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百田尚樹さんの『日本国紀』の正体②

2021-01-19 23:51:17 | 楽しく元気に『反日』トーク
 『日本国紀』の論旨は、第1に、天皇あるいは天皇制に対する『妄信的』とも思えるシンパシーです。第2に、いかに日本人が『勤勉で誠実で優秀か』ということを『論証』しています。第3にアジア太平洋戦争(大東亜戦争と言っている)敗戦後、いかに日本が辱められ貶められているかを、『3つの敵』を挙げて口を極めて攻撃し、新しく出てきた『国を憂う若者たち』を褒めたたえていることです。以下にそれぞれの論旨について検討していきます。

-三つの論旨の『天皇制に対する妄信的なシンパシー』の強要-

 まず、私は百田さんが天皇や天皇制に対してどれほどシンパシーを持とうが、どのような天皇観を持とうが、純粋右翼であろうと神道を奉じようが、どのような思想や歴史観・価値観をお持ちかは知りませんが、それは個々人の価値観であり感性の結果だから何も否定しません。日の丸を尊敬しようが、私たちの先祖であるところの日本人・日本民族にどのように誇りを持とうが、それはそれで結構なことで、『どうぞご自由に』だと思っています。ところで、この日本国紀では流石に天照大神や須佐之男命等々を持ち出して神話を歴史事実にするということにはなっていませんが、一貫して天智天皇以降、天皇・天皇家は『万世一系』であると強調し、天皇・天皇家は日本における唯一無二の神聖な存在として描き出し、よって天皇や天皇制それへの『妄信』というか『服従』というか、そのようなものを押し付け、強要してきます。繰り返しますが天皇や天皇制をどれほど信奉されても、個人としては自由です。私も平成天皇や皇后は人格的にも優れた方だと思っていますし、日本国憲法の中の存在であるとして象徴としての役割を果たそうとされたことに対しては、ある意味では尊敬もしています。
 ただし、継体天皇の即位の不可解さ、南北朝時代の天皇・天皇家の継承の正当性について歴史研究においては諸説があり、『万世一系』が合理的な史実であるかについて多くの疑義が出されています。特に継体天皇については継体前の天皇の異常な行為、行動に因を発する皇位継承であり『万世一系』の正統性は疑問視されています。その点は百田尚樹さんもご承知で、『日本国紀』では、いろいろあるけれど「いずれにしても万世一系」であると。      これでは、全く歴史書(史実)と呼べる代物ではありません。先に述べたように、私は平成天皇・皇后に対しては一貫して憲法上の存在として自覚され、天皇・皇后として沖縄をはじめアジア太平洋戦争の戦跡へ慰霊に訪れたり、東日本大震災では被災者のお見舞いに幾度も行かれ、膝付き被災者と同じ目線で手を取り合って励ましたりする姿に、その人間性については尊敬しています。『万世一系』だから尊敬しているのではないのです。多くの国民・市民の皆様も同じような思いではないでしょうか。にも拘らず百田さんが、おそらくご本人はその『怪しさ』が分かっているのだろうと思いますが、まるでなりふり構わず『万世一系』にこだわり、天皇や天皇制へのシンパシーを強調するのは一体何のため誰のためなのか、その意図は何なのか思わざるを得ません。
先のアジア太平洋戦争において、国民に対する『皇民化政策と軍国主義教育』は、国(天皇)のために戦い、死んで靖国神社に祀られることを男子最高の栄誉とし、東条英機は戦陣訓で「生きて虜囚の辱めを受けるべからず」と言い、軍部は『一億総玉砕』を叫び日本国民のジェノサイドを公言し、結果民間人も含めて3百数十万人の戦争犠牲者を出しました。県民を巻き込んだ(盾にした)沖縄戦では民間の県民の数万人を『強制死』に追いやりました。天皇制への同調と崇拝を強いるこの本のプロローグは、日本の歴史全体を修正し、憲法の改悪と戦争できる国造りという目的を成就させるために、神社本庁、日本会議、一部宗教団体、右翼(民族主義)、のみならず天皇に帰依する人たちやネトウヨの人たち、戦前戦後の選民思想(日本国民の優秀性)を総動員することによって、自らのミッションの思想的バックグラウンドを構築し最大限に社会的にオーソライズすることを、百田さん一流の表現法で描かれたものかと思います。『日本国紀』はその成就の為の『歴史書』を装ったプロパガンダです。

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