モロシになりそう。
~あの「失言」
失言とは何か。
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言ってはいけないことを、不注意で言ってしまうこと。言いあやまり。過言。
(『広辞苑』「失言」)
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失言には、以上の三つの意味がある。
今、与党の政治家の「失言」が話題になっている。
野党の政治家がこれについて「失言以上」と非難しているが、その場合の「失言」は一番目の意味だろう。
本人が認めているらしい「失言」は二番目の意味だろう。
弱々しい庶民は三番目の意味にとって怒っているようだ。
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「運のいいことに能登で地震があった。緊急避難的だが、金沢にいても輪島の住民票がとれるようになっていた」
(NHK「全国のニュース」)
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これは実際の発言とは少し違うが、ここではこれをテキストにして考える。
私の考えでは、この「失言」は、二番目の意味の「言いあやまり」だ。
「あった。」は、〈あったが、〉が適当だろう。この場合、「運のいいことに」は「住民票がとれるようになっていた」に係る。原文のままだと、「地震があった」に係るので、誤解されてしまったわけだ。
話の下手な人は、しばしば、重文を途中で切ってしまう。そのとき、後の文に用いるつもりの形容詞などを前の文で使ってしまう。「運のいいことに」は「緊急避難的にだが」の後に置くのが適当だろう。
私は、この政治家を擁護したいのではない。全く違う。「言いあやまり」ということに気づかない人々に対して、腹が立つやら、情けないやら、とにかく、くたびれるのだ。しかも、彼を非難するコメンテーターどもの発言も同様に意味不明だから、どうにもならない。
ただし、私の解釈が正しいとしても、彼の発言を非難する余地は十分にある。〈「運のいいことに」「住民票がとれるようになっていた」〉というのは、曖昧だ。だから、誤解されても仕方がない。
「運」は変だ。運命論者か? だったら、政治は無用だろう。
この「運」は〈私に感謝しなさい〉という思いを暗示している。多くの人は、この暗示された思いを感じ取って腹を立てているのに違いない。ただし、そのことを明示できないでいる。明示できない理由は二つ考えられる。
明確に意識できないから。暗示されたことを証拠とするのをためらうから。
前者の場合、どうにもならない。反省能力が足りない。憐れな凡人だ。後者の場合、発言者と議論をしてみればいいのだが、私を含め、普通の人々には議論をする機会がない。機会のありそうな連中が議論をしないのは怠慢だ。そうでもないとしたら、マス・メディアで仕事をするための能力が足りない。狡い詐欺師だ。
そもそも、印象、感想、解釈、憶測、忖度、妄想の責任は、全部、受信者の側にある。発信者に責任はない。そんなことも知らないのか?
日本語のできない政治家と、日本語のできない知識人と、日本語のできない凡人が選挙に係わって、どうなる? どうにもならないよ。いいことは何もない。
言葉を壊すのが仕事のコメディアンまでが、知識人っぽく社会的問題について論じる。さらには立候補する。
日本国中、場末の飲み屋だ。
もう、笑うしかないのさ。
Come to the cabaret!
(終)