団地小説短編集を歩く

団地小説短編集の舞台を歩きながら団地や地域の魅力をお伝えします。

番外編 22 さよなら布引団地

2021-07-30 05:59:44 | 日記

       番外編においては土地所有者である姫路市に譲渡後解体撤去された高尾団地について書いてきましたが今回は

      布引団地にになります。令和3年6月末をもって全戸が退去。この後土地所有者に引き渡されます。

     団地概要

       名  称  布引アパート(団地銘板)  通称 布引団地   布引市街地住宅が正式名称だと思います。

       所 在 地  神戸市中央区布引町三丁目2ー1

       敷地面積  全面借地団地のため非公表  建物延べ面積を容積率で割ると 約1320㎡

       建物概要  10階建て1棟のうち3階から10階に住宅

       住宅戸数  1DK 86戸  2DK 50戸  3DK  32戸  計 168戸

       入居開始  昭和42年6月~12月

  

 加納町交差点に圧倒的な存在感を示す布引団地です。加納町は旧生田川跡地を落札した、加納宗七が整地分譲した新神戸駅から

海岸までの細長い町で、旧生田川の一部はフラワーロードとして神戸市を代表する景観の一つとなっています。

  加納町は小説キャナルタウン 59 和田岬線(後編)旧湊川と湊川改修会社(2020.8.14)をご覧下さい。

  

 加納町交差点の南、フラワーロードから見た布引団地です。尖塔型の建物はANAクラウンプラザホテルKobeで平成16

年までは新神戸オリエンタルホテルでした。

  

 平成7年1月17日の阪神淡路大震災の数日後と思われる写真です。(阪神・淡路大震災における消防活動の記録から)震災で

はいくつもの記憶に残る画像がありました。大きく傾いた柏木ビルのもその一つでしたが、深夜に横倒しになりました。後ろに見

えるのが布引団地です。新神戸オリエンタルと柏木ビルは同じ建設会社でした。超大手ゼネコンの面目にかけて速やかに再建され

ました。

   

 阪神・淡路大震災では布引団地は圧倒的な頑丈さを発揮しました。エレベータは止まり、断水しましたが建物はびくともしませ

んでした。手前の倒壊した木造建物跡地は今はコインパークです。

 八代町建設業協会青年部の人たちがトラックの荷台にポリタンク積んで給水に駆け付けました。人々はやかんやお鍋に水を入れ

て階段を往復しました。

       中廊下住宅 

  

 阪神・淡路大震災では圧倒的な強さを発揮したのは中廊下式と呼ばれる住宅の配置にありました。昭和30年代までの木造ア

パートで見られた形式ですが住宅の居住環境はあまりよくありません。公団住宅にも初期には見られましたが、関西以外では早く

に姿を消しました。

 左と中央は布引団地の平面図になります。右の図は他団地ですが柱の配置がよくわかる参考図です。建物の幅は約20m4列の

柱がほぼ均等に配置され建物を支えます。バランスの良い構造計画が重視されました。布引団地は敷地の関係で幅20mはありま

せん。構造計画で数値以上の力をだす。公団の設計の神髄です。

 関西の公団で中廊下式が後まで残ったのなぜでしょうか。団地の高層化による広いオープンスペースの確保、中廊下が子供が遊

ぶ下町の路地のような生活空間あることが注目されていたようです。今でこそタワーマンションが林立する時代ですが、緑の森の

中に林立する超高層団地が構想されていました。

       布引第二団地

 実は布引第二団地が存在していました。南階段の南側の4戸です。どう見ても一棟の建物です。おそらく予算上、年度をまたが

り書類上のみ存在する幻の団地名だと思います。。

  

 布引団地の住宅と柱割のイメージです。実際は左右でこのタイプの住宅が並んではいません。左の住宅の縁側の形から、建物の

幅が北が広く南が狭いことがわかります。

   

 中廊下です。建設当初はもっとスッキリしていました。度重なる改修工事の結果です。小さな子供たちには路地のような安全な

遊び場です。屋上にも物干し場とベンチのある広場がありました。

 中廊下部分は外と解釈されて台所排気やガス風呂の吸排気先になっていましので空気が自由に流れるルーバー状になっていま

す。しかし給湯器の性能が向上すると空気不足の問題が生じ外部窓側に吸排気パイプが出るようになります。


       布引団地の記憶

   

 フラワーロードと裏側の低層部の写真です。ほとんどが閉店済みで寂しい状態ですが、かっては中小の店舗が並んでいました。

同じ市街地住宅である高尾団地の土地所有者が一人で有ったのに対して20人前後の土地所有者がおりそれらの店舗が並んでいま

した。市街地住宅制度については番外編 1 高尾団地取り壊し始まる(2016.10.1)をご覧下さい。

 しかしこのことが布引団地をさらに頑丈なものにしていました。阪神・淡路大震災では一階の駐車場や下層部の店舗や事務所が

押しつぶされたマンションが多数ありました。ピロティ階と呼ばれる耐震壁の無い広い空間が地震に耐えられずに押しつぶされま

した。布引団地では小さな店舗が並んでいたため無理なく耐震壁を作ることが出来ました。

 フラワーロード側の手前の部分は配置図にもあるように3階部分まで施設となっています。土地所有者の要望に合わせた細かい

組み合わせです。

       最後の戦災復興事業?

 ではなぜ多数の土地所有者の土地に公団住宅が出来たのしょうか。ここは戦災復興土地区画整理事業地にあります。零細な土地

を集めて巨大なビルを作る。戦災復興の締めくくりともいうべき大事業でした。非常に困難な事業でしたが神戸市の外郭団体も小

さな土地ではありますが地主の一人として参加してもらって人質、いやコーディネーターとなっていただいたそうです。

 全面借地である布引団地は団地別整備方針書によれば「土地所有者への譲渡、返還等」に分類されていますが、土地所有者の多

さから永久に無理ではないかと思われていました。店舗もはぼ空家の状態ですので、解体⇒再開発と進むのではないかと思われま

すが今後の展開が非常に興味深いです。

       地下飲食店街   

   

 三宮に近い立地を生かして地下には飲食店街がつくられました。土地所有者の自営の店舗の他賃貸店舗も有ったようです。

 1階に外人バーオハイオがありました。外国船の船員相手の神戸らしいお店でした。

       エレベーター    

   

 1階と屋上階にはエレベーターは2台ありますが3~10階には1台しかありません。ある時期だけの公団住宅の特長です。停

止階を奇数階と偶数階に分けることにより省エネとスピードアップ図りました。エレベーターのスピードも速くなり見られなくな

りました。

       郵便受け    

   

 昔は集合住宅であっても各住宅の郵便受けまで郵便物が配達されていました。しかし中高層住宅が増えるにつれて2階以上は集

合郵便受けが必要となり階段の途中まで郵便受けが並ぶ事態となりました。これでも収まらない3・4階分は各階にあります。

       ダストシュート

   

 ダストシュートは公団住宅の文化生活の象徴として初期から各団地に取り入れられました。玄関の右がゴミの貯蔵ホッパーの扉

になります。しかし特に夏場の臭いの問題から順次廃止され布引団地の場合は各階にコンテナが置かれました。



       もう一つの戦災復興団地 相生町

 布引団地を最後の戦災復興事業?と書きましたが神戸市にはそのお兄さん団地とも呼ぶべき団地が存在しました。戦災復興土地

区画整理事業の地域で十数人の地主さんの土地に日本住宅公団の全面借地市街地住宅として建設されました。

     団地概要

       名  称  相生町

       所 在 地   神戸市中央区相生町5丁目10ー21

       敷地面積  1475㎡ フレール神戸相生町から推定

       建物概要  10階建て1棟の4~10階に住宅

       住宅戸数  1DK 48戸  2DK 56戸  3DK 42戸   計 146戸

       入居開始  昭和40年8月

 布引団地が中廊下式住宅であるのに対して片廊下式住宅です。その比較として登場です。

 相生町団地の平面図が有りませんので片廊下式住宅のイメージとして高尾団地の標準階平面図です。

  

 相生町団地は小さくL字型に曲がっており長辺部の先は薄く尖がっていました。

   

 写真 左  団地の北側からになります。中央部分が前に傾いているのがわかります。

 写真 右 団地の南側からになります。120m以上ある長い建物はエキスパンションで3つに分かれていました。中央部分の

3階事務所が潰れて建物が前に傾きました。早朝の地震で幸い死者は有りませんでした。

 おそらく同じ耐震基準で設計されたと思いますが、建物の構造によって大きな差が出る一例になります。

       戦災復興団地から震災復興団地

   

 平成11年10月にフレール神戸相生町として再建されました。フレールは公団の震災復興住宅のブランド名です。応援の

掛け声フレーフレーのフレールです。

 建物は13階建てになり、薄っぺらい部分はカットされました。3階~13階が住宅になります。

 1DKー10戸 1LDKー22戸 2DKー22戸 2LDKー44戸 3DKー11戸 3LDKー10戸  計119戸

 市街地住宅も昭和50年代になると次第に衰退していきます。阪神・淡路大震災あらゆる手法を駆使して復興に協力した。では

これが最後の市街地住宅でしょうか。2階までの施設部分は従来の土地所有者の区分所有のようですが都市機構の分類では一般団

地になっています。全面借地市街地住宅に対して市街地住宅の後期型として一部買収市街地住宅があります。住宅の土地利用比率

相当分の土地を買い取る方式です。土地所有者に借地料ではなく土地の売却代金が入る土地所有者にもメリットの大きい方式で

す。団地の形態としてはこれに近いのではと思いますが詳しいことは分かりません。


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