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【新連載】 『四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ』

百田尚樹さんの『日本国紀』の正体➀ 

2021-01-19 23:52:29 | 楽しく元気に『反日』トーク
 市民図書館に2月にリクエストした、百田尚樹さんの「日本国紀」が11月下旬になってやっと届いた。当初は3~4時間で読んでそれなりの見方をもって『イソじいのイチ押しBOOK』にアップしようと思っていましたが、少し読み始めるとこれは違う、標題の『国紀』といういかにも歴史書のような装いを持っているが、全く別の意図と目的をもって書かれたプロパガンダである、と確信しました。
 まず『日本国紀』の記述についてのファクトチェック等については既に多くの真摯で科学的・丁寧な検証が行われ、いくつもの発表や出版も行われていますので、諸先輩や若き研究者の皆様方の『日本国紀のファクトチェックやパクリ報告』発表に学ばせていただきます。私は『日本国紀』に貫かれているロジックの意図的な捻じ曲げや出鱈目さ、偏狭なナショナリズムをバックグラウンドにした根深い差別意識、あるいは『日本民族選民思想』とでも言うべき上から目線の優越思想とその『グローバル性』について述べさせていただき、日本国紀の正体を明らかにしていきたいと思います。
 図書館で貸出を申し込んだのが2019年2月で、届いたのが11月、聞けば市では10冊以上購入しているが貸出申込が大変多いそうです。中には批判的想いで読まれておられる市民の方も少なからずおられるとは思いますが、神社本庁や日本会議系、自民党系、偏狭な右派諸団体等々の組織的購入、また『探偵ナイトスクープの放送作家』や『永遠のゼロ』の小説作者であり大ヒットした同名の映画監修ということもあって、好意的にあるいは興味を持って読まれる皆様が相当多いのでしょう。
 そんな思いで読んでいるうちに、3~4時間の予定であった読了が12月5日になってしまいました。
 順を追って、気付いた諸点について述べていきます。

➀ 『ストーリーとしての日本国紀』『ストーリーテラーとしての百田尚樹』
 このことは百田さん自身が『序に変えて』で「ヒストリーという言葉はストーリーと同じ語源とされています。つまり歴史とは「物語」なのです。本書は日本人の物語、いや私たち自身の壮大な物語なのです。」と述べておられます。ところが文末の『謝辞』では「・・・多くの史書を参考に・・・それらの本なしでは成り立たない仕事・・・。」「多くの偉大なる先人が、私たちの国の歴史を記し、研究し、考察を続けてこられました。」と、最初に言っているご本人が書いた「物語(ストーリー)」を「歴史(ヒストリー)」に巧妙にシンクロさせてしまっています。編集担当の有本香氏も同様です。
 ヒストリーとストーリーの語源については「同じ」とは、Oxfordでも広辞苑でも書かれていません。Oxfordでは類似語としての紹介はありますが、意味はStory=物語、話、であり、History=歴史、史実、歴史学、年代記・・・です。広辞苑も同様です。真摯な歴史研究者、特に近現代史を研究されている戦争体験を持つ世代の研究者、また、戦後生まれのいわゆる団塊の世代、更には30~40歳代の若手歴史研究者・学者の真摯な歴史研究に対して『物語』を『歴史』にしてしまうのはあまりにも乱暴すぎて、当該国に対してはあまりにも非礼で無責任でありグローバル視点から見られれば恥ずかしくさえあります。『歴史』だけではありません。『物語(ストーリー)』としても、戦争三部作と言われる『不毛地帯』『二つの祖国』『大地の子』を渾身の力と反戦の強い意志と確たる史実と証言を集めて書かれた山崎豊子さん、中世から戦国時代、明治維新から日露戦争の時代背景の中で、どちらかというと歴史のバイプレーヤーに焦点を当て、実に丹念な歴史研究と取材をもとに、自分らしく生きる個性豊かな歴史群像を創出し、例を見ない巧みな筆致で物語にされた司馬遼太郎さん、他多くの本当のストーリーテラーの皆様に対しても、はなはだ無礼で無責任な論理(ロジック)であり、我々読者に対しては知性も品性もかなぐり捨てた上から目線での論調です(後ほども触れます)。


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