質問・「他に好きな人ができた」と恋人にふられました。
初めは、彼が幸せならいいと祈りました。
ところが、私と付き合っている時から二股かけられていたことを知り、今は悲しみから憎しみに変わりました。
こんな自分自身の気持ちも嫌になりますが、この感情をどうしても拭えません。
どうしたら平穏な気持ちに戻れるでしょうか、ご教示下さい。
叡空・人は誰しも『複数の自分』を持っている。
仏教でも同一人物の心の振り幅を「六道」と言っている。
人には『よい人と悪い人がいるわけではない』。
状況によって『よいと感じる人にも悪いと思う人にもなる』からだ。
宗教理学では、これを『縁』という。
遺伝子科学では、私達は10代前まで先祖を遡ると2千人以上の直系の親がおり
『これら先祖達が持っていた才能と可能性』遺伝子をすべて受け継いでいることがわかっている。
その中には当然、聖者や殺人者もいるはずだ。
誰しも時の大河の流れのなかで、同じような遺伝子、『善・悪の行為の種』を持っている。
そして、目覚めている遺伝子は『その時々の縁』で変わってくる。
だから『誰しもがその時々「都度の関係性」の中で』善人にも悪人にも成り得るのだ。
自分では『意図していない』のに。
どれもがマインドの取りうる幻の姿で、それは『ハートの本質ではない』。
あなた『自身は愛そのもの』だから。
愛とは『善であり悪でもあり、それを超えるもの』。
だから、あなたは決して『自分のマインドの動きに惑らわされる必要はない』。
『自分を』責めることも、誉めることもない。
なぜなら、あなたが『考えている自分は「マインドの現れ」本質・愛から離れたもの』だから。
マインドが例え、あなたのハートを曇らせても『その先に在る光を観続けなさい』。
人は生きていれば、他者から悪意と感じる行為を受けざるを得ない。
これが『縁の循環』だから。
マインドの動きを見切った禅マスターたちには、それを「生の醍醐味」と楽しむ。
あなたも他者からも自分の『マインドからの悪意に触れても
「それを突き抜けたハートの光に眼を向け続けなさい」。
心の浮き沈みは、あなた自身ではない『あなたは愛そのもの』だ。
例えどんな悪意を感じても『人生ドラマの1シーン、フィクション』として楽しみなさい。
自分の心の闇や迷いは幻想だと『自己信頼し、祈り続けてハートの本質に遭遇する』ことこそが、
『笑楽道であり「愛の錬金術」』だから。合掌
初めは、彼が幸せならいいと祈りました。
ところが、私と付き合っている時から二股かけられていたことを知り、今は悲しみから憎しみに変わりました。
こんな自分自身の気持ちも嫌になりますが、この感情をどうしても拭えません。
どうしたら平穏な気持ちに戻れるでしょうか、ご教示下さい。
叡空・人は誰しも『複数の自分』を持っている。
仏教でも同一人物の心の振り幅を「六道」と言っている。
人には『よい人と悪い人がいるわけではない』。
状況によって『よいと感じる人にも悪いと思う人にもなる』からだ。
宗教理学では、これを『縁』という。
遺伝子科学では、私達は10代前まで先祖を遡ると2千人以上の直系の親がおり
『これら先祖達が持っていた才能と可能性』遺伝子をすべて受け継いでいることがわかっている。
その中には当然、聖者や殺人者もいるはずだ。
誰しも時の大河の流れのなかで、同じような遺伝子、『善・悪の行為の種』を持っている。
そして、目覚めている遺伝子は『その時々の縁』で変わってくる。
だから『誰しもがその時々「都度の関係性」の中で』善人にも悪人にも成り得るのだ。
自分では『意図していない』のに。
どれもがマインドの取りうる幻の姿で、それは『ハートの本質ではない』。
あなた『自身は愛そのもの』だから。
愛とは『善であり悪でもあり、それを超えるもの』。
だから、あなたは決して『自分のマインドの動きに惑らわされる必要はない』。
『自分を』責めることも、誉めることもない。
なぜなら、あなたが『考えている自分は「マインドの現れ」本質・愛から離れたもの』だから。
マインドが例え、あなたのハートを曇らせても『その先に在る光を観続けなさい』。
人は生きていれば、他者から悪意と感じる行為を受けざるを得ない。
これが『縁の循環』だから。
マインドの動きを見切った禅マスターたちには、それを「生の醍醐味」と楽しむ。
あなたも他者からも自分の『マインドからの悪意に触れても
「それを突き抜けたハートの光に眼を向け続けなさい」。
心の浮き沈みは、あなた自身ではない『あなたは愛そのもの』だ。
例えどんな悪意を感じても『人生ドラマの1シーン、フィクション』として楽しみなさい。
自分の心の闇や迷いは幻想だと『自己信頼し、祈り続けてハートの本質に遭遇する』ことこそが、
『笑楽道であり「愛の錬金術」』だから。合掌