ネンゴロ
~京大事件
1913 ひどく勇んで、沢柳事件。
1933 ひどく騒々しい、滝川事件。
1951 ひどく強引、天皇事件。
(終)
ネンゴロ
~京大事件
1913 ひどく勇んで、沢柳事件。
1933 ひどく騒々しい、滝川事件。
1951 ひどく強引、天皇事件。
(終)
笑うしかない友
~就眠儀式
寝た?
ん?
さっきね。
うん。
ううん。いつものことだけど、何か言い足りない気がする。
そう。何を?
そのときどきで違うわ。
言い忘れた感じ。
そうね。そうかもしれない。
たとえば?
紅茶が出てきて、その香りを嗅いで、何かが足りない。
レモンね。
レモンとは思わないのよ。でも、何かが足りないわけ。
レモンじゃなきゃ、何?
レモンと言われてしまえばレモンでもいいんだけど、本当は違うの。
違うような気がするのね。
そうそう。いえ、そうじゃなくて。あの、あれ。あっ、あっ。ああ、違った。
今もそうなのね。
そうみたい。
わかるわ。私もそうだったの、右脚を失くしたとき。
ごめんなさい。
いいのよ。
私は何を失くしたのかしら?
現実を認めまいとしたのね。
私は何かを失くしたの?
脚がないことはわかってるのよ。でも、ないはずの脚を感じるの、ちゃんと。
たとえば、「明日の午前中に来て」と言ったら、何か足りないと思わない?
そう?
そう。九時前に来られたら困るのよ。
じゃあ、「明日の午前九時から十二時までに来て」などと言うべきなのね。
そう。その「九時から」が思いつかないみたいなことよ。
だって、「九時から」って常識でしょう。わざわざ言う必要、ないわ。
そうね。だけど、私が言い足りないと思っていることは、常識とは違うらしいの。
だから、忘れるのね。忘れたいのね。
たとえば、「キリンの檻の中にキリンがいない」ってとき。
「いなくて残念」と思ってる。
じゃなくて。
「いなくてよかった」
外れ。
「檻の中に入れられたキリンは野生のキリンではなくなっている」
考え過ぎ。
「キリンじゃない何かがいる」みたいな。
違うな。
「キリンが中にいなくてもキリンの檻はある」
レモン・ティーのカップには、普通、レモンの薄切りが入っているけど。
果汁を垂らしただけのもあるわ。
レモンの香りがするティー・カップの中にはないレモンの薄切りのようなものかな。
そんなもの、要る?
要る、要らないじゃなくて。
義足を付けるようになったら、幻の脚の感じが消えたわ。
足りないのは言葉の義足? 言葉こそ義足のようなものよ。
言葉にしたくない感情って、誰にでも。
そうじゃないの。
わかってる。わかってて言ったの。言いたくなっただけ。
怒らせたみたいね。
怒ってないけど。
けど?
言葉にならない思いって。
違うの。
違うのよね。
誰かがあることを言って、それを私は復唱しているみたいなの、ただし、不完全に。
誰かって、誰が、いつ、どこで?
私の知らない誰か。
忘れたのね。忘れたいのね。忘れさせられたのね、誰かに。
「人間」という言葉の檻の中に私はいない。
どういうこと?
檻の中にいない私を私は想像できない。
だから、あなたは檻の中にいるわけね。
でも、その檻を私は外から見ているの。
その檻に「人間」と書いた札がくっついている。
私は、いるようで、いない。
いないようで、いる。
不完全だから私なの。完全なら、私ではないの。
私は不完全な人間ね。
ごめんなさい。
いいの。
やめよう、こんな話。
続けてて。
もう遅い。
いいの。
あなたは眠るのね。眠れるのね。
あなたが起きててくれるから。ありがとう。
……おやすみ。
(終)
「罪悪という意味は朦朧(もうろう)として」
~夏目漱石『こころ』批判(1/7)
いずれにしても先生のいう罪悪という意味は朦朧(もうろう)としてよく解らなかった。
(夏目漱石『こころ』)
「いや、ひとつのものも、人によって呼び方がちがうものですよ」とポアロはなぐさめた。
(アガサ・クリスティー『死者のあやまち』)
けれども、このブラウン家の隣人(りんじん)は、いとも巧妙(こうみょう)にものごとをねじまげるくせがあって、この人にかかると、相手(あいて)は自分がはたして何をいったのか、確信(かくしん)がもてないようにさせられてしまうのでした。
(マイケル・ボンド『パディントンとテレビ』)
「ぼくがことばを使うときは、だよ」ハンプティ・ダンプティはいかにもひとをばかにした口調で、「そのことばは、ぴったりぼくのいいたかったことを意味することになるんだよ。それ以上でもそれ以下でもない」
「ただ、問題は、そんなふうにことばにやたらいろんな意味をもたせていいものかどうか」
「問題はだね。どっちが主導権をにぎるかってこと――それだけさ」
(ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』)
「わたしには、イーヨーのおっしゃるいみがわかる。」とフクロがいいました。わたしの意見(いけん)はと問(と)われるなら――」
「わしゃ、だれの意見(いけん)もきいちゃおらない」と、イーヨーがいいました。
(A.A.ミルン『クマのプーさん』)
その言葉はぞっとするほどいやらしく響(ひび)きましたが、その響きよりも意味のほうがもっとおぞましいのでした。
(ジョージ・マクドナルド『かるいお姫さま』)
みんな、オウムという鳥は、人間のことばを話しますが、たいてい、じぶんがなにをいっているのか知らないのです。でも、オウムたちが、すぐに人間のことばをしゃべるのは、――つまりそれが、なんとなくしゃれたことのように思われるからです。それに、人間のことばをしゃべるというと、ビスケットをもらえるのをみんな知っていますからね。
(ヒュー・ロフティング『ドリトル先生航海記』)
「人間の話すことがわからなければ、人間なんてどこがいいんだ?」
(ラドヤード・キプリング『ジャングル・ブック』)
「ああ、言葉足りないですね」
「…………。ううん……」
「…………?」
「充分だよ。充分」そう言うと、南は頭から布団をかぶった。
(北川悦吏子『ロング バケーション』)
*go to
ミットソン:『いろはきいろ』#051~088。http://park20.wakwak.com/~iroha/mittoson/index.html
志村太郎『『こころ』の読めない部分』(文芸社)。
志村太郎『『こころ』の意味は朦朧として』(文芸社)2020年11月刊。
(終)