答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

「エジソンと実験工房」から

2019年05月08日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

エジソン

実験工房

この2つの言葉に共通しているのは何?

 

世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (光文社新書)
山口 周
光文社

 

先月はじめに読んだ本のなかにあったエクササイズだ。

著者の5歳の娘さんは正解を答えるまでに5秒とかからなかったという(ちなみにわたしも即座に正答した)。

著者はこの問題をさまざまな相手に対して出しているのだという。幼い子はすぐに正しい答えをあげることができるらしい。その理由は、彼彼女らが「読む」をできないから、すなわち純粋に「見る」ことしかしていないからだと述べたそのあとにこう書いている。

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一方で、大人はその逆になる。大人はどうしても読んでしまう。読んでしまうというのはパターン認識するということです。パターン認識しているからこそ、個々人で異なる手書き文字であっても「同じ字」として読むことができる。この高度なパターン認識能力が、本当の意味で「見る」という能力をものすごくスポイルしているわけです。(2375)

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このパターン認識を身につけられない人は「ディスレクシア=失語症」として診断されるらしい。同書で引かれているサリー・シェイウィッツ(神経科学者)による失読症患者の解説はこうだ。

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彼らは、普通の人とは思考の仕方が異なるのです。もっと直感的で、問題解決能力に優れ、全体像を見た上で、シンプルな本質を捉える。彼らは、一定の手順を繰り返すことは苦手ですが、数少ない兆しから、この先に何が起きるか。を予見することには、大変優れています」

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つづいて、「近年の研究によると、成功した起業家は、普通の人の4倍も失読症である確率が高い」と書き、失読症の傾向があったことが知られている著名人の名を列挙している。

スティーブ・ジョブズ

リチャード・ブランソン

スティーブン・スピルバーグ

アルバート・アインシュタイン

 

この本を読んだその日、

「ぼく、本を読めないんですよね」

という人と出会った。

なんでも、眼の前にある事象は映像(画像)で脳内にインプットされ、あるときそれらのなかのいくつかが合体してアイデアが生まれるのだという。数時間話してみて、この人もイノベーションを起こす側なのだろうなと思った。それをして「失読症」傾向と断定するのは、あまりにも失礼がすぎるのだろうが、ジョブズやアインシュタインと同系列にあるという意味の褒め言葉だということでかんべん願いたい。

ひるがえってこのわたしだが、「エジソン」と「実験工房」の共通項は瞬時に理解したとはいえ、直感に優れた人たちとは対局に位置している。だからというべきか、「パターン認識」には少しばかりだけれど、自信がある。

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専門家として能力を高めていくというプロセスは、パターン認識力を高めていくということに他なりません。パターンというのは「過去にあったアレ」と同じだと見抜くということです。そうすることによって、毎回ゼロから答えを作っていくというような非効率的なことはやらずに、過去において有効だった解を転用できるようになるわけです。(2340)

・・・・・・・・・

とはいえ、「過去において有効だった解」を転用したとして、それがどんな場合にも有効であるとはかぎらない。したがって、色々さまざまな「引き出し」をたくさん持つことによって、この場合はコレ、コレがダメならアッチと、その場そのときでとっかえひっかえ、またアレンジをしながら、「生」の最適解を求めていくというのがわたしのやり方だ。だが、それだけでは「生きた現場」に対応していくには決定的に不足しているものがある。というより、「アレンジをする」という行為において必要かつ欠かしてはならないものがあるというべきか。

それが勘だ。

経験を重ねることによって血肉となり、経験から導き出された「勘」だ。いわゆる直感というのとはチトちがう。

その「経験と勘」が技術屋としての優劣を決めるポイントとなるとわたしは信じている。そんなわたしが、土木技術者にとってもっともたいせつなものとは何か、ひとつだけ挙げよと問われたら、躊躇なく「感性」と答える。それもまた「経験と勘」とおなじように積み重ねによって磨いていくものである。

磨く。

そう、「磨く」という言葉がふさわしい。

色々さまざまな「引き出し」をたくさん持つことによって、この場合はコレ、コレがダメならアッチと、その場そのときでとっかえひっかえ、またアレンジをしながら、「生」の最適解を求めていく、とは言っても、それをああでもないこうでもないとアタマのなかで考えるうちは「まだまだ」というもので、脳と身体の奥深くに入っているものが状況に応じて相手を変えながら合体していく、ここまでいってはじめてプロフェッショナルと呼べるのだ。

それがわたしが表現するところの「勘」だ。

だから、経験を重ねることによって血肉となり、その経験から導き出された「勘」には「磨く」という言葉がふさわしい。

「本を読めない」とわたしに告白した彼もわれも、どちらにしてもたいせつなのは、そうなると意識はせずに蓄えていた「引き出し」が合体するというスタイルだろう。それがパターン認識の結果なのか直感によるものなのか。むろん、「直感的で、問題解決能力に優れ、全体像を見た上で、シンプルな本質を捉える」人であるにこしたことはない。だがそれは、いわば天賦の才である。誰も彼もに与えられたものではない。

だとすれば、そこいらの「誰も彼も」はどうしたらよいか。

自分の体験は言わずもがな、いつもいつでもオープンマインドを心がけ、アンテナをビンビンに張って、たとえば他人の体験も自分の経験とでき得るような受信体制をととのえ日々を生きる。それと並行して、自分の専門分野である「土木」のみならず、他の分野も意識して見聞きし、感性を磨く。ささやかな成果の一つひとつを見逃さず、成功体験として、しっかりと腑に落とし込む。それらによって得られる「経験と勘」が自家薬籠中のものとなるまでさらに磨く。その繰り返しから、凡百の「誰も彼も」が、プロフェッショナルと呼べるものになっていく。


あらあら、つらつらと書き散らかしているうちに、書き始めに意図したテクストとは大いに異なるものとなってしまった。

以上、

エジソン

実験工房

この2つの言葉に共通しているのは何?

という問いかけからの連想ゲーム(のようなもの)である。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

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4 コメント

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Unknown (まつお)
2019-05-09 11:26:49
僕も活字が苦手でイメージ認識の人間です。
やる事ほとんど失敗ですけどね(笑
いつかプロフェッショナルと呼ばれたいですねぇ~
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Unknown (みやうち)
2019-05-09 13:15:37
まちがいなく貴兄は、イノベーションを起こす側のタイプですよ。
一つひとつの失敗成功は時の運もありますから、さして重要ではないとわたしは思ってます。もちろん失敗はつらく悔しいし成功はうれしく楽しいですけどね。
結果がよかったときは、「とうぜんだろ、プロフェッショナルだぜ、オレは」とつぶやいてみてください。それを繰り返しているとプロフェッショナルになれます。これ、誰にも教えたことがないわたしの秘訣です(あ、ゆうてもうた ^^;)。
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Unknown (まつお)
2019-05-10 00:19:19
ありがとうございます😊
大きな声で言ってみます(笑)
返信する
プロフェッショナル (みやうち)
2019-05-10 07:40:18
いつかNHKで放送されるあかつきには、この秘訣を「仕事の流儀」としてしゃべってみてください (^^)
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