夜毎、晩酌をしながら相撲を観ている。子どもでも知っていることかもしれないが、ご存知ない方もいるかもしれないので説明しておくと、相撲における勝った負けた、つまり裁きを受けもつのは行司という役である。引き分けはない。内心、こりゃどちらとも言えないなぁなどと思ったとしても、瞬時にどちらかに軍配をあげなければならない。キツイ役目である。
当然、微妙な場合がある。すると、土俵の下で控えている5名の審判委員(親方)から異議申し立てが出る。「物言い」と呼ばれる行為である。ルール上は順番待ちの控え力士にも発言権があるのだが、わたしはそれを見たことがない。審判委員が決するのは、軍配通り、差し違え、取り直しの3パターンだ。
協議の結果が出れば、審判委員の代表がそれを場内にアナウンスする。先日、ある物言いの結果を聞きながら、おおいなる違和感をおぼえた。はじめてではない。同様の違和感をはじめておぼえたのはたぶんわたしが小学校高学年のころだった。それからずっと、聞くたびに首のあたりがむず痒いような感覚にとらわれていた。
これやねコレ、久しぶり。相撲界のあいかわらずの進歩のなさに少し驚きながら冷や酒をひとくちぐびっと呑った。
違和感の正体は「が」である。
「ただ今の協議についてご説明します。行司軍配は〇〇海有利とみて軍配をあげましたが、△△山の手が先についているのではないかと物言いがつきましたが、協議の結果、〇〇山の手が先についており、軍配どおり〇〇海の勝ちといたします」
みなさんご存知のように、「が」は逆接の接続詞である。「しかし」と同じ役割だ。といっても、現実には必ずしも逆接のみに使われるわけではない。大野普がそれを説明するために『日本語練習帳』に載せた例文を紹介しよう。
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その山田さんのことなんだが、昨夜駅前でばったり顔を合わせたが、ずいぶん老けたなあと見えたが、本人は案外元気だったんだが、娘さんが最近亡くなったとか言っていたよ。(KindleのNo.1192)
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この用法がなぜいけないのか。大野先生はこう解説している。
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ガがくると、それまでの叙述はすべて留保の条件と化してしまい、判断の本体はガの下にくることを示します。下にくる本体と、ガの上に示された留保条件との関係は、逆接が多いけれども必ずしも逆接に限らない。「・・・・が、・・・・が、・・・・が、・・・・」と続いていくと、判断の本体はガの下だぞ、まだ下だぞということになり、最後に至って決着する。「・・・・が、」というところでは文は終結しないというしるしになっています。(No.1204)
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つまり、わたしが「物言い」の結果を説明する言い回しに対して抱く違和感の正体は留保させられることにに対してのもやもやであり、ふだんから逆接の「が」に慣れ親しんでいる身が、「が」を挟んだにもかかわらず順接してしまったことに対して受ける肩透かし感なのである。
ところがその数日後、伊勢ケ浜親方の説明を聞き、あれにはそのような語法のフォーマットがあるのではないことに気づいた。彼のそれは「が」を多用することがなく、聞いているコチラがなんの違和感を抱くこともない整然としたものだったからである。
それならば、と即座にこう思った。どうせ審判委員が決するのが、軍配通り、差し違え、取り直しの3パターンしかないのであれば、その種類に応じた説明様式を決めておいたらどうなのだろうか。なぜそうしないのだろうか。今度は、そういう疑念がむくむくとアタマをもたげてきた。
もっともそれは、純米安芸虎の冷やをぐびっとひとくち呑ると、どこかへ消えてなくなってしまったほどの軽い疑念であり、相撲協会に異議申し立てを唱えるほどのものではない。
ということで今宵も相撲を観る。令和4年を〆る九州場所も、残すところあと2日しかない。