京のにちじょうさはん ごこう

京都在住19年目の浜っ子の日記。其の弐。

少将井の跡

2006年09月20日 | きょうの井戸


きょう烏丸通を歩いておりましたら、京都新聞社の北西の壁に、この地が「少将井跡」であることを知らせる銅板の由緒書をみつけました。
この地が少将井跡であることはその町名から存じてましたので、旧冬、周囲に石碑などがないものか探し回ったことがございましたが、町名以外には何もみつけることができませんでした。
どうしてこの銅板の由緒書に、そのとき気がつかなかったのでしょう。よくみますと、これは平成18年4月、つまり今年の春につくられたものでございました。なるほど。(笑)

「少将井」は、「枕草子」一六八段にもみられる京中の名井です。
少将井の地には、祇園社の御旅所「少将井殿」がございました。
祇園御霊会の三神輿のうち東御座との関係が深く、少将井の神輿とも称されていました。御霊会の際、東神輿は、四条・東洞院・二条・御旅所を渡御しました。
その後「少将井殿」は、秀吉の命により四条京極の御旅所(大政所)に統合され、明治の四条通拡張工事にともない現在の地に移りました。

由緒書の最後には、つぎのような説明がございました。
「昭和47年(1972)、京都新聞社が平安博物館(現・京都文化博物館)に依頼して発掘調査を実施した。平安時代の泉水は確認できなかったが、鎌倉時代から近代までの井戸跡が数多く見つかり、この地がよい水に恵まれて地域住民が利用していたことがあらめて確かめられた。」
せめて、その調査の折の井戸跡の写真でも、横に展示していただきたいものです。

参考文献『京都市の地名』(平凡社)