大学・学校の主役は学生・生徒~コロナ禍の大学のカオス~
数年前まで大学の職員をしていました。
現在、新型コロナの影響で、多くの大学では実験・実習等を除いて学内で授業が行われていません。若者・学生が希望にあふれて大学に入学し学生生活を送る理由は、勉強、研究、スポーツ、文化・芸術などいろいろでしょうが、学生生活を通じて最も大切なことは、友達・親(真)友との出会いではないでしょうか。それらを通じて人生の中で最も個性が輝き、伸びていく時期であるというのは、私自身も経験してきたことです。全国ほとんどの大学では学内で授業がない、まるで立ち入り禁止状態ですが、それは若者・学生が成長する場(アリーナ)を奪うことだし、何よりも彼ら彼女らの大事な人生の時間を無に陥れてしまうのではないでしょうか。
一方、若者・学生の個性が輝き元気な学園・地域・国には活気が溢れているのは、世界の国々の近現代の歴史や現状を見れば明らかです。なぜなら国に活気があるのかということは、若者・学生が平和や差別、貧困、社会問題等に対して自分の意見を述べ、持続可能な地球や国を作るために行動し、未来を若者・学生が担っているからです。学校・大学の果たす役割は「教育とは人生の準備ではなく、人生そのもの」(ジョン・デューイ)のプラットフォームではないでしょうか。
かつては『大学の自治、学問の自由』を掲げていた叡智の集合体である大学は何処に行ったのでしょうか。新自由主義の猛烈なプレッシャーで大学・大学人は競争的環境や『民間活力の導入』等に晒されて、大学の主役である学生が見えてないようです。大学ではゼミや洋書購読、基礎演習、フィールドワーク等少人数で行う授業も多くあります。私は小学校、中学校、高等学校にも関係していましたが、今、小中高では少人数学級への前向きな検討も含め、生徒はもちろん先生方や父母の皆さん方が子供たちのために大変な努力を重ね頑張っておられます。当然ですが『智のアリーナ』であるはずの大学は、コロナの予防はもちろん、いまだ人類が経験していないWithコロナの世界も想定して、リスク対応、リカバリー、更には公衆衛生等の対応を社会の信頼を得るにたる実践も含めたアクションを示すことがそのミッションではないでしょうか。
大学ではいまや上(文部科学省)からのガイドラインや指示を待たなければ学内での対面、対話型の授業も何もできなくなったのでしょうか。その指示待ちをしているほとんどの日本の『大学トップ』はあまりにも無策なようで、それどころか「これを機に授業の在り方や遠隔授業の検討」や「AI授業の研究開発」などと言った声が、現場を理解しようとしない、管理教育を進め民間活力型ガバナンスを押し進める文部官僚やそれに忖度する『専門家・知識人』等から聞こえ、少なくない大学ではそれに対して無抵抗に、極端に言うとその導入に先を争っているかのようにも見えます。本当に暗澹とします。AI授業での人材育成プログラミングは何を想定するのでしょうか。『最高の生産効率』『最高の利益創出』『競争を勝ち抜くハウ・ツー』彼是でしょうか。
コロナ禍は大学にもカオスを巻き起こしています。大学の主役は誰なのか、その『哲学』がWithコロナ、Postコロナの大学の姿を露呈していくことでしょうし、グローバルな情報と感性を持った若者が、自分の人生として大学を選択する、ということになるだろうと思います。『哲学』を持たない、あるいは持てない大学は、厳しいことになるのでは・・・。
世界では、多くの若者・学生が輝いています。日本でも個性を発揮して自分らしく働き、活き活きと生きている若者や学生は沢山います。叡智の集合体である大学の教員、職員、関係者の皆さんが教育の原点に立ち返って奮闘していただくことを祈念します。
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