしい場所かもしれませんね。
今年もあとわずか。
心安らかに新年を迎えるために、心残りをなくしておきましょう(笑)。
ということで、きょうは大変に穏やかな一日でしたので、
寺町二条の一保堂さんまで歩いて参りました。
そして、この秋にリニューアルされたものの、なかなかうかがえなかった「嘉木」さんに寄らせていただきました。
ずいぶん、喫茶スペースが広くなりましたね。カウンター席も出来て、ひとりでも気兼ねなく入ることができますね。
きょうのお茶は、季節ものということで「大福茶」に。
「大福茶」は、お店によって、その内容がまちまちです。
こちらは、柳の玄米茶でした。(そういえば、遠い以前にいただいたことがありましたっけ。)
玄米茶なので、熱湯を入れます。
熱いお茶は、この時期にはほっとしますね。
お菓子は幸楽堂さんの「冬景色」です。
鹿の子の甘味がこれまたほっとします。
最近、「気」だけではなくほんとうに「せわしい」毎日を送っておりましたので、
ちょっと生き返るような思いがいたしました。
心折れないように負けないようにLoneliness
白い恋人が待っている
だから夢と希望を胸に抱いてForeeverness
辛い毎日がやがてwhite Love
(桑田佳祐「白い恋人達」より)
今年はポワンプールポワンさんのクリスマスケーキです。
フレッシュないちごと、ふわっふわのスポンジと、とても美味しいクリーム。
これをいただきながら、幸せなクリスマスイブを迎えられたことを、感謝いたしました。
みなさまも、よいクリスマスを。
クリスマス、おめでとうございます。
タイトルは「家政婦は見た」ではございませんが(笑)、
きょうはイブということで、キリスト教と宇治茶の関係について少しお話しましょう。
戦国時代にはじまったとみられている宇治の「覆下茶園」(おおいしたちゃえん)での栽培。
「覆下」というのは、4月に新芽が出たら、茶葉を摘む20日ほど前から、
よしずや藁(現在は寒冷紗という化学繊維が多い)で茶樹を覆い、
日光をあてないようにする施設のことです。
これは「覆下茶園」でも、従来どおりの葦で作ったよしずや藁で覆う「本簾(ほんず)茶園」です。
(宇治小倉の吉田銘茶園さん)
中ではこのように新芽が育っていました。(5月です)
これは寒冷紗といわれる黒い化学繊維で遮光した覆下茶園です。
現在、覆下茶園の茶葉は、抹茶の原料である「てん茶」か「玉露」になります。
この「覆下茶園」の様子を歴史上最初に記した人物こそ、ポルトガル人宣教師のジョアン・ロドリゲスでした。
それまでは、覆いのない「露地茶園(露天茶園)」の茶葉を使用してお茶がつくられていました。
しかし、このお茶は幾分苦いものであったと推測されます。もっとうまみがあって美味しいお茶を、ということで宇治のひとびとは試行錯誤を重ねたに違いありません。
宇治を通ったロドリゲスは、宇治の茶園の様子を『日本教会史』(第三二章)に次のように記しています。
茶は、小さな木というよりは、むしろ潅木に属する。(中略)
そして使用に供される新芽は、非常に柔らかく、繊細で、極度に滑らかで、霜にあえばしぼみやすく、害をこうむるので、主要な栽培地である宇治の広邑では、この茶の作られる茶園なり畑なりで、その上に棚をつくり、葦か藁かの蓆で全部をかこい、二月から新芽の出始める頃まで、すなわち三月の末まで霜にあたって害を受けることのないようにする。
宇治において茶園に棚をつくり、葦か藁で作った蓆で囲う。これこそ「覆下茶園」の姿にほかなりません。
当時は旧暦なので、作業の時期がだいたい一ヶ月少し早くなっております。
ロドリゲスは、春先に覆いをすることで「霜よけ」の効果が指摘していますが、むしろ覆いをするようになったのは、うまみ成分を多く含む茶葉をつくることにありました。この覆下茶園の登場によって、宇治で「抹茶」が誕生することになりました。
戦国時代、日本にキリスト教が伝えられて、多くの宣教師が来たことによって、
彼らは日本の習俗を詳細に書き残してくれました。
そのおかげで私たちは、宇治における茶業の転換点ともなった「覆下茶園」登場の時期の様子という、日本の茶業史においてとても重要なことがらを知ることができるのです。
タイトルは「家政婦は見た」ではございませんが(笑)、
きょうはイブということで、キリスト教と宇治茶の関係について少しお話しましょう。
戦国時代にはじまったとみられている宇治の「覆下茶園」(おおいしたちゃえん)での栽培。
「覆下」というのは、4月に新芽が出たら、茶葉を摘む20日ほど前から、
よしずや藁(現在は寒冷紗という化学繊維が多い)で茶樹を覆い、
日光をあてないようにする施設のことです。
これは「覆下茶園」でも、従来どおりの葦で作ったよしずや藁で覆う「本簾(ほんず)茶園」です。
(宇治小倉の吉田銘茶園さん)
中ではこのように新芽が育っていました。(5月です)
これは寒冷紗といわれる黒い化学繊維で遮光した覆下茶園です。
現在、覆下茶園の茶葉は、抹茶の原料である「てん茶」か「玉露」になります。
この「覆下茶園」の様子を歴史上最初に記した人物こそ、ポルトガル人宣教師のジョアン・ロドリゲスでした。
それまでは、覆いのない「露地茶園(露天茶園)」の茶葉を使用してお茶がつくられていました。
しかし、このお茶は幾分苦いものであったと推測されます。もっとうまみがあって美味しいお茶を、ということで宇治のひとびとは試行錯誤を重ねたに違いありません。
宇治を通ったロドリゲスは、宇治の茶園の様子を『日本教会史』(第三二章)に次のように記しています。
茶は、小さな木というよりは、むしろ潅木に属する。(中略)
そして使用に供される新芽は、非常に柔らかく、繊細で、極度に滑らかで、霜にあえばしぼみやすく、害をこうむるので、主要な栽培地である宇治の広邑では、この茶の作られる茶園なり畑なりで、その上に棚をつくり、葦か藁かの蓆で全部をかこい、二月から新芽の出始める頃まで、すなわち三月の末まで霜にあたって害を受けることのないようにする。
宇治において茶園に棚をつくり、葦か藁で作った蓆で囲う。これこそ「覆下茶園」の姿にほかなりません。
当時は旧暦なので、作業の時期がだいたい一ヶ月少し早くなっております。
ロドリゲスは、春先に覆いをすることで「霜よけ」の効果が指摘していますが、むしろ覆いをするようになったのは、うまみ成分を多く含む茶葉をつくることにありました。この覆下茶園の登場によって、宇治で「抹茶」が誕生することになりました。
戦国時代、日本にキリスト教が伝えられて、多くの宣教師が来たことによって、
彼らは日本の習俗を詳細に書き残してくれました。
そのおかげで私たちは、宇治における茶業の転換点ともなった「覆下茶園」登場の時期の様子という、日本の茶業史においてとても重要なことがらを知ることができるのです。